氷の公爵との朝食時間
「失礼致します」
ローズ公爵の私室とされている執務室に案内されれば、そこには執務する仕事机とは別に打ち合わせ用のテーブル席があり、そこに朝食が二つ用意されていた。
ローズ公爵は執務の机に座りながら仕事をされていたけれど、私の訪れと共に顔を上げて立ち上がった。
それから私の前に来て立ち止まる。
「…………?」
見られている?
そういえばニキに婚約者らしく服装と髪型を変えて貰っていたんだった。
いつもは一つ結びか三つ編みで緩く纏めていた髪は、後ろにしっかり編み込まれて纏められ、更にアクセントとして髪飾り。
ドレスは質感高く上品に見えるようにと、暖色の淡い萌黄色。ほんの少しだけ広がったパニエを下に着ているのでスカートの部分も広くゆったりに見える。それでいて歩きやすいので大変助かる。
装飾は派手すぎず、けれど素手では良くないと絹のグローブを用意されたけれど。
これが一番気になってしまう。
(グローブなんて普段しないからきついなぁ……)
エディグマにいた頃、手袋をするのは大体収穫や草むしりの時だった。
「うん……よく似合っている」
「ありがとうございます……」
随分と眺められた気がするけれど、ローズ公爵からの言葉に私は胸を撫で下ろした。
「そうだな。首元があまり露出しすぎるよりは襟の部分があると良い」
「はい」
背後に控えていたニキが応える。
「グローブが窮屈そうに感じる。もう少し改善したものを」
「かしこまりました」
(凄いわ……ローズ公爵が……レイナルドが女性のコーディネートにまで助言できるなんて……)
ふと、ローズ公爵が私の前に手を差し出した。
見上げれば穏やかな表情で私を見つめていた。
「エスコートの練習だ」
「ありがとうございます」
すぐ側のテーブルまで案内され、私はローズ公爵により椅子を引いて頂き萎縮しつつも着席した。
ローズ公爵も座ると、ニキが黙々と朝食の支度を始めた。
朝食はいつもと変わらないメニューで、婚約者らしく食べなければいけないかと思ったけれどローズ公爵から「楽にしていい」と言われたため、緊張しつつもいつも通り食べることにした。
「食べ終わる頃にアルベルトがここに来る。揃ったところでリゼル王子に会いに行こう」
「はい」
「エディグマ嬢は……」
ローズ公爵の唇が止まる。
「ローズ公爵?」
「そうだな……これから私は貴女の後見人という親しい立場になるのだから、お互い名前で呼び合おうか」
名前で呼び合う。
私は手に持つフォークを落とさないよう強く握りしめておいた。
「マリー嬢。私のことは今後レイナルドと」
「はい…………レイナルド様」
レイナルドと呼ぶと、幼い頃のレイナルドを思い出していた。
けれどこれからは、ローズ公爵をもレイナルドと呼ぶことに私は内心戸惑っていた。
まるで幼い頃のレイナルドの存在が消えてしまうような気がしたのだ。
「……マリーと呼ばれるのは嫌かな?」
「そんなことはございません」
嬉しいから困る。
名前を呼ばれるだけで心が浮かれるような感覚に混乱する。
(意識をしすぎだわ……)
ローズマリーだった頃もマリーとして生まれ変わった今も恋愛に対して経験は著しく浅い。
ようやく芽生えた恋が、かつて弟だった人だなんて。
(どれだけ面倒な感情を抱いてるのよ……)
「……あの、ローズこ……レイナルド様」
「何か?」
「そちらの野菜はお召し上がりにならないのですか?」
彼の皿に残されたサラダを見て私は先ほどまでの浮ついていた感情が即座に消え去った。
「……食べようと思っているが?」
嘘だな。
私は暫くじっとレイナルド様のお皿と彼の顔を眺めた。
(変わらない)
レイナルドは何処か完璧な様子を見せておいて一つだけ欠点があった。
野菜嫌いだったのだ。
「こちらのレタスにはオリーブのドレッシングがとてもあいますよ?」
ニキに視線でお願いすると彼女は即座に受け止めてくれて、レイナルド様の元までドレッシングを運んでくれた。
テーブルに置かれたドレッシング。
暫く無表情で眺めていたレイナルドだけれども、ドレッシングを手に取りゆっくりとサラダにかけた。
そして口に頬張る。
「そうだね……とても合うようだ」
「お気に召して頂けて何よりです」
(懐かしい)
ローズマリーもよくこうして小さなレイナルドの野菜嫌いを直そうとしていた。
けれどレイナルドも賢く叱られることを理解していたため、私がいるところでは必ず野菜を完食していた。それも嫌がる顔一つせず。
ただ、その嫌がる顔が。
とても氷のように冷めていたのだ。
(ふふ……氷の公爵という名前が今ならとても似合うわ)
誰が氷のように冷たいと思うだろう。
野菜が嫌いで、姉を慕ってくれていた可愛らしい弟であり。
誰よりも聡明で行動力がありながら、時折優しく接してくれるレイナルドを。
そんな彼を、家族として異性として慕わずにはいられない自分の心に告げる。
(どうか今だけでも)
幸せな時間を送りたい。
食事を終えた頃、タイミングを見計らったようにアルベルトが訪れた。
「おはよう。リゼル王子の面会許可は得た。離れの間も使わせて貰えるよう許可を取っておいた」
「助かる」
座っていた私の手を取りレイナルド様にエスコートされながら私は部屋を出る。
ニキは黙って頭を下げていたけれど、私と目が合うとウインクしていた。
きっと後で色々話を聞かせてと言われそうだ。
王城の中は日常が既に始まっているらしく人の姿も多かった。
そして誰もが私達に視線を向ける。
特にレイナルド様にエスコートされている私を。
(分かってはいたけれど……)
好奇に満ちた視線や嫌悪する感情を浴び続けながらも平静を保ちながら歩き続けることに頭がチリチリと痛む。
ローズマリーの頃は常に付き纏っていた感覚を思い出す。
当時は今以上に侮蔑や敵対心の強い視線も多かった。その頃と比べればまだ今は軽いものだけれど。
嫌なものは嫌だ。
エスコートしていたレイナルド様が私の手に触れる。
思わず顔を上げると目が合う。
翡翠色の瞳が物語る。
『大丈夫だ』と。
そうだ。
(今は、あの頃と違う……)
一人ではない。
隣にはレイナルド様が。
付き添うようにアルベルトがいる。
二十年前。
ずっと望んでいた未来がある。
(大丈夫……)
私は一人ではないのだから。
そう考えれば、棘のように突き刺さっていた視線が気にならなくなった。
レイナルド様に向けてほんの少し微笑めば、彼もまた小さく微笑み返してくれた。
そうして私達はリゼル様のいらっしゃる離れの間まで向かっていたのだけれど。
「今の……目の錯覚か?」
「疲れてるのかな……」
あのレイナルド・ローズ公爵が優しそうに微笑む幻覚を見たと。
その光景を目の当たりにした者が話していたことは。
幸いなことに公の場にまで噂が渡ることはなかった。




