復讐の果てに昇る日の出は赤い
薄暗かった夜空から僅かに日の出の兆しが訪れる。
群青色へと空の色が変わりだし、朝日が訪れ始めた頃。
深い眠りに誘われていたリゼル・ディレシアスは目覚めた。
「………………」
リゼルの目前には、長い布で覆われた母の遺体が横たわっていた。
布で隠しきれていないナイトドレスには焦茶色の痕があった。血痕である。
リゼルを起こし、ここまで連れてきたアルベルトは黙ってリゼルの背中を見つめていた。
リゼルに眠り薬を盛ったのは他ならぬアルベルトであった。
アルベルトは昨夜のクーデターに加担していた。リゼルに反対をされないよう眠ってもらう必要があったため、ガーデンパーティ後の慰労を兼ねて酒を飲もうと時間をもらったところで薬を盛った。
処罰される覚悟の上だった。
ただ……誰もが予想もしなかった王妃であるティアの死に、アルベルト自身動揺が隠せなかった。
投獄されていた彼女は正式な場で裁断される筈だったのだ。
しかし早朝前、ティアと彼女の恋人と思われる男が二人で息絶えている姿が発見されたのだ。
見張りは気を失っていた。
どうやら恋人であった男が見張りを気絶させて入ってきたらしい。兵が今回の騒動で疲弊していたという事情もあるが、明らかにアルベルトの責だった。
「…………申し訳ございません」
アルベルトはリゼルに向けて頭を下げた。
リゼルは黙ったままティアに視線を向けている。
「…………」
何に対して謝罪をしているのかとリゼルは尋ねようと思ったが、止めた。
アルベルトの真意を言葉に聞かずともリゼルは理解していた。
アルベルトがリゼルの傍に居ながらも、常に王家に対し複雑な心情を抱いていることは小さい頃から感じ取っていた。
その事に目を逸らし続けていたリゼルが彼を咎めることなど出来る筈もない。
元を正せば、父が捕らえられたのも母が殺されたことも粛清であり、身から出た錆であり、当然の結果だったのかもしれない。
それでも、ただ一人止められることが出来た者がいるとすれば。
それは息子であったリゼルだけだったのだ。
「…………ローズ公爵は?」
抑揚のない声色でリゼルはアルベルトに尋ねた。
頭を下げていたアルベルトが僅かに頭を上げてから静かに答える。
「マリー嬢の様子を見に」
「マリーは……マリーも眠らされていた?」
「はい。彼女の身が危険でしたため止むなく」
それは事実だった。
マリー自身が襲われる策も計画の中にあったが、それはレイナルドによって一蹴された。
何としてでもマリーに傷一つ負わせるようなことがあってはならないと命じたのだ。
それが、マリーの意思と反していようともレイナルドの決断は揺らがなかっただろう。
「そうか……父に会いに行くことは出来るだろうか」
「昼頃であれば恐らく」
「ではその調整を頼みたい。……アルベルト。僕には貴方を恨むことも咎めることも出来ない。それでも僕に謝罪を望むのなら……」
リゼルは力強く拳を握り締めた。
痛むほどに力を込めた手は色が白くなるほどに強かった。
どうしようもない感情に飲み込まれそうな気持ちを押し殺し、表情を整えてアルベルトを見据えた。
「どうかこの先も僕に力を貸してくれ。王家の信頼を取り戻すためにも……どうか」
「…………はい」
アルベルトは膝をつき、リゼルに深く頭を下げた。
それは、新たに主君として仕えるべき人への忠誠の証なのかもしれない。
アルベルトの主君はローズマリーだった。
しかし彼女は死に、その復讐を果たした。
復讐を果たしてしまえばアルベルトには何も残されていないと思っていた。
けれど違った。
この手を求めてくれる人がいる。
たとえその相手が復讐を望んだ者の子供であろうとも、リゼルという人間を知っているアルベルトの決意は変わらない。
それに何よりも。
王家を良くし民が平穏を築く世界を。
かつて恋した主君が本当に望んでいた未来だったことを。
アルベルトは復讐を終えた今。
やっと、思い出したのだった。
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マリーの様子を見に行く前、朝日が昇り始めた頃。
レイナルドはグレイの捕らえられた牢に向かった。
殆どの国王派の人間は捕らえ、その場で罪状を伝え終えた。夜明けと共にその手続きが済まされるであろう。
反国王派であった貴族らの協力も手厚く、手続きは素早く進められることも分かっている。
これで心置きなくレイナルドは私怨たる復讐を遂げられると心慰めていたところにティアの死を知らされた。
想定外の事態だった。
ティアを救助するだろう者達を見張っていたところだったのだが、想像してもいなかった相手がティアを殺したのだ。
相手はティアの愛人であった男爵家の男だ。
移り変わり?やすい愛人の出自等は把握していたものの、その男がまさかここまでの行動をするとは思ってもいなかった。
理由は分からないが男はティアを殺し、自身もその場で自死していた。
ティアの手に刃を添え、あたかもティアによって殺されたような姿で横たわる姿を見た時は理解が出来なかった。
ティアの死を思わぬ形で目にしたレイナルドがまず感じたものは落胆だった。
自らの手で殺したかった。
苦しめ、泣き叫び、命乞いをさせ。
最期は姉と同様に絞首刑にしたかった。
それが果たせないことに深く落胆した。
起きてしまった事は仕方がない。
自ら手を下せなかったことは残念ではあるが、結果は同じく死を迎えられた。
(姉様の墓前に報告できる)
姉の姿を思い浮かべる。
姉様。
愛するローズマリー姉様。
(貴女を苦しめ陥れた者が一人漸く死にました。やっと、願いが叶いましたよ)
さあ。
残るはあと一人。
到着した牢獄は入室と共に鉄錆の臭いが充満していた。戦場で嗅ぐような臭いだった。
牢に近づくと呻き声が聞こえてきた。
鉄格子の中で、一つの塊が蹲っていた。
質の良い衣類は薄汚れ、端々に血痕が付着している。
明らかに痛めつけられた後の様子にレイナルドは穏やかに微笑んだ。
「緊急を要する裁判で証言を必要とした場合、特例として罪人に手荒い措置によって証言をさせることを認める……貴方が決めた法に則って措置させて頂きましたが……いかがでしたか?」
「ぐ……き……さま……」
「お忘れですか? 貴方が、二十年前に特例としてお出しになったのですよ」
蹲りながらも睨んでくる視線の鋭さは怒りに染まっていた。
レイナルドは見下ろしながら尚も続ける。
「貴方はそのような特例を出した記憶すら覚えていないかもしれませんね。我がユベール家を中心とした派閥を抑え込むために取った措置でした。こうして今も条例として残されていることをご存知かは分かりませんが。王族といえど法に則って頂きました。さあ、我が王よ。私と取引しませんか?」
「な…………」
レイナルドは胸元から首に掛けていた麻袋を取り出した。
「本来であれば姉の墓前で頭を下げ詫びて貰いたいところですが……生憎、お前をローズ領にまで行かせることが出来ない。代わりに姉様の遺髪が入ったコレに詫びろ」
「は…………」
グレイにはレイナルドが何を言っているのか分からなかった。
霞む視界の中でレイナルドが麻袋を見せていることだけは分かる。
そして、レイナルドの表情が真顔であり本気でグレイに交渉していることも。
「姉にこの場で謝罪すれば、今後拷問を止めてやる」
「ロー……リーは……ざいに……」
「姉様は無実だった」
鋭利な声によりグレイは言葉を発せなかった。
「姉様は一度たりとも王家に謀反など考えていなかった。人を殺めるような考えすら持っていなかった。ダンゼス派の策略によって無実でありながら処刑された……これほど年月が経ってもまだその事実を知らないとお前は言うのか?」
「…………」
「考える頭すら存在していないのか、無能な王は」
悪態を吐かれながらもグレイは痛む頭の中で過去を振り返る。
ローズマリーが無罪だった……その可能性は、断罪して数年した後、もしやという考えはあった。
だが、それは認められなかった。
認めてしまえばグレイが誤った判断によって人を殺めたことに繋がるからだ。
ローズマリーは罪を犯した。
ローズマリーはティアを殺そうとした。
自分は悪くない。
自分は間違っていない。
伯爵がそう言っていたから。
宰相がそうしろと言ったから。
そう、自身に言い聞かせてきたのだ。
それをレイナルドは許さなかった。逃げることなど出来ないのだと。二十年の時を得ても許されることではないと断罪する。
「わ……わた……しは……」
「お前が姉様を殺したんだ」
翡翠色の瞳がグレイを憎む感情のままに見つめている。
その瞳が、その顔がグレイには次第にローズマリーに映り変わっていった。
『人殺し』
幻聴がした。
朧げにしか覚えていなかったはずのローズマリーの声がしたのだ。
グレイの目前に映るローズマリーが、憎しみを込めた翡翠の瞳でグレイを見下ろしていた。
「す……まなかった……すまなかった……ローズマリー…………」
グレイは痛みを忘れ、ひたすらに謝った。
「私は殺していない……私は……お前を殺していない……ああああ、すまない……私は殺していないんだ……お前を、お前を……」
人を殺してなどいない。
けれどローズマリーが死んだのは己のせいだ。
違う。
ああでも、謝らないといけない。
恨まれる。
殺されたくない。
流れ込む負の感情から逃げられず、痛みを殺しひたすらにグレイは叫び続けた。
ローズマリーの名を。
謝罪を。
自身に否がないのだと。
壊れてしまったようにひたすらに。
叫び続けたのだった。




