小さな小さな晩餐会
マリーが飲酒するシーンがあります。
マリー自身は18歳ですが、この作品では成人しているため飲める設定です。
リゼル様にエスコートされながら色々な方と挨拶を交わしていた。
口々に祝辞をあげる人達の中には、心からお祝いしている様子もあれば不快な感情を込めた眼差しで見てくる人もいた。
それでも公に私を非難することもなく、ガーデンパーティはつつがなく終わりを迎えようとしていた。
そろそろ閉会かな、と思っていたところで一部の人達が賑わいだ。
そちらに視線を向けてみて分かった。
グレイ王がいらっしゃったのだ。
「ようやくのお出ましだ……」
小さな声でリゼル様が呟いた。
けれど微笑みを浮かべたままにグレイ王の元に私をエスコートしながら向かう。
近づいて来て分かったけれど……
(酔っていらっしゃる……?)
グレイ王から仄かに葡萄酒の香りがした。
このガーデンパーティではお酒は用意されておらず紅茶や珈琲、ジュースを用意している。
だからここでお酒を飲んでいたのではない。
それはつまり。
「……今日は婚約者を紹介すると申し上げていた筈ですが?」
リゼル様が声を顰めながらグレイ王に苦言を呈するけれど、父親である筈の彼は眉間に深く皺を寄せるだけだった。
「この者が婚約者だというか」
「はい」
「ふん……田舎の出だと聞く。もう少し相手を選んだ方が良いだろう」
「…………お言葉ですが出自で婚約者が決められたのであれば、もっと事態は速やかに終わらせることが出来たでしょう」
リゼル様には数年前に一度婚約者候補が決められていたけれど、結局紆余曲折の末に解消されていた。
その後も様々な方が候補として上がってきたけれど、どの方にも決まらなかった。
「けれどそれで良かったと今では思います。彼女に……マリーに出会えましたから」
視線を向けられて目を合わせたら蕩けんばかりの視線で見つめられて、私は頬が熱くなることを止められなかった。
「…………せいぜい教育はしておけ。お前の母のようになったらすぐに首を刎ねるぞ」
私を一瞥したグレイ王が、そのまま背中を見せ建物の中に向かっていった。
(……グレイ様……)
ローズマリーと婚約した頃のグレイ王子は、今のように腐敗していたわけではなかった。
不満を口にすることは多くても、それでも次期王として教育を真面目に受けていたことだってあった。
不器用なりに国王になるために励んでいたはずだったのに。
(変わってしまわれたのね……)
小さな変化が見え始めたのは当時王宮侍女としてティアが勤め始めた頃だった。
王宮侍女からグレイ王子の専属侍女になった頃からローズマリーは王子に避けられていった。
(思えばあの頃からだったのかもしれない)
あの時。
そのほんの小さな変化に気付いていれば。
何か変わっていたのだろうか。
「マリー?」
物思いに耽っていた私だったけれど、リゼル様に名を呼ばれて慌てて現実に気持ちを引き戻す。
「嫌な気分にさせてごめんね……大丈夫?」
「大丈夫ですよ。それより、そろそろお終いの合図を出してもよろしいかもしれませんね」
「ああ、うん。そうだね……」
リゼル様が顔をあげどちらかに視線を向ける。
その先にはレイナルド様がいらっしゃった。
グレイ王とのやりとりを全て見ていらしたかもしれない。
何処か不機嫌にも見えたレイナルド様だったけれど。リゼル様と目配せした後周囲に合図を送りだす。
庭園の端で音楽を奏でていた演奏隊が奏でることを止める。
周囲が少しずつ静まりかえる。
「楽しい時間はあっという間だ。またこうして喜ばしい日を祝える時間を作れるよう、僕も励んでいきたい。そして皆にも感謝を。今日はどうもありがとう」
リゼル様の言葉に周囲から拍手が送られる。
私も隣に立ちながらリゼル様に拍手を送る。
そうしてガーデンパーティは幕を閉じたのだ。
「はぁ…………疲れた……」
ようやく婚約者の間である自室に戻ってきた私は扉が閉まったことを確認してから大きな伸びをした。
折角の綺麗なドレスだけれど、こうもずっと着ていると疲れてくる。
さっさと着替えようと思ってニキに声を掛けようと思って……止まった。
ニキの表情が青褪めていたからだ。
「ニキ? どうしたの?」
「マリー…………」
ニキはずっと黙り扉の前で硬直したように止まっていた。
明らかに様子のおかしいニキの背中を手で支えながら彼女を近くにあった椅子に座らせた。
具合が悪いのだろうか……けれど朝まで体調には全くおかしな様子も無かった。
するとニキが唇をほんの少し開き話し始めた。
「さっきね……タジリアの家からの使いで来たって人から話があって……姉が病で倒れたっていうの」
「そんな……!」
「命に関わるかもしれないって聞いて……どうすればいいのかっ」
「ニキ……」
胸が痛い。
今すぐに駆けつけたい思いを殺して此処に居てくれたんだ……
私はニキを抱き締めてから顔を上げて彼女の顔を見た。
「今すぐタジリアに行って。早馬の馬車を借りれないか私からも相談してみる」
「ダメよっ。私は今貴女の侍女なのに!」
「それは家族の命より大切なことではないわ。私からもお願い。どうかお姉様の傍に居てあげて……」
「マリー……」
漸く安堵したのかニキの瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
それから急いで支度をしたニキは王城の人に相談をしたところ、足の早い馬車に乗ってタジリアに向かった。
姉の様子を見て落ち着いたら戻ってくると。
私に強く何度も誓って。
馬車に乗るところまでは付き合うことも出来ず、私は窓辺からニキが王城を出て行く姿をずっと見つめていた。
その頃には空の色も落ち、夜が始まろうとしていた。
(ニキの事をレイナルド様にお伝えすべきよね)
明日には大きな会議があると聞いている。
それまでに話をしなければと思い、扉から出ようと思ったところで扉を叩く音がした。
「はい」
「お食事を持って参りました」
食事?
いつもなら食堂や個室を用意して貰っていたのに今日に限って部屋で食べることに私は首を傾げる。
「どなたからの指示でしょうか」
私は扉を開けずに確認をする。
「ローズ公爵様です」
「…………護衛の方はそこにいますか?」
私の部屋近くには護衛の人が常に見張ってくれている。
確認を取ると、壁越しから「おります」と聞こえてきた。
良かった。
どうやら緊張していたらしく、ホッとひと息吐いてから私は扉を開ける。
「ありがとうございます……あの、侍女の方は?」
食事を運んできた侍女もまさか私自ら扉を開けると思っていなかったみたいで驚いていた。
「いいの。二人分あるのね」
「はい。後ほどローズ公爵もご一緒すると」
「どうもありがとう」
あまり見慣れた顔じゃない侍女の方だった。
そういえば私が知っている王宮侍女はみんな婚約者候補の方だった。彼女達が帰国したのであれば、残っている侍女の方は元々王宮で働いていた方なのかもしれない。顔が分からないのもそういうことかも。
運ばれてきた食事を広い机に並べてもらう。
二つ並んだグラスと一緒に葡萄酒が置かれていた。
(ここでお酒を出すなんて初めてじゃないかしら)
私はデビュタントも果たし、お酒を飲んでも問題のない年齢になってはいるもののディレシアスに来てからは滅多にお酒を飲むことはしなかった。特に王宮では飲む機会もなければ今のような境遇は緊張して飲めるはずもなく。
支度が終わった頃、レイナルド様が部屋にやってきた。
「すまない。説明もなく食事をこちらにしてしまった」
「いえ……」
侍女がグラスに葡萄酒を注ぐ。
私とレイナルド様それぞれに。
「あの……」
私はニキの事を伝えようと思ったのだけれども、レイナルド様には私が伝えたいことが既に分かっているのか「ああ」と言ってから微笑んだ。
「貴女の侍女の事は既に聞いている。すぐに臨時の侍女を手配しよう……今日は疲れただろう。その慰労も兼ねて用意したんだ。酒は苦手かな?」
「いえ、好きです。エディグマではよく父と一緒に……」
そこまで言って気付く。
(しまった。貴族の女性はお酒好きって公言することは恥ずかしいことだった……!)
ローズマリーの頃はデビュタントは果たしていたものの十六歳という年齢で、尚且つ王妃教育が忙しすぎて飲む機会もなかったし、そもそもローズマリー自身が好きでは無かったから気にすることなんてなかった。
けれど私……マリーとして生まれ変わってからの環境は真逆で、父も兄もお酒が好きだったしエディグマで獲れる葡萄を使ってお酒も作ってたりするから飲む機会が多かったのよね……
「あの、その……苦手ではないです」
慌てて誤魔化してはみたけれど……レイナルド様には全てお見通しだったらしく。
口元に手を当てて笑いを押し殺していた。
「……嫌いではないようで良かった。では、食事にしよう」
「はい……」
私はグラスを手に持ち向かいあって座るレイナルド様に向けてグラスを掲げる。
「乾杯」
二人で声を合わせ、私は口元にグラスを当てた。
久しぶりに飲む葡萄酒はとても甘く口当たりも良い。
「今日は疲れただろう?」
グラスを持ったままのレイナルド様に私は苦笑する。
確かに疲れた。
特に王妃……ティア妃との時間は寒々しい空気すら感じられた。
「……リゼル様はいつもお辛い立場でいらっしゃるのですね」
「そうだね。両親は悪い見本としては最高だが、実の親という観点では最低だろう。王族として最低限の接触しか無かったことはむしろ幸いだっただろう」
「幼い頃はどうしていらしたのですか?」
「ほとんど乳母や家庭教師、配下任せさ。特にやんちゃな時期はよくアルベルトが世話をしていたよ」
「アルベルト様が?」
意外? ああ、でも。
(とても良いかもしれないわ)
相手に対して裏表のないアルベルトはユベール領で過ごしていた頃も子供達に人気だったという。
ローズマリーは直接目にしたことはないけれど、ユベール領土に住む子供達の憧れだったとか。
「父親というよりは良い兄代わりになったんじゃないかな? おかげで剣好きで真っ直ぐな性格に育ってくれた」
「そうかもしれませんね」
想像するだけで微笑ましい二人の幼い頃。
(きっとアルベルトにとってリゼル様との日々は楽しかっただろうな)
そうでなければ、リゼル様があれほどアルベルト様を慕うことはない。
時々顔を合わせては屈託なく会話をする二人を見ていると長年の付き合いを感じさせる。
ただ。
(リゼル様はどこか……レイナルド様には一歩引いているように見えるけれど)
リゼル様はアルベルト様だけではなくレイナルド様も慕っているけれど、アルベルト様のように気兼ねなく話すようには見えず、互いに一歩引いたようにも感じ取れた。
(レイナルド……)
ローズマリーが亡くなってからの彼が、一体どのように生きてきたのか……私は詳しくを知らない。
大変だったと思う。
一言で片付けるには簡単すぎる言葉だ。
頼りになる人だってろくにいなかった。ローズマリーの頃から彼を見る周囲の目は冷たかった。
(それなのに……どうして今、貴方はここにいるの?)
冷たい瞳を宿しながら。
氷の公爵と異名を持ちながら。
姉を死なせたディレシアスという国に。
どうして仕えているのだろう?
考えているだけでは答えは出ない。
それどころか、頭がうまく回らない。
疲れているのだろうか。
「どうした?」
「いえ……」
急に眠気が襲ってきたのだ。
(…………どういうこと?)
不自然だと思った。
いくら久し振りのお酒だからといって。
いくら朝から疲れたからといって。
(こんな……急に眠くなることなんて、ない……!)
急な眠気から気を逸らすようにレイナルド様を見た。
もし何かを盛られたのであればレイナルド様に伝えないといけないから。
けれど。
「…………レイナルド、様……なにを……入れました?」
「…………」
「どうしてっ……お酒……飲んでない…………?」
乾杯して。
一緒にグラスを傾けて。
葡萄酒を飲んでいたはずなのに。
レイナルド様のグラスは注がれた時と全く変わらない量だった。
(何で?)
何で。
騙された?
裏切られた?
そんなことは無いっ。
私はどうにか目を覚まそうとテーブルに置かれたナイフを握り込もうとしたけれど、すぐにそれはレイナルド様によって阻まれた。
「何をしている。危ないっ」
「どうしてっ!」
意識を失うその寸前まで、私は必死でレイナルド様に叫んだ。
けれど彼が見せる表情は何故かとても寂しそうで。
だから。
「貴女が好きだから」
レイナルド様から聞こえてきた言葉を。
私は、自分が聞きたかった幻聴なのだと思ったまま。
深い、深い眠りについた。
次話からレイナルド視点が続きます。




