若き復讐者と若き騎士の会合
レイナルド・ユベール子爵が王城の中でも塵の溜まり場と揶揄される部門に配属されたのは、貴族が通う学院を首席として卒業した後すぐだった。
王城の組織内部を理解するために、王城で働く希望ある貴族の子息は必ず一年の間通うことが義務付けられていた学院は優秀な子息が通うことで有名であり、それこそ首席であれば将来有望が確約されていたようなものだった。
在学中は罪人の一族として汚名あるユベールの名を持つ上に、平民の女から産まれたことから悪質な嫌がらせを受けたこともあった。
それこそ入学したての頃は誹謗中傷も多かったのだが、ある時を境にその声は途絶えた。
傷を負うこともあったレイナルドが無傷のまま、誰からも嫌がらせを受けずに過ごすことがほとんどだった。
しかし同年に入学した貴族の一部は知っている。
彼に嫌がらせをした同期が自ら学院を去ったり、酷く焦燥とした様子を見せて学院に来るのを拒んでいることを。
その陰には確実にレイナルド・ユベールが存在していることも理解していた。
しかしまだ十四、十五の若い子供達は親元も離れており、どう対処することも出来ず暗黙していた。
誰一人として信頼するような友人もいないまま、レイナルドはその美貌と頭脳を周囲に買われ、更には首席として卒業したのだ。
首席で卒業した者は王城内でも将来有望な部門へ配属をされることが多いのだが、レイナルドが配属された王城での勤務地は雑用を行うような小さな部門だった。
爵位も低く扱いに困るような者が集まるような場所にレイナルドは半年ほど勤務した。
しかし直ぐに配属が変わることになる。
それは、雑用しか行わない場所であるにも関わらず王城と商人の間に行われていた横領を取り締まり、更には滅多に手に入らないとされていた遠方の宝飾品を取り扱う行商人を招き入れたことにより、王城内で政務の中心に立つ大臣や諸公らの夫人にいたく気に入られたからだ。
更には十五という若さでありながら整った顔立ち、そして周囲の視線を釘付けにする金色の髪、統一された漆黒の衣装に女性は虜となった。
当時の若きレイナルドは爵位を継いだ兄カーティス・ユベール子爵とも犬猿の仲であることは周知されていたため、彼に対し誘惑する声も多い。
ー貴方がよろしければ、私が後見人になりましょうか?
そう、甘言してくる夫人もいた。
その問いにレイナルドがどう応えたかは分からない。
だが、レイナルドが確かに地位を着々と伸ばしていることは事実であった。
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「お久し振りですね、レイナルド卿」
王城内にある騎士団寮の訓練所で素振りをしている男が、背後に立ったレイナルドを見ることもなく声を掛けた。
レイナルドは僅かに眉を上げてから近づいた。
「よく分かったね。確かに久し振りだな……元気そうで良かったよ、アルベルト」
アルベルトと呼ばれた男は素振りを止め、自身の服で額の汗を拭った。
短髪の髪に汗が光る。
一体どれほどの間、彼が素振りをしていたのか……レイナルドは苦笑した。
「身体を壊す前に休んだ方がいい」
「分かっています」
近くに置いていた水筒を口に含むとアルベルトは素振りを再開した。
アルベルト・マクレーン。
レイナルドと同じユベール領で暮らしていた若き騎士。
そして、ローズマリー・ユベールの従者でもあった。
四つ年上の彼は、レイナルドよりも先に王城に入り騎士見習いとして働いていたが、現在は正式に騎士として士官している。
能力の高さを買われ将来の団長候補とも呼ばれていることをレイナルドは知っている。
「騎士の社会は単純です。実力こそ全て……力さえ付ければっ……私は上へあがれるでしょう」
「…………単純でいいな」
「そうですね。私は貴方のように難しい事は苦手だ」
少しだけ笑うアルベルトの表情を眺める。
その姿は向上心から剣を振るうようには見えなかった。
何かを、大切な何かを思い出さないように無理に振るっているようにも見える。
「…………来月は姉様の命日だ」
アルベルトの剣が止まった。
「……そうですね……」
「共に行くか? 私は休みを取っている」
「それは珍しい。冷血な若き子爵が休みを取るなんて周りは驚くでしょうね」
そう言われてみれば。レイナルドは考えてみたら休みを取得したのは初めてのことかもしれない。
「……世間はもう忘れている。今更この時期に休んでも、もう……何も言わないさ」
「そうでしょうね……私も一日休みを頂けるか聞いてみます」
「一日?」
レイナルドは驚く。
ここからローズマリーの眠る別荘まで馬を走らせても随分掛かる。
「馬の鍛錬にも私の鍛錬にもなりますから」
「…………お前らしいよ」
レイナルドは呆れながらも何処か安堵していた。
何もかも世界が変わってしまった中でただ一つ変わっていない存在。
それが、アルベルト・マクレーンの存在なのかもしれなかったからだ。
もう、随分前のように思える。
「ローズマリー姉様を助けたい」
処刑台にぶら下がる姉を救うため、レイナルドは当時謹慎中だった彼に会いに行った。
そして手を差し出してそう告げた。
姉を助けたい。
既に亡くなっている姉に、助けるも何もない。
けれど構わない。
「手伝って欲しい」
その一言にどれ程の重みがあるか分かっていたのだろうか。
それでもアルベルトは迷うこともなく。
「喜んでお受けいたします」
そう、言ったのだ。
レイナルドが見たアルベルトの瞳には、自身と同じ翳りの炎が渦巻いていることが分かった。
身分違いといえど彼が姉のことを主従関係以上に慕っていたことは幼いレイナルドでも知っている。
そして自分は、彼の淡い恋心を利用して復讐に加担させたのだ。
「貴殿が異動される話は本当ですか?」
急に話題が振り返られ、レイナルドはアルベルトを見た。
昔の事を思い返していた間にアルベルトは練習用の剣を戻し身支度を直していた。
それでも額の汗はいまだに彼の頬を滴っている。
「ああ。本当だよ」
「お早い出世で」
「そうか? 陰では殺されに行くものだと言われたが」
レイナルドが次に命令された異動場所は近衛兵の編成部門でもある。つまり軍事に携わる官吏となるが、その内部は軍人主義な上に実力社会であるが故、官吏との折り合いは非常に悪い。
官吏という役割はあれど、実際に近衛兵を動かすのは兵隊長達である。その内部にレイナルドが異動命令を出された事は、明らかにレイナルドを厭う者による犯行だった。
「私としては予定通りだ」
レイナルドが穏やかに微笑んだ。
この嘘偽りしかない笑顔を、一体どれほどの女性に振舞ったのだろうか。
レイナルドには冷血と呼ばれる呼称以外にも男娼や女たらし、ツバメ等と呼ばれていることも知っている。
その真実は分からない。
アルベルトが慕った主君によく似た美しい顔立ちをしたレイナルドを、本気で慕う女性がいることも事実だった。
(一体、何処までが事実なのか……)
アルベルトには分からない。
復讐に伴い、レイナルドから指示される事は少ない。
『アルベルト。君は気にしなくていい』
自身よりも四つ下の少年は、まるで大人のように淡々と話す。
『来たる時まで、どうか実力をつけていて欲しい。いずれ貴方にはあの国の騎士団長になって貰うから』
決定事項として告げるレイナルドの穏やかな笑みは。
本当に悲しいほどに、ローズマリーに似ていたのだ。
更に数年が経ち。
レイナルドはどうやら彼の予想通り地位を確立していった。
突如発生した北部の部族による北領の占領が起きた際。
ディレシアス国が対策に遅れを取っていた頃、当時近衛兵の軍官でしかなかったレイナルド・ユベールが。
北部の襲撃にまつわる全ての事態を終息させたのだ。
それはローズマリー・ユベールが処刑されてから10年後の事だった。




