(閑話)復讐を望むことを忘れてはならない
ローズマリーが婚約者として婚約者の間で暮らしている時。
レイナルドはただの一度も、その部屋を訪れる機会はなかった。
婚約者が決定したと反国王派として暗躍する協力者達に伝達した上で、秘密裏に婚約者の間を使用できるよう許可を得ていた。
公爵の位を得た時に城内を確認するために入って以来一度として入室したことのなかった部屋にレイナルドは訪れた。
未来の王太子妃に相応しい高級品の数々。
初めて見た時は部屋の中にある全ての物が姉に相応しくないと思った。
姉は華美をそこまで好まなかった。素材の良さを引き出す触り心地を好んでいたローズマリーがどれほど窮屈な暮らしをしていたのか……考えるだけで悪態が漏れる。
そして今この場にはマリー・エディグマが立っている。
やはり彼女にも部屋は似合わなかった。
彼女は言い方こそ悪いが上貴族のような生活よりも平民や下階級の貴族達が暮らすような日常がよく似合っていた。言葉や装飾で飾らず、あるがままの姿がよく似合う女性だと思った。
婚約者の間に入室した彼女の表情が曇った理由もそこにあるのだと思った。
田舎にある男爵家に暮らす彼女にはあまりにも高級品で誂えた部屋は萎縮するだろうと。
しかし何処か違うようにレイナルドは思えた。
マリーの表情は萎縮よりも悲哀を感じさせたのだ。それと共に恐怖のような畏れる印象すら抱いた。
確認してみるも言葉を濁される。
ならば思い当たる事としてはもう一つ。
「幽霊でも出てくると思っているのかな?」
この部屋にはローズマリーの亡霊が出る。
そんな、くだらない噂話がこの部屋にはあった。
姉が死ぬ寸前まで過ごしていた部屋だからだろうか。現王妃であるティアも本来ならば使用すべき部屋ではあったが、早々に結婚を発表したため使用することもなく終わったと聞く。それどころか婚約者の部屋など入らず、常に現国王の部屋に入り浸りだったと聞く。忌まわしくも腹立たしい限りで、レイナルドは心の底から軽蔑している。
(ローズマリー姉様の亡霊か)
会えるのならば喜んで会いに行きたい。
レイナルドは本当にそう思っていた。
死んで霊となろうとも会えるのならば喜んで会いに行く。泣いているのならばどんな困難であろうとその涙を拭ってみせる。
恨みを残しているのであれば喜んで復讐しよう。
霊となった姉の目前に求めるだけの遺体を捧げよう。
けれど姉の亡霊などいないのだ。
(エディグマ嬢にとっても姉は畏怖すべき存在だろう)
何せレイナルドの想いとは裏腹に姉は悪の令嬢として世に知れ渡っているのだ。
悪女となり亡霊となり国を呪うべき存在として扱われているのだから。
けれど。
「いいえ」
マリーははっきりと否定した。
その言葉に、その真っ直ぐに捉える瞳にレイナルドは驚愕した。
マリーは、本気でそう思っている。
姉が殺人を企んでいないと。
(何故?)
これ以上ない喜ばしい言葉を返してくれた感動とは裏腹にレイナルドは疑問しかない。
(何故疑いもせず答えられる? まるで姉を知っているように)
レイナルドへの世辞でもない。
上辺だけの答えでもない。
本当に。
本当に、マリーは信じているのだ。
(…………)
それが、どれほどのことかマリーは知らないだろう。
レイナルドが二十年もの間、ただ言われ続けた呪いの言葉。
ローズマリーは悪女である。
ローズマリーは罪人である。
その罪を、いくら偽りであろうとも自身も受け止め生きていくしかなかった二十年の歳月を。
いとも容易く、マリーは否定してくれた。
(嗚呼……)
レイナルドは知っている。
この胸に湧く感情の名前を。
姉にしか抱いたことのない感情と似ていながら異なるこの感情が何と呼ぶのかを。
「……それでも幽霊が怖いというのなら、別の部屋を用意するが」
「あ……いえ! とんでもございません!」
(なんだ)
残念だ。
承諾してくれればレイナルドの私室の近くに移動させたのに。
「必要な物は侍女を呼ぼう」
(貴女が親しくしていた女性が良い。確か友人となる令嬢がいたはずだ)
レイナルドが考えていると。
「それでしたら自分で」
と、返してきた。
レイナルドは口を閉じ、静かにマリーに近づき彼女の愛らしい唇に指を当てた。
ふっくらとした果実のようだ。
いっそ自身の唇で塞いだらどれほど甘いのだろうか。
「貴女は今、リゼル王子の婚約者であることを忘れてはならない」
それはマリーへ伝えるのではなく、己自身に伝える。
忘れるな。
彼女をリゼル王子の婚約者にしたのは己であることを。
「…………はい」
浮かれるな。
たとえ姉の如く守りたい愛おしい存在が生まれたとしても。
自身の全てでもって為すべき復讐があるということを。
「それでは、明日の朝迎えに来る」
名残惜しくも唇から指を離し、レイナルドは出ていくために扉の前へと向かう。
頬を赤らめながらこちらを見つめるマリーを愛しく思いながらも、レイナルドは黙ってその場を去った。
扉が閉まり、一瞬にして静けさが戻ってくる。
レイナルドは扉から離れ廊下を進もうとして止まった。
そうして髪に手をあて、無造作に掻きむしる。
(忘れるな)
お前が愛する者は。
いつだってこの手から擦り抜けていくのだから。




