ローズ領の侍女1日目
「マリー・エディグマと申します。本日からよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げた先にいるのは、たった三人の使用人の方々だった。
執事として屋敷を取り仕切っていらっしゃるリーバー様。
食事を取り仕切る料理長のダンガスさん。
最後に、同じ侍女のモルディさん。
そう。
この、たった三人しかこの場にいない。
「よろしくお願いします」
「よろしくな」
「さあ、仕事の流れを説明しますよ」
三人は快く私を迎え入れ、笑顔を向けてくれたけれど。
私の頭の中はグルグルと疑問ばかりが浮かんでいる。
どうして三人しかいないの!?
ローズ領は北部を治めていた方がいたものの、十年前の北部略奪の際に大きく打撃を受けて、一族が北部を治める能力を失ったため、レイナルド……ローズ公爵が治める形になっている。
本来であればローズ公爵は謀反を企てた家臣であるユベール侯爵の子息のため、そんな采配を与えられることなんてあり得ないのだけれども、十年前から群を抜いて国政の改変や金策の案を出して成果を出していた上に、北部の戦を勝利に導いたことからユベールの名を捨てて公爵という爵位を与えられたと言われている。
それから十年の間にローズ領を治めてはいるものの、ローズ公爵がローズ領に滞在される時間はほとんど無いらしい。
「しかも来客が来ることも少なくてね。下手に使用人を多くするとかえって手が掛かるから最低限の人数で回しているんだよ」
説明して下さったのは執事のリーバー様だ。
リーバー様のことは、実はローズマリーだった頃の記憶から覚えている。
(リーバー様のお兄様が確かユベール侯爵……以前の父の執事だった方よね)
ローズマリーとして覚えている限り、現在のリーバーもユベール領に仕えていたはずだけれども、それがどうして今になってローズ公爵と一緒にいるのかは分からない。
ただ、二十年以上前に顔を合わせて以来だった彼は、すっかり白髪混じりの灰色の髪をオールバックに整えた品格のある執事の様相だった。
歳は既に五十をゆうに越えたあたりだろうか。
「侍女の姿はほとんどいないが、使用人として小間使いが交代制で入っているよ」
「小間使いですか」
「そう。滅多にない来客がある時とかは台所の下働きが必要になったりとか、庭園の大掛かりな手入れが必要な時とかはローズ領下にある街で人を雇うことにしている」
「……失礼ながら盗難とかは」
街の治安を見る限り、そこまで貧困が大きいわけではないけれど大きな屋敷で仕う人間は必ず面接や紹介状がないと本来は通えないものだったりする。
そのため、各領主の屋敷には準男爵やナイト、商人として名の知れた家の息女が通うことが多いと思っていた。
リーバー様は穏やかに微笑んだ。
「屋敷の物が一品でも盗まれるようであれば、我々が気付かないわけがないのでね」
穏やかに見えるけど、何だかとても怖い雰囲気で応えられた。
(やっぱり私、盗難容疑でここに連れてこられたんじゃ……)
図書館でのやりとりに目をつけられたんだ。
そんな考えに至り、どうにか信用してもらわなければいけないらしい。
「私、精一杯働かせて頂きます!」
「いやぁ……マリー嬢は元気だねぇ」
盗人と思われたままなんて嫌なので。
心の中で答えつつ、私は引き続きリーバー様の側で仕事の内容や屋敷の案内をして頂いた。
「ふう…………」
ひと通り案内されて、それから手探りで仕事を始めた今日が終わる。
古いお屋敷は古城とも言われる城の形をしていたため、造りがとても凝っている上に複雑だった。
普段使っていない部屋は鍵が掛かって入室できないようになっているので、実際に掃除をするような場所は少ない。
けれど入り組んだ建物の中を歩き回ったりしていると知らない間に疲れは溜まっていたようで。
私は与えられた小さな使用人部屋のベッドの上に倒れ込んでいた。
侍女服を脱ぐのも忘れて枕に蹲る。
この建物には本当に人が少なかった。
リーバー様の仰る通り必要な人出が出来た場合は日雇いしているらしく、問題がなければ最低限の人数で行っていることは確かだった。
そのことで私は気掛かりがある。
(王宮から異動したという侍女は何処に行ったの?)
聞く限りそこまで以前の話では無いと思っていたし、ローズ領に行けば会えると思っていたが、侍女の姿は全く見当たらなかった。
(だとしたらみんな辞めて別のところに行ったのかしら)
今はそこまで肌寒さを覚えないけれど季節によっては大雪が降る山岳地帯にあるローズ領。王都に比べれば今も肌寒さと空気の乾燥を感じることもある。
更に、街の人達の雰囲気も違ったりはする。
言葉自体は共通言語だけれども、隣国に近いためなのか、異国の人の姿を見かけることもある。
(お休みを頂けたら……もっと街を見てみたいな……)
お父様が大好きな香辛料が売っているかもしれない。
ああ、ニキにも手紙を書きたい。
けれどそれよりも……疲れた……
瞼が重たくて。
私はそのまま目を閉じてしまった。
だから私は扉を叩く音にも気付かない。
『マリー?』
侍女頭でもあり、貫禄ある女性でもあるモルディさんの声を私は夢の中で聞いていた。
『……眠ったの………でしょうね?』
『食事…………が……いいか?』
これはダンガスさん。
そういえば私……ご飯を食べてなかった。
そしてそのまま、夢の世界へと旅立った。
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「さて、初日を終えたが……何か報告することは?」
ウイスキーをグラスに注ぎながらリーバーが二人に問う。
注がれたウイスキーを許可なくダンガスが奪った。
これはいつものことだった。
「問題ない。緊張していたが至って普通だ」
「そうねえ。いい子だわ。今のところは」
酒を嗜まないモルディは自分で用意した紅茶を丁寧に注いでから口に含む。彼女の手にはダンガスが作ったクッキーがあった。
「そうですか……それでは引き続き何かあれば報告を」
リーバーがもう一つのグラスにウイスキーを注ぎながら穏やかに微笑んだ。
毎日の報告会。
新しい者が訪れる度に行われる定期会議。
レイナルドという君主より承った人物は、大体にして黒が多い。
何か悪意を出さないか。
誰の遣いで動く駒なのか。
それを見定めるための定期会議。
これも彼らにとって、いつものことだった。