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指先



 残業終わりのサラリーマンで電車の中は混み合っている。吊革に掴まって電車に揺れている人が、電車の外からでも見えてしまうくらい。季節が夏だったら汗の臭いで、息がつまりそうだ。



 左端にだらしなく座っている男、片倉依涼(かたくらいすず)

 いつもの習慣なのか、背広のポケットからスマホを取り出そうと、手を突っ込む。と、定期が顔を覗かせ滑り落ちた。

「落ちましたよ」

 隣に座っている男性が、スッと定期を差し出す。

 その手は、男性の割りに指先の手入れがしっかりしている。綺麗だ。なんて見惚れていたせいで、お礼を言うのを忘れてしまいそうになり、慌ててお礼を言う。

「あっ、ありがとう」

「いえいえ。定期がないと大変ですからね」

「そうだな」

 少ない言葉を交わしていると、車内アナウンスが流れる。次の停車駅、冨川駅を告げるものだった。

「僕、この駅で降りるので失礼します」

 男性はペコリと頭を下げ、電車を降りた。

混み合っていた電車も一気に人が減り、空席が出来ている。



(初対面の人なのに、話しやすかったな)

などと思いながら、スマホでニュースをチェックする。しかし、内容など頭に入ってこない。

さっきまで隣にいた男性の綺麗な指先が頭から離れず、依涼は持っている定期をじっと見つめるのであった。













 革靴の音が廊下に響く。規則正しいきちんとした音ではなく、どこかやる気のない、だらしない音である。

「片倉先生、おはようございます」

「おはよ」

 音の発信源である片倉に、制服姿の女子高生が挨拶した。

 片倉の職業は高校教師。だが、全く教師らしくない。白のYシャツの第二ボタンまで外し、紺色に小紋の入ったネクタイを緩く結んでいる。それがグレーのスーツによく映える。



 職員室のドアを開くと、片倉の隣の席でパソコンの画面とにらめっこしている男性が、立ち上がった。

「あっ。片倉先生、丁度良いところに来た!」

「何だ、朝からそんなデカイ声出して」

「大きな声を出したくもなるよ」

「はいはい。で、降織(ふるおり)先生は今回どんなトラブルを起こしたんだ?」

「人をトラブルメーカーみたいに、言わないでほしいな」

「じゃぁ今回はトラブルじゃないんだな?」

 片倉がそう問いかけると、降織は苦笑いを浮かべながら頭を下げた。

「…作ったテストのデーターが見つからないんだ」

「あぁ。それなら…」

 降織のパソコンの前に立ち、カチカチとマウスを動かしていく。何個目かのフォルダをクリックし終え、マウスから手を離す。

「あっ、あった!」

「俺のファイルに保存してあったんだよ。昨日、たまたま開いたら見つけた」

 片倉はため息混じりにそう言い、自分の席に飲みかけの缶コーヒーを置きPCを起動させた。沢山のデータが入っているため、開くまでに時間がかかる。

「煙草吸ってくるか」

 鞄からIQOSと灰皿代わりにしているフタ付きの缶を取り出し、校舎裏へと向かった。



 目の前に大きな桜の木がある。満開の時期は終わり、今は葉桜になっている。それが風にのって舞い落ちる。

「ふぅ~…美味い」

 白煙が晴天の空に向かって昇っていく。朝からトラブルに巻き込まれ、よっぽど疲れたのだろう。

 学校の敷地内は禁煙になっている。生徒が隠れて吸わない様、生活指導の先生が見回りを行っている。しかし、その先生がここにいる片倉本人。職務を利用して、見回りの時間外になるとここに来て吸っているのだ。

 なぜこの場所なのかというと、校舎裏の目の前が今は使われていない旧校舎になっており、誰も近づかない。はすなのだが…



「敷地内は禁煙ですよね?」

 今までこんなところで声をかけられたことがなかったので、慌てて吸殻を缶の中に落とした。

「次からは気を付ける」

 視線を缶から声のした方へ移すと、そこにいたのは、昨日電車の中で会った男性。

「あっ、昨日の…」

「覚えてたんですね。今日から入院している先生の臨時で赴任しました、冬馬雪隆(ふゆまゆきたか)です。よろしくお願いします」

「よろしく。俺は片倉依涼だ」

 目の前でにこやかな笑顔を浮かべている冬馬の指先に自然と目が行く。昨日も思ったが、教師とは思えない綺麗な指先をしている。細く長い指。爪も形を整え、綺麗に切ってある。

「片倉先生、どうかしましたか?」

「いや、何でもない。先に職員室に戻るわ」

 男性の指先に見惚れていたなんて、気付かれたくない。この場に居づらくなり、片倉は急いでこの場を去った。

(何で俺、男の指先に見惚れているんだよ…)













「片倉先生ー、ちょっといいですか?」

 放課後、社会科準備室のドアを一人の女子生徒がノックと共に開く。

「どうした?」

 片倉は手に持っていたマグカップを机に置き、回転式のイスに座ったまま、ドアの方に身体を向ける。

 室内には片倉と女子生徒の二人のみ。他の職員は部活に行ったり、職員室で仕事をしている。部活を持ってない片倉は、ここで仕事をしている。

「課題のプリントで解らないところがあって、教えてくれませんか」

「どこが解らないんだ?」

 女子生徒は片倉の元まで行き、シャープペンで印を付けている箇所を見せながら、シャープペンを使ってそこを指す。場所を確認し、抽斗から教科書を取り出すと、パラパラとページをめくっていく。

「この問題は93ページに答えが載っている。少し文章が違っているが、押さえているポイントと答えとなる単語は教科書と同じにしてある」

 片倉は胸ポケットに入っているシャープペン付きボールペンを取り出すと、カチカチとシャープペンを出す。そして、印の下にページ数と解き方のポイントを書き込んでいく。

「こうしとけば、後でやりやすくなる」

「ありがとうございます!」

 女子生徒は勢いよくお辞儀をする。



 他にも何か言いたい事があるのだろう、視線が机上のマグカップに向けられた。小さく息を吐き、意を決したかの様に片倉を見つめる。

「私、先生の事が好きです」

「…ありがとう。でも俺、婚約者がいるからごめん」

 腕の中にある教科書とプリントの歪む音が女子生徒の耳に。その動作が片倉の目に映されるが、それ以外に静かに頬へと流れる滴が片倉の心の中へと落ちていく。

「…教えてくれて、ありがとうございました。失礼します」

 瞳に小さな池を作ったまま、社会科準備室のドアを力なく開けた。

 廊下には重い足音がゆっくりと響いているのだった。残ったのは深い溜息と、虚しく揺れるマグカップからの白煙のみ。



「知りませんでした。片倉先生に婚約者がいたなんて」

「冬馬先生。いつからそこにいた?」

 校舎裏に向かおうと鞄を開ける手を止め、開かれたままのドアに顔を向ける。そこには、ドアの柱へ身体を預けノートパソコンを腕の中へと収めている冬馬の姿。

「告白されてるところからずっと。僕日本史専攻なので、ここで仕事をしようかと思いまして」

「そうだったのか。俺の前の席が空いてるから、そこ使って良いから」

 礼を述べ、案内されたテーブルの上に手に持っている物を置いた。

「ちょっと席外す」

 鞄の中から急いでIQOSなど、校舎裏に向かうため準備する。無造作にノートパソコンを閉じ、教室を後にした。



 片倉には婚約者どころか、彼女すらいない。しかし、婚約者がいると言えば誰もそれ以上は追求してこない。だから告白を断るのに便利で使っている。断る度に生徒の涙を見るのは辛いが、他の断り方を見つけることが出来ない。生徒を傷つけず、

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