(間話)胸に宿る些細な感情は捨て去るべきである
一人の少女の表情が脳裏に焼き付くようになったのは一体いつからか。
ほんの数日前までは名前と情報でしか捉えていなかった少女だ。
懐疑のためにローズ領に入れてみれば、この寒々しい北の古城で花咲かせるように明るさを生み出していると気付いたのは……いつからだろうか。
(くだらない)
レイナルドは考えてはすぐに打ち消し、復讐に向けて順序を確認する。
しかし暫くしてふと思い出す。
マリーの笑顔。
(…………何なんだ)
何故、こうも気になるのだろうか。
姉への懐古を刺激させるからか。
彼女が自分を見る眼差しに、何処か悲壮を抱かせるからか。
従来、レイナルドを見る女性の視線は大体同じだった。
好奇、野心、恋慕、敬遠、侮蔑、欲情。
薄汚い女性の視線には露骨に感情が入り混ざり好きではない。
しかしマリー・エディグマはどれにも当てはまらなかった。
敢えて彼女の視線に言葉を乗せるのであれば。
悔恨であった。
「…………何故?」
分からない。
彼女とは王城で出会ったのが初めてであり知己な仲ではない。彼女の縁戚に渡るまで調べさせたがディレシアス国にもユベールにも何ひとつ関わり合いは無かった。
初対面にも関わらず、マリーが見つめてくる視線にはレイナルドが感じることのなかった感情が込められているのだ。
それが気になって仕方ない。
「……………………」
気にするな。
今、自身が注力すべきは彼女のことではなく復讐だ。
数多の策を考えた中、レイナルドは過去を繰り返させる復讐の手段を選んだ。
侍女を娶り婚約者であった姉を突き放した王に倣った。
侍女を送りこみ、王の子息に婚約者を選ばせる。
王や王妃が送り込んだ婚約者候補は悉く排除した。
否、愚王は何ひとつ行動などしていない。
ただ、彼を傀儡として操る家臣によって推薦された女性を息子に押し付けようとしているのだ。
「……はっ」
それが、過去の己と重なるのだと何故分からないのだろうか。
決められた婚約者など、と愛する姉に吐き捨てた男の言葉をレイナルドは忘れていない。
その男が、過去を忘れ自身の息子に同じ事を言われるのであればレイナルドも嘲笑わずにはいられない。
だからレイナルドはこの策を選んだ。
早々に反国王派を嗾けて圧政することも容易かったが、レイナルドはそうしなかった。
別に国の腐敗を憂慮するために動いているわけではないからだ。
何より彼等の行動を暴走させれば、リゼル王子ごと排除する動きになりかねない。
リゼル王子は憎き相手の子供ではあるが、彼等と正反対の生き方をしている。
彼自身を無実であるのに捕らえるという考えがレイナルドには出来なかった。
何故ならそれは、姉がされた仕打ちであったから。
無実であるにも関わらず悪とされ捕らえられ殺された姉の仕打ちを、たとえ憎しみ殺したい相手の子供だといえ、レイナルドには出来なかったのだ。
(それでも姉様が殺してくれと頼むのであれば喜んで殺すのに)
亡き姉がレイナルドの前に立ち、『どうかあの一族を殺して頂戴』と頼むのなら。
レイナルドは喜んで己の刃を血に染めるだろう。
しかしそんな絵空事は絵空事であり、現実ではない。
暫く目を閉じていたレイナルドは自身の座っている卓上の上に置かれた一通の手紙を開いた。
中身はアルベルトからの手紙だった。
リゼル王子は相変わらず一人を選べないため代理について承諾したと。また、代理の婚約者を受け入れる準備が整ったと書かれていた。
もう一通、別の手紙を開く。
反国王派として共に行動している貴族からの暗号を交えた手紙。必要な要素は揃えられたため、後はレイナルドの言葉を待つばかりだと。
「…………意外と呆気ないものだな」
二十年に渡りレイナルドは復讐を望んできた。地の底から這いずり出るような生き方をしてきた。蔑まれながらも知識と人脈を築き、地位を確保してきた。
汚れた事も平気で行った。特に北部を手に入れるために異国の民をも巻き込んだことは大きい。今でも北部の向こうからは敵意に満ちた感情が残っていることも承知している。
悪政により傾きかけた国庫を回復させ王国内での信頼を勝ち取ったレイナルドの声に信頼も厚い。
手腕の公爵として褒め称えられながら、常に国王と王妃の処刑する姿を目に浮かべていた。
終身刑か、絞首刑か、拷問の末餓死させるか。
生涯労働させるか、隣国に贄として差し出させるか、監獄で酷い扱いを受けさせようか。
それとも自身の刃で殺してやろうか。
そのどれもが魅力的で選べない。
願望を果たすためにもまずはリゼル王子に婚約者がいると発表をしなければならない。
有力な諸侯らはリゼル王子の後見人となり、新政権を確立させたいのだ。そのためにも婚約者がいなければならない。
また、婚約者を決めた上で現国王であるグレイ王を捕らえ罪状を叩きつける。そしてその場で王位交代の締結を行う。
そこまでが流れとして決まっている。
国王派の動きは鈍い。或いは昨今の動向から逃げ出す輩もいると聞く。
分からないのはティア王妃につく派閥の動きだった。彼女の動きは読めない。
(さっさと捕らえる方がいいだろうな)
思い出す赤髪の女性。
姉の前に現れ、姉から全てのものを奪い去った女。
許さない。
感情が溢れ、手に持っていた手紙に皺がよる。
深く呼吸をしてから最後にもうひとつの手紙を開く。
マリーの家庭教師、マードレアからの報告書だ。
マリーの教育は全てが完璧であり、更に教養を深めれば王太子妃にも相応しいほどの実力を持っているとのことだった。
男爵家の長女で、田舎暮らしをしていたはずの令嬢なのにマリーは優秀だった。
(……不思議な人だ)
レイナルドは先日彼女と踊った日のことを思い出す。
真っ直ぐな瞳でレイナルドを捉え、レイナルドの役に立ちたいと言ってくれた。
報酬ではなく民の平和を望むと告げる彼女の言葉に偽りの感情は見えなかった。
『ディレシアスの未来に繋がることであれば、私は助力を惜しみません』
あの時言ったマリーの言葉を思い出す。
(このまま全ての事を終えた後、リゼル王子の妃とするのも悪くないか……?)
従順で私欲もなく、民を憂う存在。
それこそ国の王妃として相応しいのでは?
そう考えてすぐ、胸に酷く不快な感情が湧いた。
自身で考えた案に対し、胸の奥底から湧きあがる不快な感情がレイナルドを襲った。
けれど何故不快なのかが分からない。
レイナルドは深く溜め息を吐いた。
(その考えは後だ。今は……)
そう。
今は復讐を優先すべきだ。
レイナルドは復讐を果たし、姉を亡き者にした全ての者を地の底に叩き落とし、姉を死なせた事を後悔させる。
それが全てなのだ。
その先にある未来や。
自身の胸に仄かに宿った些細な感情に目を向ける時ではない。
「あと少しです……姉様」
両腕で目元を覆い天井を見上げた。
脳裏に焼きついた姉の笑顔だけが、今のレイナルドを心安らげる唯一の手段だ。
その笑顔の片隅にマリーが浮かんでいることを。
レイナルドは敢えて無視していた。
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