氷の公爵の作り笑い
タジリア領から出発する一台の馬車。
名残惜しい別れの挨拶を終えてから一刻は経った頃。
ついに私は口を開けた。
「あの……」
「うん?」
窓側に座るレイナルド様……いえ、レイナルドは私の髪を指に絡ませ遊びながら返事をする。
長い脚を組ませる姿はさながら一枚の絵のように神々しい。
けれど。
「もう……向かいに座ってもよろしいですか?」
「もう少しこのままで」
ピッタリと隣にくっつきあいながら座らされている私は。
とても……とても居心地が悪かった。
真実を交わし合って、想いのままに言葉を交わして。
よく分からないうちに唇を奪われてから。
どうにか平静を取り戻した私の真っ赤な目を見て、レイナルドは手拭いを水に浸して冷やしてくれた。
過剰なまでに介抱されながら、ポツリポツリと今までのことを話し合った。
いつから記憶を取り戻したのか。
ずっと、どう思っていたのかとか。
私は私で、ローズマリーが亡くなってからのことを聞いた。
言い辛いこともあったと思うけれど、なるべく真実をレイナルドは伝えてくれたと思う。
その言葉ひとつに私は胸を痛ませるのだけれども、その度レイナルドは私の手を優しく握り締めてくれた。
きっと彼が話す言葉の全てが真実ではないと思う。
もっと……私がもっと傷つかないようにきっと言葉を選んで話してくれている。
その優しさが、余計に辛いけれど。
後悔しているだけでは何も進まないと、もう分かっているから。私は静かに彼の話を聞いていた。
話をしている間に日が暮れてきたことに気がついて、私は慌てて屋敷の侍女に事情を説明するためニキを呼んでもらった。
今日のニキは出掛けていた筈だったのに、屋敷の中で私を待っていてくれた。後から聞いたら出掛ける前にレイナルドと顔を合わせていたらしく、事情を考慮して長姉であるオーフィリア様にも根回しをしてくれていた。
改めてレイナルドが御礼を伝えたいと言ったけれど、ニキは姉から気にしないようにと伝言を受けていたようで。
一体、何処までご存知なのかしら……
時間も遅いことから、お言葉に甘えてレイナルドがタジリア邸に宿泊することになってから翌日の朝。
私とレイナルドは王都に戻ることにした。
「結婚式には呼ぶから来てね」
「うん…………本当にありがとう、ニキ」
ニキとの別れは寂しいけれど、また会える約束を強く交わし互いに抱き締めあった。
抱き締めあいながら、「勿論貴女の結婚式にも呼んでくれるわよね」と揶揄うような口調で言われ顔が熱くなった。
改めて夜に想いを通じ合えたことを伝えた時、ロマンチックだと興奮していたニキは嬉しそうに私とレイナルドを見ていた。
レイナルドがいつの間にか手配していた馬車によって帰路を進んでいるところで、今に至る。
(ずっと平静に見えてたんだけどなぁ……)
ニキと別れタジリア領を去る間まで、レイナルドはいつもと何ひとつ変わらない様子だった。
少し冷たそうに見えるけれど、以前より確実に柔らかい表情にはなっているものの声色や態度は公爵として威厳ある佇まいのまま、ニキや屋敷の方に対して誠意ある感謝の言葉を贈っていた。
けれど、馬車に乗ると無言で私の隣に座り。
あれ? と思ってレイナルドを見上げた私に笑みで返し。
そしてずっと隣に座っている。
時々私の髪に触れては遊んでいる。
やめてほしいと目で訴えれば、頬に口付けを返されるので気軽に視線で返せない。恥ずかしい。居た堪れない。
結果、言葉で訴えてみるけれど。
(もう何度目の「もう少し」かしら)
結局。
長時間に渡る馬車の移動の間。
レイナルドは一度たりとも私の隣から離れることはなかった。
王都の景色が見えてきたところで思い出したようにレイナルドが話し出した。
「そうだ。リゼル王子の婚約者の件は無事白紙に戻された。婚約者の頃に用意していた部屋はもう使うことが出来ないが、よければ手紙のあった場所を教えて貰ってもいいかな」
「はい、構いません」
そうか。
レイナルドに言われるまま王都に戻ってきたけれど、私はもうリゼル様の婚約者ではなかった。
それなら兄の家に居候させてもらおうかな……
と思っていたところで「そういえば」と思い抱いたような口調でレイナルドが話し始める。
「マリーは王都の私の屋敷に案内したことはないね」
「そうですね」
王都勤めをする爵位持ちは大概別宅として王都に屋敷を構えている。兄もその一人だ。けれど兄は屋敷なんて大層なものはなく、あるのは一人暮らし用の小さな家。それでも平民の家が暮らす程度の広さはあるので、私も王城勤めを始める前に何回か泊まったこともある。
「今後貴女にも脚を運んで貰う機会があるだろうから、良ければ王都に戻ったら初めに案内してもいいかな」
「はい。分かりました」
「……敬語が解けるのは結婚後かな?」
レイナルドが困ったように笑う。私は何とも言えず苦笑するしかない。
(今更口調を昔みたいに変えるのはちょっと無理かな……)
レイナルドと想いを交わしあった後から、レイナルドは敬称呼びを止めてほしいことと畏まった言葉遣いを崩してほしいとお願いしてきた。
敬称呼びまでは大丈夫だった。でも、歳上の男性となったレイナルドに対して以前のように話すことにはまだ抵抗がある。
「少しずつ、慣れていきます」
「そうだね。せめて二人きりの時にでも練習してみて」
レイナルドは強要しない。
優しく促してくれる。
私がローズマリーだったからなのか、それとも想いが通じ合ったからなのか。以前のように主従のような関係を全く感じさせない。
それでも側から見れば私達の関係が信頼しあう主従関係のように見えるような姿勢で語りかけてくる。
今になって分かる。
レイナルドは自然に見えるけれど常に周囲に気を配っている。その行動は警戒に近い。しかもそれを無意識に行っているのだ。
きっとレイナルド自身も気付いていない癖のようなもの。
自分の本心が見えないよう気を配っている。
それでも、以前のような氷のような表情はない。
(少しずつ……少しずつでも変わっていけたら)
幼かった頃のレイナルドが、あの笑顔を取り戻すまで。
傍で見守り続けていきたい。
夕刻過ぎた頃に到着した王都で、レイナルドと交わしていた通りレイナルドの屋敷に向かった。
王城から離れた場所にある屋敷の前に降りて私は愕然とした。
古めかしい屋敷はさながら幽霊屋敷のように見えた。
灯りは一切なく、けれど屈強な体格をした護衛兵が門前でレイナルドに頭を下げている。
「これ……が……お屋敷ですか? 灯りがありませんね……」
幽霊屋敷ではなくて?
「滅多に訪れることもないから使用人を雇っていないんだ。とはいえ盗人が入ると困るから警備だけ配置してある」
「お屋敷の中の管理は……?」
「清掃の時だけ雇っている。あとはリーバーに時々任せているけど、リーバーにはローズ領の管理も任せているからね」
「他の方を雇うのは?」
「信頼できる人がいないんだ」
寂しそうに笑うレイナルドの顔を見ているのが辛い。
信頼できる人がいないという、たった一言が胸に痛い。
「頼れる人材がいれば任せたいんだが……ああ、そうだ。マリー。貴女が良ければここの屋敷管理をしてくれないか?」
「私ですか?」
驚いて私は屋敷とレイナルドを交互に見つめた。
「私はまだ王都でやり残していることがある。それまで貴女が滞在する場所も必要だろう? この屋敷で滞在しながら管理をして貰えると助かるんだが、どうかな」
「それは……構いませんが」
屋敷の管理はエディグマでもやっていたので最低限のことならきっと出来る……と思う。
何より、こんな寂しい場所にレイナルドを置いていくことが私には出来なかった。
「本当? ありがとう。信頼できる者を手伝いに寄越すから、日中は私の屋敷管理をお願いしたい。ああ、良いな。マリーと夕食をするために早く帰る努力が出来そうだ」
本当に嬉しそうに、明るい表情を見せながら私を真っ暗な屋敷までエスコートしてくれるレイナルド。
仕方ないなぁと思いながら、ふと思った。
「信頼できる方をお手伝いに寄越してくださるなら……その方にお願いしても良かったのでは?」
レイナルドは玄関の鍵を開けて扉を開けていた手を止めて。
ゆっくりと私に微笑んだ。
「最も信頼できるのは、貴女だけだからね」
久しぶりに見る作り笑いだった。




