ローズ領侍女は婚約者(代理)として王都へ向かう
日頃着ないような上質なドレスが部屋に届いた。
朝食を終えたら沢山準備があるからね! と楽しそうにモルディさんに言われ。
私は着せ替え人形のように着飾られた後、正門で待つローズ公爵の元に向かったら。
「見違える美しさだね。婚約者殿」
「……ありがとうございます…………」
私は今、とても苦虫潰したような顔をしていると思う。
ディレシアス国出発の日。
ローズ領からまさか支度をした状態で行くとは思っていなかったので、着慣れないドレスはとても窮屈な気持ちになる。
若い女性らしさのある淡いベージュ色のドレスは流行りのデザインらしく端々にフリルがついている。派手すぎない宝飾が灯りに反射してキラキラとしている。
触り心地の良い手袋をローズ公爵の手に添えて、私は馬車に乗り込んだ。
入ってみれば随分と広い馬車の中。
椅子に座ってみればとても柔らかい。
「とても上質な馬車ですね」
「王城まで長旅だからね。出来れば今日の夜までには着きたいと思っている」
なるほど。
本来の乗合馬車や休憩を挟んだ移動の場合、一日をかけて移動することがほとんどだけれど、この馬車の乗り心地を考えれば休憩をそこまで取らなくても移動はできそうだ。
私はローズ公爵の向かいに座り窓を覗き込む。
お見送りに来て下さったリーバー様やモルディさん達に身を乗り出して声を掛ける。
「行ってきますね」
自然と、そう言っていた。
その言葉にモルディさんは満面の笑顔を浮かべて「行ってらっしゃい」と応えてくれる。
御者が馬を発し、馬車が出発した。
私は遠く小さくなるまで、見送りしてくれる二人をずっと見つめていた。
「それは?」
「これですか?」
馬車で移動を始めてから少ししてローズ公爵が訪ねてきたのは、私が手に抱えているバッグだった。
私はなるべく崩さないようそっとバッグを開けた。中には沢山のサンドイッチが入っている。
「ダンガスさんから頂いた昼食です。公爵と一緒にって頂きました」
見送りには仕込みがあるから行けないと。
代わりに朝食の準備もある中サンドイッチを用意してくれていたと知った時は本当に嬉しかった。
(王都に行ったら特産の香辛料とか長持ちする食材をお土産にしよう)
嬉しさから頬も緩んでしまう。
「君は随分と彼等に懐かれたようだ」
「いえ、私が懐いてるんです」
思わずそう返すと。
ほんの少しだけローズ公爵の口角が上がっていた。
ああ、今のは自然な笑いかな。
少しだけでも打ち解けてくれている公爵との会話が、今の私は好きだ。
乗り心地の良い馬車は移動が早く済むことが良いけれど。
(この座り心地は眠気を抑えきれないかも……)
前日の夜は緊張もあって中々寝付けなかったことも要因か、走り出して数時間もして私は眠気に襲われていた。
とはいえ今は公爵の前。
眠るわけにはいかない。
隠すように手の甲をつねったり外の景色を眺めてどうにか眠気を追い払っていたけれど。
「眠ってくれて構わない。私も眠ることにする」
まさかのローズ公爵からお許しが出た。
眠気も飛んで公爵を見てみれば、彼は腕と組みながら俯き目を閉じていた。
長い睫毛はピクリとも動かない。
これ以上会話は無いとばかりに気配を殺してしまったローズ公爵に私は苦笑する。
(気を遣って下さったのね)
きっと彼のことだ。私が眠気と格闘していることなど分かっていただろう。
そして私が困らないよう、眠る素振りまで見せてくれている。
(ありがとうございます)
心の中で感謝の思いを唱え、私は窓の外を眺めた。
ディレシアス国から異動を言われ、ローズ領に向かうまでの道のりは心細かったけれど。
今はローズ公爵がいる。
前世では守らなくてはならないとの思いを抱いていた弟だった彼が、今では私に気を遣って下さっている。
そっと横目で覗いたローズ公爵の目を閉じる姿はあどけなく眠っていた弟の寝顔とは全く違う。
私は過去とは異なる寂しさから目を逸らし、緩やかに訪れてくる睡魔に身を任せることにした。
うつらうつらと、夢の中を行ったり来たりしている時にそれは起きた。
急に馬車が止まり、御者の方が何か話している声に私は夢の世界から浮上してきた。
目を開けてみればローズ公爵が立ち上がり扉の前に立っている。
到着したにしては外の景色はまだ明るい。夕暮れに入る手前の空。つまり、到着まであと数刻は掛かるはず。
気になって様子を窺っているとローズ公爵が気付いたようにこちらを見る。
「どうなさいました?」
「馬の調子が良くないらしい。少し出れるか?」
自然と手を差し出され私はローズ公爵について馬車から降りた。
二頭の馬のうち一頭が忙しなく身体を動かしている。どこか怒っているような様子だった。
何とか宥めようとしている御者がローズ公爵を見て頭を下げる。
「申し訳ございません。長時間移動なんで体力ある馬を用意したのですが……どうもこいつが飽きてしまったようで」
こいつ、というのはどうやら不機嫌そうな馬のことだった。
まだ若い馬は遊び盛りや飽き性だったりするため、馬の性格によってはこうして移動を拒否することもあったりする。
もう一頭の馬は困ったように少し離れて相棒を眺めていた。
「どの程度時間を与えれば元に戻る?」
「十分ほど自由を与えてやってもよろしいですか?」
「仕方ないだろう」
ローズ公爵も馬の性格を把握したらしく答える。
それから私を見て「休憩にしよう」と仰って下さった。
とはいえ、ここは道中のど真ん中。
休むといっても馬車の中かなと思っていたけれど、私は周囲の景色を見て頬が緩んだ。
「素敵なところですね」
少し道から離れた先には広大な畑が広がっていた。収穫の時期に向けて成長する葉が風に揺られて踊っている。
畑の辺りには小さな花畑もあった。花売りのための花を育てているのか、明るい彩りの花が多い。
私は少しだけ足を伸ばし、花畑の前に立ち止まる。
中には黄色や橙色に咲くマリーゴールドもあった。
「少し歩けば小さい町があるがどうする?」
ローズ公爵が私の方に寄って声を掛けて下さった。
「公爵はどうなさいますか?」
「私はどちらでも構わない。君の希望を聞こう」
ローズ公爵の表情を見るに、本当にどちらでも良さそうな印象だった。
「では、此処でこのまま休ませて頂きます」
知らない町も魅力的だけれども私は土や草の匂いが懐かしく、そのままこの景色を眺めていたかった。
ローズ公爵はそのまま黙って私から少しだけ離れた場所から景色を眺めていた。馬車に戻ることもなく、静かに景色を眺めていらした。
「……エディグマ領もこのように畑が広がる土地でした。ここの景色はエディグマに似ています」
「そうか……帰りたいか?」
帰りたいかと問われれば、確かに帰りたいとは思う。
「そうですね。いつかは、とは思っています」
「……貴女を無事にエディグマへと戻す。約束しよう」
私はローズ公爵を見る。彼は少し離れた先で私を見ていた。
レイナルドは一度交わした約束を破るような子ではなかった。
それが今でも変わらないのなら、これ以上心強い言葉はない。
「ありがとうございます」
のんびりと景色を眺めていると、御者の方が声を張り上げこちらに呼びかけた。
馬の機嫌が良くなったらしく出発できるらしい。
私は急いで戻ろうと思ったものの。
「あっ」
履き慣れない靴が足元を覚束せ、身体が前に倒れてしまう。
倒れかけた私を、すぐさま抱き締める腕があった。
「大丈夫か?」
ローズ公爵によって両肩を支えられていた。
「ありがとう……ございます」
「手を貸そう」
手袋をした手を差し出し私を女性としてエスコートしてくれるローズ公爵の手は大きく。
私はレイナルドと出会ってからずっと感じていた感覚にそろそろ答えを出さなければならないと思っていた。
(彼は前世の弟なのに……)
どうして私は。
ローズ公爵を意識してしまうのか。
弟としてではなく。
たった一人の、成人した男性として接するローズ公爵は。
惹かれずにはいられないほどの魅力で、私を捕らえてしまうのだ。
(……これは一時の迷い。一時の夢)
いつか全ての役目を終えてエディグマに戻れば。
この仄かに芽生えた小さな感情は時と共に風化してくれるだろうから。
今はただ。
一人の男性として差し出してくれる手を、恋しいと思いながら。
静かに触れていた。




