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四話

「本当のこと言ってしまえば、私を好きになってもらえたらいいのでしょうけれども……」


 レオノーラは決してできた子ではない。

 良くもあれば、ズルい考えだってする。

 今回の婚約だって、勝ち目があればあわよくばとも考えたりする、所謂俗物だ。

 だが、相手は乙女ゲームのヒロインだ。

 前世、乙女ゲームが趣味だったレオノーラにはその無敵さが嫌というほどわかる。

 何しろ、どんな属性キャラをも落とせるほどの魅力を持っているのだ。そんな彼女に太刀打ちなど、できるわけがない。

 下手をしたら、自分が嫌なヤツになるだけだ。

 そんなことをして推しに嫌われるほうが百倍嫌だった。

 ならば、せめてクリストフだけでも幸せになってくれたらいいと思ったのだ。


「それに、私にだっていい人が現れないとも限らないしね」


 クリストフ以上の人がいるとも思えないが。

 レオノーラははは、と乾いた笑いをこぼし、しおしおとうなだれた。と、その時だ。


「お嬢様」


 ドア越しに声をかけてきたのは、レオノーラの母についている侍女だ。

 怪訝そうに扉を振り返ったレオノーラに、彼女は母が読んでいると告げた。


「……えー、今から?」

「お嬢様」


 不満げなレオノーラに、年嵩の侍女は軽く窘める。

 しぶしぶうなずいたレオノーラは侍女に言われるがまま、階下へと向かう。

 向かった先は庭に面したサンルームだ。そこでレオノーラの母は、お気に入りの茶器で茶を淹れていた。


「参りました、お母さま」


 軽く膝を折るように頭を下げる娘を母はちらりと一瞥し、自分の向かいに座るように促した。


「……それで、クリストフ様とはその後、どうなっているの?」

「え?」


 母が淹れた茶の入ったカップに手を延ばしかけたレオノーラは、突然の問いに目を丸くする。


「どう、とは?」


 首をかしげるレオノーラに、母はわずかに眉を顰める。


「手紙に決まっているでしょう? あれから返事はすぐに出したのでしょうね」

「返事……」


 口ごもるレオノーラに、母は小さくため息を落とす。


「レオノーラ。いくら婚約したからといって、すべてあちら任せというのもいけません。クリストフ様は今はまだ騎士見習いですが、ヴィクトール殿下の幼なじみともあって将来は殿下の右腕にもなられるかたですのよ」

「……ヴィクトール、殿下?」


 聞き覚えのない名前。思わず首をかしげるレオノーラに、母は信じられないというように視線を上にあげる。


「レオノーラ、あなた、殿下のお名前も知らないの? ヴィクトール殿下といえば第二王子ではないの。家庭教師から一体何を教わっているの!」

「あ……あの」


 視線をうろつかせながら、レオノーラは心の中でヴィクトールとつぶやく。

 その名前を聞いた瞬間、かけていた記憶のピースが一つ埋まるような感覚に陥った。

 ヴィクトール。

 脳裏によみがえる鋭いまなざしの大柄な男。華奢な少女を抱きしめる、マントをひるがえし大振りの剣を構える姿。

 これほどまでに鮮明によみがえる記憶からして、おそらく彼は攻略対象の一人。それも立ち位置からしてメインキャラの一人だろう。

 ふいに記憶の中にうすぼんやりしていたゲームパッケージが、まるで霧が晴れたようにくっきりと脳裏によみがえってきた。

 なるほど、とつぶやく彼女を、母は胡乱気に見つめる。


「……レオノーラ? どうかしたの?」

「え? いいえ。なんでも」


 慌てて首をふるレオノーラに、母は軽く咳払いをする。


「それで、レオノーラ。クリストフ様に、いただいたお手紙の返事をすぐに出したのでしょうね?」

「返事ですか? いいえ」


 あっさりと首をふるレオノーラに、母はぎょっと目をむく。


「なぜ、書かないの?」

「え?」


 レオノーラはぽかんとする。

 クリストフと会ったのはあの一度きり。婚約してからはまだあっていない。来たのは手紙が一通だけ。たったそれっぽっちだというのに、何を書けというのだろうか。

 もごもごと口ごもるレオノーラに、母は眉を顰める。


「一体何をぐずぐずしているの?」

「だって……、何を書いたらいいのか」

「何をって」


 母はあきれたような顔をする。


「書くことなどいくらでもあるでしょう。あなた、あの時、クリストフ様に庭を案内してもらったのではなくて? その時の話とかはどうしたの」

「庭……」


 レオノーラは首をかしげる。

 正直な話をすれば、あの時案内された庭の光景はこれっぽっちも覚えていなかった。

 何しろあの時は記憶がよみがえった衝撃が強すぎて、のんびり庭を眺めるなんて余裕はこれっぽっちもなかったのだから。

 だが、それを言ったところで母が納得してくれそうもないことは目に見えていた。

 黙り込んだレオノーラに母は大仰にため息をついてみせた。


「とにかく、先日のお礼ぐらいきっちりとなさい。婚約したからといって安心することのないように! いいわね」


 有無をいわさぬ母の強い言葉に、レオノーラは慌ててうなずく。

 母がここまで強く言うのはそれなりの理由があることは、レオノーラにもわかっていた。 何しろレオノーラはとびぬけて美人というわけではない。能力だってさして目立つものがあるわけでもないし、家格だって一応貴族という名の特権階級ではあるものの、別段領地が大きいわけでも血統が素晴らしいわけでもない。

 つまるところ平凡なのだ。

 どこにでもいるような、所謂モブというやつだ。

 それにくらべてクリストフは違う。

 容姿にしても、能力にしても別格だ。

 おそらくレオノーラと婚約がダメになったとしても、すぐに次が見つかるだろう。

 何しろ彼の家は伯爵家で、彼には兄が二人いて、すでに跡継ぎは決まってる。三男であるクリストフは爵位こそ継ぐことはないものの、彼自身第二王子の側近で将来ば有望だ。

 レオノーラの家のように跡継ぎのいない家からしたら、まさに垂涎の物件であることには間違いない。

 大物を逃してなるものかと必死になる母の気持ちもわかる。

 素晴らしい条件を兼ね備えた彼を婿に取れば、我が家の行く末は安泰だと信じて疑わないのだろう。しかし――レオノーラはふと思う。

 どれほど条件が良くても、レオノーラだけはこの先の未来を知ってしまっている。

 彼が愛するのはただ一人。生涯その思いを抱え生きていく彼の心の中には、一欠けらも自分の居場所がないことを。

――むなしいわね

 見返りのないことをやるのがこれほどまでにむなしいとは。

 それをやり続けたクリストフの気持ちを考えると、レオノーラの心がかすかにきしんだ。

 しかし、だからといって母の言いつけを守らず、手紙を書かなければクリストフとのことがダメになる前に、母から小言を言われる未来は確実だ。

 レオノーラはしぶしぶ、その晩、手紙をしたためた。

 最初は何を書いたらいいか、迷った。

 何しろ、前世で一番好きなキャラで何もかも知っているとはいえ、今世ではこの前が初対面だ。内容なんてあるわけがない……はずだった。

 だが、書き始めてしまえば、くすぶっていた情熱が筆先に伝わったのか、予定よりもほんの少し……いや、だいぶ長いものとなっていた。

 厚みのある便箋を封筒に押し込み、レオノーラは翌朝やってきた侍女に渡した。


「レヴィナス伯のご子息クリストフ様にお渡しして」

「かしこまりました」


 年嵩の侍女はレオノーラの手紙を受け取るとすぐに踵を返した。


――やればできるじゃないの


 母にせっつかれたというのもあるが、レオノーラはかき上げたことにとにかく満足をし

ていた。

 そもそも、政略結婚相手からの手紙などまともに読むはずがない。

 読んだところで、本人ではなく侍女や親が読んで終わりだろうと高をくくっていたのだ。

 だが、

 そう高をくくっていたレオノーラだが、この時、もっと冷静に考えるべきだったのだ。

 クリストフの人柄を。

 彼が政略とはいえ、婚約者となった相手から届いた手紙を粗略に扱う人だったかどうか、を。

 もしくは徹夜で書き上げたことに浮かれていないで、せめて一度ぐらいは読み返すべきだったのだ。


――夜中に書いた手紙は、翌朝もう一度見直すべし


 どこで読んだのか見たのかは思い出せないが、その言葉を痛いほど思い出すのは手紙を出した数日後のこと。

 手紙を受け取ったクリストフが突然屋敷にやってきたときのことだった。


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