代理の婚約者はワルツを踊る
「ワン、ツー……はいっ、そこでターンですね」
「はいっ」
ベテラン家庭教師のマードレア先生の指示のもと、私は今ダンスの練習を受けている。
何処まで踊れるのかを確認するための踊りで、相手を想像して踊っている。
マードレア先生と私だけのダンスホールは広々としているけれど物寂しかった。
普段使われていないらしく、全く装飾品もないダンスホールで私は手解きを受けていた。
踊り終えた後、マードレア先生が拍手を下さった。
「素晴らしいですわ、マリーさん。とても姿勢良く踊られています。流行のダンスは苦手のようですがお披露目する機会もそうないでしょう。合格です」
「ありがとうございます」
流行のダンス……それは流石に分からないわね。
(今の踊りもローズマリーの頃に叩き込まれてたダンスだもんなぁ……)
前世で培ってきた厳しい王太子妃としての修行の日々は生まれ変わっても身についているのは、今になれば有難い話だけれども。
(それだけ体に覚えさせられてたわけね……)
思い出す苦痛の日々を振り返ると寒気がするため、私は気持ちを切り替えて先生の話を聞いた。
「言葉遣いと刺繍、文字の書き方に礼儀作法も及第点を越えておりました。マリーさんにはとても素晴らしい家庭教師がついていらっしゃったのですね」
「ええ……そうですね」
前世ではそうですね。
今世はほとんどついておりませんが。
「最難関だと思っていた法律面についてお詳しいことには驚きました。ご家族に法務に携わる方や裁判官の方でもいらっしゃるのかしら?」
「……兄が王城に勤めております」
何度謝ったか分からないスタンリー兄さんに向けてまた謝る。
王妃として必要な教養に法律があり、ローズマリーは王城に滞在している間は主に勉学の時間が多かった。
他にも国王の支えとなるために帝王学や周辺国との外交術なども覚えていたけれど、流石にそこまでは家庭教師の先生に問われることもない。
(手を抜くにもどうすれば良いか分からないし、ヘタに知り過ぎていても勘繰られてしまう……難しいな)
「あとはそうですね……乗馬はまだ不安な点がありますのでそちらを重点に学んでいきましょう」
「はい」
乗馬……ローズマリーの頃も馬には乗れることはあったけれど走りこなすまでには至っていなかった。
本当なら婚約者と一緒に鷹狩りに付き合って覚えていくと良いと言われていたけれど。
ローズマリーは結局一、二回ぐらいしかグレイ王と出掛けたことはなかった。
(馬に乗って遠駆けとか憧れたなぁ)
「聞いてますか? マリーさん」
「はいっ!」
少しでも別のことを考えたら指摘を入れてくるマードレア先生は流石だった。私の事を良く見ていらっしゃる……
「それでは今度はワルツを踊ってみましょうか。わたくしが男性パートを行いますので貴女はエスコートから」
「はい」
その時、ダンスホールの扉が開く音がしたので私とマードレア先生は揃って入り口に視線を寄越した。
「ご機嫌よう、マードレア夫人。エディグマ嬢」
「ローズ公爵様」
姿を見せた城主の前にマードレア先生は優雅にお辞儀をしてみせる。私も倣ってお辞儀をする。
「訓練の賜物かな。とても優雅な挨拶だ」
「恐れ入ります。エディグマ嬢は優秀ですわ。教えることも少ないです」
「ほお」
それからマードレア先生が先ほど言っていたことをローズ公爵に説明する。
自分のことを言われているのだと思うと恥ずかしい……
「今からワルツの練習を致しますが、よろしければご教授頂けます?」
「私が?」
先生がとんでもない提案をしてきた。
「わたくしが男性パートを踊る予定でしたが身長差が少ないので参考になりません。男性にお任せする方が覚えも良いのです」
「それもそうか……分かった」
するとローズ公爵は身に付けていたマントの留め具を外し、近くにあった椅子に掛けた。
え? 本当に踊るの?
レイナルドと踊る……
私は思わず小さい頃のレイナルドとのダンスを思い出す。小さくクルクルと回って踊った可愛い弟との踊りを。
「それではよろしいかな? エディグマ嬢」
見上げるほどの身長。差し伸べてくる手。
あの、幼い頃のレイナルドとは違いすぎる男性が私の前に立っている。
「エディグマ嬢?」
「えっ、あ、はい!」
私は我にかえり慌ててローズ公爵を前にして口を閉じる。
静まりかえるダンスホール。
ローズ公爵は私が手を握るのを待っている。
緊張したままに手を重ね、それから誘導されるようにローズ公爵の肩に手を当てる。
音楽は無い。頭の中で何度となくリズムを刻む。
少しずつ揃えていく足の流れ。私に合わせてローズ公爵がエスコートする。
(すごい……とてもお上手だわ)
男性のリードにより女性側がたとえ失敗したとしても支えて美しく魅せることが出来るのは知識として知っていた。
ローズ公爵はそれを確実に実現させることが出来る実力を持っている。
(こんなに上手いなんて)
一体、どれだけ練習したのだろう。
表情ひとつ変えず私の頭で刻むリズムに合わせて踊るローズ公爵は優雅で、そして美しかった。
きっとローズマリーが亡くなった後、多くの女性と踊る機会もあったのだろう。
それは成長の喜びと同時に、何処か寂しさをも抱かせる。
「……浮かない顔をしている。荷が重いかな」
「そんなこと……」
「無理を言って申し訳ないとは思っている」
踊りながらもローズ公爵は会話を続ける。
「しかしどうしても婚約者候補は必要なんだ。君には十分の報酬を与える。だからどうか暫くの間は付き合って貰いたい」
「報酬なんて……」
報酬なんて求めていない。
本当はリゼル王子の婚約者候補という役目も負いたくない。
けれど。
「エディグマ嬢?」
目の前に立つかつての弟の役に立ちたいと思うのは我が儘だろうか。
何より、寂しい表情しか浮かべないローズ公爵の事が気掛かりだった。
「……私は、少しでもローズ公爵のお役に立てたらと思います」
「……何故?」
「え?」
まさか聞き返されるとは思わなくて私は顔を上げた。
私を見下ろすローズ公爵の顔は整いながらも私を不思議そうに見つめていた。
「いくら今主従関係にあろうとも貴女は断ることも出来たはずだ。何より貴女はリゼル王子の婚約者という立場に欲を見出していない。私はそれが不思議でならない」
「それは」
「何か他に理由があるのだと思っているがどうかな?」
「…………」
当たっている。
けれど、その理由を言ったところで今の公爵を余計に混乱させるだけなのは分かっている。
(レイナルドには私が生まれ変わっていることを知られてはいけない)
たとえ過去に姉弟であったとしても、ローズマリーはもう死んでいて。
私は新たにマリーとして生きている。
(これ以上、レイナルドに過去に囚われないで欲しい……)
「……私はディレシアス国が良い方向に導かれるためにお手伝いをしたいと思っています。だから……どうかローズ公爵が望むことを仰って下さい」
「私が望むこと?」
「ええ。それがディレシアスの未来に繋がることであれば、私は助力を惜しみません」
民の未来を。愛する人の未来を望んでいたローズマリーの想いと、今の私の望みを考えれば自然と答えが出てきた。
レイナルドが何を望んでいるのかまでは分からない。
けれど、確かに今のディレシアス国内は穏やかではなく、悪化する方向へと進んでいる。
それを止める術があるのであれば、ほんの少しだけだとしても手を貸したい。
「…………そうか」
ローズ公爵は一言そう告げると、私の手を僅かに強く握り大きくターンをした。
ひらりと揺れるドレス。
近付いた顔を見つめれば、翡翠色の瞳と目が合う。
金色に輝いて見えるローズ公爵の髪を間近で見ると僅かに茶色が混じっているように見えた。
(本当に……成長したのね)
見惚れるほどに美しく凛々しいレイナルド・ローズの姿に。
マリーは眩しいほどの輝きを感じながら、共にワルツを踊り続けていた。




