復讐は鉄錆の匂いと共に
出血等のシーンがあります。ご注意ください。
地下牢は薄汚く排泄場所もろくにない。
寝床など床と等しく布切れしか置かれていない。
不衛生なその場所に放り込まれたグレイは怒りに我を失いそうだった。
何が起きた?
どうしてこうなったのだ?
グレイが考えを巡らせ思い出すのは忌々しいレイナルド・ローズの顔だった。
あの男……!
グレイは憎しみから石壁を蹴りつけた。
本来、国王であるグレイがこのような場所に入ることなど無いのだ。
なのにあの男……!
ローズマリー・ユベールの弟であるレイナルドが自身をこんな薄汚い牢に入れたのだ。
許せることではない……しかし。
しかし。
グレイは荒い息を整えながらその場に立ち尽くした。
怒りに任せ壁を蹴っていたが、足の痛みと疲れによって落ち着きを取り戻してきた。
先ほどまで我を忘れるほどの憤怒から目の前すらも見えなかったグレイにようやく現実が見えてきた。
現実は冷たい石牢の中。
頼れる存在は何処にも居ない。
自分はどうすれば、この牢から出られるのだろうか。
グレイには何も。
答えが導き出せなかった。
(宰相は……皆は何処へ連れていかれた?)
レイナルドと共に入室してきた裁判官のような男らが罪状らしき言葉を並べ立てたと思いきやすぐさま兵によって牢にまで連れてこられたグレイには現状が全く理解出来なかった。
ただ、同じように捕らえられているのだろうことは分かる。
グレイは周囲を見渡す。
生まれ育ったディレシアス城には数多く部屋があるが、牢にまで足を運ぶことなど滅多に無かったグレイには、今自身が居る場所が分からないのだ。
見覚えはあった。
ローズマリー・ユベールが捕らえられた際に一度だけ見に行ったことがあるからだ。
当時のことを思い返そうと思ったが、グレイには何一つ確かな記憶が無かった。
(もう二十年以上も前のことだ)
ローズマリー。
かつてグレイの婚約者だった女性。
幼い頃から決められた未来の妃。美しい顔と輝く金色の髪。
王城に来てからは何かと口煩かった。
注意ばかりしてくるローズマリーを敬遠していた。
ティアと恋仲になり、ティアの暗殺を企んだ首謀者であるローズマリーを糾弾して牢獄に入れた。
今のグレイのように。
「まさか……」
グレイは今更になって漸く気が付いた。
婚約者騒動。
暗殺未遂からの投獄。
今、グレイが置かれている立場は全て。
(ローズマリー・ユベールにかけられた罪状ではないか……!)
脳裏に焼き付くレイナルドの酷薄な表情を思い出す。
復讐に染まる眼差しで囁いたのだ。
『姉様の復讐を果たさせて頂く』と。
(あとは……何だ!? 何をするつもりなんだ……!)
今、グレイの置かれている立場がローズマリーに対する報復であるとするならば。
この先待ち受ける未来も全てローズマリーに倣うのだとしたら。
だとしたら。
「…………………!」
グレイは思い出したのだ。
あの、鐘の鳴り響く広場で。
用意された処刑台に立ち。
処刑されたローズマリーの姿を。
「あ……ああ…………」
常日頃、威圧的な態度を見せる表情は怯え震えた。
先ほどまで蹴りつけていた壁に背を預け、ズリズリとしゃがみ込んだ。
はあ、はあと息が荒くなる。
体が恐怖から震えている。
死を、死ぬことをここまで間近に感じたことはなかった。グレイは守られる立場にある人間だ。誰よりも命を尊まれ、守られてきたのだ。
しかしここは牢獄。
守ってくれる人間など存在しない。
遠くから扉の開く音が響く。
更に複数の靴音がグレイに近づいてくる。
「あ……ああ…………」
奥歯からガタガタと緊張で震え出す。
何がやってくるというのか。
守ってくれる人もいない、何一つ自身を助ける者もいない小さな牢獄の中。
グレイは、この先に待ち受ける恐怖に怯え、震えるしか無かったのだった。
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グレイ・ディレシアス国王が投獄された後、ティア・ディレシアスもまた別牢にて拘束されていた。
眠り薬を盛られていたと気付いたのは目覚めてすぐのことだった。
「…………一枚上手だったようね」
ティアは苦笑しながら目の前に聳える鉄格子を眺めていた。
場所は把握した。
貴族を投獄するために用いられる専用の投獄所である。ティアも何度か出向いたことがあるために理解した。
クーデターを起こされたのだ。
(ローズ公爵に先を越されたわ……どうしたものかしら)
そろそろ何かしら行動があると思い、先手を打って逃げる準備をしていたところだった。
その前にどうにかひとつ駒を動かして息子であるリゼルの婚約者を破滅させようと思ったが、それも失敗に終わったようだった。
寝巻きであるナイトドレスのまま投獄されていたらしい。薬を盛られた時点で殺されても仕方のないことだった。
(殺さないということは、公開処刑でも考えているのかしら)
ならばその前に逃げ出さなくては。
カビ臭い牢獄に不快な表情を浮かべながらティアは質素な寝台の上に座った。
誰かが訪れることを待つしかない。
(私の犬が機転を利かせてくれればいいけど)
ティアには複数の駒となる存在がいる。他にも可愛がっている遊び相手や脅して詐取する相手など様々だ。
恨みを買うことも多数あるが、それ以上にティアを必要とする存在も複数いるのだ。
その中の誰かが間に合えば良いが。
そんなことを考えていた時だ。
遠くから静かに扉の開く音がした。
(早いわね)
ティアは立ち上がり、扉の先を見た。
現れたのはティアが最近可愛がっている男性だった。
ガーデンパーティにも連れていった男爵家の子息である。
「まあ……ナイトが助けにきてくれたのね?」
「王妃…………」
嬉しそうにティアは鉄格子に近づいた。
「愛しい人。外に出たら沢山ご褒美をあげなくちゃ」
「ありがとうございます」
男はポケットから鉄格子の鍵を取り出しその場で鍵を開ける。
漸くこのカビ臭い牢から出られる。
安堵した気持ちでいたせいか、はたまた普段と違う状況にティア自身動揺をしていたのかもしれない。
普段の彼女であれば恐らく気付く小さな変化を、その時ばかりは気付かなかったのだ。
ティアの身体が急に動かなくなった。
「え?」
男が感極まりティアに抱きついてきたのかと思った。
彼は男爵ということで高い爵位の者に虐められてきた経緯があるため甘えん坊であることはティアも知っていた。
だから、その延長で甘えてきたのかと思ったのだ。
けれど違った。
視線を自身の胸元に向ける。
剣が刺さっていた。
「貴方を愛していました……王妃……ですがもう、我が男爵家も終わりです。だったらせめて……貴方と共にいたい」
「な……にを」
言っている?
言葉の続きを出すことは叶わなかった。
胸を貫いていた剣が引き抜かれたのだ。
漸く現実を受け入れた身体があり得ない痛みに全身が重りのようにのし掛かった。
立つことが出来ない。
白のナイトドレスが鮮血に染まる。
ティアは荒く苦しい呼吸を必死で整えながら呆然と男を眺めていた。
男は涙を流し微笑みながらティアに剣を持たせた。
そして自身でティアの手を支えながら、己の腹に剣を刺したのだ。
「愛しています……ティア……」
男が微笑みながらティアに口付けてきたが。
ティアには意味が分からなかった。
男が囁く愛という言葉も。
何故、男がティアを殺し。
更に自刃しているのかも。
「いや…………」
口から拒絶の言葉を吐くも血が込み上げてきた。
まとわりついてくる血液が汚らしい。
絶命した男から流れてくる血がティアのドレスを染めていく。
汚らしい。
重たい。
嫌。
しかし力を失っていくティアにはもう男を退ける体力も、言葉に発する力も残っていなかった。
共に床に倒れたまま、ティアは天井を見上げた。
視界が曇っていく。
(何で…………?)
ティアには分からない。
人を愛するということを知らないティアには、男の行動が全く分からない。
駒と思っていた存在にも命はあり、感情があることを。
死しても尚。
ティアには分からなかったのだ。




