昔の面影は今もなお
「ローズ公爵様?」
目の前に佇んでいらっしゃる公爵の姿に私は思わず声を漏らしてしまった。
ローズ公爵が私に視線を向ける。
「リーバーの代理か」
彼の視線は私ではなく、胸元に抱えていた花束を見つめていた。
リーバー様はこの花をローズ公爵に届ける予定だったのだと、ようやく私は考えに至る。
「はい。リーバー様は急な業務が入りましたため、代わりに私が持って参りました」
なるべく花を壊さないよう、私はローズ公爵に花束を渡した。
こうして近づいてみると、ますます身長差に驚く。
見下ろしていた子供の頃のレイナルドが、今では見上げる距離にいるのだから。
ローズ公爵は花の確認をした後、改めて私を見つめた。
特に言葉を発さず見られているのは何なのか……
「あの……何か御用でしょうか」
退場するタイミングを見失ってしまった……
「……ローズ領での仕事は問題ないと聞いている」
ああ、様子を聞いて下さるのね。
「はい。皆様とても優しくして下さいます」
「リーバーからも君の評価は聞いているよ。よく勤めてくれているようで有難い」
ふわりと、穏やかに微笑まれた。
緊張を解すために笑ってみせているものの、それがレイナルド……いえ、ローズ公爵による作り笑いということは理解している。
何故ならレイナルドの笑顔はもっと柔らかくて暖かい。
今の公爵が浮かべる笑みはあまりにも作り物染みて見えるのは、恐らくローズマリーにしか本当の笑みを見せたことがないから、なのかもしれない。
「……恐縮にございます」
「謙遜しなくていい。特に腰痛や鎮痛に良い塗り薬を紹介してもらったが……それはエディグマ領で作っているものなのか?」
「いえ、我流なので何処にもお出ししておりません。田舎町に昔から伝えられていた塗り薬です」
エディグマは農耕で賄っているような町なので、腰痛持ちが多い。
そんなエディグマ領で昔から親しまれている塗り薬の作り方を知っていたからここでも試してみたのだけれど。
「……それは勿体無い。商人に提案する機会もあったのでは?」
「有難いお言葉ですが商業向きではありませんので」
その場で作って塗るようなものだから商売にするには更に研究する必要があるから。
そういってエディグマに来た商人に断りを入れたことを思い出す。
「もしローズ領でもお使いになられるようであれば、作り方を書いたものをお渡し出来ます。リーバー様に後ほどお渡し致します」
「いいのか?」
「ええ」
今までもそんな風にして、エディグマで伝わってきた薬を出し惜しみすることは無かった。
「…………まあ、いい。それでは頼むとしよう」
「はい」
頭を下げて退室しようと思ったものの、この先にある建物が少しだけ気になった。
ひっそりとした建築物に薔薇模様が刻まれた紋章。そして、ローズ公爵の持つ花。
(ローズマリーに関係している?)
けれど口出すことも出来ない。
今の私は赤の他人。
たとえ前世に繋がりがあったとしても、今のローズ公爵と私は他人なのだ。
「……それでは失礼致します」
私は改めて挨拶を述べてその場を立ち去ろうと思った。
思ったけれど出来なかった。
何故なら、私の束ねた後ろ髪がローズ公爵が着ている服の留め具に見事に絡まったからだった。
(お辞儀した時か……!)
花を抱えているローズ公爵の袖がいつもより私に近いことが仇となったらしい。
私は動揺して、変な声を出しつつ慌てて髪を解こうと思うけれど。
動けば動くほど絡まっている気がする……
「……公爵様、申し訳ございません……あの、短刀とかお持ちでしょうか」
「留め具を切ろうか」
「いえ、髪を切って頂けますでしょうか」
身分高い方の服を切るなんてもっての外。
そもそも、こんな無礼なことが起きて私自身お叱りを受ける立場。
(これがグレイ様だったら折檻されているのでは……!?)
恐ろしい考えが頭の中を巡っていると。
「その必要はない」
静かな声色が私を落ち着かせた。
少しだけ見上げた先に見えるローズ公爵の真っ直ぐな翡翠色の瞳。
その先は、絡まってしまった私の髪と留め具の間に集中している。
解こうとしている?
彼の脇で花束を押さえ込んでいるらしく、花の香りが鼻腔につく。
どれだけ暫くの間、そうしていたのだろう。
絡まっていた髪が元通り、私の背中に揺れる。
ローズ公爵の留め具も外れることなく付いている。
「あ……ありがとうございました。失礼致しました……!」
「いや」
何も咎める事もなく解いてくれた。
感情に不器用なレイナルドだった。
いつも無愛想な表情をしながら、それでも少しずつローズマリーに打ち解けてきてくれた幼い頃から。
ああ。
彼は変わっていない。
思わず私の頬が綻ぶ。
冷たいと思っていたレイナルドに、以前と同じ姿を見れて。
これ以上嬉しいことはない。
「……感謝いたします」
変わり果てたと思っていた愛する弟の片鱗を見て。
変わっていないところもあるのだと分かったことを。
ローズ公爵が抱えていた花束は幸いなことに潰れていなかったため、彼の服に付着した花粉や花弁だけを払い、私はその場を後にした。
不思議なことに。
間近で見たローズ公爵からは、幼い頃から愛した面影と。
まるで見たことない端正な男性の姿が目に焼き付き。
私の頭の中で、繰り返し思い出してしまっていた。