後編
すみません、昨夜、手違いでリンカーネーションの後編ではなく、後編単体で投稿してしまったのでもう1度あげます。
―あなたに会える。
根拠なんてない。けどそんな気がして霧の中を駆け抜けたんだ。
ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃ、どこまでも続く水溜りの上を。
走り出して最初のうちはよかった。このまま行けば会える気がしていたから。
だけど、どれだけ進んでも霧は晴れず、まだ足元は水溜り。
この時、景色が変わらないことが一番精神的に来ると思った。
このまま、どこにもたどり着かないのでは? そもそもなんで彼に会えるなんて思ったんだろう。
あぁ、やっぱりやるんじゃなかった…
徐々に減速して、足を止めると後ろを振り返る。
分かってはいたが、やっぱり白い霧しか見えない。それに今までは気がつかなかったが、走ることを止めると音が世界から消失したように、なにも聞こえなかった。
真っ白な霧の中に私一人…誰もいない。
その状況に恐怖した私は、走り出していた。
怖い、怖い、誰か助けて…
ハァ、ハァ…ハァッ。
妙に自分の呼吸が更に恐怖を煽る。次第になんの涙か分からない涙が溢れて、落ちる。
助けて…海人!
ギュッと目を瞑った次の瞬間。
ズザー…ズザー…
心地のいい波の音、潮の香り、足に触る冷たさ。
まるで五感が戻ったかのように、突然それらは現れた。
閉じていた瞼を恐る恐る上げる。
「わぁ…」
地平線から、上りかけの太陽が目に飛び込んだ。
―8月9日
祭りの最終日、お盆で言えば送り盆みたいな今日が一番この祭りが盛り上がる。
まぁ、早く終わってほしい俺からしたら、どれだけ盛り上がろうと別に構わないのだが…
して、ベッドに横たわる少女に視線を落とす。
昨夜…と言うよりはむしろ今日、深夜にこの子を担いで、家の玄関を開けた俺を見て母さんはこう言った。
「…ビショビショの女の子。 深夜。 お持ち帰り。 もぉぉ〜海人ったらホント、オ・オ・カ・ミ・なんだから!」
…
殺すぞ。
と、なんか1人で盛り上がっている母さんを無視…することは出来なかった。その理由がお風呂だ。海に落ちて体も冷えてるし、そもそも起きた瞬間に海水で体がベタベタなのも嫌だろう。
しかし、少女の服を俺が脱がして、頭体を洗うのはさすがにヤバいので、そこは母さんに任せた。
その後、生憎ベッドが一つしかないがため、少女を俺のベッドへ、そんでもって俺は雑魚寝に。
お陰様で体のあちこちが痛い。
と、ここまでのあらすじを自分の中で整理し終わると、朝飯を食べるために踵を返した。
「さてさて、朝飯何かなー。」
「ん、んぅー…」
か細く唸る声に慌ててもう一度少女へと視線を戻した。
すると、薄らと瞼を開けた少女がこちらをポツンと見ていた。
「ここは…どこ? 私は…誰?」
ブッ…フフ。
明らかにどこかで聞いたことのあるフレーズが、まさかこの少女の口から飛び出すとは思わなかった。
不意をつかれて思わず吹いてしまったが、とりあえず質問に答える。
「ここは俺ん家で、お前…君が誰だかは知らない。」
しかし、少女はまだ寝ぼけているようで、んー?と首を傾げていた。
「俺ん家…かいとの家?」
「そうそう、ここは海人の…」
…
「は?」
すると少女はやっと寝ぼけが治ったのか、ハッと息を呑む。
「なんで俺の名前知ってんの?」
「あー、あ! あれ、そう、私あれ見たの!」
と視線を泳がしたあげく、なにかを見つけたかのように指をさした。
「あ、あれ!」
当然俺もそちらへ振り返る。それは壁に飾ってあった賞状だ。確かこれは小学六年生の時、読書感想文で母さんにゴーストライターをさせた時のやつだ。
「お、お兄さん凄い!」
「おう、なんかありがとう。」
けど、この時、小さな女の子が海人の『人』の部分を『と』と呼べたことに、疑問を覚えたがとりあえずそれは置いておこう。
俺は少女に質問する。
「ねぇ、名前なんて言うの?」
「名前…すず」
そこまで言うと、少女は口を止める。その様子はどこかで息が止まったかのようにも見えた。
「すず?」
「すず…き。そう、鈴木!」
「お、おう。元気だな、なんか安心した。それで下の名前は?」
「さ…さ、くら。」
「そっか、鈴木さくらちゃんか。」
少女…いや、さくらちゃんはこくんと頷く。
「それじゃあ、さくらちゃん、一緒にご飯食べに行こっか。」
「うん、分かった。あ、その前にトイレ…」
「トイレは階段を降りて。」
すると、スグにドアを開けて階段を降りていった。その様子はあたかもトイレの位置を知っているようにも見えた。
そして3分後。
「母さん、起きたよ。」
「あら、おはよ。あ!その子も起きたのね。」
「どうも。昨日はありがとうございました。」
と、さくらちゃんはペコリと頭を下げた。
「いえいえ、それで、名前は何ていうの?」
「鈴木さくら、と言います。」
「さくらちゃんかー、いい名前だねー。」
あ、でも…と母さんが顎に手を添えて、続けた。
「さくらちゃんの朝ごはんどうしようかしら…」
「あ、それなら俺、朝ごはんいいよ。腹減ってないし。」
「でも、それじゃ海人に悪いよ。」
「ん?」 「ん?」
一回目のん?が俺で2回目が母さんだ。
一方、やってしまったー、と言わんばかりに口元を抑えるさくらちゃん。
少しの沈黙を母さんがこう破った。
「あらー、もう名前呼びなの? 若いっていいわねぇー。」
「あれ、確か母さんって27じゃなかったっけ?」
「そ、そうよ。でも、私から見たらあなた達の方が10歳若いって意味よ。」
なんで焦ってるだ。てか、いい加減本当の年齢を教えろ。
「まぁ、とりあえずご飯にしましょう。ほら、さくらちゃん座って。」
こうして、いつもとはちょっと違う朝が始まった。
「ねぇ、岡野さん、私お祭りに行きたい。」
「やだよ…人いっぱいいるもん。」
「やーだ! お祭り!」
「分かったから、ほらお金あげるから行ってこい。」
するとブゥーッと頬を膨らませたさくらちゃんは、ベッドの上で飛び跳ね始めた。
「ほら、ベッドの上で跳ねると危ないよ。」
「いいもん、岡野さんがお祭りに連れていってくれるまで飛び跳ねるもん。そしてこのままホコリをバンバン出してハウスダストアレルギーにしてやるもん。」
「え、ちょっと待って、なにそれ普通に怖いんだけど。」
「それならお祭り行こう!」
この時、この子は策士だなと思った。きっと将来は有能なビジネスマンになるな。
ま、仕方ないか。
「分かったよ、だけどその、岡野さんってのやめて。」
「それじゃあ、なんて呼べばいい?」
「普通に海人でいいよ。」
「うん、分かった。それなら私のことも、さくらって呼んでね。」
はいはい、と適当に返事を返す。一方でさくらは嬉しそうな表情をしていた。
「それじゃ先に下行ってるね!」
「おう、スグに向かう。」
そう返してすぐに階段を降りていく音が聞こえた。
俺は一息つくと窓の外に目をやる。まだ朝の10時前だというのに、もう道路は人で埋め尽くされている。
ホント、なにが面白いんだろこの祭り。
とりあえず、してしまった約束は守るしかないので、タンスから適当に服を引っ張り出すと着替えて、2つ折りの財布とスマホを持って準備完了だ。
部屋のドアノブを捻る少し前、俺は神様に祈る。
今日が早く終わりますように…と。
いざ家を出ると、案の定すぐに人混みに呑まれた。
流れ流され、まるで川を流れる石にでもなった気分だ。
「さくら、ついて来てる?」
その問いかけに応答はないが、ガッツリと俺の服を背後から掴む手があるのでそれがさくらなのだろう。
そして、人の列が切れるタイミングを見て、自販機の横のスペースに避難した。
「くっそ、こんな人だらけでなにが面白いんだよ。」
と、愚痴を吐きつつもポケットから財布を取り出すと、自販機に500円を入れる。
「俺はアクエリっと…さくらはどうする?」
…
「さくら?」と応答がないさくらの方へ顔を向けると。
「う…き、気持ち悪い…」
…ワッツ?
「えーっと、大丈夫か?」
「ごめん、ヤバイ…かも。」
と、みるみるうちにさくらの顔色が青くなっていく。
そして、その場に座り込んだ。
「お前、無理はすんなって。」自販機で購入した水を手渡すと、華奢な背中をさする。夏なのに背中が冷たい…
「ありがと…」
小さくつぶやくと、水をチビチビと口に含む。少しの覗かせる額には汗が浮いていて、よほど気持ち悪かったことを物語っている。
その時、それを見てかどうかは分からないが、ふと、過去にも同じことがあったことを思い出した。
「これさ、気休めになるかどうかは分からないけどさ。実は、昔これによく似たことがあったんだ。」
「…そうなんだ。良かったら聞かせてよ。」
辛そうな顔でこちらに顔を向ける。
「そうだな…まず俺には幼なじみが二人いて、そのうちの一人の方なんだけどな。そん時さ俺とそいつの2人で街に出かけたんだよ。」
「海人もデートするんだ。」
と、さくら少し小馬鹿にするように笑う。
「大きなお世話だ。」それは置いといて、と見えない箱を横に退ける仕草で続ける。
「そんでだ、街に出かけたのは良かったんだけど、その後道に迷っちゃって。」
「スマホとかで地図見なかったの?」
「運悪く2人とも充電が切れた。」
その後、海人使えな…と呟いたのは聞き流すことにしよう。
「そしたら、そいつが急に気持ち悪くなっちゃって、近くの公園で休憩したんだ。ちょうどその時もこんなふうに俺が背中さすって水をあげたよ。」
ふーん。と相槌を打つ。
「その後は?」
「その後?」聞き返す。
「だから、話のオチは?」
「オチか。今のさくらにはキツイかもしれないけど、結局その後吐いて、一時期『ゲロイン』って呼んでた。」
「海人って意外と最低だね。」
と、返された。満面の笑みで。
「でもな、そんな事があったけど楽しかったなぁーって。」
「…!?」
「ん? どした?」
すると「なんでもない。」と視線を逸らした。その顔は心なしか、赤いような気がする。
「そろそろ大丈夫だから、お祭り回ろ?」
ゆっくりと立ち上がり、さくらは右手を伸ばした。
「本当に大丈夫か? 無理はすんなよ。」
「大丈夫だって。ほら、はぐれないように手、繋ご。」
半ば無理やり俺の左手を握ると、さくらに引っ張られるように人の波へ入っていった。
でも、なんだろう…この手の感覚どこかで…
顔をぶんぶんと横に振った。きっと気のせいだと。
海人を見つけるためにごった返す人の中を歩き回った。
本当に驚いた、まさか祭りがこんなにも人で溢れかえっているなんて思わなかった。少なくとも二年前はこんなじゃなかったと思う。
家に行っても、文香さんが営むスパイスに行っても、海人は見つからなかった。あれだけいつも隣にいた海人を探すなんて、なんか変な感じ。
照りつける日差しの中、私は砂浜で足を止めた。熱中症だろうか、さっきから足に力が入らない。
思わず膝に手を置く。その間にも顎を伝い、垂れた汗が砂浜に黒いシミを作っていた。
見つからないなぁ…
もし、このまま見つけられなかったらどうなるのだろうか? やっぱり強制的に戻されるのかな。
…いや、ダメだダメだ! 頭をぶんぶんと横に振った。悪いイメージを遠くに飛ばすイメージで。
少し落ち着きを取り戻すと、大きく深呼吸をした。
人の声、雑音の合間を縫って波の音が私の耳に届く。
「いい…音。」
聞きなれたはずの波の音なのに、私はそう呟いた。
ゆっくりと顔を上げる。その先にあったのは砂浜のステージで、その近くの看板には、『歌自慢求む!』と大きく書いてあるのが見えた。
これだ!
そう、思った。力を振り絞ってそこまで駆け出すと、ステージ脇のテントへ申し出た。
「あの、すみません! 外の看板を見てきました!」
勢い任せに飛び込んできた少女を見て、少なからずや困惑しているのが分かった。
でも、そんなの関係ない。
本名じゃなくニックネームと曲名を教えてくれと言われたので、私は『ネコ次郎』と名乗り、曲名を告げると、スタッフの方からマイクを持たされた。その時、スタッフの顔は「まぁ、仕方ないか…」みたいな顔をしていた。
ステージに立つ。緊張感がじりじりと私の喉を締めるのを感じた。
大きく深呼吸。吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー。
そうしているうちにアナウンスで適当に答えたニックネームと曲名が流れ、人の視線が集まる。
きっと小さな女の子がステージにたっているのが珍しいのだろう、まだ会場はザワザワしていた。 まぁ、私生きてれば18なんだけどね。
それではどうぞ!のアナウンスを合図に曲が流れた。
ピアノの前奏、流れるように美しく、波のように静かなそのメロディー。
「帰りのー時間には、日が暮れるようになって…」
私はこの曲が大好きだった。小さい頃、母が私に歌ってくれた思い出の曲。
少し目的は違くなってしまうかもしれないが、一生懸命この歌を歌いたい。
この、大切な人への思いを歌ったこの曲を。
そして、最後のサビの部分。ふと私は少し遠くの砂浜へ目を移した。
思わず歌が止まってしまうかと思った。1人だけ流れに逆らって歩く男の人。妙に高身長で、日焼けした肌。髪型を気にしない寝癖。私はその背中をよく知っている。
直感でそうだと思った。間違いない、あれは海人だって。
やっと見つけた…
すると、海人も振り返り、気のせいかもしれないが一瞬目があったような気がした。
そのまま彼は再び背を向け歩き出す。
まだ、海人と話せたわけでも、会えたわけでもないのに、私は満足感に包まれた。
「階段、気をつけろよ。」
するとさくらは親指を立てて、グッ! で返す。
やはり俺はいつも思うのだが、なぜ神社へ続く階段はこんなにも急なのか。だってこんなのどう考えたってバリアフリーじゃない。きっと今頃足が不自由になってきた神様もここを登るのに苦戦を強いられていることだろう。
ざまぁみろ、と心のなかで思ったら、なんとなく勝った気分になった。
そして階段を上り切ると見えてきたのは的屋群だ。王道の焼きそば、りんご飴。金魚すくい…ベビーカステラ。
…と。…いと。海人!
「あっ。 悪いどうした?」
「大丈夫? なんか顔色良くないよ。」
確かにさっきから地味に気分も悪いし、ちょっと気持ち悪い。たぶん脱水症状か軽い熱中症だろう。
まぁ、俺は立派な大人なので小さな女の子に辛い顔は見せないぜ。その証拠に。
「ちっちゃいの、大人を舐めるでないぞ。」
と、頭をワシャワシャしてやった。
それにしても、やっぱり人が多い。この神社がこんなに人で溢れかえるのは初詣と祭りの日だけだ。
まぁ、どっかの誰かさんは人が来てくれた方が嬉しのだろうが。
「ね、ね、せっかく神社来たんだからお参りして行こうよ。」
それを聞いて、お参りかー、と思った。なぜなら昨日、お参りした時に衝撃の事実を知ってしまったから。
「なにかお願い事するの?」
「もちのろん、海人に彼女ができますよーにーって。」
「大きなお世話じゃい。あと、彼女とかいらないから。」
「えー、そうなの? か・わ・い・そ。」
…は? キレそう。
さくらは続ける。
「でも、その時は私がいるから安心してね?」
「うるせぇ、良いんだよ。将来は働いたお金で一人旅する予定なんだから。」
「やん、ダーリン酷い。」
今更思ったが、こいつ見た目の割には、なかなか馴れ馴れしいぞ。
「そんでお参りはどうする?」
「もちろんするよ。」
ほら行こ! と手を引っ張られた。
二例二拍手一例。お願い事は…お金が貯まりますように、だ。
目を開けてさくらを見ると、まだ手を合わせたままお願い事をしていた。
一体何をそんなに願っているのだろうか?
「終わったか?」俺が聞くと、うん。と頷き微笑んだ。
「ちゃんとお願いしたから叶うと思う。」
「おう、叶うといいな。」
「うん! それじゃか次はおみくじやりたい!」
「おみくじって初詣にやるイメージなんだが。」
「いいの。私はまだ引いてないから。」
まぁ、今年の分を引いてないのは同じだけど。
結局おみくじを引くことになった。あの100円入れて一枚引くやつ。
「それじゃ、せーのでね、行くよ。」
せーの!
おみくじを開くと、俺のには『吉』と書いてあった。なんか普通すぎてなんも言えない。
対するさくらは大吉だったらしく、「やった私大吉!海人に買った!」と喜んでいた。てか、おみくじに勝ち負けとかあるのか?
まぁ、きっと運勢だけで言えば大吉のさくらが勝ち組で、吉の俺は負け組と言った所だろうか。
どれどれ、と自分の内容を見てみる。
げ、恋愛運がゼロだ。今はまだ待つべし、と書かれていた。その他にも、勉強ぼちぼち。運動ぼちぼち。金運ぼちぼち。強いて言うなら健康が最高に良かったぐらいだ。
そして、おみくじの最後の方に書いてあった所に目を移す。
―待ち人、来ず。自分から行くべし。
俺はその文を見て、色々と矛盾してるなと思った。だって、ここの神様が再開を許してくれたんだぜ。変な話だよ…本当に。
でも、待ち人という文字を見て、少なからずや綾乃のことを考えてしまうのは、きっと心のどこかで待ち続けていることの証明だと思う。
今まで忘れようとしてきたけど、やっぱりそれは無理なんだろうな。
「海人、恋愛運最悪じゃん。」
「うわ、見んなこの野郎。」
慌てて手を引っ込めると、さくらはニシシィーとイタズラに笑う。
「てか、海人のおみくじが平凡すぎて面白くない。」
「は?それじゃお前のはどうなんだよ。」
「もちろん勝ち組だよ、はい。」
と渡されたおみくじの内容に1通り目を通す。
恋愛、叶う。勉強、実る。金運、最高。
…なんだこれ、輝きすぎて見れねぇ。
「なんだお前、座敷わらしか何かか?」
するとペッタンな胸を張って、
「ふふーん、海人にも少し分けてあげよーか?」
いらん。とおみくじを返す直前にあることを思い出して、おみくじの一番下に目を通す。
待ち人、必ず会える。
「ほらよ、待ち人会えるってさ。」
「…うん。」
と、さっきとは違う、なんだか少し悲しげな表情で受け取る。
なんか悪いことしちゃったかな…
すると、さくらは突然おみくじを破り始めた。
「知ってるか? おみくじってのは最後に結ぶんだぞ。」
「私、そういうの信じてないから。」
それにー。と顔をこちらに向ける。その表情はいつものさくらだ。
「もう、半分ぐらい願いが叶ってるから要らないの。」
二ヒヒ〜。
「はぁ? 本当に意味が分からん…って、こら! 1人で行くな!」
人混みの中に入っていく、白のワンピースを追う。その後ろ姿は、湿気を知らないように、長い黒髪が優しくたなびいている。
「ちょ、はぐれたらどーすんだよ。」
と伸ばした手が彼女の左手を掴んだ。
冷たい…
瞬間に手の中に違和感が広がった。彼女の手は夏だというのに、サラサラしていてものすごく冷たい。
まるで一人だけ冬の中にいるように。
驚いて離しかけた手を握り直すと、自分の方に引き寄せる。軽い体はたやすく引き寄せられる。
「こんのちっちゃいの、本当にはぐれたら…って。」
目元を隠すさくらの肩は小さく震えていた。頬を伝って一筋の雫が垂れる。それが何なのか理解するのに約3秒かかった。
え? 泣いてるのか…
でも、その理由は分からなくて。俺の発言に何か問題があったのか、それともいきなり腕を引っ張られて驚いたのか。
なんとかこの状況を打破すべく、とっさに俺は頭を撫でた。
そして、さくらの目線までしゃがみ、
「ごめんな、痛かったか?」
と、聞く。
すると、目元を擦りながら首を横に振る。どうやら理由は違うところにあるらしい。
まぁ、まずは落ち着かせるか。
「とりあえず、ここじゃ、邪魔になるから座れる所に行こう。そこまで歩けるか?」
今度は首を縦に振った。
よし、背中をポンポンと叩き、人と人の合間を縫って歩き出す。
確かベビーカステラの屋台の近くに…
「あった。あそこで休もっか。」
と、そこに設置してあった青色のベンチを指す。奇跡的にベンチに座っている先客はいない。
ふぅー、とため息を吐きながらベンチにゆっくりと体重をかける。そして座って気づいたが、ここは昨日さくらが座っていたところだ。
些細なことではあるが少し運命的なものを感じた。
右に視線を移す。さくらはまだ泣いていた。
頭を撫でても、背中をさすっても涙は止まらないだろう。きっとその程度では心の傷を癒すことができない事情が彼女にもあるんだ。
今はそっとしておいてあげよう。
そして、人の流れと共に時間も流れ、だいたい20分がたった頃。さくらは右手で目元を拭い、
「ごめんね海人。なんか目にゴミ入った。」と微笑んだ。瞼は少しだけ腫れていた。
もちろんゴミが入った類のものではないことは知っているが、ボケたんだツッコムのが礼儀。
「そのゴミ、どんだけでかいんだよ。」
と言い返す。
その後に、これぐらい、と親指と人差し指で示した大きさにはツッコまなかった。
「あーぁ、なんか冷たいもの食べたい。」
「おう、そうか。」
「ね、かき氷食べたい。」
「えー、あれ頭痛いじゃん。」
「私、痛いの大好き。」
「へー…は、マジ? 引くわぁー。」
すると、「とーにーかーくー!」と肩を揺らす。
「I want to eat shaved ice…おーけ?」
「お、おう。よく分からんが食べたいことは分かった。」
「それじゃ行こ!」とまたしても手を引かれて屋台へ。
今の小さい子は怖い、きっと見た目からして小学生5、6年ぐらいなのに英語が喋れるなんて…今の子供はグローバルだなぁー。
そう言えばまだ、年齢聞いてなかった。実際は何歳なんだろう。
と考えてる間にも、かき氷の屋台の列に並んだ。
運良く人もそんなに並んでなかったので前に3人、前から男性、親子、カップルだ。
地味に嫌なのが前のカップルがイチャイチャしている所だろう。それ以外は許せる。
そして俺達の番が回ってきた。
「兄ちゃん、その子妹かい?」
「いえ、ちが…」
「かわいいねぇ、よし、その妹の分はオマケだ。好きなのを頼んでくれ。」
とハチマキを頭にまいた、比較的若い男の人は笑顔を見せた。ちなみに、もうなんか面倒臭いので、妹じゃないことは言わなかった。
「良かったなさくら。」
「うん。あ、かき氷のお兄さん。ありがと!」
すると嬉しそうに。「おう!」と笑った。
しかし、そんなキャラじゃないだろさくら…
「それでお前は何にする? あ、俺はブルーハワイで。」
「え、私もブルーハワイがいい。」
「えー、それじゃあ、やっぱりメロンソーダでお願いします。」
はいよ!と勢いよくかき氷の機械が回り始めた。
デジャブだろうか、俺は以前こんな事があったような気がする。
―えー、それじゃあ私はメロンソーダで。
…確実にあったわそんな事。もしかして偶然か?
「はいよ、ブルーハワイとメロンソーダ。三百円ね。」
そう言われて、皿の上に三百円を置くと再びベンチに戻った。
おかしい…さっそくブルーハワイを口にする…ことはなく、俺はある考え事をしていた。
なんだろう、変な話だが以前にもこんな事があったような気がする事が多い。偶然なんだろうか、それにしては明らかにピンポイントすぎる。そもそもなぜ、さくらはあそこが俺の部屋だと、更に初対面のはずの俺の名前が分かったのか。いや、知っていたのか。
足を組み直す。
仮にあの賞状を見て漢字が読めたとしても、トイレの位置を知っていたことの説明ができない。
あと、なんかこれも変な話だが、彼女とは初対面な感じがしない。もっと何年も前から一緒にいたような気がする。
「…まさか、な。」
「ん? どーしたの? あ、ちょっとメロンソーダ貰うね。」
「あ、こら、かってに取るな。ちょっとこぼれたじゃねーかよ。」
「ニシシー。うん、メロンソーダ美味し。」
でもー。と今度は自分が持つブルーハワイを口に運ぶ。
「やっぱりブルーハワイだわ。」
「…え?」
「ん? だから私はブルーハワイ派。」
「あ、あぁ、すまんそっかブルーハワイか、美味いよな。」
アハハ…と苦笑いする俺を見て、「変なの。」とさくらは呟く。
今の気持ちを漢字に文字で表すとしたらきっと『混乱』だろう。色々な考えが混ざりあって、乱れてる。
「あーぁ、なんかおなかへってきちゃったなぁー。」
いや、もしかしたら偶然二年前とよく似た出来事が起きているだけかもしれない。
「ねー、海人。」
いや、そもそも単純に考えて死んだ人が蘇るとか有り得ねーから。ネタとしてはナンセンスだから。
「…」
そうだ、落ち着け。一旦整理しよう。ここまでは偶然に偶然が重なり合った結果、よく似た出来事が起きているだけだ。きっとそうだ、それ以外かんが
「そいやー!」
という声と同時に、頭にさくらのチョップが炸裂した。
「痛った…この野郎殴りやがった。」
「だって海人が話聞いてくれないんだもん。」
「それにしたって…」
「いいの、それよりお腹減った。」
腹へったって言ってもなー。ポケットからスマホを取り出し時間を確認、デジタル文字でpm15:36と表示されている。
この時間帯に空いているのはファミレスかコンビニだが、生憎この漁師町にファミレスなんて都合の良いものは存在しない。コンビニに限っては、なぜもうちょっと町中に建てなかったのかという、町外れに1件だけ。
「屋台の焼きそばとかじゃ駄目なのか?」
「座って食べたい。」
なるほどね。
しかし、そうなるとわざわざバスに乗るしかない。
八方塞がりの状況に、んー…と腕を組んだ。他に座って食べられる場所。
…
あ、あった。
そのヒラメキに思わず、なんで気が付かなかったんだ。とツッコミを入れたくなる。
俺は少し誇らげに微笑むと、
「一つだけあるぞ。」
と言った。
「うん、それじゃそこで。」
と言い、さくらは腰を上げた。っておいおい先に行くな、お前場所にある知らねーだろうがよ。
また、見失っちゃった…
私は肩を落とす。あのステージの後すぐに海人を追いかけた。恐らく方向からして家にいることは間違いない。そう検討をつけて。
人混みに呑まれながら、だいたい三十分前後ぐらいたった頃、やっと海人の家の前までたどり着いた。
いきなりインターホンを鳴らして、目の前に知らない女の子がいるのをどう思うのか、なんて説明しようか。それともあのルールは案外嘘っぱちで、言う気になれば言えるのだろうか。
期待感と少しの不安。
そして、家まであと5m前後のところで、あ。と声を漏らした。
なんと、海人玄関から出てきた。そしてそのまま人の中へ。
呆気に取られて少し固まるが、そんなことをしている場合ではないとすぐにあとを追った。
ここに来てからずっと追ってばかりだ。
背中は見えてるのに、届かない。
途方暮れて神社へ行った。巫女姿の汐を見た。
「二年前より少し胸が大きい…」
これが時の流れなんだろうか、そんなことを考えていたら。また目があった。無論海人と。
あっちも気づいたようで、私達は少しの時間、じっと見つめ合っていた。
「お、ま、た、せ! それじゃ行こっか!」
あ、汐が帰ってきた。私服可愛いな…
そしてまた、見失った。
その後、探し回ったもののやっぱり見つからなくて、日が暮れたのと同じぐらい私は途方に暮れながら、夜の砂浜を散歩していた。
愛してるよ。ここの景色綺麗だね。…君、好き。
あーうるさいうるさい。案の定砂浜はカップルの巣窟とかしていた。
それを避けるために、奥の堤防を目指す。
「そう言えば、あの日もこんな夜だったな。」
なんて、思い老けても見る。
やっぱり堤防に近付けばカップルは少なくなっていた。だからその分波の音がよく聞こえる。
ズザーン…ズザーン…より返す波。月で照らされてぼんやりと白い砂浜。
あの日のまんまだ…
それは、二年前のまま時間が止まっていた。
「綺麗…」思わず口からこぼれる。
そして、まさしくその時だろう。まだ堤防まではに2、300メートル離れているが、誰かが猛烈な勢いで堤防に走っていくのが見えた。
決してハッキリと見えたわけじゃない。ただ、月の明かりに照らされてシルエットみたいに映し出される。だからもしかしたら見間違えかもしれない。
だけど、なんとなく直感で分かった。海人だ…
私は焦らなかった。もちろん心が体を置いて先に走っていくようなぐらい嬉しかったが、あいにく今日の疲れからか足に力が入らない。
だから歩いていこう。
そして堤防までたどり着いた。海人の背中が近くなる。
あと少しで、会える。届く。
もう少し。もう少し…
「かい…」
瞬間、視界がぐわんと歪んだ。同時に世界が逆さまになって、異様な浮遊感に襲われる。
あれ? 何が起こって…
ザッバーン、と派手な音を立てて、一気に冷たい感覚が体を包む。
暗転していく意識の中、私は心の中でこう呟いた。
会えなかった、あと1歩届かなかったな…
さよなら…海人。
世界は暗転した。
「いらっしゃいませ、って凪野くん? どうしたの?」
「うっす、増田さんお疲れ様です。他に空いてないんでここ来ました。」
そう、お察しの通りスパイスだ。ここならまだ、閉店時間は先だし、あとは単純に第2の実家みたいなものだから、気が楽というのもあった。
こういう時だけは母さんがこの店をやってて良かったと思う。
「席はどうする? ちょっと人多いけど奥なら席空いてるよ。」
と、増田さん。もちろん快くではないが承諾した。
「それじゃ注文決まったら呼んで。優先的に飛んでいくから。」
果たしてそれは客商売としていいのだろうかと思いつつも、「ありがとうございます。」と会釈する。
増田さんはすぐに消えていった。
いつもは厨房かオーダーを取っている俺だが、いざ客席に座るといつもと違う感覚がして、なんだか落ち着かない。きっとこれも一種の職業病なんだろうな…きっと。
しかし、ほんの少しだけ誤算があるとするならば、思った以上に人が多かった事だろうか。時間帯的に昼食じゃないし、と言って夕食でもない。そんな微妙な時間なのに席がほぼ満席なのは正直驚いた。それと同時に少しだけ誇らしい。
「やっぱりスパイスって混んでるね。」
「そーなんだよ、ごめんな少し窮屈かもしれないけど。」
さくらは顔を横に振り、
「いいの、気にしないで。」と大人の反応。
「そっか、それじゃ好きなの頼んでいいぞ。」
「うん、ありがと。文香さんがつくる料理は美味しいからね。」
その答えにきっと少しだけ照れたのだろう、俺はアハハ、と誤魔化した。
「それでさ、私早速決まった。海人は?」
「俺は…まぁお袋の味みたいなものだからな、決まってるよ。」
んじゃ注文っと。
俺は手を挙げて「注文お願いしまーす。」と増田さんの方を見る。
すぐに「今行きまーす。」と帰ってきた。
10分後。
「ごめんね凪野君、遅くなっちゃったね。」
「いいんですよ、やっぱり一人だと大変ですね。」
アハハ、と愛想笑いを浮かべたものの、内心では…
おい増田この野郎、優先的に飛んでくるなんて嘘つきやがって…10分間挙げ続けた俺の腕はもうボロボロだ。
「それじゃ、俺は焼きそばで…さくらは?」
「あ、私も焼きそばでお願いします。」
「了解、焼きそば2つね。あと、凪野君、ずっと気になってたんだけどその子は誰だい?」
うるせえさっさと仕事に戻れ、と思いつつも答える。
「この子は…親戚の友達の妹です。」
「海人の彼女です。」
はい、嘘です。なんか面倒臭いので頭に思い浮かんだことをパッと言ってみた。
…
は?
案の定、増田さんも同じ反応をしてはもった。
「え、えーっとー、つまり親戚の友達の妹さん…が凪野君の彼女さん?」
おい何だその顔、すっごい複雑な顔してるぞ増田さん。
「じゃなくて、違います。彼女でも何でもないです。ちょっと面倒見きれないので預かってください、と言われたので仕方なく。」
「何それ、私ペットみたいじゃん。」とさくら、しかし彼女はこのままでは終わらなかった。
いかにも演技っぽく。
「なんでそんな酷いこと言うの…言ってたじゃん私のこと愛してるって、それにあんな事までしたのに…」
「はぁ!? お前ふざけんな、捏造すんな!」
「そうか、そうか、つまり君はそういう奴だったんだ。」
増田さんはそう呟くと、厨房に消えていった。てか、なんだそのエーミールみたいなの。
と、俺は天井を見上げた。やだなぁまだ夏休みバイト残ってんのに…
なんか涙出てきた。
そんな俺を尻目に、目の前のさくらはテーブルに突っ伏して肩を震わしていた。
「俺さ、お前のこと嫌いだわ。」
それでも、まだクスクスと笑っている。頭にきたからちょっと強めに、頭にチョップを食らわしてやった。
「ふぎゃ。」
なんだそのマスコットみたいな鳴き声。
「痛っあー…レディの頭殴るなんて最低。」
「お前にだけは言われたくない。」
「だって海人が変な嘘つくんだもん。親戚の友達の妹とか。」
「仕方ないだろ、俺お前のこと知んないし、あと単純に増田さんがめんどくさい…」
そう言えば俺、まだ聞いてなかった。
「それでもあれはないよ…ちょっと傷ついた。責任とってよね。」
「なぁ、その前に一ついいか?」
俺は息を吸う。
そして、さっきまでの流れを直角に折り曲げて、質問をした。
「ずっと忘れてて聞いてなかったけど、どこから来たの? 少なくともこの町出身じゃないよね。」
そう、これを聞き忘れていた。さくらを助けることに必死で。
本当はすぐにでも警察に連絡するのがいいのは分かっている、だってきっと、さくらのお父さんとお母さんは心配している。
ましてはこの人混みの中で行方不明となれば、自然と誘拐なども視野に入ってきてしまう。
なのに、その事を聞き忘れていた俺は本当に愚かだ。
まだ間に合う、今から警察に行こう。
一方、さくらは困った顔をしていた。その証拠にさっきから、えーっと…その…が何回も続いている。
「私、ここには一人で来て…」
おやおや、一人で来たのか。ちょっと意外。
「そっか、ちなみにお父さんとお母さんの所には連絡入れなくて大丈夫?」
「お父さんとお母さん…結構前に亡くなってるの。」
その言葉を聞いて、やってしまったと思った。
「ごめんな、嫌なこと聞いちゃって。」
すると、苦笑いで首を振った。
「いいの、大丈夫。」
そして、少しの沈黙と、何とも言えない思い空気が流れ込んだ。
一言で居心地が悪い。
他の客の声が妙に耳に届く、「人多いね。」「焼きそば美味いな。」「この後どうする?」
いつもは忙しくて気が付かなかったけど、お客さんの大体は若い人だ。みんな頭が黄色い。
ガラッと音がして、そちらに振り返る。
「さくら?」
「ごめん海人、焼きそばあげる。」
それだけをいうと、さくらは店を出ていってしまった。
「おい、さくら!」
「お待たせー。ってあの子は?」増田さん、今はバットタイミングだぜ。
そのお盆の上には焼きそばが2皿湯気をたてていた。
小さく舌打ち。
「増田さん、それ俺からのプレゼント!」
そう言って俺も店を駆け出した。
「えぇ! ちょっと! 凪野君?」
困惑そうな声が後ろから聞こえた。安心してください、お金からテーブルに置いといたんで。
嬉しかったんだ…
ちょっと形は違うけど。
それでも目が覚めた時、海人が目の前にいて嬉しかった。
「ねぇ、名前は?」
名前を聞かれた。だから私は答えた。
「すず…」
波綾乃。
そう答えようとした瞬間、息が詰まった。まるで喉の奥で鈴波綾乃という文字が引っかかったように。
なんで…なんで自分の名前が言えないの。
ふと、あることを思い出した。
それは、この祭り、死者へのルール。
―自分のことを話してはならない。
「すず…き、そう鈴木!」
なんだそれ…
それから私は鈴木さくら、と君に名乗った。
その時心のどこかで思っていたんだと思う。海人なら気づいてくれるって。
でも、私が辛かったのは海人に嘘をついてしまったこと。もちろん遊びで嘘をついたことなんていっぱいある。だけどこういう嘘は初めてで、なんか海人を騙しているような気がした。
「それじゃ海人でいいよ。」
なんか変なの、私昔から海人の事は海人って呼んでたのに。
「それでさ、道に迷っちゃってさ。」
懐かしい、その話、私と界人で街に出かけた時だ。しっかり私が吐いたことまで覚えてやがる。
「海人って意外と最低だね。」
その後、手を繋いだ。確か最後に手を繋いだのは二年前の祭りの日だ。まさかあれが最初で最後になるとは思わなかったけど。
おみくじも引いた。
きっと私が引いたおみくじの中で1番良かったと思う。恋愛、金運、健康、全部最高だった。
今更こんなおみくじを引いたって…ねぇ。
そのおみくじを結ぼうとした時、ふと最後の欄に目がいった。
待ち人 会える。
それを見てたら、なんだか妙に悲しくなった。
会えてる。だけどきっと私が望んでいる再開はこれじゃないって。
だから、破った。ビリビリに破ってやった。
「いいの、もう半分ぐらい叶ってるから。」
大丈夫。海人ならきっと気づいてくれるから、わざわざおみくじを結ぶ必要なんてないの。
日は既に暮れていた。
それなのに客足は一方に減らない。
「どこに行ったんだあいつは…」
辺りなんて見渡しても見つかるわけがない。それでも見ないよりはマシだと思った。
長い砂浜を探し回る。そのうち何度も同じところを、グルグルとしている事に気がついて、思わず舌打ちが漏れる。
あーもう…うっとおしいな。
明らかな八つ当たり。そんなことは分かってる。でも今だけはこの会場にいる人がすべて消えてしまったらな、と思った。俺とさくらの二人残しに全員…
ポケットからスマホを出して画面の上を指が滑る。
耳にスマホを当てると、すぐに声が返ってきた。
「もしもし、海人どうかしたの?」
「母さん、そっちにさくら言ってない?」
「え、さくらちゃん? 来てないわよ。」
あぁ、くっそ…
通話を切って再び走り出した。
時間は分からない。さっき電話をする時には既に7時40分だったから、今は8時半とか9時頃になるのだろうか。
「どこにもいないな…」
夜の闇が深まれば深まるほど探すのが困難になる。主に遠くまで見通しが効かなくなるからだ。更にこの人だかりを合わせると状況は最悪だ。
まるで泥沼にでもハマっているかのようだ。もがけばもがくほど深く沈んでいく。
あの後、俺の家、神社、駐車場、学校。いそうな所は全部調べた。それでも手がかりすら見つからない。
「すみません、これぐらいのちっちゃな女の子、来ませんでしたか?」
最終的には町外れのコンビニまで歩いた。でも収穫はなし。
よくよく考えればこんな所まで歩けるわけがないのに。と思いながらお手上げ状態。今に至るというわけだ。
営業が終了して、真っ暗なスパイスの椅子に腰掛けていた。もちろん砂浜には、まだ人がいっぱい居て、そのお目当ても、きっと今年から導入された花火だろう。だって祭りのポスターにはあたかもそっちがメインのように書かれていたからな。
12時に花火がなったら、この人だかりは徐々に減って明日にはいつも通りの日常が帰ってくる。砂浜にはたくさん財布が落ちていて、それを拾って交番に届ける。そのうちの2割ほどが持ち主が見つからないまま俺の物になる。
いつもはそう思っていた。だけど、今日だけはこのままではいけないと思った。
このまま終わったら後悔する。
「つってもなぁー、もうこれ以上探すとこなんて…」
―また来年もここに来ようね。
瞬間、なぜか綾乃声が頭の中を駆け巡った。
「綾乃?」
思わず辺りをグルグルと見渡す。
「気の…せい?」
そうなのかもしれない、いや、きっとそうだな。
俺はすっと椅子を立ち上がる。
「たぶん、あそこだ。」
砂浜へ、人の波へ飛び込んだ。
―朝日と共に現れた、さざなみを越えて、やって来た。
―姿形は別の人、されど私はここにいる。想い人のすぐそばに。
―月が別れを持ってきた、さようなら、さようなら。
妙に波の音が聞こえた。ズザーン、スザーンって。
次第にそれは大きくなって、祭りの音はとうとう聞こえなくなった。
ごめん、ちょっとだけ違うかもしれない。もしかしたら、その波の音は俺の心のざわめきなのかもしれない。
そう思ったのは、防波堤に立つさくらの背中を見てから。
とても悲しそうな背中をしていた。夏だというのに、熱を感じない。
夜風か海風か、彼女の長い髪をフワフワと操る。それと白いワンピースのスカートの部分を少しだけ持ち上げていた。
青い。直感でそう感じた。今のさくらは海に溶けてしまいそうなぐらい透明で、青い。
俺は思い切って近づいた。きっと手を伸ばせばその髪に、背中に触れられる距離に。
「さくら…やっと見つけた。」
振り向かずに、
「ずいぶん遅かったね。」と帰ってきた。
「すまんな、人が多くて。」
それから少しだけ沈黙が続いた。
…めん。
なにかさくらが呟いた。
「ん? どうした?」
すると、さくらはばっと振り返り微笑んだ。
「ごめんね、海人。急に逃げちゃって。」
その目はいつもより少しだけ赤くて、泣きそうで。
「でも、安心した。やっぱり探しに来てくれたんだ。」
「おう、あのままだとお前行方不明だしな。それに。」
瞬間、さくらは俺に抱きついてきた。華奢な腕が俺の背中に伸びる。
「さくら?」
しばらく、そのまま何も答えれくれない。回す腕に力がこもる。
「ありがとう。」
というと、すぐに腕が離れた。
「お前、泣いて。」
「おっと、その先はアウト。ちなみにこれは涙ではなく、オシッコです。」
「おいふざけんな、俺の服になんてもの付けてくれたんだ。」
…
プッ…フフ。
フフフフ…プッ!
アハハハ!
しばらく見つめあった末、俺達は二人揃って爆笑した。これは完璧にさくらが悪い、だってあんなシリアス展開の中に、そんなジョークぶっ込まれたら笑うしかない。
「そもそもなんだよそれ、お前の体にはどう何ってんだよ。」
笑い涙を擦りながら質問した。
するとさくらも目元を擦りながら。
「私も分からない。」と。
不覚にも、その問に、また笑いそうになった。
「ね、ここで話さない? 私さ明日には帰るしかないからさ。」
あぁ、そうか明日には祭りが終わるんだ。
なんだかんだで終わってほしいなんて言ってるけど、それは少しだけ寂しいような気がするな。
「おう、語り明かそうぜ。」
「うん、ありがとう。それじゃあ…」
学校のこと、家のこと、最近起きた出来事、テレビの番組のこと。
俺のこと、母さんのこと、汐のこと。
そして、あれだけ忘れようとしていたアイツのこと。
「何それ…変なの。フフ…」
「なんだよ、笑うなよ。」
語った。笑った。ただこの時間が楽しかった。
あぁ、心から楽しいと思えたなんて、いったい何年ぶりだろう。
時計の針を一番進めるのはきっと楽しさだ。ふとスマホを見るとデジタル文字で11時45分を表示していた。
「うわ、もうこんな時間か。」
俺が声に出すと、さくらもスマホをのぞき込む。
そして、一瞬悲しそうな表情をした。
「もう少しで…終わっちゃうんだね。」
「そうだな、でも、花火見てくだろ? あれ今年から始まったんだよ。」
「うん、知ってるよ。」
「へぇー、ということは去年も祭りに来たの?」
その問に顔を横に降る。
「ううん。ここに来たのは二年前かな。あの時は花火なんて上がってなかったのに。」
「そうか、二年前か…それじゃもしかしたら、さくらもアイツに会ってるかもな。」
「うん。そうだといいね。」
「なんだよ、急に人事みたいに。」
…
すると、さくらは急に黙り込む。その様子はどこか焦っているようにも見えた。
もう、時間は無いんだよね…
そう呟くと、スッと立ち上がり1歩足を踏み出すと、防波堤の先の部分に立った。
クルンと振り返る。
その表情は優しく微笑んでいた。
「ごめん、もう時間ないから言うね。私、海人の事が好き。」
あまりにもの、突然の告白に俺は口をポカンと開ける。
「…え、ちょっと待って、え?」
「そういう所、昔から変わらないねホント。」
「えーと、さくらさん?」
「それと、ごめんなさい。何も言わずに、先に一人でいってしまって。」
「何も言わずにってさっきのこと? それなら別に…」
「あと、ありがとう。私、海斗からの告白、嬉しかったよ。本当嬉しかったよ。」
「こ、告白? 俺そんなこと…」
―俺の隣にお前以外のやつがいるなんて考えられない。
その時、なぜか二年前の言葉が頭をよぎった。
―海斗からの告白を忘れるなんて、絶対にしない。
なんで、あの時の…
ハッとして俺は顔を上げて、続けた。
口をパクパクしながら喉の方から声を絞り出す。
「お前は一体…誰なんだ?」
とある月夜、俺は目の前の少女に問う。
長い黒髪が風にたなびく。それに反射するように月の光が当たってキラキラと輝いていた。
パチッとした可愛らしい目が俺を捉える。
髪と同じ色の綺麗な目は、奪った視線をどこまでも深くへと引きずり込む。
すると、途端に目の前の少女はクスッと笑った。そのイタズラな表情で。
「教えて欲しい?私のこと。」
その問に、生唾を飲み込んで頷く。喉仏の辺でゴクリと嫌な音をたてる。
「でも、それは出来ないの。そういう決まりだから。」
けど…と、月明かりが照らしつける夜の中、彼女は口を開く。
「けど…あなたならとっくに気づいてるんじゃないの?」
…
俺はここに来て、その名前を言うのを戸惑っていた。
死者が蘇るなんて有り得ないし、現実的じゃない。そんなことは知っている。だから俺はこの祭りに対して批判的である。
…
でも、もしかしたら心のどこかでは願っていたのかもしれない。この言い伝えが本当でありますようにって。
また、アイツに会えますようにって。
次は俺がさくらの瞳を捉えた。力強く。
息を吸う。
そして、
「綾乃…お前は…鈴波綾乃ですか?」
パリーン…
その瞬間、目の前の少女から薄いガラスが割れる音がした。
「海人…私ずっと寂しかった。ずっと独りだった。」
綾乃の瞳から涙が零れる。
足元に涙が落ちて弾けた。
「ずっと…ずっと苦しかった。こっちに戻ってきても自分の名前言えなくて…海人に変な嘘ついて…それでもなんとか気づいてもらもうと必死で、それでも、私がさくらでも海人といるのが楽しくて、それだけで笑顔になれて…」
「綾乃…」
「ねぇ、私…そろそろ泣いてもいいかな?」
俺は耐えきれなくなって、華奢な体を抱きしめた。
その温かさは、形は違えど綾乃だった。
「う…うぅ。辛かった…辛かったよ!」
そして、関を切ったように綾乃は泣き崩れた。静かな砂浜に悲痛の叫びが響いた。俺の耳にもそれは響いて、いつしかもらい泣きをしていた。
「綾乃…ありがとう。俺に…会いに来てくれて…ありがとう。」
しばらく、俺達は抱き合ったまま泣いていた。きっと傍から見たらみっともないんだろう。でも今はこれでいいんだ。このままがいいんだ。
そして、とうとうその時は訪れる。
砂浜の方からヒューという甲高い音が響いて、弾けた。
「花火…綺麗…」
回した腕を離し、花火を見あげた。
「そうだな、綺麗だな。」
綾乃は目元を擦ると、こちらを見てニコッと笑う。
「花火と私、どっちが綺麗?」
「花火。」
「うわぁ…ムード台無し。こういう時は嘘でも、綾乃って言うんだよ普通。」
「やだよ、お前にだけは嘘をつきたくない。」
…
「嫌い。」
「知ってる。」
…
「嘘。好き、大好き…愛してる。」
「もちろん、知ってる。」
向き合う。二人の視線がぶつかって、少しの間、見つめあって。
唇が重なる。
不思議と周りの音が聞こえなくなって、まるで俺と綾野だけの世界みたいだ。
どうかずっと2人で…いられたらいいのに。
唇が離れて、また視線がぶつかった。
「あーあ、セカンドキス奪われちゃった。」
「おう、俺がもらっておいたぜ。」
「うん、海人で良かった。」
「そう言えばさ、お前覚えてるか? キスは時々するのがいいって言ったの。」
「そう言えばそんなこと、言ったっけ…懐かしい。」
さっきよりも花火の量が増えた。
もうすぐ明日になる。そしたら君は消えてしまうのだろうか。
綾乃は花火の方を見ながら、
「もうすぐ終わっちゃうね。」と寂しげに言った。
「だな。」
…
「これ、私からの遺言ってことで絶対に守ってね。」
「なんだよいきなり…それで内容は。」
「私のこと、忘れないで。」
「それだけ?」
「ううん、あと、将来は汐と結婚してね。」
「うん、わかっ」
って…
「はぁ? お前いきなりっ!」
「だって、私より汐のこと好きでしょ!」
「なんでそうなるんだよ!」
「だって…キス、すっごい下手なんだもん。俺は汐のことが好きだーってその唇が言ってるんだもん!」
っ…言い返せない。
俺は頭をかいて、ため息を吐く。
「分かったよ…でも、浮気じゃねぇーからな。俺はお前のことも好きだからな!」
「うん。仕方ないから海人のサードキスは汐に譲るよ。」
そして、一瞬。花火が打ち止んだ。
俺と、綾乃は向き合う。
「次の花火で最後だね。」
「お前は、帰るんだな。」
砂浜の方で、声が聞こえた。野太い声で「うちあげるぞぉー!打ち上げるぞぉー!」と。
「うん、帰るしかないね。」
「そうか…」
シュゥー…パッ。
ヒューン…
「また来年もここで会おうね。」
「当たり前だろ。絶対に来いよ、俺の元カノ。」
フフフ…
さよなら…元カレ。
パァーーン!
さざなみが打ち付けるこの街に、金色の花が空へ咲き誇る。
気がつけば綾乃はもう居なかった。まるで存在していなかったように。
フゥーと風が頬をかすめた。夏だというのに風が冷たい。
波の音が聞こえた。でもいつものザバーンとか、ズサーンじゃなくて、サラサラと透き通るような波の音が。
空を見あげた。デネブ、アルタイル、ベガ。はっきりと見えた。素直に綺麗だなって思った。
足元を見れば月の明かりで自分の影が伸びていた。
「ん? なんだこれ?」
俺のすぐ横に握りこぶし1個分の黒いシミが目に入る。
触れてみると、妙に生暖かい。
そして俺は思わず、「なるほどね。」と声に出す。
その黒いシミは涙の跡で、綾乃が存在した証だった。
「綾乃、ありがとう。」
俺はくるりと向きを変え、足を1歩、また1歩と前に出す。
その1歩は、来年へと向かい始めた。
―朝日と共に現れた、さざなみを越えて、やって来た。
―姿形は別の人、されど私はここにいる。想い人のすぐそばに。
―月が別れを持ってきた、さようなら、さようなら。
―さざなみと、月夜の街に愛しき人。
この度は、間違えて投稿してしまい、申し訳ありません。
この後編は、リンカーネーションの後編というのが正しい形です。




