甘さが身を亡ぼすとは限らない
ここから早く、一刻も早く逃げ出したかった。早く、外の世界に、自分を勇者と知っている人から、自分が勇者としてどのように戦てっているのか知っている人から逃げ出したかった。
魔道兵士として戦っていた時に、一緒に戦っていた仲間だった人達から向けられる、気持ち悪い視線が嫌だった。
『死にたくないからお前が戦ってくれ』
そんな黒い期待を向けてくる視線が気持ち悪かった。
研究所で、科学者共が自分を人ではなく、研究対象として無機質な視線でみてくるのが気持ち悪かった。
悠の記憶には、普通に誰かと会話した記憶は極わずか。特に思春期に近づき、能力が開花してきた段階では、ほとんど軍人しての作戦内容や研究に対する内容で占められていた。
勇者になり、戦いの日々なった後は、戦いについての作戦会議や報告のみが、悠にとっての人とのコミュニケーションといっても過言ではなかった。
悠は、そういった無機質な会話のほとんどを覚えていない。それよりも自分を見る、周りの目が記憶に残っていた。
(いつからだろうな。軍施設の中で過ごすよりも、戦っている時の方が楽になったのは。……いつからだろうな。誰かと一緒に戦うよりも、1人で魔物達と戦った方が楽になったのは)
勇者として、1人で戦うようになった時、最初は孤独が辛ったような気がする。だが、思い返せば、そのような期間は短かったような気がする。
悠にとっては、戦場で向けられる周りからの視線や、期待の方が辛かった。勇者と知る人達から向けられる視線や期待、そして時折向けられる化け物を見る目が辛かった。
だから、戦った。
そんな日々から解放されるために。
※
「夢……か」
過去の夢。暗闇の空間に来てから、思い返すことはあっても、夢として見ることは無かった。というよりも、眠りについた後に夢を見ていた記憶は一切ない。忘れているだけの可能性もあるが、今回のように目覚めた後も覚えていたことはなかった。
もしかしたら、肉体が回復している証なのかもしれないと、悠はぼんやりと考える。
「さて……と。どれだけ、回復したかというと――」
ゆっくりと体全体に意識を向けて、動かそうとする。
「指が…動く!? それに、足の感覚も、つま先の感覚も!?」
暗闇の中にいることは変わらず、視認することはできない悠だが、5体満足の感覚があることに、驚きの声をあげる。
自分の体が復活していることに感動をしながら、暗闇の中で体をくねくねと動かし続けた。
そして、ひとしきり体を動かし終わり、終わったところで、次の問題に向き合う。
「体は復活しているみたいだけど……結局ここはどこなんだ。未だに宙を浮いているみたいだし。たぶん、隔離されている空間にいるんだろうけど」
前回の眠りの前の達した答えだった。
暗闇の空間、周りの気配なし、地に足がつかない場所……そして、回復していく肉体となると、こっそりと自分を回復させているのではないかと悠は思ったのだ。
問題なのは、悠のために行動しているのか、それとも悪意を持って回復させているのか分からないことだ。
(前者なら嬉しいけど、自分を更に酷使させるためだったり、研究のためだったりしたら……最悪だな。まあ、後者ならどうにかしよう)
生きていることには変わりなく、生きていればチャンスはある。それに、回復してくれている相手の善・悪を考えるのは後でいいだろう。
どちらにしても、生きたいなら、とりあえずこのまま自分を回復している相手に今は身を委ねるしかないのだから。
そんなことを考えていると、唐突に悠の真正面から目ら眩む赤い光が発生する。
「な、なんだ!? ま、眩しッツ!!」
ずっと暗闇の中にいたことから、突然の眩しい光で目を開くことができない。
悠は、手を目の前にかざして、なんとか突然赤く光だした箇所に何があるのか見ようとするが、眩しすぎて自分の手の甲の影がなんとか見えるだけだった。
(手……やっぱりあるんだな。それにしも、この光はいったいなんだ)
少しずつ光が収まり始め、そのことに気づいた悠は、とりあえず光収まるのを待つことにした。
そして、徐々に光が収まり、収束したのを見計らって、手をどけてみると、悠の目の前には美しい深紅色のクリスタルが浮かんでいた。
「これは……もしかして!?」
悠は、目の前の真紅のクリスタルに見覚えがあった。
「アビスコア……なのか? いや、なんだが違うような。それに、何でこんなものが目の前に」
アビスコア。
人間の憎悪を吸収する性質をもったクリスタル。地球に生み出される憎悪の終着点となる場所。
それがアビスコアであり、悠が戦った魔王を生み出すことになった原因でもあった。
だが悠が魔王と戦った時に見たアビスコアは、目の前に浮かぶような綺麗な純粋な赤色ではなく、ドス黒い血色のクリスタルだったからだ。そして、クリスタルの中心は底知らない闇が存在していた。
目の前のクリスタルは、そのような黒く濁った色はなく、純粋な美しい真紅なクリスタルであった。
「そもそも、アビスコアは俺が破壊したはず。はず……だよな? いや――」
『破壊できていなかったってことだよ。君は最後の最後で、僕を助けたいという気持ちから、攻撃ではなく、浄化の作用に対して力を割き過ぎたんだよ』
「この声は……魔王なのか!?」
『魔王って呼ぶのは止めて欲しいけど、その通りだよ』
「まだ、アビスコアに捕らわれ続けているって言うのか!?」
『僕だと分かって最初にする質問が、僕の身を案じる質問か。全く君という奴は……他に聞くことや心配することが沢山あるだろうに。例えば、今の自分の状態とかね』
「いや、それも大切だけど、俺からしたら魔王……いや、昴が大丈夫なのかどうかが大切だぞ。それに、俺を助けてくれたのは……昴だろう? だったら、お前を心配して何が間違っているんだ?」
魔王。本来の名は、天木昴という女性。そして、アビスコアの贄にされた人物だ。
悠が昴と戦った時は、昴は人の形をしておらず、絶え間なく行動を続ける黒と赤が混ざるグロテスクな心臓のような状態だった。
そして、戦う中で悠の浄化の力の作用で、自我をわずかながら取り戻していき、彼女の心の声に触れ――悠は、真実を知った。
魔王に、昴に罪がないことを。
魔物という存在の正体と生み出される理由を。
それでも悠は、倒す決断をした。したはずだったが、魔王の原因となったアビスコアは未だに健在であり、昴の意識があるということは、アビスコアの呪縛から解放されていないのだろうと悠は恐怖していた。
アビスコアに捕らわれるのは、死よりもつらいと悠は思っているからだ。だからこそ、悠は真っ先に昴に尋ねたのだ。
大丈夫なのかどうかを。目の前の彼女が自分を助けたのか、だったらどうして助けたのかは、悠にとっては二の次だった。
それこそ、自分が生きて自由に暮らせるかよりもだ。
『やっぱり、君は優しいな、悠。でも、そんな甘い君だから、アビスコアを破壊できず、死んで解放されたかった僕を存命させてしまったんだよ。悠、君は僕に生きて欲しいと思ってしまったんじゃないかね?』
「ッツ」
その通りだった。アビスコアを破壊して、昴を殺すことが彼女の救いだと悠は分かっていた。そして、彼女を殺すことを覚悟して、最後の攻撃を放ったはずだった。
だが、その最後の攻撃に、彼女を殺す以外の方法で救いたいという思いが脳裏をかすめた事を悠は覚えていた。
そして、破壊ではなく、アビスコアの憎悪を消し去る浄化作用側に力を多めに割り振ってしまったことも。
その結果として、攻撃力を持つ力が減衰してしまい、アビスコアを破壊できなかったのだろう。
「ゴメン」
『そうだね。確かに僕の希望とは違う結果だね。でも、この結果は君が僕を救うための行動のものだ。そのことに感謝こそしても、責めるなんてしないよ』
「感……謝!? 感謝なんてする要素はないだろう!? そこに捕らわれ続けることがどれだけの地獄か!」
悠は、彼女の魔王となっていた時の光景を思い出すだけで、そして我が身に降りかかった事を考えるだけで、体が震えあがってしまう。
それだけの地獄。そして、悠は彼女を殺さずに救いたいという思いから、結果的に地獄を継続させてしまったのだ。
自分は責められても仕方がない、いや、責められるべきと考えてしまっても仕方ないだろう。
だが、昴は優しい声で、それを否定する。
『どうやら君は勘違いしているようだね』
「勘……違い!? どういうこと?」
『確かに僕の魂は、アビスコアに捕らわれ続けているよ。だけどね。君の浄化の力で、素手にアビスコアに存在していた、憎悪は全て消し去れているんだよ』
「でも、アビスコアは自動的に人間の憎悪を……」
『僕に強制させ続けた負の魔力を強制的に吸収させ続けたアビスコアの意思は完全に消し去っているよ。君のおかげだね。だから安心していいよ』
「そうなのか……でも、肉体も何もないことには」
昴の言葉に悠は、一瞬胸をなでおろす。しかし、彼女が肉体もなく、魂のまま捕らわれ続けていることに変わらないことに気づき、悲壮感のこもった声を出す。
肉体がなく、魂だけの存在。それが幸せとは思えない。少なくとも悠にとっては、恨まれても仕方ない結果だと思えてしまっていた。それなのに、彼女の言葉には恨みどころか優しさの感情がこもっているように優は感じていた。
『肉体については、アビスコアの機能を使って負の魔力じゃなくて、大気中にある魔力を使えば、いつかどうにかなるかもね。だから、安心していいよ。それに……魂が残っていたおかげ、君を救うことができたしね……悠』
「そっか…………それでもゴメン。それに、ありがとう」
アビスコアに魂が捕らわれ続ける。そこにどのような弊害がでるのか分からない。今は大丈夫でも今後は分からないし、昴が隠しているだけかもしれない。それに、魂が捕らわれ続けているということは、自分の意思で死ぬことも出来ない可能性もあるのだ。
彼女は、死を望んでいた。そして、自分は結局その望みを叶えることはできなかった。果たして、目の前の彼女は、死ぬことと、アビスコアに捕らわれながらも生きている今を比較してどちらが満たされていたのか。それどころか、本当は恨んでいるのではないか――悠はそのようなことを考えてしまった故に彼女に謝罪をし、救ってくれたお礼を伝えた。
『こちらこそありがとう。それに、君を救えてよかったよ。涙を流しながら、化け物となった僕を救ってくれた君が、目の前で人間の悪意に殺されるなんて結末……絶対に許せなかったし』
後半になるにつれて、彼女の言葉に怒りのような感情がこもっているように感じたが、自分を思ってのことも考えると少しだけ嬉しくなる。
「やっぱり俺……裏切られたんだよな」
『裏切りというよりも、何らかのリスクを感じて殺そうとしたんだろうね。まあ、君からしたら裏切りだし、彼らがどのようなリスクを計算したのか分からないけど……許されることではないよ。でも……そういった奴らだけで世界ができている訳ではないことも忘れないでね』
「……うん。昴はどうするんだ?一緒にくる?」
彼女の言う事は分かる。しかし、悠にとって世界との、人との繋がりは薄っぺらなものだった。
しかも、その繋がりは自分を勇者として拘束するために特化していた、鎖のようなもの。悠からしたら断ち切ってしまいたいものだった。
だからこそ、昴の言葉は理解できても、実感はわかなかった。そもそも、『そういった奴ら』以外の人間は、どういったものなのかも、悠には分からなかった。『そういった奴ら』以外として悠が知っているのは、魔物に怯える人間達のみ。そして、直接話すようなこともほとんどなかった。
悠の取り巻く世界はあまりにも歪だかったからこそ、悠は返答を一瞬躊躇し……、とりあえずは頷くことにしたのだ。言葉の上では理解できたから。
それよりも、悠は昴のことが気になっていた。彼女はどうするのだろうか。アビスコアのままでは、身動きはできないはず。だったら――そう思いながら悠は、彼女に一緒に行動しないかと誘った。
『……いいの? もし僕を、アビスコアを所有していることがバレたら』
「構わないし、そうならないようにするよ。それに、万が一を考えると、浄化の力がある俺と一緒にいた方が昴も安心だろ。それに……」
『それに?』
悠は、目を逸らしながら、頬をかきながら言い淀む。数秒真っ暗な空間に目をさ迷わせた後に、か細い声で、
「こんな風に誰かと話せたのは初めてだから……一緒に来てくれると俺も嬉しい」
『そっか。うん。それなら、僕を連れて行ってよ。だけど、一つだけ謝らないといけないこともあるんだ』