村の守神の話
この世界は平たい板のようなもので、
魔に連なるものは世界の淵より這い上がって来たという。
それらは神々やいにしえの勇者達により駆逐されたが、
その残骸が今でいう魔物として蔓延っているのだとか。
これがこの世界における常識の一つである。
此度は、ある村の伝承に耳を傾けてみよう。
青年は村の子供達に村の言い伝えが書かれた本を読み聞かせる。
「むかーし昔、邪悪なるもの達が遥か西よりやってきました。
その者達は木々を枯らし、水を腐らせ、空気を汚し、生きとし生けるものの命を奪いながら進みます。」
「魔物―?」「違うよぉ、魔物よりもっと怖い奴らだってー。」
「でも邪悪なる者なんて長くね?」
きゃいきゃい言い合う子供達に青年が答える。
「邪悪なる者共の真の名を呼んじゃあいけないんだ。呼び寄せちゃうからね。だから伝承にも残っていないんだよ。」
「人々は懸命に逃げましたが、老人や子供もいては逃げる足も遅れます。
このままではやがて追い付かれてしまうでしょう。」
「じいちゃんやばあちゃん達を置いて逃げたくないもんなぁ。」
「でも早く逃げないと食べられちゃう!」
「いよいよ邪悪なる者共の足音が後方から聞こえてきます。
もはやこれまでかと人々が諦めかけたその時!一条の光が邪悪なる者どもを打ち払いました。」
「ビームだ、ビーム!」「俺、長老様が出してるの見た事あるぜー。」
「しーっ!アレはビームじゃなくって光ってるだけだよ!」
「はいはい、もうちょっとで終わりだから皆静かに聞いててねー?」
青年は苦笑いを浮かべながら続きを読む。
「人々を守る為に現れたのは一匹の白き狼でした。
狼の名はニルヴァスカ。その身に宿す光は全てを浄化する力を持つと言います。
その力にて邪悪なる者共は打ち払われ、穢れた地もやがて元に戻ったのでした。
しかし、神獣ニルヴァスカは命を賭した戦いの果てに傷つき、
穢れを浄化する為に力を使い果たし、その場に倒れてしまいました。
人々は神獣ニルヴァスカに感謝し、彼が眠る地に集い、守り続けていく事にしたのです。
かくして、彼の神が守り抜き、眠る地として村の名をニルブとなったのでした。」
「めでたしめでたしー?」
「うん、めでたしめでたし、だよ。」
「神様、死じゃったならめでたしじゃないよ…」
子供達は悲しそうに眉を下げながら首を振った。
「死んでないよ?」
そういって青年は村の子供達に乗られたりヒゲを引っ張られながらも眠りこける老狼を指差して笑った。
「神様はお休みの真っ最中なのさ。」
青年は老狼へと近づき、口を開く。
「ニール様ー、お話終わりましたよー。起きて下さーい。」
神獣ともあろう存在の背中に手を置き、ぐいぐいと揺する。
「いい加減起きないと子供達にまた落書きされますよー?」
そう、つい先日は立派な眉毛を描かれたのだ。しかも、毛皮や布の染色に使う黒い果実を使って。
「む…それは困る。だが、しかしな。童は悪戯が過ぎて叱られるくらいが丁度いい物でもあろうしな。」
大あくび混じりに身を起こす。
「僕も叱られるんです…勘弁してください。」
「なれば貴様もまだまだ童に過ぎぬという事よ。」
はぁ、と溜め息をつく青年に軽く体当たりをかましながらのしのしと歩み出す。
「若い内にため息ばかり吐いておると将来が楽しみだな?」
「誰のせいだと…あぁ、出会った時のような威厳溢れる我らが神はいずこへ行かれたのか…」
「くくっ…なまじ真面目故に貴様は我の世話係として歴代で最高の反応を見せてくれたな。
我も貴様の事を語り継いでやるとしよう。」
「やめてください。マジで。」
正面に回り込み、ガシッ!と神獣の両頬を両手で挟みながら告げた。
その後も村内を練り歩く神獣の後ろを青年はついて回ったのだった。
日は暮れて、神獣は村の中央にある広場のねぐらに横たわりながら青年の後ろ姿を見送る。
「奴らの大侵攻を退けてからと言う物、世界各地で小競り合いはあれども平和と言えようが…
ふむ。考えるのは他の物共に任せ、我は我の役割を果たし続けるとしようか。」
ある程度時間もたった。世話役の青年も眠りについた頃合いと判断し、神獣は駆け出す。
「ん?今村の中から何か飛び出したような…?」
「気のせいだと思うがな…」
村の見張り番達が首を傾げながら呟く声を聞きながら神獣は森へ分け入った。
「…残骸共は相も変わらずか。煩わしい。散れィッ!!!」
口を開き、咆哮と共に光の奔流が闇を照らす。
直撃を受けた魔物達は悲鳴をあげる間もなく霧散した。
「奴らの残留思念のせいか、単に人に惹きつけられているだけか
…いずれにせよ本当にはた迷惑な連中だ。」
森の闇から湧き出るように魔物達がゾロゾロと並び立つ。
「…だが、今宵は何か、妙だ。数が多い。いや、それはさしたる問題ではなかろうが、この臭いは…」
接近して来た魔物の攻撃を紙一重に避けながらも前進。
勢いのままに前脚を横薙ぎに魔物を両断しながらも臭いの根源に向けて駆ける。
すると、魔物達は行く手を塞ぎ、脇を固め、退路を塞いだ。上空も飛行種が雲霞の如く。
通常、魔物とは種が違えば徒党を組む事などありえず、縄張り争いなどがままあるのだが。
今回は種類がバラバラであるにも関わらず、一つの群れとなって神獣に牙を剥いていた。
「ぬぅ…2・3種類であるならばいざ知らず、コレはいよいよという事か?」
背後より迫る魔物に向けて跳び、後ろ脚で顔面を蹴り抜いた反動で前方に跳び、正面の魔物の首を噛み砕く。
「ふん、喰えたものではないな。」
平時よりも魔物が発する瘴気が濃い。飲み下せば身を内側から焼くだろうが、勿論そうはせず、
首と体を捻って魔物の巨体を前方に向けて放り投げる。巻き込まれた魔物が潰れて悲鳴を上げた。
それには目もくれず、ついでのように踏み砕いていく。
そのような強行突破を3度ほど繰り返し、ようやく辿り着いた場所は
常人では一息吸うだけで肺が焼かれる程の濃密さの瘴気が漂い。
見ただけで身がすくむ様な異形の怪物がそこに居た。
…頭部は闇が渦巻き伺い知れず、闇に濡れたカマキリのような腕を3対持ち、木の根のような足が地面を撫でつけている。
「あぁ、相も変わらずおぞましいな貴様らは。見るに堪えん。」
「繧ッ繧ス迥ャ繧・繧・繧・!!!」
声にも咆哮にも聞こえる音が空気を震わせる。
「分かる言葉で喋れ。」
返答は攻撃で行われた。
「ッ!!!」
怪物の腕が瞬時に伸び、地面に爪痕を残す。
紙一重でかわしたが、先程の魔物達相手とは違い、余裕もなく全力で後方に跳んだ。
しかし、そこに魔物達が群がってくる。
「邪魔だっ!!!」
自身を光が包む。それに触れた魔物達は瞬時に霧散していくが。
「ぬぅっ!?」
闇が光を切り裂いてくる。咄嗟に口からも光を放ち闇を霧散させるも次々に闇の爪は襲い掛かって来る。
「まだ、力が戻り切っておらんか…」
なんとか猛攻を凌ぎながらも反撃し続けたが相手に消耗が見られない。
消し飛ばす端から再生していく。、
それもそのはず、夜は闇の眷属が力を増し、光の眷属は力を失うまではいかずとも力を回復できないからだ。
だが、退けない。退けばその夜の内にニルブの村は滅びるだろう。
「かといって相討ちにも持ち込めんな。」
辛うじてコイツを倒した所で魔物が多数残っていればやはり、同じ事。
「やるしか…ないであろうな。」
勝機は一つ。夜が明けるまで耐えきる事だ…―――
……―――何時間が経っただろうか。
「ぜぇ…ぜぇ…」
攻撃に対して受けずに回避を最優先していたものの、押され始めてきた。
いかに神獣と言えども無限に体力が続く訳ではないし、光を放つのは体を動かす以上に消耗する。
「…あと何時間か…」
魔物による波状攻撃に加え、時には魔物ごと神獣を切り裂かんと腕を振るってくる。
つまり…神獣の力を削ぐ事のみに注力しているのだ。
この怪物もまた、神獣を倒せばあとはどうとでもなると悟っているのだろう。
「ふっ!!」
息を整える暇すら与えてくれない。
「くのっ!!」
避ける方向には常に魔物がいる。
「どけぃっ!!!」
倒しても倒しても無限に湧いてくるかのよう。
立ち塞がる魔物を切り裂いて切り裂いて切り裂いて、森の奥に向けて突き進みだす。
だが、少しでも村から引き離そうという考えは時間稼ぎにもならなかった。
離れ行く神獣を追う事もせずに背を向けたのだ。
奴もまた、役割を果たす事のみが目的なのだ。
「行かせぬっ!!!」
全速力で追い、その背に飛び掛るも魔物が壁となり視界を塞ぐ。
「邪魔だとっ…――――っ!?」
切り裂こうとすると壁から闇の刃が生えた。罠、だった。
周りは既に囲まれていた。避けようがない状態で、防ぎようのない一撃―――だった。
刃が毛皮に触れようかという刹那、一条の光が怪物の腕を消し飛ばした。
「我らはニルブの民。」
しわがれた声が森に響く。
その者の頭部は神々しく輝いていた。…長老だ。
「我は彼の神を補佐せし者っ!!!」
青年の声と共に風が神獣の周りに吹き抜け、
気が付けば周囲の魔物が両断されていた。
「なっ!?貴様ら、何故ここにっ!?」
「ニール様が夜な夜な魔物を退治していた事、気付いていないとでも?見くびらないでくださいよー。」
一瞬笑みを浮かべるも青年は再び駆け出して行った。
「我らこそは彼の神に恩を返す為!」
風が吹き抜け、怪物の腕が一つ落ちる
「彼の神が守りし地に住まいしものなり!!」
斧が、剣が、風が、二つ、三つと腕を落としていく。
「今こそ我らが神に捧げん!!!」
暗き森に点々と灯りが灯る。
『重唱・神獣の燐光』
夜の森が、白く染まった。
魔物は一掃されたが、異形の怪物は存命。
消し飛ばされていた体を徐々に再生させていく。
「まさか…我らの力を掻き集めても倒し切れないとは…」
魔力を使い果たし、気絶する人々もいた。
地面についた膝に力を込めて立ち上がろうとする者がいた。
「あと一息のはずだ!諦めるな!」
青年が叫ぶ。彼も相当に疲弊しているはずだが。
「いや、もう十分だ。ありがとう、皆の者。」
「ニール様!?そんな事言わないでください!!」
心底に驚いた表情を浮かべながら首を振る青年にニルヴァスカは優しく告げた。
「十分なのだよ。」
青年を含め、その場にいる者は気付く。
怪物の再生が、終わらないことに。
いや、それ以前に、森に光が差している事に。
「我一人では負けていただろうな。」
ニルヴァスカの体が白銀に輝く。
「蠕?※!!!」
怪物が叫んだ。
「我は神獣ニルヴァスカ…」
「繧?a繧!!!」
怪物が腕を振るうも触れる前から霧散していく。
「この地を守り、浄化するものなり!!!」
咆哮と共に光の奔流が放たれた――
「かくして、邪悪なる者共は神獣ニルヴァスカとニルブの民によって打ち払われたのでした。」
「神獣様も村のじいちゃんたちもすげー!」「めでたしめでたしー?」
「そうだよ。めでたしめでたし、だよ。」
きゃいきゃい言い合う子供達に老人が答えた。
「でも、神獣様はどうなったの?」
「神獣様はね…―――」
老人の視線の先で老いた狼が鼻を鳴らした。