二話
クリストフの人気が出たのはただ容姿が良いだけではない。
もちろん、女性向けゲームのキャラクターというだけあって容姿は当然整っている。だが、それだけで人気が出るほど今の世の中、安易なものではない。
なにしろ、乙女ゲームには当然のように容姿端麗なキャラクターが山のようにいる。
その中で彼が注目を浴びたのは、彼の立ち位置のせいだった。
そう、クリストフはゲームの中ではいわゆる「攻略対象」ではなかった。
「攻略対象」とは、ゲームの主人公が親密度をあげ恋愛関係に持ち込めるキャラクターのことを指す言葉だが、クリストフはそれとは違う。
彼はいわゆる「わき役」。それも「攻略対象」とライバル関係になる、俗にいう「当て馬」だったのだ。
しかし乙女ゲーム過渡期において、当て馬キャラなんてさほど珍しいものでもない。
それなのにどうして彼が特別目立ったのかというと、それは彼がただの当て馬ではなかったからだ。
大概、当て馬というものはキャラ毎に異なることが多い。
それ故に、あるルートでは目立つ存在だとしても、別のキャラのときは名前すら出てこないなんてことはざらだ。
だが、クリストフは別だ。
何しろ、彼はこのゲームにおけるすべての攻略対象者の当て馬だからだ。
それ故、攻略キャラよりも深い背景や細かい描写を持つようになり、わき役ながら主役より目立つという存在になってしまったのだ。
製作者がどのような理由でそんなことを思いついたかは定かではない。
そもそも最初からそういう目的でキャラ設定をしていたのか。はたまた行き当たりばったりだったのかすらもわからない。
とにかくクリストフはこのゲームにおいて、かなり特異な立ち位置だということには間違いない。
その特殊な立ち位置故に、彼のキャラクター性はとにかく高い。
ヒロインをどこまでも守り、そして愛する姿は攻略キャラに勝るとも劣らない。これほどまでにハイスペックであるなら、どうして彼を攻略できないのかという声が上がるのはある意味当然だった。
むしろ、隠れキャラではないかという噂まで上がったほど。
だが、公式がきっぱりと彼はわき役であり、攻略対象者ではないと明言したことで一時期、ネットは騒然となったものだ。
彼ほどのキャラがなぜ、攻略できないのか。
ユーザーの思いに比例するように、彼の人気もあがった。
もちろん、レオノーラだって同じだった。
決して報われることのない思いをかかえながら、ヒロインをひたすら守り愛する姿に、どれほど心が救われたかわからない。
そんな彼が目の前にいるのだ。
右手と右足が一緒に出ないように必死になりながら、レオノーラはクリストフのエスコートで彼の家の庭へと出る。
さんさんと降り注ぐ太陽の下。青々とした木々が美しく整えられたそこは、まさに一枚の絵のように美しい庭だった。
「……きれい」
とっさにこぼれでた言葉は、あまりにも平凡なものだった。
もっと素晴らしい言葉はいくらでもあるのに。はっとして振り返るレオノーラに、クリストフはふわりと微笑みを浮かべた。
「そう言っていただけると、母も喜びます」
「え?」
首をかしげるレオノーラに、クリストフがくすりと笑みをこぼす。
「母があなたにぜひこの自慢の庭を見ていただきたいと意気込んでいたものですから」
「え! そう、なんですか?」
予想外の言葉に目をしばたかせるレオノーラに、クリストフが笑いながらうなずく。
「ええ。特にあちらにある」
そういってクリストフが指した先に見えるのは、紅色の花でつくられたアーチと、その向こうにある青銅製の東屋だった。
「あのアーチと東屋は母が嫁ぐ際に腕利きの職人にわざわざ作らせたものだそうですよ」
「そうなんですか……」
確かに、自慢するにふさわしい品であることは、遠目からもはっきりとわかる。
レオノーラの家にも庭はあるが、両親ともさほど思い入れがないせいか取り立ててこれ、というものはない。きれいなことはきれいだが、ただそれだけだ。
クリストフの家の庭とはまるで違う。
一つ一つに愛情というか、心がこめられているのがわかる。
なるほど、とうなずいていると、クリストフがあずまやへとレオノーラを誘った。
東屋は生垣をぐるりと回った先にある。
ゆるやかに歩くその間、レオノーラはどうしてもクリストフを見るのをやめることができなかった。
それは、ある意味当然だった。
何しろ、前世では彼と自分との間には決定的な壁があったからだ。
それは比喩でもなんでもない。
物理的な壁。物理的な壁。液晶画面という壁だ。
触りたくてもその壁があるせいで触ることはもちろん、体温すら感じることができない。
触れた先に感じるのは冷たく硬い感触だけ。
だが、今は違う。
組んだ腕から感じる彼のぬくもり。
小さく笑うその声にすら体温を感じた。
そのことにレオノーラはいちいち感動していた。
だが、やはりというか。レオノーラの挙動は明らかにおかしいものだったのだろう。
クリストフがとうとうこらえきれないといったように笑い出した。
「気になりますか?」
「え? あ、いえ、いえじゃなくてあの!」
慌てるレオノーラの手をひき、クリストフは東屋のベンチに座らせた。
青銅製の堅いベンチ。レオノーラが座るの待ってから、クリストフはその向かいに腰を下ろした。
真正面に座られたレオノーラは落ち着かない。
ウロウロと視線をさまよわせる彼女に、クリストフがまたしても笑う。
「どうやら僕の顔になにかついているようだな。どこかな? 顎? それとも額?」
「い、いえ!」
ぶんぶんとかぶりをふるレオノーラを、クリストフがのぞき込む。
その美しい青い瞳に見つめられたレオノーラは、ふと思う。
どうしてこんなに素敵な彼が当て馬だけで終わってしまうのか。ヒロインは誰よりも長く彼と一緒にいたはず。それなのに、何も感じなかったのだろうか、と。
まじまじと見つめられ、耐え切れなくなったレオノーラは視線を足元に落とす。
と、上から彼の笑い声が聞こえた。その優しい笑い声を聴きながら、ふいにレオノーラの脳裏に、別の記憶がよみがえった。
――……僕には婚約者がいる。だが、互いに愛はない。ただの政略結婚だ。
そういえば、とレオノーラはゆっくりと視線をあげる。
どうして自分がヒロインだと思っていたのだろう。
ゲームの世界だからと、ふわふわしていたレオノーラの気持ちが一瞬にして冷え込む。
あのゲームでのヒロインは、貴族でもなんでもない。ただの平凡な娘だった。
そのヒロインをクリストフは一途に思い続けるのだ。
その彼にいは確か、婚約者がいたはずだ。家同士が決めた、所謂政略結婚の相手だ。
クリストフが最後の最後で身を引くのはヒロインを思ってのことだけではなく、この婚約者という存在も大きかった。その婚約者というのが
「……あ!」
「え?」
思わず声をあげたレオノーラに、クリストフが驚いたような顔をする。
「どうかした?」
「え? あ、いえいえ、なんでもないです」
ほほ、と笑いながら、レオノーラは内心冷や汗がとまらなかった。
この記憶が正しいものならば、その嫌々結婚する相手というのがレオノーラではないだろうか。
そう考えた瞬間、レオノーラは何かがすとんと心の中に降りた気がした。
――ああ、そうか
どうして自分がこの世界に生まれてきたのか。
どうしてゲームではたった一言しか出てこない。立ち絵すらないキャラクターになったのかわかった。
――私は、彼を幸せにしたかったんだ
レオノーラは前世でクリストフに何度も助けられた。
といっても、物理的なものではない。
つらい時。例えば恋人に振られたとき。仕事でうまくいかなかったとき。くじけそうな時、いつもクリストフを思い出した。
報われない思いを抱える彼の言葉を、レオノーラは主人公に自分を重ねいつも思い出していた。彼の一言一言に、レオノーラは救われていた。
だからこそ、彼には幸せになってほしかった。
だってそうだろう。
彼はひたすらに主人公を思う。だが、その思いが報われることは一度としてなかったのだ。せめて一度ぐらい、幸せになっても罰はあたらないはずだ。
レオノーラはぱっと顔をあげ、クリストフを見つめる。
「……レオノーラ?」
「あの!」
レオノーラは思わず手を延ばし、彼の手をつかむ。
「私、クリストフ様の力になりたいです!」