(間話)公爵は駒の持ち主を探したい
慌てた様子で図書館を飛び出した侍女の後ろ姿を眺めていたレイナルドは白い革手袋を自身の顎に乗せ考え始めた。
(間者にしては気の抜けた雰囲気だな)
人の通りが少ない場所を狙ったように立っていた侍女を見かけたレイナルドは、相手の様子を窺うために敢えて声を掛けてみた。
随分と慌てた様子で頭を下げてきた女性だったが、何故かふと時が止まったかのように動かなくなった瞬間があった。
レイナルドと目が合った時だ。
(向こうは私だと分かり動揺したと見るべきか)
だとすれば、随分と荒削りな間者だと思った。
レイナルドが王城内で主軸とする家臣の一人になってから何度か間者を内々に捕らえること機会はあった。大体は王妃の犬だったり、レイナルド自身を快く思わない貴族の誰かだったりする。
今回の婚約者候補として侍女を呼び出す際にはリストを徹底して作り上げたものの、やはり一部の者から口沿いが合ってレイナルドが監視していない令嬢も中には含まれていた。
ただ、侍女の名前にレイナルドは聞き覚えがあった。
(西部の男爵家から連れてきた筈だが……傘下にでも下ったのか?)
無害と思っていた対象者がパッと出てきたことによりレイナルドは考案する。
「様子を見るか」
何時ものように試してみれば良い。
完結に至った後、気持ちを切り替えレイナルドは顔を上げた。
先程しまった騎士の絵本。
姉の好んだ絵本に、よく手紙を挟んでいた幼い頃を思い出す。
ほんの僅かに口角を上げてからレイナルドはその場を去った。
図書館に訪れた本来の目的である来訪者はもう間も無く訪れる筈だ。
(あと少しだ)
復讐まであと少し。
どうか待っていてください。
まだ幼い子供だった自身が図書館で手紙を待ちわびていた日々は、とうに失われていた。
間謀との打ち合わせを終えたレイナルドは自室に戻ってから便箋を取り出した。
デザインは何一つないシンプルな便箋にスラスラと文を認める。
宛先はローズ領を任せている筆頭執事のリーバーへ。
内容は幾ばくか暗号のようなやり取りにも見せつつ書き終える。
封をしてから、今度は白紙の書面に文字を書き始める。
簡潔な指示書を作成する時、レイナルドは予め用意された書状の雛形を使わず自ら書き記すため、定型文は既に頭に入っている。
内容は簡潔だ。
マリー・エディグマ男爵令嬢。
彼女を、ローズ領侍女に異動させたいという願い届である。
実際のところは願いどころか指示書として使われる。
何故なら最終決定権をレイナルドが現在担っているためである。
王宮侍女の管轄はレイナルドが一任している現在、一人の侍女をローズ領に異動させることは容易い。
だから、これは願い届にして、指示書だ。
文末に自身の署名をしてから呼び鈴を鳴らす。
現れた文官に書面を提出する。
あとは、迎え入れるために必要な準備をするだけだ。
予め手に入れていた王宮侍女に関する調査書を読んだが、そこまでマリーに怪しい様子はなかった。
ただ、頻繁に図書館に通っていることが分かった。
勤勉に勤めているようで周囲の反応は好ましい。それだけを見ていれば、このまま騒動が終えた後でも王宮侍女として雇うか、もしくは人手不足と訴えていた騎士団侍女という道もあっただろうが。
念には念を。
ほんの僅かに気になる行動を見落として計画を破綻させるわけにはいかない。
「どう反応を見せるかな」
さてはて。
彼女は一体誰の駒なのか。
ティア王妃かグレイ王か。
はたまた南部領を占めた一族の誰かか、西部地方の主力貴族か。
心当たりが多すぎる中、レイナルドは冷笑した。
その結果が、かつて愛した姉の生まれ変わりであることを。
レイナルドが知るのはもっと後の話。