ローズ領主様のご帰還
太陽の光が窓の隙間から漏れ始めた頃。
遠くの教会から朝の時刻を知らせる鐘が鳴った。
既に鐘の音で目覚める習慣がついた私は、音と共にパチリと目を開ける。
大きく伸びをしてから起き上がり、寝台から離れる。
水桶から僅かに水をお盆に取り出して顔を洗う。ついでにエディグマでも愛用していた保湿用の乳液を手に浸し顔に塗る。
「今日は気合を入れないとね」
何たって、レイナルド・ローズ公爵が屋敷にお戻りになる日なのだから!
私がローズ領で働くようになってそろそろ三週間が経つ頃、リーバー様から公爵が戻られると報告を受けた。
普段客人も訪れない静かな屋敷内が微かに賑わう。
訪問者の人数確認から滞在日程の確認。料理のメニュー内容考案など、リーバー様を筆頭に手際良く決めていく光景を私は見守るだけだった。
ローズ公爵以外に彼の護衛兵が五名ほど、更に王城で補佐をしている文官も合わせて屋敷に来られるらしい。だからこそ、普段より多い人数となる屋敷に必要なものを準備しなければならない。
「我々の主人はいきなり人数を増やしたりするからね。細部まで準備をしないと対応が出来ないこともあるんだ」
護衛と文官の部屋を整理していたモルディさんと一緒に新調した寝具を運んでいる時のこと。
「そういった場合ってご報告が行くものだと」
「あの方はその辺り信頼しきってるのか、多少の誤差は想定して動くものだと思ってらっしゃる。なのでこちらもそれに応えないとね」
なるほど。信頼関係の上で成り立っているらしい。
実際、昨日の夕刻頃に戻るとの手紙が届き、そこには人数と到着予定の時刻が書かれていたらしい。
手紙によると本日の夜に戻るとのことで、今日は朝から準備に大忙しだ。
人数より余分に二室ほど追加した数の寝具を運び終えた次は、訪問者に向けた料理酒の受け取りに走る。
商人が訪れる時間を少しだけ過ぎて裏門へ向かうと、日雇いの青年が既に待機していた。準備のために雇ったという青年は孤児院出の青年らしく、既に屋敷内でも顔見知りのようで商人の男性と会話をしている。
「遅くなってすみません」
納品数を確認してから支払いを済ませ、重い荷物を青年に運んでもらう。
青年は黙って荷物をダンガスさんのところに持っていくと、私達を見かけたダンガスさんがこちらにドスドスと向かってきた。
「おう、今日は坊主か! 大きくなったな」
坊主。どうやら青年の事らしくダンガスさんは嬉しそうに青年の頭をグシャグシャと撫で回した。
照れ臭そうに笑う青年は、少しばかり笑っていた。
その後、青年に荷物運びを手伝ってもらい、更には料理の下拵えを手伝ってもらっていた。
私は遅くなった昼食の合間に厨房の隅っこでご飯を頂きながら、仕込みを続けているダンガスさんに声を掛ける。
「凄く手際がいいですね」
「アイツか?」
ダンガスは視線を料理に向けながら私の話を聞いてくれた。
青年は少し離れた場所で芋の皮むきをしているのでこちらの声は聞こえていない。
「そうだな。アイツがもっと小さい頃から手伝いに来てるからよく覚えてる。働きもいいから使いやすい。そろそろどっかの店に仕事が決まるだろうからここに来るのも最後かもしれねえなぁ」
「最後?」
私の問いにダンガスさんは頷く。
「アイツは戦争孤児なんだよ」
王都から北部にあるこの領土は異民族が近隣に多く、いざこざが以前から多かった。
特に十年前に起きた異民族による北部襲撃、そして土地の略奪が起きた。
王都から派遣された兵は敗北をし、北の土地を諦めるべきかと考えていたその間にローズ公爵によって領土が奪還された。
それ以降、異民族によって襲撃されることはここ数年起きていなかった。更に言えば、前領主の頃には多発していた異民族の襲撃だったが、ローズ公爵によって防衛が強化され、今では常に警備や見張り台からの警戒も強まり安全が保たれている。
「爵位ある身分がやる孤児院運営っちゃあそうなんだが、公爵は施しを与えるだけじゃなく、子供大人関係無く労働の機会を与える法を作ったんだ」
「法ですか」
「そ。孤児院の奴らに仕事でも何でも働かせれば、与える給金の五分の一を領主が雇い主に還付するってやつだ。支払い額は業務や年齢に応じて決まっているし最安値で働かせるようなことはしない。
更に雇えば一年の間は身支度資金として雇い主に必要な費用を補填もするってやつだ」
「そんなことが……」
「うちの領主様は子供だろうと働くところは働き、学ぶところは学ぶべきって考えだ。孤児院には専属の教師もついている」
驚いた。
ディレシアス国にも孤児院はあるけれど、それはあくまで最低限のものであって教師など存在しない。そもそも平民の中でだって教わる機会を与えられない者だっている。
「それなりの頭とそれなりの働いた経験がありゃ、若い内から食いっぱぐれることもないって考えらしい。これが随分とうまく回ってる」
「だからここの使用人も日雇いを?」
「そう。方法を案じたんだから、実際に使ってみるべきってな。これがまたやってみると物凄く良い。子供らは働きモンだし素直だ。下手な人間雇うよりずっと良いんだ」
時々青年のように日雇いで訪れる使用人はいた。その誰もが皆、とても良い働きをしていたことを思いだす。
「嬉しい誤算だが孤児院に子供の数が減ってきて、むしろ普通の子供にも同じようにして欲しい、なんて声が上がってやがるんだからなぁ」
「趣旨が変わっちゃいますね」
「そう。元々この地も孤児や貧民が多く差別もあったんだが、ここ十年で見方まで変わってきた。有難いんだが現金ってやつだなぁ」
私は青年を見つめながらローズ公爵の事を考えた。
生前は、ローズマリー以外の何者にも関心を持つことがなかった小さな少年が、幼い子供達の未来を考えたりこの領土を良い方向に動かしているのだ。
それは何て素敵なことなんだろう。
「さあ、マリー。そろそろ休憩も終わりだろう? 手伝ってくれるか?」
「はい!」
私はお椀に残っていたスープを一気に飲んでから立ち上がった。
その日の夜。
満月が夜空に眩しく輝く頃。
ローズ領に一台の馬車が到着した。
レイナルド・ローズ公爵の帰還だ。