仮初の婚約者は優しく微笑む
食事を済ませた食器を片付けている間にリゼル王子がいらっしゃった。
秘密裏に行動されるためか護衛の方はお一人だけお連れして来られていた。確か団長補佐の方だったはず。
「失礼するよ。夜分遅くにまで申し訳ない」
「いえ、こちらこそ。お元気そうですね」
「そう見える?」
うんざりしたような様子でローズ公爵に話し掛けられるリゼル王子の気さくな雰囲気に私は驚くばかりだった。
(あの方がグレイ王のご子息……?)
グレイ王は当時からあまり家臣とも親しくしなかったし、こうして表情豊かな方ではなかった。
リゼル王子は真逆で柔らかな表情に整った顔立ちで話されていて。
(ああ、ティア王妃に似ていらっしゃるのかも)
顔立ちこそグレイ王によく似ていらしたけれど、表情の和らげ方や人懐こさはティア王妃のそれとよく似ているかも。
間近でお顔を拝見することが初めてだったので思わず眺めていると、リゼル王子と目があった。
「初めましてマリー・エディグマ嬢」
「あっ……は、初めまして」
優雅な仕草でもってリゼル様が私に挨拶してくださった。
私は彼に倣うように貴族として失礼のないよう挨拶を返す。
「エディグマ男爵トビアスの長女、マリー・エディグマにございます」
「どうか緊張しないで。僕らは仮初とはいえ婚約者になるのだから」
失礼のない程度の優しさで私の手を取ってくださる王子の優しい笑顔に思わず頬が染まる。
(こんなに美しい顔立ちでいらっしゃったのね……今まで遠目でしか見たことが無かったから存じ上げなかったわ)
「……ありがとうございます。王子の名に恥じない婚約者を演じてみせますね」
「ふふっ……頼りになるお嫁さんだ」
柔らかい微笑みに更に頬が赤くなる。
(なんて人心を掴むのに長けた方なのかしら……流石はティア王妃のご子息だわ……!)
彼女も人の心を掴むことに優れていた。家臣も部下も敵対関係にあった令嬢すらも丸め込んでいた。
何より捕らえられたのはグレイ王だったけれど。
「リゼル王子。顔合わせも済みましたし話し合いの時間を設けても? そろそろ夜も更けて参りましたしね」
「そうだね」
それから改めて私はリゼル王子とアルベルトを交えて話を行う体制に切り替えた。
「三日後に貴族会議が行われますので、その日リゼル王子自ら婚約者の発表をお願いしたい。後見人には私の名を」
「分かった」
「当日以降、恐らくエディグマ領に使者が送られてくるだろうから、エディグマ男爵には先触れを。エディグマ卿には経緯までを説明しているが時期を伝えていない。私とマーデル子爵、それと数名の護衛を連れて行こうと思う」
「では護衛の手配をしておく」
マーデル子爵、という名前に私は覚えがなかった。
すると隣に座っていらしたリゼル様が少しだけ私の側に寄ってこられた。
「マーデル子爵とはレイナルド……ローズ卿の腹心みたいな人だよ。マーデル卿はとてもローズ卿を慕っているんだ」
「そうなのですね」
私はレイナルドにも親しい貴族の方がいらっしゃることに何処か安堵した。
「婚約者を決定後、私は速やかに派閥間の粛清を進めていきます。……よろしいですね? リゼル王子」
「え? ああ……貴方が以前言っていた派閥の均衡化の話だろう? 具体的な案に関してまだ詳細を聞いていないけれど……」
「……貴族間のいざこざが大体のため、リゼル王子の手を煩わすまでもないことですので」
ん?
私は何処か胸に突っかかるものを感じた。
(何だろう)
ローズ公爵が話す内容に問題は無いと思う……けれど、何処かに違和感が拭えない。
目の前には淡々と報告を進めるローズ公爵。黙って話に耳を傾けるアルベルトの姿。そして私とリゼル王子。
(そもそも婚約者の代理を決めた理由は、今の派閥争いによる婚約者選定が難航に難航し、これ以上の消耗を終わらせるためだと聞かされている)
けれどそれって。
(本当に解決する話?)
ローズ公爵の話によれば婚約者騒動で加熱している派閥争いを鎮静化させた上で粛清を進めていくというけれど、その具体案に関してローズ公爵は語らない。
まるで穏便に事を済ませるような話で物事を進めているけれど。
(そんな簡単なことではないよね……?)
少なくともローズマリーの頃にはその派閥争いが過激化した結果、ユベール領の横領やローズマリーによる殺人未遂罪などの罪からユベール派を追放していた。
それだけの大罪があれば、追い払うことは容易かった。
(だからこそ私は……ローズマリーは無実の罪によって処刑されている)
あの時は父の政策に何一つ口を挟むこともできず。
夫となる筈の婚約者をどうにか抑えることに必死で。けれどそれが余計に拍車をかけて敬遠され。
挙句に殺された。
(少なくとも婚約者が決まるからといって派閥の騒動が解決するなんて……出来るのかしら?)
ローズマリーが命を失って二十年の月日が流れている。
その間にディレシアス国内で何が起きたのか分からない。
ただ、目の前に見えるものは腐敗した王権、王や王妃としての執務を放棄した二人、そして期待される次期王太子。
「マリー?」
私はリゼル王子に名を呼ばれ慌てて顔を上げる。
「大丈夫かい? 顔色が悪いよ?」
「あ……申し訳ございません」
考えに集中していて、話し合いの内容を聞いていなかった。
少し考えた様子を見せてからリゼル王子が立ち上がった。
「今日はもう遅い。エディグマ嬢を部屋まで送るがいいかな」
「王子」
私の手を握ったまま立ち上がったリゼル王子をローズ公爵がじっと見つめていたけれど。
「……そうですね。今日のところは以上にしましょう」
そう言って立ち上がる。
心配そうに手を繋いで様子を見て下さるリゼル王子に申し訳なくてどうにか微笑んでみせると。
リゼル王子とは別に私の手を引っ張る腕が伸びてきた。
「王子では人目を引くので私がお連れしますよ」
ローズ公爵が、私の手を奪い取っていた。




