夢で彼女が泣いている
私の目の前で一人の女性が泣いている。
金色の糸のように綺麗で長い髪で顔は隠れているけれど、嗚咽を堪えきれず漏れた声は悲痛に満ちていた。
どうしたんですか?
そう、聞こうと思ったけれど口が開かない。
手を伸ばして背中に触れようと思ったけれどそれも叶わない。
泣いていた女性がふと顔を上げる。顔はよく見えないけれど、私は何故か彼女をとても知っているような気がする。
どうにかして声を出そうと思ったけれど、やっぱり出なくて。
そうしている間に金色の髪をした女性がこちらを向いた。
翡翠色の瞳は涙に濡れていた。
見覚えのある顔。姿。
(ローズマリー)
かつての私。
前世の私が泣いている。
悲しみを浮かべた表情が私を見つめながら、また一筋の涙を溢した。
涙に濡れた唇がゆっくりと開き、何かを喋っている。
声は聞こえない。
けれど、何を話したのか口の動きで分かった。
(ごめんなさい……?)
謝っていた。
何に対して? どうして?
分からないままにローズマリーを見つめていたけれど。
次第と彼女の姿が霧がかり。
私は夢の世界から現実へと引き戻されていった。
「…………」
目覚めてすぐ私は顔を掌で覆った。
夢で泣いていた女性は紛れもなくローズマリー自身だった。
その想いに引きずられるようにして、私もまた眠りながらも涙を流していた。
もう、これで三日連続だ。
「…………起きよ」
なるべく瞼をこすらないようにしながら私は寝台から起き上がった。
タジリア領にやってきて四日目の朝。
私は日課になってきた朝食の手伝いに厨房に向かった。
「おはようございます」
「マリーさん、おはよう。今日もありがとう」
「いえ。いい匂いですね」
厨房で朝食を作っているのはお屋敷の料理長さん。話によるとニキが赤ん坊の頃からお屋敷に勤めていたらしい。
私は慣れた手付きでお皿を盆に乗せ、食事の間と呼んでいる部屋に向かった。
「おはよう、ニキ」
「おはよぉ~マリー。すっかりお屋敷侍女が板についちゃってるわね……」
実家に戻ってきてからというものリラックスした状態のニキは眠そうな様子で着席していた。
私はタジリア領にお世話になると決めた時から侍女として働かせてもらう約束をしていた。
ニキにその話をした時は断られたけれど、いつまで滞在するかも決めたわけではないから、せめて侍女の仕事をさせて欲しいと頼みこみ、今に至る。
ニキの家は伯爵家で、政界には一切名も知られていないほど小さな領ではあるけれど、しっかりと地盤のある領地だった。王都からは多少距離はあるものの港にも近く、気候も安定しているため生活も安定している。
四女でもあるニキは本当に自由な暮らしをしているらしく、淑女らしい振る舞いを強いるような家庭環境ではなかった。
けれど領主代行も勤めていらっしゃる一番上のお姉様には頭が上がらない様子だった。
長女のオーフィリア様は領主代行として旦那様を婿にお迎えしていると聞いていた。
実際、数日前にタジリアに到着してまず最初に挨拶したのがオーフィリア様だった。
ニキと同じ真っ直ぐに伸びる髪を綺麗に結い上げた姿で、しっかりとした家長らしい風格のある方。
どこまで私の事をご存知かは知らないけれど、暫く滞在する私に対して微笑んで「ゆっくり過ごしてください」と仰ってくださった。
とはいえ……
そこまで甘えてもいられないので、最低限お世話になる上でお手伝いできることはないかな、と思い今に至る。
「ニキ。今日は出掛ける予定でしょう?」
恋人と久し振りに会えるのだと喜んでいた昨日を思い出す。
ニキは顔をあげてウンウンと頷いた。けれどその後、申し訳なさそうに私を見る。
「マリーを一人にさせちゃうけれど……平気?」
「勿論よ。心配してくれてありがとう。だいぶ元気になったから」
ニキは王城で落ち込んでいた私を見ている。
だからこそ私に気遣ってくれて、何より私をタジリアまで連れてきてくれた。
その優しさがあるから、今私はこうして前を見ることが出来ているのだと思う。
食事を済ませた後、ニキを見送ってから私はタジリアのお屋敷を眺めた。
ローズ領のように古城ではなく、エディグマ領よりも大きな屋敷の建物は広い。けれど厳格さを感じないのは、タジリア領の雰囲気がよく表れていると思った。
「何だか懐かしいな……」
この穏やかな雰囲気は、かつてローズマリーが好きだった実母の別荘に似ているかもしれない。
ローズマリーが家の窮屈な生活が嫌で逃げ出したい時、よくレイナルドと一緒に別荘に出かけていた日々。
「…………」
レイナルドが行ってきた事を、タジリアに着いてから改めて調べ直した。
王城で見習いとして働いていた時の冷遇。
貴族の夫人達から評価をうけ、更に彼の地位を盤石とさせた北部領地奪還の功績。
それから王家に対する貢献を見る限り、彼は言葉通り英雄のようだった。
(それも全てローズマリーのためだったというの?)
多くの功績を得て公爵の地位と領地を手に入れたレイナルドの話を聞いた時。
彼が姉の過去を乗り越えてくれたのだと勘違いしていた。
かつては弟だったレイナルドに会いたい気持ちがあり、実際に会うことが出来た。
それだけではなく、今の彼と過ごすうちに、次第に弟ではない一人の男性として意識してしまうことになった。
ローズマリーではなくて、マリーとして。
レイナルドという一人の男性を、好きになっていた。
けれど。
「…………私はどうしたいんだろう」
レイナルドはずっと姉であるローズマリーの事を考えていたという事に。
マリーとしての私は嫉妬を抱き。
ローズマリーとしての私は罪悪感に押しつぶされそうだった。
複雑すぎる気持ちに混乱するしかなくて、レイナルドの前に立つことも出来なかった。
結局私は逃げたのだ。
「…………」
借りている部屋の片隅に置いてある鞄から古い手紙を取り出した。
婚約者の間で見つけた幼いレイナルドと交わした手紙だ。
王城を出ていく前に持ってきた。
もう二度と、王城に戻らないかもしれないと思ったからだ。
古びた手紙をゆっくりと開く。
『ローズマリー姉様へ。
姉様がお城に行かれてひと月が経ちました。
姉様はさびしくないでしょうか。
私は、レイナルドはとてもさびしいです。
けれどこれ以上わがままを言っては姉様を困らせてしまうのでがまんします。
私は今、馬術の練習をしています。
馬車を与えてくださると聞いていましたが、お父さまはお約束を忘れているようなので、早く馬術を覚えて私が姉様に会いに行こうと思っています。
だからそれまで待っててください。
今はお側にいられなくても、いつか絶対に姉様と一緒にいられるように私は努力していきます。
もっと大きくなったら姉様を守ってみせます。
それまで待っててください。
愛する姉様へ。
レイナルド』
何度読み返したか分からない手紙には。
今よりも前に流して落ちた涙の跡が残っていた。
既に枯れてみる影もないローズマリーの花と共に送られた手紙を。
私は何度も何度も。
ずっと読み返していた。




