小さな復讐者は亡き姉に会いに行く
2回目の更新です
レイナルド・ユベールの姉が処刑された後、彼が生きる活力を抱けた理由はただ一つ。
姉を殺した者達への報復、復讐だった。
無実の罪により姉を悪女として醜聞立たせた王家や加担した貴族全てが憎かった。
元王太子の婚約者であったローズマリー・ユベールは、相思相愛の王太子と恋人に対し、嫉妬から殺人を企てたとされた。
更にユベール一族による王族への反逆罪や横領まで発見され、いまやユベール侯爵家は失意の底にいた。
レイナルドにとっては侯爵家のことなどどうでも良かった。
ただ、姉に汚名を着せられることが不愉快であり苦痛だった。
そもそも姉という婚約者がいながら別の女に手を出す王太子がおかしい。
しかしこの醜聞も、まるで意図したように姉の殺人未遂によりかき消された。
父であるユベール侯爵が政権争いに敗北した結果、今の状況にあることは暗黙の事実だ。
生き地獄のような日々は、幼いレイナルドから笑顔を消した。
ユベール侯爵家は様々な罪状を叩きつけられ領地をほとんどを剥奪され、爵位も子爵へと変わった。
慣れ親しんだユベール領地の屋敷を立ち退かねばならない日は、あっという間に訪れた。
「くそっ! くそ……!」
日頃、レイナルドを侮蔑するしかなかったレイナルドの兄カーティスの感情乱れる怒鳴り声が聞こえてきた。
もはや人も随分と減ったユベール邸にはレイナルドとカーティスしかいない。残りは僅かばかりの使用人だけだった。
父は現在王城の貴族牢に軟禁されている。
ローズマリーとカーティスの母は二人が幼い頃に病死している。
レイナルドにとってカーティスは家族ではなかった。
レイナルドは父である侯爵が火遊びした結果生まれた子だった。そのためにカーティスには軽蔑されていた。
いくら血が半分でも繋がっていようと、人としてすら見てくれないような男を兄などと呼べる筈もなかった。
レイナルドにとって家族とは、実の母に売られユベール家にやってきた自身を愛してくれた姉、ローズマリーだけだ。
「ああ……! 何故私がこんな目に……!」
カーティスは時折こうして衝動に駆られることがある。
当然のようにあった爵位も生活も全てが一瞬で失われたのだ。
しかしレイナルドは知っている。
カーティスの口から、妹であるローズマリーの死を偲ぶ言葉が出たことがないと。
(本当に親子だな……あの男と瓜二つだ)
レイナルドを後継ぎの予備として連れてきた父、ユベール侯爵を思い出しながらレイナルドは冷めきった様子で兄の怒鳴り声を聞いていた。
それからカーティスに見つからないよう気配を殺し屋敷の外を出た。見つかれば彼に当たり散らされ、最悪の場合は殴られるからだ。
レイナルドは鞄から上半身を隠すだけのマントを取り出しフードを被った。
向かう先は決まっている。
馬舎に向かい自身の愛馬を撫でる。
成長した馬はほとんど売られてしまい、残されているのはこの小さな馬と兄の愛馬ぐらいだった。
「元気か?」
黒い鬣を撫でると、レイナルドの掌に鼻を擦り付けてきた。
「寂しくなかったか」
独り言を呟く。
黒馬や兄の馬以外にも多くの馬を飼っていたが、今はもぬけの殻となった馬小屋が物寂しい雰囲気を見せていた。
レイナルドは黒馬を慰めながら、自身も慰めていたのかもしれない。
「今日も頼む」
愛馬に鞍を付け、レイナルドは軽やかに飛び乗るとすぐさま馬を駆けさせた。
入口には門番すらいない閑散とした屋敷からレイナルドを引き止める声はない。それどころか、レイナルドが何処で何をしているか関心を持つ者も見張る者もいない。
向かう先は常に決まっているためか、馬は命じるまでもなく向かう方向へ迷いなく走っている。
馬を走らせて一刻ほどもすれば到着する場所は、ユベール領の別荘地だった。
猛暑が続く王都から清涼するために用意された別荘が、実はローズマリーやカーティスの母親が結婚する前に与えられたものであることを知る者は少ない。
贈り物として建てられた別荘の名義がユベールではない上に既に所有者は故人のため、本来ならば手続きを行い所有者を変更しなければならないこの別荘の事情を教えてくれたのは姉だった。
お陰で今回の財産や領地没収の対象にならないことはレイナルドも知っている。
だからこそ、レイナルドは其処に愛する姉を隠したのだ。
一刻と少しして到着した森林の入口でレイナルドは馬から降りた。
近くに小川があるため、そこに馬を待たせることにしている。愛馬も慣れたもので手綱を何処かに縛らずとも止まって水を飲んでいる。
レイナルドは森の中を進んだ。
少し進めばこじんまりとした別荘が見えた。
趣の良い作りは亡きユベール夫人の趣味か、女性らしい雰囲気がある。
この別荘に父であるユベール侯爵が訪れた記憶はレイナルドには無い。
小さい頃は分からないがカーティスも滅多に訪れないここは、ローズマリーが好んだ場所だった。
王都の喧騒や周囲の悪意ある噂話もない、小動物や虫の鳴き声、そして小川のせせらぎが耳に聞こえる別荘を最も好んでいたのはレイナルドの姉だった。
入口扉の鍵を鞄から取り出し鍵穴に差し込み扉を開ける。
薄暗く灯りもないこの屋敷には日中天気の良い日にしか訪れられない。
静かな屋敷の中をレイナルドは進む。
一つの部屋の前に立ち、小さくノックをする。
勿論返事はない。
しかし何故だろうか、レイナルドはいつもノックをしてしまう。
(……癖って怖いな)
この部屋はローズマリーが使っていた部屋だった。
彼女の元を訪れる時、レイナルドは必ずノックをして相手の返答を待っていた。
そうしていつもローズマリーは「どうぞ」と相手の名前を確認もせず訪問者を受け入れるのだ。
扉を開けて真っ先に目に入るものは棺だ。
石棺が重厚な雰囲気を漂わせている。飾りも何一つない物寂しい棺を見るたびにレイナルドは眉間に皺を寄せる。
彼が今、精一杯用意してコレだ。
(もっと美しい装飾をすべきだ。棺の中央には姉様の御顔の彫刻を入れて……ローズマリーの花を銀で作ろう)
姉の棺を美しく飾ることを考えると少し気持ちが落ち着いてくるのは、亡き姉に対して何か出来ることがある喜びでもあったから。
木棺では腐臭がしてしまう。だから石棺を用意した。
しかしこの石棺ではあまりにもシンプルで気に入らない。けれどレイナルドには今、姉の棺を美しく飾る余裕もなければ、そもそも彼女を眠らせる地も用意出来ない。
ディレシアス国では、爵位を持つ者の葬儀は平民の火葬と違い土葬による風習がある。
流行り病の元となるため平民には火葬を義務付けしているが、故人を象る像などを小さいながら用意することが慣例だ。
しかし貴族は違う。
広い土地に領主の霊廟を用意することを美徳とする風習がある。
そして貴族を火葬で葬ることと、霊廟や墓に入れない行為は罪人への扱いや身分が落ちていることを表す。
弔う者などいないという証に炎で焼き尽くす……ローズマリーもまた、処刑後はそのような予定があった。
そんなことはさせない。
姉様を救いたい。
姉の護衛だったアルベルトと共に処刑台にぶら下がったままの姉を、人目を避けた頃に見張りを騙して取り戻しこの別荘に隠した。
いつか必ず姉をこのような目に遭わせた者に同じ思いを……否、それ以上の苦しみと後悔を与えたい。
暫く黙って石棺を見つめていたレイナルドが軽く礼をして退室した。
今はレイナルドの私室として使っているユベール元侯爵の部屋に入る。
そこには幾多にも書類や本が重なって置かれていた。
中央に設置してある広い台には走り書きしたメモが溢れている。
全てレイナルドが書いたものだ。
書かれている内容は様々だった。
ディレシアス国家の歴史、現国王について、王太子グレイに関する情報。更には王太子の恋人ティア・ダンゼスやダンゼス一族の系図。
全て数少ない知識をかき集めただけのつまらない情報だとレイナルドは思っている。
(もっとだ。もっと必要になる)
金色の髪が目元に掛かることも厭わずレイナルドは本を読み始める。
今、彼には足りないものが多すぎる。
だから集めるのだ。
金も、地位も、知識も、政略も。
頭に叩きつけるように知識を蓄えていく過程が今のレイナルドにとって支えでもあり唯一の生き甲斐だった。
何かをしていなければ。
無力な己を殺してしまいたい衝動と。
自分を置き去りにした姉への悲しみで押し潰されてしまいそうだから。




