新国王と宰相の会議
ディレシアス国内で行われる定例会議の日。
会議室の間は重苦しい空気に包まれていた。
未だ情勢が落ち着かず国を維持するには大事な時。それでも、かつて王権を揺るがした元国王グレイは禁錮の状態。更に王妃は暗殺されたことによって皮肉なことに王権が守られている。
新王リゼルによって王国ひいては王家の信頼を取り戻すために日々会議室では白熱した討論が繰り広げられるのだが……
ある一人の男によって、その雰囲気は気まずいまでに沈黙していた。
新体制となったディレシアス国の王政を牛耳るとも言われる宰相レイナルド・ローズが明らかに落ち込んでいたからだ。
日頃表情から感情を見せないはずが、今は明らかに傷ついて悲壮に満ちた表情。
目元には隈がくっきりと現れ寝不足であることが窺える。
何と言っても覇気がない。
宰相としての威厳は、氷の公爵と呼ばれた彼はどこへいってしまったのだろう……
しかし周囲の貴族は聞くこともできない。
会議に同席しているセイン・マーデルへ「何があった?」と問いかける視線が注がれるものの、セインも首を横に振って応えるしかなかった。
セインも、書記官であるライルも何故レイナルドがここまで落ち込んでいるのか、本当は知っていた。
直接レイナルドから聞いたわけではない。
だが、彼の周辺で異変があったとすれば、婚約者候補にしてレイナルドの侍女であったマリー・エディグマが辞職したことぐらいだ。
セインにも突然マリーが辞めて姿を消した理由が分からなかった。レイナルドに聞いても答えはなく、一度訪れたことがあるマリーの故郷エディグマにそれとなく手紙を出したが、返事にはマリーが帰ったという記述はなかった。
マリーはエディグマにも戻らずに姿を消した。
そのことが間違いなくレイナルドをここまで落ち込ませている原因であることは分かっているものの。
(正直に言えるわけがない……)
事情を知らない大臣に伝えられるはずもない。
そして、聞くこともできない。
(振られたんですか? なんて聞いたら殺されそうだ……)
悲壮な雰囲気をしたレイナルドに問うこともできない。
明らかに落ち込んでいるが、それでも宰相たる彼は実務を確実にこなしていった。
彼は一刻すらも余裕なく仕事を続けていた。揺らいだ王権を維持し続けられるのも、クーデターの首謀者である彼の功績が大きい。反国王派であった者らを統治し、かつ新国王となったリゼルとの間を取りまとめる人材はレイナルドの他にいないとセインは本気で思っている。
そんな、複雑な思いを抱きながらレイナルドの姿を見守る者が。
セインの他にもひとり、中央の座席から静かにレイナルドを見つめていた。
宰相の執務室に戻ったレイナルドはライルにいくつか指示をすると一人、部屋の椅子に深く座った。
吐く溜め息は重い。
治ったと思っていた頭痛が完治どころか悪化していた。
露骨に体調に反応が訪れる自身の身体に失笑する。
(ここまで弱り果てたか)
たかが一人の女性が姿を消しただけだ。
けれど、その一人が今のレイナルドにとって唯一の女性なのだ。
手紙を見てすぐにレイナルドは情報を集めた。
その結果、専属侍女としてつけていたニキ・タジリアの領へと向かったと知った。
すぐさま護衛を向かわせた。勿論、マリーに知られないよう姿を隠しておくようにと伝えてある。
マリーが不在と知ったニキがーー正確には既に知っていただろうがーー自領に戻ると侍女長に連絡があった時も、何も訊ねず承諾した。
そもそも婚約者の話は白紙になるため、誰もマリーの所在を気にしていない。
ひっそりと姿を消したマリーのことを知る者はどれだけいるだろうか。
レイナルドはもう一度息を吐く。
すぐに追いかけたいと思った。
しかしできなかった。
飛び出した原因が明らかにレイナルドの告白であることを知っているからだ。
(臆病だな)
かつては何の躊躇もなく復讐の計画を実行していた自分と別人のようだ。
すると、扉を軽く叩く音がする。
誰かが訪れてきたようだ。
ライルかと思い声をかけて入室を促したレイナルドは、訪れてきた人物を見て瞳を大きく開いた。
扉の前には、新国王となったリゼルが立っていたのだった。
「随分と荒れているようだね」
「…………まだ情勢が落ち着いておりませんからね」
書類の散らばった机を見て言われたのか。それとも今のレイナルドに対して投げかけられたのかは分からないが、レイナルドははぐらかすように答えた。
「何かお急ぎの御用でしょうか?」
「…………そうだね。急ぎたいといえば急ぎたい」
新国王となってからのリゼルは以前の王子らしい若さある表情を見せることがなくなった。
常に表情はかたく、しかし見つめる瞳は強固な意思を抱いていた。
母であるティアを亡くし、父であるグレイは未だ裁判の最中である。二十年の間に渡るグレイの周辺で起きた悪政をひとつひとつ解いているため時間が掛かっているのだ。
良くて終身の蟄居、悪ければ死罪となるだろう。
レイナルドは勿論死罪になるよう進めていることを、リゼルも知っているだろうから。
この訪れもその話なのだろうとレイナルドは思っていた。
しかし違った。
「マリー嬢が出て行ったそうだね」
リゼルの口から出た言葉にレイナルドは止まった。
が、すぐに平静を取り戻し穏やかに口角を上げた。
「ええ。婚約は白紙にされましたから」
「まだ決定ではないはずだが? 貴族間に通達されていない以上、僕とマリー嬢の婚約を続けることも可能だ。少なくとも、僕にもそれを実行できる力がついた。貴方のお陰でね」
うっすらと微笑むリゼルの笑顔にレイナルドは今度こそ固まった。
彼は、レイナルドの知るリゼルなのだろうか?
「仮初の婚約者として接してきたけれど……僕がマリーに惹かれていることは知っているだろう?」
「…………」
レイナルドは答えない。
「今、僕には少しでも頼れる人物が傍に欲しい……特に妃となる人には全てを捧げる思いだよ。両親の二の舞にならないためにも……そう思わないかい? 宰相殿」
「…………それは……」
珍しいことにレイナルドは反論ができなかった。
リゼルの気迫に押されたのも原因にあった。
今までどこか幼さがあったリゼルしか知らないレイナルドは混乱した。
新国王となってから表情が硬くなったと思っていたが、彼の発言までもが国王としての気迫を持っているのだ。
絶対的な言動。
しかしレイナルドは仕えるべき国王を睨んだ。
「マリー・エディグマは王妃の座を望んでおりません。いくら貴方の希望といっても、私は彼女の後見人として貴方の望むままに彼女を差し出すわけにはいきません」
「名ばかりの後見人なのに? 王妃を望んでいないのは知っている。けれど、説得する機会はいつだってある。婚約の話は白紙になどしない。彼女は僕の婚約者だ」
リゼルの言葉が終わると同時にレイナルドが机を叩いた。
以前、リゼルがマリーのことを話した時に表した態度と同じか、それ以上の感情をぶつけるように。
部屋が静まりかえる。
二人の間に緊張が張り詰める。
しかし、先に緊張の糸を解いたのはリゼルだった。
「……そんなに焦るぐらいなら追いかければいいだろう? レイナルド卿」
リゼルの声色がいつもの彼に戻る。
レイナルドはゆっくりと顔を上げてリゼルを見た。
リゼルは、何処か怒ったような……それでいて苦笑していた。
「貴方がこれほど不器用だとは知りませんでした。もっと完璧な人だと思っていたから……やっと身近に感じられた気がします」
「王……?」
「ああもう、失恋したばかりの僕が何で応援しなきゃいけないんだ!」
急に怒りだしたリゼルの言葉にレイナルドは呆然とした。
「……マリー嬢には直接ここを出ていく話を聞いていた。その時に、婚約者のままでいないか聞いたけど、きっぱりと断られたよ」
リゼルの言葉にレイナルドは無表情のまま、しかし内心では盛大に安堵している心のままにリゼルを見つめていた。
「仕事は二日ぐらい体調不良にして休んでいいから、早く元に戻ってくれないかな? 最近の会議は葬儀の延長みたいで気に入らないんだ」
「リゼル様……」
「くれぐれもマリーによろしく。いつでも婚約者に戻れるようにずっと隣は空けておくつもりだから」
明るい声色で言うリゼルの言葉が、その実本心であることがレイナルドには分かった。
「そのような事には決してさせません」
先ほどまで悲壮なまでに落ち込んでいたレイナルドの姿はなかった。
リゼルに対し深く頭を下げた後、レオナルドは自身の愛馬であるウィンドルフ二世の元へ向かったのだった。
宰相室に取り残されたリゼルは、飛び出すように出て行ったレイナルドの足音が聞こえなくなったところで深々と溜め息を吐いた。
「本当…………振られてくれないかな」
リゼルは善人ではない。
しかし、両親のように悪に染まるつもりもない。
ただ、自分の恋の我儘のためにもマリーとレイナルドという二人の関係に決着をつけてもらいたかった。
そうしないと、自分も前に進めないからだ。
「…………さあ、仕事するか」
新国王には仕事が絶えない。
これから決めることが山ほどあるのだ。
婚約者の話を進めるなんて。
まだまだ、先のまた先の話なのだから。




