婚約者の道は孤独の中に
『ローズマリー様……起床の時間にございます』
『家庭教師の先生がお見えになりました』
ああ……もうそんな時間なのね。
まだ眠って数刻しか経っていない。
哲学の課題がまだ終わっていないというのに……早起きして進めるつもりが。
『お食事の時間にございます』
『食事中は古語で会話をなさってください』
今日も……楽しくない食事。
会話をする相手は家庭教師の先生しかいらっしゃらない。グレイ様はこちらにいらっしゃることはないものね……
私……寂しいのね。
眠っている間ならレイナルドやアルベルトと遊んでいた日々に戻れるのに。
『はい……先生』
私はいつもの通り優雅な笑みを浮かべながら応える。
口角の位置、相手に好意を抱いてもらえる印象を与える見つめ方。
唇は大きく開けず、話す時以外常に唇はキュッと閉じて。
ほんの少しだけ微笑んで。
染み付いたマナーで塗り固められた私は今日も。
永遠に続く孤独が始まるのね……
「…………夢?」
瞳が開いた時に見えた天井の懐かしさと過去の記憶を夢見たこともあって、目覚めた瞬間、夢と現実の境目が分からなかった。
けれど起き上がってみて伸ばした榛色の髪に手を伸ばしてホッとする。
良かった。マリーだ。
「こんな部屋で寝たからね……」
ローズマリーだった頃は毎日のように眠っていた寝台にまさか二十年以上の時を得て眠るという不思議な体験から、ローズマリーだった頃の夢を見ていた。
窮屈だった婚約者としての生活。
ひたすら教養を強いられ、誰一人信頼のおけない生活。
唯一の心安らぐ時間は騎士見習いとして士官していたアルベルトとのお茶の時間やレイナルドとの秘密の手紙のやりとりぐらいだった。
「あ……そういえば」
過去の思い出に浸っていたことで思い出した。
元々ローズマリーは捕らえられる直前までこの部屋で過ごしていた。つまり、私物もここに置きっぱなしだった。
勿論全て処分されているだろうけれど、一つだけ思い当たる物を思い出す。
「ええと……」
寝台から立ち上がり、床に視線を向けながら目印を探す。もしかしたら既に処分されているかもしれないけれど、ローズマリーが秘密に隠しておきたい物を入れておく秘密のスペースがあったのだ。
「ここかな?」
絨毯が敷かれる中で唯一動かせる絨毯がある。
元々はお茶を盛大に溢したことがあり、凌ぐために絨毯を切り分け、不自然にならないように別の絨毯をしていた場所。
切り替えの時にローズマリーが見つけた秘密の隠し床。
(ここのタイル、外れるようになってるのよね)
恐らく建物が作られた頃に出来た小さな悪戯か、それとも歴代の婚約者候補が同じように隠していたのか。
(私がこの部屋に案内された時には何も教わらなかったから、きっと誰も知らない筈だけれど)
重たい絨毯を少しだけずらし、木材で出来たタイルの一部を手に取る。外しやすい窪みがあったはず。
カタッと音が鳴ると重たいタイルが動いた。
「あ、あった」
小さな隙間から出てきたのは古めかしい手紙。
ローズマリーがレイナルドと交わしていた手紙の一部。
「わー……嬉しい。ちゃんと残ってた」
証拠として残してはならないから、大半の手紙は焼いていた。それでも寂しさを紛らわすためには手元に置いておきたくて少しだけ残していたのだ。
「わぁ……可愛い字」
習いたての幼い字で書かれたレイナルドの手紙に頬が緩む。
(ローズマリーだった時もこうして微笑ましく思ってたなぁ……)
けれど今のレイナルドは。
「…………」
徐々に頬が熱くなる。
昨日のレイナルド……ローズ公爵を思い出す。
この手紙の書き主と同一人物の筈なのに、何故こうも強く意識してしまうのだろう。
唇の触れる公爵の長い指先は前髪が私に触れそうなほど近付いた時の御顔。
そして宝石のように美しい翡翠の瞳。
以前なら近親として似た瞳に親近感しか湧かなかったのに。
「……どうしてこんなに変わっちゃったんだろう……」
幼い頃に書かれたレイナルドの手紙を胸に抱き締めながら。
私は、私よりも歳上となったローズ公爵のことを思い出して俯いた。
少しして、身支度を整えた頃に扉が軽く叩かれた。
「エディグマ嬢。入っていいかな?」
ローズ公爵だった。
私は改めて手紙を胸元のポケットに閉まったことを確認してから承諾の声を出す。
すると扉が開きローズ公爵と、もう一人女性が入ってきた。
「ニキ……!」
ローズ公爵から少し下がり入室してきたのはニキ・タジリアだった。
ニキは私の声に笑顔を浮かべるものの、ローズ公爵の手前黙って頭を下げた。
「顔見知りだとは聞いている。昨日言っていた侍女として彼女を指名した。よろしいかな?」
「は……はい! ありがとうございます!」
ニキは一歩前に出ると私に向かって頭を下げる。
「ニキ・タジリアと申します。この度は婚約者候補であらせられるエディグマ嬢に心よりお仕え申し上げます……」
私は思わず呆けた顔でニキを見つめてしまった。
「……表ではこのような感じでよろしいでしょうか?」
「いいだろう。それではタジリア嬢。エディグマ嬢の外出準備を頼む。必要な物は後で持ってこさせる」
「かしこまりました」
ローズ公爵とニキが会話をしている……
非現実に思えて呆然としている間にローズ公爵とニキは話し終えたらしく。
ローズ公爵と目があう。
「おはようエディグマ嬢。よく眠れたかな?」
「は……はい」
実際は過去の嫌な思い出が蘇ってましたが。
「それは良かった」
あれ?
ローズ公爵の表情が柔らかい。
微笑むとまではいかないけれど、時折見せていた冷たい感情が見えない。
それどころか、どこか……
「では朝食の時に」
そう告げると公爵は早々に部屋を出て行った。
靴音も聞こえなくなったところで突如ニキに体当たりされた。
「ちょっとおおお! どういうことになってるのよ!」
「い、痛い痛い!」
体当たりではなく抱き締められていた。
それから激しいまでに肩を掴まれ揺らされる。
「ローズ領の侍女になってから音沙汰ないと思ってたらリゼル殿下の婚約者って! 貴女王宮に居なかったのにどうしてこんなことになってるのよ!」
「ローズ公爵から聞いていないの?」
「何も。ただ、婚約者候補の専属侍女として働くよう侍女長から言われただけだったの。婚約者候補が決まっていたことにも驚いたけれど、公爵からお聞きした名前が貴女で更に驚いたわ」
「色々事情があって……」
ニキには詳しく話はしていないものの、一時的に依頼されているとだけ伝えておいた。
勿論内密にすることを約束した上で。
「はー……まあそうね。リゼル王子の婚約者については決まるどころか最悪な方向に進んでいたから、そろそろ終止符を打って貰わないととは思っていたわ」
「そうなの?」
支度用の荷物も届いたため、私はニキに髪を結ってもらうため椅子に座っている。
ニキは慣れた手付きで髪を結っている。彼女のお姉さんに扱かれたらしく上手なのは以前から知っている。
「そうなの。前々から嫌がらせや妨害行為があったのは知っているでしょう? その結果婚約者候補が減ってはいたけれど……最近になって大怪我をする人が出てきて城内で問題になっていたの」
「怪我……」
「犯人は分かっていないわ。貴女も知っている人よ」
怪我を負った人の名前を聞けばリゼル王子の婚約者候補として積極的に行動をしていた人の名前だった。
そして、彼女に怪我を負わせたのではないかという疑いが掛けられているのもまた同様に行動的な女性だった。
「このままでは貴族間の軋轢にもなるところだったから……さあ、出来たわ。次は服よ」
あっという間に結い上げられた髪に飾りをつけながらニキが微笑む。
「ええ? この格好じゃダメかしら?」
元々ローズ領で頂いていた上質な服なんですが……
「ダメ。王子の婚約者らしい素敵なデザインを選びましょう」
持ち運ばれてきた大量なドレスを広げられ。
私は大きな溜め息をついた。




