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六話

「レオノーラ、あれからクリストフ様とはどう?」


 クリストフが王都から旅立って数日後、レオノーラは唐突に母に呼び出された。

 いつものようにサンルームへと向かうと、母はひどく落ち着かなさげなようすだった。


「どう、といいますと?」


 焼き菓子に手を延ばしかけたまま、首をかしげるレオノーラに母はわずかに顔をしかめる。


「まさか、あなた、またしても何もしてないわけじゃあないでしょうね」


 母の言うことは予想通りだった。

 大方、レオノーラが何もせずうすらぼんやりとでもしていると思ったのだろう。だが


「いいえ。お母さまの言いつけ通りに先日、お手紙を出しました」


 内容は前のような突拍子のないものではない。

 家庭教師にもチェックをしてもらい合格点をいただける立派なものだ。

 これならば手紙を配達するものがうっかり落としたとしても何の問題もないだろう。

 ふふん、と自慢げに笑う娘に対し、母はほっとするどころかますます顔をしかめた。


「……まさか手紙だけというわけではないでしょうね?」

「え?」


 レオノーラは目をしばたかせる。


「手紙だけですけど?」


 しれっと返す娘に、母はやけに芝居がかった様子で大きなため息を一つ、落とした。


「なんということ……! クリストフ様はお仕事で、過酷でつらいといわれる、辺境地に行かれているというのに」

「……過酷」


 確かに、クリストフが辺境に行くと決まった時はレオノーラも同じように思った。

 だが、あれからレオノーラも自分なりに調べてわかったことがある。

 辺境といってもそこには砦があり、そしてそれを支える街があるということ。

 そこには大勢の人が暮らしていること。

 もちろん、に王都に比べれば地方の、それも国境の街は辺鄙では不便なことも多いだろう。だが、レオノーラの領地だって似たり寄ったりだ。

 前世に比べれば王都ですら不便といえるだろうが、過酷というまでではない。もちろん、騎士の仕事がどれほどのものかレオノーラにはわからない。

 だが、罪人ではなくあくまで彼は騎士見習いであり、いずれは王子の右腕にもなる人だ。

 ひどい扱いは受けていないと聞いたのだが。


「お母さま、一体、どうしたのですか?」

「どうもこうもないわよ」


 母はいら立ちを隠そうともせず、目を伏せたままため息を落とす。

 聞けば、先日招待された茶会でいろいろと不穏な噂を耳にしたという。


「レオノーラ、貴女、アルガン伯のご令嬢が婚約したのは知っているわよね?」


 アルガン伯という言葉で、レオノーラはああ、とうなずく。

 アルガン伯爵夫人はレオノーラの母の友人であり、よく行き来をしている仲だ。先日も母は伯爵夫人の茶会に呼ばれていたはずだ。


「ええっと、確か、エレーヌ様でしたっけ?」

「そうよ」


 レオノーラは母の向かいの椅子に腰を下ろし、小さくうなずいた。

 アルガン伯はゲームの中にはかけらほども出てこないものの、この国の貴族の一人だ。手堅い領主経営をしている旧家で、伯爵夫人はレオノーラの母の古い友人だ。

 レオノーラの家と同じく、子は娘であるエレーヌ嬢が一人。

 その彼女がレオノーラに先駆けて婚約したのは今から一年ほど前。そのせいでずいぶん長いこと母の機嫌がわるかったのをレオノーラは思い出した。

 だが、レオノーラとエレーヌではそもそもスタートラインが違っていた。

 エレーヌ嬢はレオノーラよりも二つほど年が上で、夜会にもすでにデビューをしており、白い大輪の花のように美しい娘だった。


「相手の方はええと、確か……」

「……ノルン伯のご子息よ」


 刺々しい母の物言いに、レオノーラはわずかに眉をひそめる。

 ノルン伯のご子息といえばクリストフほどではないものの、年ごろの娘たちの間では何度か話題にのぼったことがある人物だ。

 眉目秀麗、とまではいかないものの、落ち着いた物腰とやわらかな態度が女性に評判が良い。父であるノルン伯も堅実な領地経営で親世代にもなかなかの人気で、アルガン伯が早々に目をつけていなければ、クリストフと人気を二分していただろう。

 いや、娘たちの人気だけではなく、母親世代にもそれなりに人気があったはず。

 それが、一体どういう風の吹き回しだ。

 母の口ぶりだと、まるでひどい悪党のような言い回しではないか。


「お母さま? ノルン伯がどうかしたのですか? あ、もしかして早々にご結婚とか?」


 母としてはすでに相手がいるアルガン伯爵夫人にはうっすらとライバル意識があったのだろう。もしかしたら自慢の一つでもされたのだろうか。

 婚約して一年ならば、そういう話が出てもおかしくない頃合いだろう。

 恐る恐る尋ねるレオノーラに、母の表情は険しい顔を浮かべる。


「まあ、順調にいけばそうなっていたでしょうね」

「……順調にいけば? え? それって」


 母は目を伏せ、息を吐いた。


「婚約は取りやめになったそうよ」

「婚約を取りやめたんですか? どうして」


 レオノーラたちのような娘の婚約は、市井の人々が交わす曖昧な約束とはわけが違う。

 それは家同士、引いては彼がおさめる領地と領地の間で交わされる契約の一つだ。ただ娘が嫁に行く、息子が婿に来るというだけの話ではない。

 そのため、例え婚約後に醜聞が発覚したとしてもよほどのことがなければ、結婚は遂行されるのが常だ。

 それのなのに。唖然とするレオノーラを横目に、母は憤慨したように鼻を鳴らした。


「どうもこうもありませんよ。ノルン伯の方は何を考えていらっしゃるのかわかりませんわ。なにしろ、ノルン伯のご子息は婚約者を捨てて、こともあろうにぽっとの出のミルボー男爵の令嬢を選んだそうよ」

「え……」


 婚約というものは子供約束とは違う。いやになったからやめればいいというものではない。いや、破る方はそれでもいいが、破られる方はたまったものではない。

 そもそも相手は年端もいかない少女なのだ。

 それをわからないノルン伯ではないだろうに。

 唖然とするレオノーラの横で、母は眉をひそめ、大げさにかぶりを振る。


「まったく、ノルン伯にはがっかりしたわ。あの方は実に真っ当な考えの方だとばかりおもっていたのに、息子の気持ちなんてことをいいだすなんてねぇ」

「……はあ」


 頷きかけ、レオノーラははた、と止まる。


「え? 息子の気持ち? え?? どういうことですの」

「どういうこともこういうこともないわよ」


 母はむっつりとしたまま、すっかり冷めきった茶が入ったカップを手に取った。


「あのバカ息子が婚約者のアルガン伯のご令嬢ではなく、新興貴族の男爵家の娘が良いといいだしたのよ。なんでも運命だとかくだらないことをいっているらしいわね」


 茶を一口すすり、母は鼻で笑う。

 つい最近までノルン伯の息子を手ばしに誉めていたのに、すでに敬称ではなくバカ呼ばわりだ。


「まったく、愛だの気持ちだの言いだすなんて、ノルン伯も愚かなことをしたわね」

「お、お母さま? あの、何を……」


 ぎょとするレオノーラに、母はちらりと視線をやる。


「そもそも、婚約というのは約束の一つなのよ。それを軽々しく反故にしてしまえるノルン伯を私たちは今度信用することはできないわ。彼は、約束を守れない方だと自ら宣言しているようなものじゃないの」


 母は再び鼻を鳴らす。


「これで、ノルン伯への信頼は失墜したわね。当のアルガン伯だけではなく、真っ当な考え方をされる方はもう二度と彼を信頼することはないでしょうね。まあ、あちらとしては、わたくしたちとの付き合いなどよりも、息子の気持ちと金で爵位を買ったどこの馬の骨かもわからない輩との付き合いを優先したのよ」


 そういって、母はレオノーラをじっと見つめる。


「もちろん、クリストフ様があのような愚か者と一緒とは思わないわ。けれどもね、レオノーラ。人の心というものは時としてうつろいやすく、そして間違いを犯すものなの」

「は、はあ……」


 母の勢いは止まらない。思わずうなずくレオノーラに、母はさらに言葉をつづけた。


「それを防ぐためにものんきに構えるようなことはせず、贈り物をするなり努力しなくてはならないわ。婚約したとはいえ、今の若い方はくだらないことに気を取られがちですからね」


 そういうと母の話は別の話題。昨今の王都での交友関係へと移っていった。

 レオノーラは母の話を上の空で聞きながら、先ほどのノルン伯の話を思い出していた。

 母の意見はこの世界において特別珍しいものではない。

 領地という財産を持ち、それを後世につたえていかねばならない以上、互いに協力しあうのはある意味、自衛の一つであり、レオノーラだってわかっているつもりだった。

 だからこそ、クリストフとの婚約に否やをつけなかったわけだ。

 もちろん、その中に多大に自分の欲望やあわよくば、というのがあったのは否定できない。

 それでも、レオノーラは母の考えを否定しなかった。

 だが、同時に違和感も覚えていた。それはきっと前世を思い出したせいだ。

 いや、前世というよりも乙女ゲームという存在を思い出したせい、といえばいいだろうか。

 乙女ゲームの中での政略結婚は特殊シチュでもないかぎり、ヒロインにとっては障害以外なんでもない。ヒロインや攻略対象にとって、恋愛とは厳格な家同士の約束事ではなく、お互いを思いあう感情の産物だ。

 実際、ミルボー男爵は噂によれば、つい最近。といっても十数年前だが、爵位を手に入れたいわゆる新興貴族と呼ばれる人たちだ。

 元々は商家だったらしく、羽振りはとてもいい。

 その娘である男爵令嬢もまた、たいそうかわいらしく夜会では流行りのドレスを常に纏っているという噂だ。明るく快活でものおじしない。

 彼女の感覚はレオノーラの母が持つものとは違い、おそらく乙女ゲームの感覚に近いのだろう。好きだから一緒にいる。結婚する。それ以上のものではないのだろう。

 しかし、母たちのような考えの人からすれば、それは許せるという次元ではない。

 たいして歴史があるわけでもない。周囲のと協力するわけでもない新参者に、脈々と受け継がれている暗黙の約束事を踏みにじられたのだ。

 アルガン伯としてはこれ以上の侮辱はないだろう。

 おそらく、アルガン伯は己の矜持をかけて、ノルン伯とそしてミルボー男爵を追い詰めていくだろう。

 実際、母はすでにノルン伯を見限った。

 おそらく今後、明確に社交界でノルン伯の締め出しが行われるだろう。

 ああいったところは、ただのおしゃべりの場ではない。政治的な根回しなどが行われる重要な場所であり、そこを締め出されるということは彼にとっては貴族生命の断絶を意味する。

 ゲームの中でもヒロインであるクララと、攻略対象が悩むというシーンもあるぐらいだ。

 気持ちにうそはつけない。だが、背負うものを放り投げるようなこともできない。

 そのことが、今のレオノーラには痛いほどわかった。

 だが、それと同時に婚約相手のことも気になった。

 婚約という絶対的な契約を反故にされたという事実は、彼女に重くのしかかることだろう。それはこの世界においてもっとも重い裏切りにも近い。

 だからこそゲームでのクリストフも婚約者がいることが枷となり、ヒロインとは結ばれなかったぐらいだ。


「……このままだとまずいわ」

「え?」


 話の途中で水を差された母が眉を顰める。


「何がまずいの?」

「え? ああ、いえ。あの、良い贈り物を思いつかないなぁ……と」

「まあ」


 母は眉を顰める。


「あなた、何も考えつかないの?」

「え、ええ……、まあ」


 正直なところ前回の手紙の一件があり、レオノーラとしては出来るだけ目立つことは避けたいと思っていたのだが。

 もごもごと口ごもるレオノーラに、母は大仰にため息を落とした。


「なんでもあるでしょう! 絵とか、詩とか」

「……絵」


 残念ながら前世でも今世でもレオノーラには絵心もなければ、文才もなかった。

 あるのは気持ちの悪い手紙ぐらいなものだが。それをもう一度書く勇気はさすがに、レオノーラにはなかった。

 だが、何もしないという雰囲気でもない。

 進退窮まったとばかりにレオノーラが顔をしかめたその時だ。


「そうだわ!」


 母はいいことを思いついたとばかりに手をたたき、ぱっと顔を綻ばせる。


「最近ではお守りかわりに刺繍入りのハンカチを贈るのがはやっていると聞いたわ!」

「し、刺しゅう?」


 レオノーラの顔がひきつる。しかし、母はそれにまるで気が付く様子はない。


「そうよ! 名前とモチーフになるような図柄を入れるが流行りと聞いたわ。あなた、刺しゅうは習っているわよね?」

「え、ええ、まあ……習っているといえば、習っていますけど……」


 そういいながら、レオノーラは視線をうろつかせる。


「なら、それになさい」

「え?」

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