恋人はサンタクロース
帰ってくる紙切れの数字なんて見たくもないし、興味も無い。
今年は笑っても泣いてもあと一か月だということは、この空間にいる約四十人の生徒たちが皆知っていることだ。入学して、存在すら知らなかった人たちとあいさつを交わしあってからなんとまだ一年足らず。でも今となっては気の合う者どうしで昼食を口にし、話の合う者たちで休み時間いっぱいまで語り合う光景が日常となっている。慣れるのに一年いや半年足らず、独り立ちするまでは二十年もかかるのが人間という動物だ。
人間はとても優れた動物であるので、他に比較対象となる動物が少ない。それならそれで良いはずなのに、はい、じゃあみんな平等ねとはいかないのが人間なのである。やはりもとはといえば霊長類。群れの中でボスやナンバー2など地位を定めて権力を与える風習は、人間社会では今でも色濃く残っている。
以上の事から、人間はこれ以上進化しないと考える。人間として新たな文明を築くためには猿じみた低俗な風習を今すぐ廃止すべき。だからサルと言われるのだ、そこの野球部!
というわけで、俺にとっては小さな小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩となるであろうこの飛躍を、今日から実行しようと思う。悪・即・斬!使われた紙とすり減らした鉛筆を悔やみながらも、未来の為に、帰還したテストは廃棄処理することにした。
方針が決まれば、テスト返しもなかなか旨い時間に思えてくる。点数で思いやられる必要も無いので、この後の時間も効率的に過ごせるように体を休めておくのが得策と見える。教室を見回しても寝ている人は意外に多いので、それ以上は考えずに机に突っ伏した。
本当に気が付けば、という表現が正しいくらいに放課後がすぐやってきた。帰宅部に入っているので、放課後の到来を大歓迎する所存である。最寄り駅から電車に乗れば、あとはものの三十分で桃源郷、いや自宅に到着するのだ。なんなら明日から家で授業受けても良い。高校生になってからの最大の楽しみが「帰宅」になってしまっている自分が悲しい。通信制にしとけばよかった。
高校から駅に向かう道を歩いていても、人の群れは容易に見ることが出来る。雀の群れより珍しくない。追い越し際に見てみると、昼間学校にいるときと同じようにノリで盛り上がっていたり、話の内容で盛り上がっている群れが九十九パーセントを占める。一人で歩いている生徒もいるっちゃいるが、殆どがスマホを見たり音楽を聴いたりしながら歩いている。それじゃあいけない。何かで気を紛らわしていては真の孤独とは言えないし、スマホは友達だと良いだす輩もいる。だが俺は手には何も持っていないしイヤホンも付けていない真の孤独である。孤独は人類の進化の兆しであり、事象を誰の力も借りず単独で解決する能力が備わる。つまり、孤独は偉く、尊い存在である。
目を閉じれば、不規則な音が耳に入ってくる。しかしそれは不快になるものではなく逆に程よく心地いいものであり、意識を遠ざければそのまま眠ってしまいそうでもある。背中から感じるのはドアの固い感覚と赤くなった太陽から放たれる若干強めの日差し。暖房が効いてるのも相まってやや暑く感じられる。
何処までも密集して集まる家は、屋根の色も形も、窓の向きも仕組みも、ベランダに干されている洗濯物さえも全てが違う。昔はこの一帯は一面畑だったというが、その面影は探してもなかなか見つからない。二階建ての家もあったり、さらには新宿にも劣らぬ高層マンションがあったりもするが、それらはそれぞれの家独自の設計・特徴で、人間社会では俗に「個性」と言われるものである。十人十色とはよく言ったもの、集団生活の中で時にそれは疎外の対象になり得ることも俺はよく知っている。これほど考え込んでも気が重くならないのは、もはや半分他人事のように思ってしまっているのかもしれない。
ああどうでもいいどうでもいい‼
突如、高層マンションの頂上付近が紫に色めいた。あれ、大変な事のはずなのに、自分はあんまり驚いてないな・・。生物としての感情を失ってしまったのだろうか?そんなはずはないが、くだらない思考しかできなくなっている。
「帰りたくない…?」
座席に座っている知らない人が俺のことを見ている。無意識に声に出てしまっていたのだろう。己の中の反逆者が今の俺を支配しているように感じた。けれど、決して「どうでもいい」とは思わないまま、電車は駅に差し掛かった。
2
翌朝、キッチンの温度計は五度を指していた。振り返ってみれば慌ただしい一年で勢い劣らぬまま十二月に突入したような感覚があった。温度計の目盛りと吐き出す白い息が本格的な冬の到来を実感させる。
いつもなら遅刻ギリギリのラインで教室にスライディングするのだが、今日は思いのほか早く来てしまったことに時計を見て気づく。今朝一段と冷え込んだせいもあるだろう。おかげでいつもは目にしない朝の光景を見ることができる。朝練が終わった生徒が机に座ったりロッカーの前で固まったりしながら他愛のない話をしている。朝の雰囲気を確認してから、俺も自分の席で本を読むことにした。
「ねえ聞いて!今日からうちのクラスに転校生来るらしいよ‼」
本に挟んであるしおりをはずそうとしたとき、隣で固まっている女子数人のグループからそんな声が聞こえた。今自分の手が止まっているのはそのせいだ。転校生という聞き慣れないワードが頭の中で乱反射している。転校生…?転校生ってのはあれだ、他の学校から移ってくる生徒の事だ。いやそれくらい知ってる。このガールズは一体どこからそんなネタを仕入れてきたのだろう。学校来る前に築地とか寄ってるの?あ、今は豊洲か。
ようやくページを開くことができた。もし仮に本当の話だったとしても、別に自分には関係無
いのだ。朝のすっきりとした時間は、物語の世界に入っていたい。
チャイムが鳴ると担任が教室に入ってきた。それを見るなり散らばっていた生徒たちは一斉に自分の席へと戻る。既に転校生の件はクラスの大半の人の耳に入っているらしく、席に戻ってからも熱は冷めず「今日転校生来るの知ってた?」「え、それマ⁉」といった声が聞こえる。挨拶をしないで先生に怒られるのもなんなので、いったん読書は中断する事にした。
「おはようございまーっす‼」
ほら、アイツなんて興奮してるから挨拶めっちゃ声デカいじゃんか。まだ転校生が美少女とか決まった訳じゃないから。元気なのは良いことだけどね?
挨拶が終わるといよいよ、というか満を持して、というかの紹介タイムだ。といってもまだ転校生の姿は見えない。ドアの前で待機しているんだろうが、噂は噂でしかないというのもあり得る。
「さて、実は今日からこのクラスに新しいお友達が来ます‼」
まだ勤務二年目の若い女の先生ということもあって、言い方が幼稚園っぽい。あと必ずお友達になれると思ったら大間違い。最初はただのクラスメイトだから。友達はfriendであって、メイトは・・・知らねぇな。転校生が俺みたいな奴だったらどうすんだよ。
まあ、みんな知っていた事だから驚いてはいないが、先生に合わせて手を叩き、ピューピューしている人もいる。ムードメーカーって大変だね。
「では、入ってきて下さい」
先生のかけ声とともに、扉がガラッと音を立てて開く。すると教室の空気はしんと静まり返り、息づかいさえも聞こえてこなくなった。
足を運ぶたびに、春のさわやかな空気が空間に広がる。春だと思ったのは、まだ冬もながいこの時期に遠い春を夢見る、生物の本能的な感覚からだろう。しかし予想以上に春の日差しはまぶしくて、見ることすら阻まれていると錯覚してしまう。
音も無く先生の横にならんだ彼女は、沈黙の空気を打ち破るように透き通った声で挨拶をした。
「みなさん初めまして。浅間玲奈といいます。今日からよろしくお願いします」
けれどもまだクラスの空気は静まったままで、音一つ出してはいけない暗黙のルールが完成している。
ムラ一つ無い黒髪がストレートに、しかし柔らかさも含みながら腰まで伸びて、スレンダーな体型も相まってか高価な人形のようにも見え、顔はもはや芸術的と言えばふさわしい程。彼女の周囲に存在する空気も浄化されたかのように別のオーラを放ち、雑に消された汚い黒板とのギャップもあってか余計に綺麗に見えてしまう。決して見た目重視ではない制服も彼女が着るとパリのファッションショーで優勝できそうだし、古びた公立高校にいるとどこか危険な雰囲気まで感じてしまう。この十六年間遙か遠い神聖な世界で育てられたかのようにも見えてしまう。
転校生は、美少女だった。
彼女に見とれてしまってうんともすんとも言わない生徒達に慌てて、先生は早口になりながら続きを促す。
「えー、じゃあ名前を黒板に書いてくれるかな?漢字で」
彼女―浅間は、自分の名前を黒板に書いていく。そんな珍しくもなんともない格好でさえ、何十億円もする絵画に出てきそうな光景に見える。それにチョークのせいで手が汚れてしまうのも惜しかった。
名前を書き終えると、生徒達は一気に火が付いてぎゃあぎゃあと騒ぎ出した。充満していた空気はガスだったんじゃないかと疑いながら、読書を再開することにした。ここから先は他の人たちにお任せするとしよう。俺は関係ない。
しかしまあ質問タイムで恋愛関係のことばっか質問してない?ちょっと若い男の先生がきたらやることだよそれ。とか内心口出ししていたら、チャイムがなってしまった。本の内容はあまり理解してない。
ヤバい。アイツ超ヤバい。
転校初日で、女子十二人と昼飯とか何者⁉男子もすっげえ話しかけてるし!俺男子にさえ話しかけてもらえないんだが。
浅間は誰に話しかけられても嫌な顔一つせず、向き合って話している。が、様子を見ていると少し気になる所があった。
浅間は、話しかけあれればちゃんと話すのだが、自分からは一切話そうとしていない。実際、話が尽きて一瞬静かになり、別の女子が慌てて話題を出そうとする場面が見受けられた。あいつもしかして・・・俺に似ている⁉今はまだその美貌で人気があるようだが、時間が経てばそのうちぼっちぃになるんじゃないだろうか。まぁまともに人と話せる時点で俺よりコミュ力高い。
食べ終わったので、朝読んでいた部分を読み直すことにした。
昼飯のあとってなんでこんなに眠いのだろうか。
昼飯のあとは眠くなると分かっているなら、授業はするべきではない。なんでも、二、三十分昼寝をするとえらく能率が良くなるらしい。スペインには昼寝の習慣があると聞いたこともある。
なので、学校は昼休みとは別に昼寝の時間を作るべきだ。しかし俺の場合寝不足なのでそのまま二、三時間は寝そうである。
幸い、今日はまだテスト返却が続いているので、寝ても怒られる心配はない。解答用紙が返されるなり、すぐに昼寝を始めた。
―目が覚めると、教室にはだれもいなかった。
寝過ごしたかと焦って時計をみると、まだ四時間目の途中だった。予期せぬ事態に混乱していると後ろから声をかけられた。
「よく寝た?」
「⁉」
その声のトーンにはとても聞き覚えがあった。今朝突然現れては一躍スターになった彼女の顔が頭に浮かんできて、それを確かめるべく声の主を探す。そして教室の一番後ろの窓側の席に彼女を見つけた。想像していた顔とまったく同じ人物だった。
「どうして、お前だけ…」
開口一番疑問を漏らしたが、二人以外教室には誰もいない事態に彼女はまったく動揺しておらず、話しかけてもなお窓の外を見つめている。そんな態度から犯人は彼女ではないのかと、根拠もないのに勝手に決めつけてしまった。
「…おい、どういうことだよ!ほかの奴らはどうしたんだよ‼」
「んん?そんな事知らないけど」
「じゃあなんでお前はそんなに―」
その途端、彼女は椅子から立ち上がり、こちらに向かって歩きだした。そしてまた、あの時のように視線は釘付けになってしまい、続きの言葉が出てこない。
そして俺の前で立ち止まると、むんずと顔を近づけて怒り顔でしゃべり始めた。美少女の顔が目と鼻の先にあって、もうじき脳が溶けそうです。
「…お前って言うのやめてくれる?」
なぜそんな要求してくるのかと思ったのだが、考えてみると初対面の人に対してお前は失礼だった。代わりの呼び方を考えようとするが、彼女の名前が出てこない。寝たから忘れてしまったらしい。そんな焦燥を隠そうとしていたのに、彼女にはすでにばれていた。
「玲奈ですあさま・れいな‼朝自己紹介したじゃん」
「あー、ごめん。浅間さん」
名字で呼ぶのが無難だろうなーと思ったのだが、
「なにそんなにかしこまってる?玲奈でいいよ玲奈で!」
こいつは俺が思っているよりもずっとリア充だと思う。それは間違いない。ただ馴れ馴れしい奴はみんなリア充だと思う俺の価値観は間違っているかもしれない。
待ってくれ。そもそもなんで俺は超美少女転校生と呼び方について議論しているのだろうか。事の発端は何?あの時は未来永劫関わらないと決めていた超人気者と、普通に喋れてるの?それって俺史上初の快挙じゃない?でも初っ端から下の名前はキツイっす。
「い、いきなり下の名前はまずいでしょ⁉」
「何がまずいの?」
この方、自分の存在について理解しておられない。そりゃあ、ほら、ね…。端から見ればつ、付き合ってるとか・・やだこんな恥ずかしい‼それにいきなりとか、これから仲良くなる予定とかあんのかよ。関わりたくなかったはずなんだが…。いやそんな場合じゃない。クラスメイトがいないんだ。探しに行かなくては。
「とにかく、他の人がいないんだよ!俺らが遅れたとかそういうこともあり得るし。だから探しに行かないと。」
そう言ってドアのところまで離れたが、彼女は一歩も動こうとしなかった。ずっとうつむいたままだ。
「俺、一人で行ってくる」
そう言って扉に手をかけた瞬間、
「大貴くん」
俺を呼び止めた。下の名前で。
「俺の名前を…」
なぜ知っているのか、と問おうとするが、彼女はまだ言葉を続けた。
「私と、付き合ってみない?」
「ほわゐ⁉」
反射的にアメリカンになってしまったが、これが冗談なのかを確かめようと彼女の顔を見る。が、その芸術的な顔からはただ綺麗という言葉しか連想できず、そんな思惑は風に流されるように消えてなくなった。すると見ているこっちの方が恥ずかしくなってきて、さっきかけられた言葉の意味もようやく理解しだした。
「付き合うって…」
頬が急激に熱くなっていくのを感じた。あの超美少女転校生から、いきなり付き合えと…。だってそれはすごく名誉な事だし、こんなにラッキーなこと、一生に一度あるかないかなのでは…。でも付き合うといろいろと面倒そうだし、でもやっぱりもったいないし…。ぁーっこんな俺って最低ですか?最低ですよねぇ⁉
いきなり、地面もろとも視界が揺れ出した。地震だと認識し机に捕まろうとするも、どんどん揺れは大きくなっていき机が滑り始めた。
「きゃあ‼」
「くそっ、こんなタイミングで」
不可解な現象ばかり起きると嘆きつつ、浅間を机のしたに隠れるように促した。
「ほら、早く‼」
近くの机に向かって動き出した浅間の頭に、蛍光灯が迫っている―
いつのまにか、クラスには生徒が戻っていた。それどころかなぜかみな俺に視線を向けている。まるで理解できない。
「…よく寝たか。川崎」
机の横に先生がいて、俺の肩に手を乗せていた。どうやら寝ていたらしい。寝ていた、寝ていた…?
「寝るなら、目を開けて寝なさい」
流石社会の先生。よく理解していらっしゃる。
先生が教卓に戻ると、生徒たちも先生を追って黒板に視線を戻した。他人にとっては寝ている人など別段珍しくない。けれども、自分がさっきまで寝ていただなんてまるで実感が湧かない。そうだ、浅間はどうしているんだ。
顔は動かさずに視線だけを彼女の方に向けると、浅間は肘をついて窓の外を見ていた。こちらからだと顔はわからないが、後ろすがだけでも写真に収めたい、なんて滅相も無いことを思ってしまった。
まぁ、そんなわけないか。自分とて好きなわけじゃないし、勝手に夢ドラマのヒロインにされたら彼女にとっても迷惑な話だ。バカバカしい。どうでもいい夢を見るくらいなら、日本国憲法前文でも暗記した方がまだいい。
それからの授業は、話を聞こうとしても中々集中できなかった。というか、いつも話なんて聞いていないからこれが普通なんだろうな。授業に集中したかったのは、多分あの事を考えたくなかったからだ。暇な時間どころか本を読んでいてもあの光景が浮かんできてとても鬱陶しい。夢だからと割り切れるはずなのに、どうしてだか忘れることが出来ない。彼女の口から出た声がちゃんと一文字一文字文章に変換されていて、ニコ動ばり右から左に流れていく。授業中に見た夢でこんな事ばっかり考えている自分は変態じゃないだろうか。こうしていると気づかない場所も彼女に迷惑をかけていることになる。だから本当に何も考えないようにしよう。ただぼーっとしていよう。それもいつもの事だな。
ぼーっと見ている帰路の車窓は、昨日のように夕焼けがとても綺麗だった。自分が気づく違いと言えば。あの紫色の光。
家に帰って、いつものように夕飯を食べて、ゲームをして、風呂に入って、宿題をちょこっとやって、動画を見て、音楽を聴いて…、寝たかったのだ。実際、音楽を聴くまでは良かった。
目覚まし時計のバックライトをつけると、一時を指した針と文字盤が浮かび上がった。俺は今、ベッドに入って布団を掛けて必死に寝ようとしている最中である。けれども全然寝れない。原因はやはりあいつだ。
悲しいことに、何も考えなくても頭に浮かんでくるらしい。早く寝たいし、眠い。それなのに寝れないなんて、これはもう魔法の一種かなんかだろう。あの夢を思い出すくらいならまだいい方で、しまいにはもし付き合ったらどこに行くかとか、式場はなんちゃらとか、流石に頭逝かれてる。夜中にベッドで女子の事を想像して悶々としている自分は正真正銘の変態です。サヨウナラ。一生嫌われるよ。
3
どうだろう。あれからいつ頃寝たのだろうか。とにかく、朝っぱらから眠すぎて今日一日が怖い。鞄を下ろしてある程度授業の支度をすると、そのまま寝る事にした。
「あっ、浅間さんおはよー!」
誰かがそう言ったのと同時に、反射的に体が起き上がった。彼女はたった今、教室に入ってきたらしい。誰かに手を振っている姿がそこにあった。
しかし、そう何度も同じ手に乗ると思ったら大間違い。一瞬綺麗だとは思ったものの、昨日眠りを妨げられたことを思い出し、すぐさま訴訟の視線を送った。けれど彼女は俺の事など視線に入っていないと言わんばかりに、俺の横を通り過ぎて行った。一瞬綺麗とは思ったものの。
彼女が消えてしまった視界は、酷く殺伐と感じられた。でもよくよく見るといつものように、朝練帰りの人達が談笑していたり、昨日のテレビ番組が何たらと話している女子がいたりと、実に平和な普段の光景が広がっていた。それはそれで安心するのだが、彼女がどれほど異質な存在なのかという事もまた頭から離れず止まない。
またさっきの眠気が襲ってきたので、今のうちに寝て回復させたい。
午前中は毎日と変わらずぼーっとしていると、あっちゅうまに昼休みになってしまった。今日も自分の席で昼食を摂っていると、九十度真横の窓辺からやかましい声が聞こえてきた。昨日に引き続き、今日も浅間は同じメンバーで食べているらしい。そうやって何もしなくても人が寄ってくるって、良いっすよね。さぞ退屈しないだろう。それも魔法かなんか?
「ねぇ、好きな人とかいるの?」
それ昨日聞いてなかった?相変わらず質問が絶えないが、流石に転校して二日目で好きな人はいないだろうな…。恋愛の話が出てきたら大体ネタ切れ。みんな本質に迫っちゃうの。これ修学旅行の夜学んだ。自分は一生かかってもあの中に入れそうにないので、お袋の味(冷凍)をじっくり味わうことにした。しかし口に運ぼうとしたその時、またしても誰かの台詞に反応してしまった。「じゃあ、タイプとか分かる?」
多分黒じゃね?昨日自己紹介した時もそうだったけど…ってそれはタイツ。だったら知らない。逆に知りたい。そんな漫才ひとりを演じていると、当の彼女…浅間は、離れている俺にも良く聞こえる透明な声で答えた。
「うーん、強いて言えば、静かな人、かなぁ…。面白く付き合いたいと言うよりか、雰囲気を楽しみたいなって…」
その声は決して大きくないのに、言ってる時だけ周りの音が消えたように感じた。いやそれ以上、周りにいる人も、机も、壁も、教室も、全てが消えて無くなったかのように。あの夢よりももっと酷い。
一拍遅れて、「うわぁぁ、じゃあ俺ダメじゃん‼︎」「じゃあ、もしかして〇〇あたりだったりするの?」などと盛り上がる声が聞こえてきた。
つまり、俺はタイプという事である。俺いつも静かだからね。静かすぎて先生に当てられた事ない。F35並のステルス機能を搭載している俺は超最先端。最先端すぎて関心・意欲・態度が全く付かない。
あの時の夢が正夢になろうとしている…。昨日まで夢だと割り切れなかったのは、やはり兆候の一部だったということか…。って駄目だ戻ってこい!そんな事起きる訳ない!現実はそれほど甘くはない‼︎
そんな事考えているうちに予鈴がなってしまった。まだ弁当食べ終わってないんだよな…。すまんお袋、残りは家で食べるわ(冷凍)。
息つく暇もなく始まった四時間目は、昨日と同じ社会だ。実はこの俺、こう見えて文系は強い方で、特に社会はノー勉で十をとった事もある。なので社会は時間の無駄。内職した方が有意義だ。よってこれから睡眠学習をする。
そういえば、昨日見た夢も四時間目ではなかったろうか。という事は今寝たらまた昨日と同じような事態になってしまうのではないか?どうもあの夢は、ただの夢だとは思えなくなってしまった。自分の想像力のみならず、夢の内容、第一印象、好みのタイプまで、それだけの妄想をする条件が揃ってしまっている。待って、それただの妄想じゃん。
本当にアホらしい。本当にやめてほしい。こんな妄想をいつまですれば自分は満足するのだろうか。こんなにも生活に支障が出ているのに、四六時中考えてしまうのは何故だろうか。あっ、これ知ってる。これってもしかして…恋⁉︎
突然スマホがポケットの中で暴れ出した。手で押さえるとすぐに止まり、ラインか防災情報だろうと予測がつく。
こっそりとスマホを取り出して通知を見ると、「放課後、校舎裏に来れる?」と表示されていた。誰だ?俺のラインは両親と姉しかなかったはずだぞ?
浅間 玲奈
何度目を擦っても、そう書かれていた。浅間って、あの浅間?転校生の浅間?夢に出てきた浅間⁉︎
驚いて本人の方を見ると、彼女は俺の方を向いていた。そして目が合うなり、その整った顔を綻ばせて笑った。
綺麗
これは夢か現実か。天国か地獄か。生か死か。眩ちぃ‼︎眩しくて目が潰れそうだ‼︎文句の付けようのない、圧巻の笑顔だ。
「ノートと教科書を出せ」
いきなり頭上から脅迫されたので、びっくりして振り返るといつのまにか先生が横に立っていた。先生は俺の足元を見るなり、
「あとなぁ、スマホはバレないようにやりなさい」
流石社会の先生、そう努力してますけど、見つけたのはそっちじゃないですか。
いつのまにかスマホを落としてしまったらしい。なら恐らく先生はその音に気づいて叱りに来たのだろう。だったら自分の注意が足りなかったせいだ。けれども、あんな笑顔を見せられたら、抗えるはずがなかった。心臓は大きな拍動を刻み、こっちに向いている生徒だって、むしろいい奴に思えるくらいポジティブになっている。なるへそ、恋とはこの様なものだったのか。
夢が現実になっている。そう感じたのはごく自然な流れで、必然的だった。
運命の刻、放課後。校舎裏というワードに心踊らされる。シチュエーションは最高だが、まだ告白されると決まった訳ではない。あくまでも、校舎裏に来い、と言われただけなのである。なるべく冷静にならなければそのうち嫌われてしまうだろう。
校舎とフェンスに囲まれた花壇の枠に、彼女は乗っていた。俺のことを見とめるや平均台の様に両手を広げながら軽いステップで目の前までやってきて、そのまま喋り始めた。乗ったまま話をするらしい。
「初めまして、大貴君。学校楽しい?」
最初こそまともなものの、どこか高校受験で別れた友達みたいだ。そういう俺も初めてな気がしない。この二日間ずっと妄想していたからだ。彼女に話したら絶対ドン引きされる。
「何で俺のライン知ってるんだ」
それは四時間目から気になっていたが、むしろ追加されて嬉しいのは自分の方だったので、多分話のネタか、冷静を装う盾程度の為に声にしたのだ。
「クラスのグルから追加したのよ」
「なるほど。ならこんな所に呼び出してどうした」
「え~それ聞いちゃう?」
あれ、おかしいな。こいつこんなウザかったっけ⁉︎予想外の返答だが、人が人を選んで、対応の仕方を変えるのはよくある。それに自分にしか見せない態度があるなんて素直に嬉しい話だ。ただこれが素だったら俺など眼中にないという話になる。朝一回そういう態度されたし。
「お前、そんなキャラだったか?常に誰かと話して、男子とも気兼ねなく接するリア充で…」
「ずーっと私の事見てたの?やらしいなー」
やばい、俺より上手だ。普段誰とも話さない俺はそりゃコミュ障だと思うが、何よりこいつの性格がゲスい。いちいち話を逸らしやがって、俺の聞きたい言葉が聞けないじゃないか。
「だから、理由は何だって聞いているんだ」
「そうだ、そうだ。どう?私と付き合う気になった?」
「‼︎」
クッ、身構えてはいたが改めてこう向き合って言われるととてつもなく嬉しいな!それに可愛い。
「な、何で俺なんだ?ほら、その…もっと他にもいただろ?」
もちろん、これも建前だ。さっきタイプを聞いたし、恥ずかしながら自信がなかった訳ではない。ただ、普通に、一般の、通常の反応を返しているだけだ。如何にもたった今初めて告られたかのような。
「そんなの決まってるじゃない。好きだからよ」
「何で?」
「何でって、タイプだから?」
「疑問形にされても」
好きな人には何かしら魅力あるでしょ?えっ、ないの⁉︎じゃあ色々違ってきちゃうんじゃない?好きの定義とか。
「えーでも、好きに理由とかないでしょ?」
「そういうもんかね…」
確かに、と妙に納得してしまったのは事実だ。なんせ言葉なんてものは非効率極まりないツールだから。言葉に意味は付帯されていても、相手の心理がそのまま付随してくる訳ではない。だから人間は嘘がつける。あっ、じゃあこの方本当にからかってるだけなんじゃない?やば怖っ‼︎そーゆうの高木さんだけで十分。
「でも、す、好きってことは、本当なんだよな?」
「さっき言ったじゃん」
いやほんとそう言われるのが一番怖いから‼︎なら素でもそのキャラやめてほしいな。あんたってその、可愛いさもあるけど綺麗だから、深窓の令嬢感が漂ってるんだよね。インパクトが強いのと際どい所突いてくるから、今後心臓が持たんのですわ。
「それはつまり?」
「…本当だから」
頰を染めた玲奈さん。めっちゃ可愛い‼︎綺麗な人が照れると元が可愛い人よりも可愛いんだって、今知った。
「で、返事は?」
俯き顔はそのままに上目遣いで聞かれたので、既に熱くなっていた頭はとうとう溶け出してしまった。出来る限り限界の冷静さを保って、言葉に注意しながらあくまでも、謙虚に返事をしようとした。
「そこまで言うなら…いいけど」
「もー素直じゃないんだから」
向こうから告白したのに随分とお気楽で、俺の肩をバシバシと叩いてきた。なんだなんだ、変に緊張してたこっちが馬鹿みたいじゃないか。本当にその通りだ。俺は素直じゃないな。
本当に、馬鹿みたい。
俺も浅間も帰宅部なので、あの後は予想通り一緒に帰ることになった。駄菓子菓子ね…さっきからぎこちなすぎる。主に俺が。殆ど俺が。
つい昨日立てた予想は当たっていたようで、彼女はやはり人と関わる事が苦手な方らしい。さっきまでも通学路で同級生を見つけては建物の陰に隠れたりしていた。まー誰にも自慢出来ないこんな彼氏だからな。見られて恥ずかしいだけかもしれん。そんな話をしながら帰りたかったものだが、学校を出ると強気な彼女は何処へ行ったのやら。そーっと俺と手を組んでからはただにぎにぎしているだけだ。
十分もかからずに駅に着いてしまった。せっかく今日付き合い始めたのだから、何か記念でも作っておきたいものだ。そう思って後ろをついてくる彼女に声をかけた。
「あのさ…、この後暇だったりしない」
「別に暇だけど…、なんで?」
全く予想がつかないといった顔である。
「まぁ、俺たちもう、その…付き合ってるなら、どっかに行かないのかなと思って」
彼女は顎に手を当て、しばし唸った後、はっとしてから急に顔を赤くさせ、
「もしかして…、お宿でコネクトするの⁉︎」
「はっ⁉︎んなわけねーだろ‼︎コネクトって何⁉︎」
「異性同士で性k」
「言わんでいい‼︎こんな場所で恥を知れ‼︎」
あっ、ノリで頭をはたいてしまった。でもあのまま言わせておいてもまずかったし…まあこいつなんか馬鹿っぽいしな。正当防衛だよな?貞操でも守ったつもりか。
「イーッ、叩くなんて酷いよ…」
「大丈夫。馬鹿は叩けば直る」
「テレビじゃあるまいし」
おっ、馬鹿だと認めたな?なんか一気に緊張が解けてきた。容姿端麗でも頭脳明晰とはいかない訳だ。今まで高嶺の花みたく思ってた部分があったが、これなら気楽でいいや。
捲れた袖から腕時計が見えた。時刻は午後5時半を指している。校舎裏に居た時間が長かったので、よく見れば辺りはかなり暗くなっていた。これから寄り道する暇もなさそうだ。
「ごめん。さっきの話だが、もう暗いし寒いし、俺は帰るわ」
「えっ、別に行ってもいいよ?ホテル」
「早く離れろ‼︎正気に戻れ‼︎」
別に嫌ではないですけどね。流石に付き合い始めた当日とか不純異性交友だし…心の準備が、出来てないからね。オアァ。
そういえば、玲奈は何処に住んでるのか聞いてないな。何で通学してるのだろうか。
「お前って家何処なの?」
「私は…、ここから歩ける距離」
「じゃあここでお別れだな」
「そうだね。じゃあ…バイバイ」
「また明日」
明日に希望を持っているな、俺。なるほど恋は希望を与えてくれるのだな。
―そんな希望とは裏腹、今日は色んな意味で、精神的なダメージが酷かった。女子からいきなりラインが来たり、かと思えばすぐ告白されたり…。緊張を裏切られたり、勝手にラブホに行くことにされたり。なんか今こうしてみると随分下らないことしかやってないんだな。けれどそういう物もなんだか、良い。
別れ際に見せた彼女の笑顔が、案外一番残っていたりする。
4
玲奈がやってきて三日目にして、玲奈との付き合いは既に二日目。早すぎる。この早さが、彼女の事をまだ完全に信用できていない理由の一つになっている。
勿論、彼女と一緒にいるのは楽しい。昨日下校しただけでも彼女の魅力は二十分に伝わってきた。しかし、それでも告白された以降まともな会話をしていないのは事実。恐らく原因は、普段とかなり雰囲気を変えた彼女にあると思う。俺は別に悪いことしてないよな?な⁉︎
まだ付き合って二日目だもんな。分からない事が多いのは普通の事だろ。んなわけで今日はある程度の量の会話をしようと目標を立てて、玄関の重い扉を開けた。
朝の時間からずっと彼女を観察しているが玲奈は一向に気づく気配がない。自分の隠密性が高いのは重々承知だが、おらぁあんたのカレシやぞ⁉︎一言かけるぐらいするやろ⁉︎勢い余って方言コスプレ。
そんなに俺といるところが見られたくないの?なんかすげぇ傷つく…。本当に俺のこと好きなのかな?本当に俺を彼氏だと思ってるのかな?謎は深まるばかり。恋の迷宮ラビリンスというやつです。
スマホを取り出して彼女宛にラインを打ち始める。昼休みに弁当を食べようと誘い出し、一連の事件について事情聴取を行うのだ。
昼休み。屋上で彼女と向かい合って弁当を食している。周辺のビル風が吹き付ける冬場の屋上は好んで来るやつは誰もいない。
只今話を持ちかけようとタイミングを見計らっている最中だが、今更になって何と聞き出せば良いのか分からなくなってしまった。直球に「お前、俺の事が本当に好きなのか?」と行くか?いや、それではいつものように「違うなら付き合っていないでしょ?」と返されてしまうだろう。ならば…、その続きが出てこない。経験不足ですいません。
そうこうしているうちに弁当は空っぽになり、予鈴が鳴ってしまった。普段なら途轍もなく長く感じられるのに、こういう時に限ってなぜ弁当箱が二段なのだ⁉︎時間かかるの当たり前だ‼︎結局会話さえしなかったし、彼女の微妙に艶かしい動きの唇しか頭に残っていない。残りは放課後に持ち越しか。
そうして軽くため息を吐くと、弁当箱を包み終えた彼女が「そうだ」と呟き、
「昨日、どっかに行きたいって言ってたじゃん?だから、今月中にデートしようと思うんだけどどう?」
ほう、デート。成る程そう来たか。タイミング的にはなかなか良いではないか?それに大抵は好意の無い奴とデートなんぞ行かないし、デートである程度カップルらしい行為をしてくるのであれば、もはやそれは好きということに等しい。別にエ、エッチとか、そういう事じゃないんだからねっ⁉︎
聞かずして勝つ。絶好のチャンスを得た俺は足取り軽やかに教室へと向かった。
楽しみを思い浮かべていれば、時間はあっという間に過ぎ去ってゆく。そんな教訓を知って以来、授業は苦痛にならなくなった。
いやあのね?まじめに勉強しろって言うけれど、うちの学校の教師陣めちゃ酷いの。一時間雑談もせずに教科書をお経の如く唱える先生もいれば、すぐスマホを没シュートする先生もいる。まあ、流石にスマホはダメだと思うけど、俺なんか本読んでても没シュートされたからね⁉︎国語の授業で本読んで何が悪い?しかもその時現代文だったぞ⁉︎マジでガチでクソだようちの教師。クソ授業見放題って銘打ってCM流せば、絶対売れない。
光陰矢の如し。こうして時間圧縮能力を得た俺は今放課後の公園にいる。俺は下駄箱でいいと言ったのだが、彼女は見られるのが嫌だときっぱり断り、高校から程近いこの公園を指定してきた。
「おまたせ~」
「三十分も待った」
「そこは待ってないよって言うやつでしょ」
待ち合わせ時刻は四時だったはずだが、腕時計と公園の時計はぴったり四時半を指している。もはや傷つくどころか若干呆れ始めているので、早く心に癒しをください!
「お前、本当に俺の事好きなの?」
何の抵抗もなかったので、散々悩んでいたものだと認識したのは口から出た後だった。またノリでやっちゃったよ…。
「もちろんだよ~。遅れたのは悪いと思ってるよ~」
変に間延びした声が中々イライラする。
「大貴君は、まだ私のこと好きじゃないの?」
「だって…、人には見られたくないって言うし、恋人っぽいこと全くして来ないし、待ち合わせには遅れるし」
彼女はノンノンと、人差し指と首を左右に振り、
「人に見られたくないのは、あまり目立ちたくないだけだし、大貴君にも迷惑かかっちゃうでしょ?三十分かかったのは宿題終わらしてたからだけど、やっぱりえっちなことしなくちゃだめ?」
人差し指を顎に当てて上目遣いで可愛くそういうこと言うんじゃねえ。俺の息子が明日に向かって立ち上がっちゃうだろうが。あと宿題の時間を考慮して待ち合わせてくれない?そもそも昨日やっとけよ。
とはいえ、俺への配慮だったのなら、とてもありがたいことだ。俺もあまり目立ちたくないんでな。ただ悪口言われようとも慣れてるからそんなに嫌でもないんだが。
開いていた本をリュックにしまい、共に公園を出た。駅までは裏道を使いながら、デートについての計画を練る。
「デートはいつ行くんだ」
「今月って、あれがあるじゃない。ほら、その…」
「ああ、天皇誕生日な」
「おめでたいね…ってそれじゃない‼︎クリスマス」
実は「クリス松村」もイエス・キリストの誕生日だったりする。
簡単に言うと俺は「リア充死ね」派なので、十二月のカレンダーから、その「クリス松村」というものが排除されていた。あれ、そんなオカマみたいな名前だっけ?にしても、今年のクリス松はリア充なのか…。死のうかな。松野家に追加しても違和感なさそう。
「で、そのクルシミマスがどうした」
「別に苦しくもなんともないけどね…。クリスマスって言うと、カップルはよくデートに行ったりしない?」
「そりゃあな」
「だからその日にしようかと」
「なるほど」
クリスマスは既に冬休みに入っているはずだ。日にち的には問題ない。ただ、デートとはいえどあまりお金のかかる事はしたくない。
「場所はどこ?」
「あー、大貴君が好きなところでいいよ」
家、と言おうとしたが、まだ早い。いずれは玲奈の家にも行ってみたいが、元来デートは観光地や名所でするものだと思う。
「そうだな…、江の島のライトアップは有名だがここからだと遠いし、とは言えラゾーナなんかだと味気がないな…。かといって読ランは入園料やら乗り物代やら金がかかってしょうがない…」
思いつく限り名所を上げても、時間やお金の制約でかなり限られてしまう。試行錯誤していると玲奈は大袈裟に「はぁ~」と溜息をついた。すげぇムカつく。
「考えすぎだよ。こういうのは案外成り行きでなんとかなるから。気負いしなくていいから」
なんだそりゃ。小杉から東横線乗ったらいずれまた小杉に戻ってくるのか?山手線じゃあるまいし。
彼女の言う通り、俺には少し心配性なところがある。だから少しは肩を楽にしてもいいかもしれないな。出かける時も、学校も。
結句、デートは横浜周辺でやる事になった。まだ二週間程度先だが、また横浜について調べて、ある程度宛を絞ってみようと思う。デートといえど冬場、しかも夜までいるので、呑気にぶらぶらしていたら風邪を引いてしまう。俺自身横浜に行ったことも少ないので、交通機関もろもろ考えておかないといけない。
5
寝て起きて寝て起きて寝て起きて寝て起きて…。約束の日まではプログラムされたような毎日が続いた。しかし全部が全部つまらなかったわけではなく、玲奈と付き合い始めて以来、それなりに楽しい事も増えた。昼飯は毎日教室から出るとさすがに怪しまれる、との忠告を受けたので、これまで通りさみしいが一応我慢は出来ている。したがって一日のうちで確実に話せる日というのは放課後に限られる。けれどもそれだけでもとても楽しかったし、反動で余計放課後が待ち遠しくなったのは言うまでもない。
学校から駅までの約十分間、時には公園やマックで一時間以上駄弁る事もあった。最初はお互いに好きなものとかよくする事とかお気に入りの文房具は何かとかその程度の会話だったが、次第に彼女は俺の趣味だったりおすすめについて調べてくるようになり、同時に俺も彼女の趣味嗜好について調べるようになった。そうやって話は繋げていくのだな、と感心したのもその時だった。
だがこの一ヶ月続けてきた事は残念ながらカップルとしては序の口にも過ぎない。ただずっと話すだけのカップルなんて俺も彼女も望んじゃいない。だからこそ、今日は一段階アップするための行事を決行したのだ。デートという名の。
冬休み中のクリスマス・イブ。集合時間は正午。朝に弱いので遅くする旨のライン送ると彼女も同意見だった。こんな所で気があうのだから、なんだか面白い。
ざっと今日の予定を説明すると、始めにみなとみらい線で中華街まで出て、炒飯か何か昼飯を食べる。そこから海の見える丘公園、山下公園、マリンタワーなんかを巡りながら徒歩でみなとみらいに移るルートだ。そこからは赤レンガ倉庫や遊園地などを周遊する。諸費用は必要だが、適度に名所を巡ってそれほどお金もかからないので我ながら良い案だと思う。
地図にルートを書き込んで大体の所要時間を記した画像を送ると、丸顔のウサギが「やれやれ」と言わんばかりにハンズアップしているスタンプが送られてきた。どういう意味だおい。
そんなこんなで俺は今、東横線の小杉駅南口にいる。リミットのまだ十分くらい前に、彼女は遅れる事も無く現れた。精神的に助かる。
「おまたせ~」
ここで始めて彼女の私服姿を拝むことになる。上とスカートは分かれているが、全体的に黒っぽいためローブのようにも見える。
「大して待ってない」
「おっ、やっと可愛くなってきたな?」
玲奈は開始早々ハイテンションで、いきなり俺の腕に抱きついてきた。ひゃあ⁉︎そんな事されたら、いろいろやばいですぅ~。
「ほ、ほら行くぞ!」
邪険にされない程度に腕を振りほどき、意気揚々にパスモを取り出した。せっかくのデートだ。俺も上げていこう!
元町・中華街駅に着く頃には、丁度腹が減っていた。早速日本一のチャイナタウンにしてグルメの宝庫、中華街へと繰り出す。
クリスマスで祝日という事もあり、人も多くカップルらしき組もかなり多い。うちの両親は今日も変わらず共働きなので、こうして遊びに来ると申し訳ない気持ちが溢れてくる。
赤色を基調とした派手な看板が建物からいくつも突き出ていて、どこからともなく煙とともに甘い匂いが漂ってきた。中国の名物の一つ、天津甘栗だ。
「あ、あれタダで配ってるよ!私食べたい‼︎」
売り込みをしている中国人の女性といえば、ヤンおばさんを思い出すのは俺だけではないはず。試食用の栗を一つ貰って、割れ目に指を入れてこじ開けた。ピキッと小気味の良い音とともに黄色い身が姿を現わす。口に放り込むと程よい甘みが広がった。美味い。食前に食べてもなんの問題もない。
食べログで調べて評判の良かった店に入ると、ほかに空いていないのか二人にもかかわらず大きな丸テーブルに案内された。ここは二階で個室となっていて、丸テーブルには中央に回転する円盤がついている。中華料理ではよく使われているらしい。
「すげぇ。回転させて食べたい料理を取るんだな?頭いい」
「何これ超面白い‼︎」
ぐるぐると円盤を回す光景は、遊園地のコーヒーカップに似ていた。回しすぎると怒られそうだが、なんだか楽しくて一緒になって回した。一人でやると絶対つまらないのに、一人増えるだけでこんなにも面白いのだ。
運ばれてきた料理はどれも美味しくて、この店を選んで正解だった。言うほど頼んでないが、俺は餡掛け炒飯とフカヒレ入り小龍包、玲奈は雞蓉蝦仁(エビの鶏あんかけ)と水餃子だった。
腹ごなしと景色を兼ねて次に行くのは海の見える丘公園。名前から察するに、丘にある海の見える公園なのだろう。駅まで戻って反対側に出る。
予想通り階段があり、手すりを使って上がっていく。思った以上に長く、終わったと思うとその先にまた階段があったり、食後には結構ハードだった。が、玲奈は止まる事もなくすいすいと登っていった。待って、苦しい…。
頂上は広場になっており、かなり広いのでサッカーをしている子供も見受けられる。海側には銀色のベンチが並んでいて、丁度海を眺めながら休憩出来るようになっていた。しかし、いざ景色を眺めてみると…、手前にはクレーンやコンテナが並んでいて、横浜にしては工場が並んだ景色だ。なんか期待はずれ…。
「あんまり良い景色じゃねえな」
「そう?あっ、見て見て船が通ってるよ‼︎なんか橋も見える‼︎」
「おお、あれは横浜ベイブリッジだ」
まあ、楽しんでいるならいいか…。景色を見て喜んでいる彼女の横顔は言葉に表せないくらい可愛くて、描写できないほど綺麗だった。そんなに笑顔でいたら、俺までいい景色に見えてしまう。捉え方の問題だろう。眺めの良いことは確かだ。
お次は正真正銘眺めの良い場所、横浜マリンタワーだ。一〇三メートルもあるのだから眺めが良くないわけがない。
チケットを買ってエレベーターに乗ると、程なくして景色が見え始めた。スカイツリーなどとは違ってゆっくりと進む普通のエレベーターで、のんびりと高くなっていく景色はまた違った魅力がある。
展望台も一周するのに三十秒もかからず、時折風が吹くと少し揺れて怖い。けれど人も少ないのでじっくり景色を見ることができた。
「次行く所ってここから見える?」
「あの辺だな。ほら、あの海のそばに赤っぽい建物見えるでしょ?あれが赤レンガ倉庫」
「ほんとだ、赤い」
そうやって興味津々に見る彼女の顔がとても近く、甘い香りが鼻孔をくすぐる。この一ヶ月でいくらか慣れたが、まだ頰が赤くなってしまうのは否めない。
次に向かう予定の場所はみなとみらいだが、これ以降どこに寄るかとかは特に決めていない。玲奈のスキル「行き当たりばったり」の真価が発揮される時だ。
山下公園を北に向かって進むと、海上自衛隊の船が止まっているのが見えてきた。その横に、丸い三角形のような白い建物も見える。すると前を歩いていた玲奈が走って戻ってきた。どうやらアンテナに引っかかったらしい。
「ねぇあそこ!『工作船資料館』だって‼︎行かない?」
「ま、良いけど」
中に入ると、いきなり目の前に一隻の船が現れた。分解したりせずにそのまま展示しているみたいだ。見るからに茶色く所々変色していて、木造だということがわかる。ちなみに入館は無料。
工作船とは、他国へ働きかけたり謀報活動を行う船の事で、簡単に言うとスパイのようなものだ。ここに展示されているのは北朝鮮の工作船で、二〇〇一年に海自が発見し戦いの末に自爆した船だという。焦げたような跡があるのはそれが理由だ。今眺めている船が異国の、それもあの北朝鮮から来たのだと思うと、軽くゾッとして身震いをした。決して日本も安全ではないのだ。
玲奈は今の社会情勢など知らんとばかりに、「すごーい」とか「でかーい」とか中身のない事ばかり言っている。よっぽど箱入り娘なんだな⁉︎それかニュース見てないだけだな。
さて、個人的に重い気分になってしまったので、今度は面白いところに行きたい。時計を見ると午後五時近くを指していて、あたりもかなり暗くなっていた。
「さっき言ってた、赤レンガ倉庫って所行こうよ‼︎」
「お、おう。そうだな」
気を取り直して、赤レンガ倉庫を見据える。あたりにはクリスマスらしい電飾がキラキラと輝いて、イベントらしき物もあるからお祭り騒ぎだ。今日はまだまだこれからだな。べ、別に、夜戦とか、そういう意味じゃないんだからねっ⁉︎
赤レンガ倉庫は有名なので、見るからに人が沢山いる。敷地内に設置された特設ステージではバンドが歌ってオーディエンスが叫んで、皆でキリストさんの誕生日を盛大にお祝いしている。もし彼女も作らず一人でここに来たら、ただただはしゃいでいるバカ野郎共とでも思うのだろうか。そう考えると、随分とポジティブになったのだな。安牌で生きてきたこれまでとは違ってやはり新鮮な感覚だ。
建物自体は明治初期に建てられたものの、中に入ると驚き桃の木!なんということでしょう、エスカレーターが付いてるではありませんか‼︎カジュアルな洋服やアクセサリー、アロマエッセンスや雑貨屋などが並んでいて、いかにも若者向けといった店舗展開だ。もし渋谷にあったら、これを109だと思っちゃうよ。
俺は服には恐ろしく疎いので、彼女に付いて回る形となる。しかしこのような場所では数メートル離れると不審者扱いされるので、なるべくくっついていたいのだが…。
「えい!」
そう思っていた矢先、玲奈が腕に抱きついてきた。
「なっ⁉︎おい‼︎」
「せっかくのデートだよ?スキンシップを取らないと」
や、やめちくり~!いろんな所が窮屈だ‼︎
いくつか店を回ったが、特にめぼしいものは無いらしく、今もアクセサリー店でぶらぶらと商品を眺めている。すると彼女は立ち止まって、一つのピアスを手に取った。そのピアスには緑色の宝石っぽいものがはめられていて、ダイヤモンドカットが傾けるたびに反射しキラキラ光る。
「綺麗…緑光石みたい」
緑光石?確か昔やったゲームにそんなアイテムがあったけど…、名前が思い出せない。「あのゲームやってたの?」と聞こうと思ったんだがな…。
「これなんていう鉱物?」
「鉱物⁉︎まぁ、値段からして偽物であることは確かだが、多分プラスチックとか?」
存外声がデカかったらしく、近くにいた店員さんに睨まれた。怖い…。早くここ去りたいよー。
「でも綺麗だからいいかな。これ買える?」
おおキタ!これが噂の「デート記念のプレゼント」というやつだな⁉︎持ってきたお金で充分足りるので、買ってプレゼントとしよう。
「大丈夫だ。買ってくる」
「うん、ありがと‼︎」
もう凄い笑顔だ。周りのカップルの彼氏さえ、目が釘付けになっている。これで彼女に怒られる結末だな?なんだこの楽しさと優越感⁉︎
そうして睨まれた店員さんとは別の人に、恐る恐るピアスを手渡す俺であった。
倉庫を出るとすっかり日は沈み、空は暗くなっていた。それでも地上は昼よりもさらに煌々と輝き、ビルの夜景、観覧車の電飾、そして周りの木々に取り付けられた電球が、聖夜のベイエリアを一心に盛り上げている。
「ねぇあれ、綺麗だから乗ろうよ!」
そう言って玲奈が指差したのはその観覧車。やっぱり虹色に輝く観覧車は周りの施設よりも格段に目を惹く。中央部に付けられたデジタル時計は六時二十分を表示している。小杉駅で集合してからもう六時間も経ったのだ。
いろんな所を回ったが、楽しすぎて本当にあっという間だった。
「もう六時か…、乗ったら夕飯にするか」
「そ、そうだね‼︎」
彼女も疲れてきたようなので、この後はあまり移動しない方が好ましいだろう。観覧車に乗って、どこかの喫茶店で食べて、もしかしたらそのまま帰るかもしれない。行き当たりばったりは、案外楽しくて気持ちいいのだな。また一つ、いい成果だ。
「な、七百円もすんの⁉︎」
明らかにぼってるだろ?他のアトラクションよりも高いじゃねぇか‼︎
「確かに、ちょっと高いね。どうする?」
「いや、俺は別に大丈夫だが」
折角彼女が乗りたいと言ったのだ。残念な思いをさせるわけにもいかない。小遣いも他に使う予定はないので、お年玉まで辛抱だ。
「只今クリスマス限定デザインのフレームで写真が撮れまーす‼︎どうぞ記念に‼︎」
写真か。そういえば玲奈はスマホを持っているのに、写真を撮らないな。俺が撮っておけば良かったか。いつも写真なんか撮らんから、てっきり忘れてたゾ~。
「これ、帰りに撮らないか?」
列に並びながら彼女に声をかけたが、ぼーっとしていたのか一拍遅れて、
「えっ、あ、そ、そうだね」
と返事をした。かなり疲れているのか、それとも観覧車が怖いのか。どっちにしろ引き返せないので、声をかけることができなかった。
ゴンドラに乗り込むと、ドアに鍵をかけられた。これから約十五分間、ここは二人だけの密室になる。変に緊張してしまうので、彼女を眺めていたい気持ちを一掃し無理矢理視線を外に向けた。眼下にはピアスを買った赤レンガ倉庫、遠くにはマリンタワーがこれまた虹色に彩られている。
スマホを取り出し、何枚か景色を撮った。それからレンズを彼女に向け、掛け声をかけようと
「この時間が、ずっと続けばいいのにね…」
「―えっ?」
スマホの画面に映った彼女は、景色を見ながらそう口を動かした。画面から目を離し、再び彼女を見つめた。
「ずっとこのまま、一緒に居れたらいいのにね…」
「…どう意味だよ」
昼間とは明らかに声のトーンが違う。なんだよその言い方。それじゃあまるで、俺と別れるみたいな言い方じゃんかよ。
彼女は軽く白い息を吐くと、俺の聞きたかった事を話し始めた。
「あのね、私実は…魔女なんだ」
「…は?」
魔女⁉︎魔女ってあの、ジャッキー・チェンやブルース・リーが華麗な技と共に…ってそれはアチョー。だいぶ無理がある。なら、魔法を駆使して敵を倒したりする女の子の事?合ってるよな?え、なに、魔法が使えるの?
「い、いやいやいや、突然何言い出すんだよ。何か芝居の練習?」
「…まあ、そりゃ信じてくれないよね」
そう言うと彼女は片手を前に出し、手のひらを上に向けた。すると…
「うわっ⁉︎」
「…どう?信じてもらえた?」
一瞬、ゴンドラ内全体が暖かく、明るくなった。彼女の手のひらから、オレンジ色の炎が上がったのだ。その光景は、いつかテレビの画面越しで見たような、いつの日かパソコンのモニター越しで見たような、何の違いもない魔女の姿。放送時間に必ず現れて、ボタンを押せばコマンド通りに動く魔女のキャラそのもの。実物は見たことないし、昔からメディアに存在するものとして認識していたただのデータ。だから、信じることができなかった。現実には、あり得ないから。
「お、おい…びっくりさせるなよ!どうせ、ライターとか仕込んでるんだろ?」
「…」
彼女は無言で、もう一度手のひらを上に向けた。するとまた一瞬、ゴンドラ内が冷たくなった。彼女の手から、氷が現れた。
「…は、はは、嘘だ。こんなの夢だ…。前にも変な夢を見たし…。よく考えたら、俺がこんな美少女と付き合うなんて、あり得ない話だ…」
「…っ。大貴君は、大貴はっ!私のことが、嫌いなの⁉︎」
彼女の微かな嗚咽と耳を劈く叫び声が聞こえた。嫌い?嫌いって…何でお前が聞くんだよ。いつも俺が聞いてた事だろ?
「手の込んだ嘘をつく奴なんて、信用できない。嫌いだ」
「ひうっ‼︎」
断末魔の叫びのようにも聞こえる。
「なんで…私はこんなにも…こんなにも好きなのに、なんで…」
彼女は俯いて、一滴の水を床に落とした。そこだけ濃い色になると、玲奈は居住まいを正してからゆっくり話し始めた。
「黙っていてごめんね…。これから全部の事を話す」
なんの気力もない俺は、ただ聞き手役に徹するしかない。
「私の本名は、レナ=ブルックストワーズ。それが私の世界での名前…。私の世界では、魔法使いになる人はみんな、別の世界に行って修行をしなくちゃならない。それで私はこの世界に、『惚れ魔法』を習得するために修行に来たの…。期間はこの世界で言う約一ヶ月。それまでに習得できれば合格。できなかったらその魔法は一生習得出来ない。その為に私はあなたを恋人にして、惚れ魔法の練習をしたのよ…」
大したものだ。まるでよく作り込まれたRPGの設定のようだ。一人で考えたのなら今すぐゲーム会社に就職した方がいい。けれども、彼女は違うと言っている。これが、事実なんだと…。
「それじゃあ俺は、利用されてただけ、なのか?」
「…ごめん」
「謝れなんて言っていない」
自分も強い声音になっていることに気づきなるべく感情を抑えようとするが、クールダウンのスピードを追い越して彼女への憎悪がどんどん増えていき、出る言葉全てが怒っているように聞こえてしまう。それに苦しくも、仮に彼女が「魔女」であるとすれば、今まで自分の身に起きた事全ての説明がついてしまうのだ。俺以外の人には興味がなかったのもそうだし、彼女のことを忘れられなかったのも、彼女がこの世界について知らなかったのも、緑光石と言ったのも、車窓に映った紫色の光も、あの日見た夢の事までも。不可解な現象にそんな「チート」を組み込む事で全て解決してしまう事実を、肯定できない。
「嫌だ…そんなものは…」
「そっか…じゃあ失敗だね。残念」
「なんだよそれ‼︎」
ドンッ、と、感情に任せて地団駄を踏んだ。衝撃でゴンドラ全体がグラグラ不安定に揺れる。
「お、落ち着いて‼︎一つだけ、聞いてほしい事があるの‼︎」
「人を利用しといてその態度は⁉︎」
黙れ‼︎黙れ黙れ黙れ。人を踏み台にして、この世界を実験場にして自分だけ利益を得ようとした人間のゴミが。どの口が叩くか。
「その彼氏にする人は、それぞれ魔法使いが自由に決めていいの。だから貴方を選んだってことは…もう分かるでしょ⁉︎大貴が好きだからよ‼︎私は貴方が大好きなの。タイプだったし、優しくて、色々知っていて、一緒にいて楽しかった。魔法なんか関係なく‼︎」
一緒にいて楽しかった?ふざけるな。たった一ヶ月しかいなかったくせに。しかもそれは俺が単なる気に入る実験体だっただけだろうが。もっとマシな嘘がつけないのか。
一ヶ月、か。
彼女と出会ってからまだ一ヶ月しか経っていないのか。もう一ヶ月も経ったのか。その間、俺はどうしていた。彼女と一緒にいて、どうだったか。毎日一緒に帰って、いろんな事を話して、そして今日デートをして、自分はどう思ったのだろうか?
―楽しかった。
楽しかったんじゃないのか?少なくとも、彼女が現れて、付き合い始める前と比べて、面白い日々が続いたんじゃないのか?
失敗をしないように慎重に生きてきて、人生がつまらないのは当たり前だと思っていた自分が、少しはマシな人間になったんじゃないのか?
「でも、それでも嫌いなら、しょうがないよね。嫌われるだけの事をしたんだから」
彼女は俯いて両手で顔を覆った。さっき床に落ちた一滴の水は既に乾いてしまったが、指の間から垂れた水が何倍もの面積を黒く濃く湿らせていく。
彼女は泣いている。俺は彼女の泣き顔が見れて嬉しいか?彼女が悲しむ姿が綺麗だと思うか?俺はこんな結末を迎える為に、一ヶ月を過ごしてきたのか?
…違うだろ。
彼女にはいつも楽しい気持ちでいてほしい。俺が楽しいと思えたぐらいに。否、それ以上に。それを実現させるのは彼氏である俺の役目ではないのか?彼女の幸せを願って、彼女と一緒にいると幸せで、こんな時間が続けば良いと思ってしまう気持ちを何と言うんだ⁉︎
紛れも無い、「恋」だ。
「嘘だ」
意図しなくとも出た言葉は、俯いていた彼女の顔を上げさせた。目尻にはまだ涙が溜まっている。その目をまん丸にして、俺の事を見ている。
「…嫌いじゃないから、こんなに嫌なんだろ‼︎」
彼女に伝えなければいけない想いは、自然と文章に組み立てられて口から出て行く。
「もっと一緒にいたいから、そんな話は信じられないんだよ‼︎」
この期に及んでまだ彼女が嘘を付いているとは思えない。何故なら彼女は「バカ」だから。魔法など関係なく好きだと言ってくれた天然バカだから。その健気な姿はこの一ヶ月、全世界で俺が一番、見てきたものだからだ。
「お前の計画は大成功だ。俺はお前の事が…好きに、なったから」
捨て台詞に聞こえなくも無い。だって彼女が人間ではなく魔女である事は事実であり、認めざるを得ないから。悔しいけれど、俺は彼女の事が好きだ。彼女の思惑通り、俺は彼女に惚れてしまった。
でもそれは片想いではなくて、両想いなのだ。それはとても幸せな事だ。今とってもとっても幸せだ。だからたとえ別れる運命だって、最後は笑って終わろうじゃないか。それが俺の彼女の長所「行き当たりばったり」なのだから尚更。
玲奈は鞄に手を入れ、おもむろに黒い正方形の箱を取り出した。それはつい三十分ほど前に、俺が彼女にプレゼントしたピアスの箱だ。パカッとその蓋を開け、一対のピアスを取り出すと、丁寧にあるべき場所に付けた。中央にエメラルドを模した結晶型の何かがはめられ、キラキラと反射し輝いている。
「これ、ありがとう。大事にするね。私は何もプレゼントしてあげられなかったけど…」
とんでもない。彼女は俺に、沢山の物をプレゼントしてくれた。人生は計算じゃないこと。考え過ぎず、気楽に、行き当たりばったりで、成り行き任せで生きていれば、きっと楽しい人生になるということを教えてくれた。勿論全てそうなるわけじゃない。楽しい事があれば辛いこともある。けれども惨めなこの世界のたった一人の哀れな俺に、彼女は幸せをくれた。結局人は誰だって一人だと寂しくて、もしあのまま孤独は正義だなどとほざいて生きていたら、ただの痛いやつだと思われ、さぞかしつまらない人生を送ることだったろう。
「気にしてねぇよ」
やっぱり、こんな事を一人で考えていたのがバレたら、恥ずかしい。深く考えすぎると泥沼にはまって、永遠に抜け出せなくなる。今日は楽しかったな。彼女と、玲奈といれてよかった。
「んっ」
「~~っ⁉︎」
唇が熱くなる。彼女の気配を全身で感じる。互いに互いが好きだから付き合い始めたのに、たった今ようやく、本当の恋人同士になったのではとふと思った。きっと互いに隠していた事を押し出して言い合って、脳が悲鳴をあげるまで考え込んだから、こうして恋人同士がする事を出来ているのだろう。この瞬間は、この後長くない関係だと知っていても、最高に幸せだ。
刹那、ゴンドラが激しい横揺れに襲われる。一瞬で視界が濃紫色に変化し、窓の外には真っ黒い巨大な穴が出現した。
「おい‼︎なんだあれ⁉︎」
「なっ、まだそんな時間じゃ」
ゴンドラが振り子のように回転し、体が宙に浮いた。その中で玲奈だけ、黒い穴に吸い込まれるような動きをしている。それも束の間、窓ガラスが割れ、甲高い音や重々しい音、金属のぶつかり合うような音が聞こえて、もはや何が起きているのか理解できない。ただただ激しい混沌の世界。逆さまになった世界で、必死に声を枯らす。
「玲奈ーっ‼︎玲奈ーっ‼︎‼︎」
「大貴ーっ‼︎‼︎」
数秒前まで乗っていた円形の構造物は瞬く間に形を変え、頭上から世界が落ちてくる―
6
―最初に視界に入ったのは、無機質な白い天井とジーッと音を立てている蛍光灯。
ゆっくり起き上がると聞こえてきたのは、耳にタコが出来るほど聞き慣れた母と姉の声だった。
「あっ、気が付いた⁉︎」
「大貴、大貴‼︎」
ベッドの隣にいた母親が泣きながら抱きついてきた。
「よかった!よかった‼︎無事に帰ってきてくれて」
対して姉は腕を組むお怒りポーズで頰を膨らませている。
「もう‼︎夜にあんなとこ行って何してたの?心配したんだからね⁉︎」
姉御だってよく行くでしょう。この青春ビッチが。
そこへ白衣を着た小太りの中年男性が入ってきた。多分俺の治療をしてくれた先生だろう。
「おーっ、目が覚めましたか。良かった良かった」
「ここは…、病院?」
独り言のつもりだったが、先生は気さくに反応してくれて、
「そうですよー。あの事故の後救急車で運ばれてきたのですが、とてもラッキーでしたね!外傷は一切なくて、ただ気絶しているだけで済んだのですから。奇跡です‼︎」
そう言って朗らかに手を叩いた。だが奇跡というのは自分の意思で起きるものではなく、ただ勝手に起こって助かるものだ。決して誰かの功名ではない。
…待てよ、でもあの時、俺と玲奈は観覧車の最上部にいなかったか?あの高さから落ちて怪我をしないだなんて、どう考えてもおかしい。それこそ「魔法」などというこの世界でチート級のものを引き合いに出さないと、全く説明がつかない。
「母さんは、会社じゃなかったの?」
単純な疑問だったが、それはすぐに愚問だと気づく。
「あんたそりゃあ、息子が事故に巻き込まれたって言ったら、休むに決まってるでしょ⁉︎」
「…ごめん、心配かけて。親不孝だな」
「そんな事ない…。もっと頼ってくれていいのよ。母さんはあなたの、母さんなんだから」
共働きで夜遅くまで帰ってこないものだから、勝手に疎遠なのだと決めつけて、接していなかった。今回の医療費だって、親がいなければ入院さえできなかったというのに。
「一応この後いくつかの検査を受けてもらいますが、特に問題がなければ今日にも退院できますよ」
先生は優しく微笑みながら、病室を出ていった。
また後で来ると言って二人とも病室を後にした。そうなると病室にはジーッという蛍光灯の音しか聞こえなくなる。この空気には耐えられないので、棚に設置されたテレビの電源を入れた。
画面左上には十二時四十分と表示されている。丁度昼のニュースの時間で、スタジオではあの事故について大々的に取り上げられていた。
「えー今回の事故ですけれども、発生当時は地震も無く風も強くなかったという事ですが、こうなると観覧車本体に何か問題があったのでしょうか?」
「そうですね。恐らく観覧車の重心が強くかかる部分のボルトか何かが外れたのでしょう。しかし遊園地が行った安全点検では問題がないと言っているので、私もよく分からないです。今後の捜査に期待しましょう」
「尚、観覧車が崩壊する同時刻に、巨大な紫色の光を見たという情報が相次いでいます。警察と事故調査委員会は現場検証を行うとともに、周辺の防犯カメラの解析を進めていくとの事です」
今テレビに出ているアナウンサーもコメンテーターも、この世界におけるチートデータの存在を知らない。俺が今こうして生きていられるのは、そのチートのお陰であったりする。しかし、そのチートデータはある世界では当たり前にあるのだと彼女は言う。言ったわけではないが、彼女自体が体現している。彼女は本当に、遙か遠い世界で生まれ育ったのだ。
十二月の初めに、突如現れた美少女転校生。その彼女に告白され、付き合って、実はそいつは魔法使いで、クリスマス・イブの夜に別れたなんて話を聞かされたら、信じる?
眉唾物の創作物という認識しかないこの世界では、やっぱりただの痛いやつだと思われてしまうのだろう。
それでもそんな話を信じるのは、自分が実際に体験したからである。もうこんな体験は二度と出来なくて、一生の思い出になるのだと思う。それは別に話のネタにするものではなくて、俺の人生の一つの礎として参考にしていくものだろうから、笑われようが、俺は信じる。
聖夜に幸せをくれる人だなんて、彼女以外にはサンタクロースぐらいしかいないんじゃないのか。いや、サンタは実在しないから、実質彼女がサンタまである。けれど、玲奈の姿はおろか、写真さえ手元に残っていない。記憶の荒波に揉まれて消えないように、しっかりと防波堤を築くことにしよう。
「…魔女は、ハロウィンに来るものだろ」
よいしょと気合を入れて立ち上がり、検査室へ向かう。
いろんな作品から影響を受けたのが見え見えです汗
Word文をまんまコピペしただけなので、誤字・脱字、不自然な空白等ありましたらご一報下さい。




