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五 港湾担当官百人長マルニドの戦い 下

 十二月も後半になるとファレスリー港での船団編成はマルニドの担当になった。これは、水軍で行っていた作業であるが、船団編成は、積み込みの担当者が行う方が上手くいくというのがルトロメウベス万人長の判断だった。


 この船団編成の作業を補助するためにルトロメウベス万人長は水軍から二人の文官を貸してくれた。この二人は有能でマルニドの負担はかなり軽減された。


 年が明けると、地中海で使用される三角帆の船が毎日のようにファレスリーの港に到着した。


 イースへの補給を何事に優先してでも行えというバスチアム総領の厳命で、ルトロメウベス万人長は地中海での海上輸送を一旦破綻させても地中海方面から商船を回航させる決断をした。



挿絵(By みてみん)




 ところが、地中海方面からの商船の回航は右から左とはいかない。


 ネックはノメス(現ジブラルタル)海峡である。最狭部が十四キロしかないノメス海峡の両岸はアサルデ人国家ブラブス王国の領域である。このノメス海峡をヘロタイニアの船が通過する場合は相当額の通行料を要求されるが従来は通過はできた。


 また、イース侵攻前は数ヶ月かけて徐々に、商船を大西洋方面に回航させてブラブス王国の疑念が生じないように気を配っていた。


 ところが、イース戦争が始まり、十二月になった段階で、イベリア半島南部、今のモロッコからアルジェリア西部沿岸を版図とするアサルデ人のブラブス王国は、ヘロタイニア船のノメス海峡通行を禁止するという布告文をバスチアム総領に送ってきた。


 もし、荷を地中海方面から大西洋方面に送りたければアサルデ船を利用せよとも布告文には書いてあった。


 ヘロタイニアは、地中海方面からの船を移動が目的なので、ブラブス王国の要求は飲めない。


 ブラブス王国はリファニアとは”古き同盟”と呼ばれる関係である。局地戦とはいえ、ヘロタイニアとリファニアが戦闘状態になれば参戦しなくとも、ブラブス王国はリファニアに加担する。

 また、ブラブス王国の布告の背景にはヘロタイニア人側にはイースでの戦争を行いながらイベリア半島などでブラブス王国との軍事的な衝突を起こす余力はないだろうという判断があった。


 実際、ブラブス王国からの布告という目上からの知らせを受け取ったバスチアム総領は激怒した。そして、万余の軍を編成して、ブラブス王国に対して懲罰を行うと言った。

 ようやく、バスチアム総領は家臣団の説得で、二正面作戦とも言うべきブラブス王国に対する戦争を思いとどまったが、布告を守るつもりはなかった。


 バスチアム総領が命じた処置はノメス海峡の強行突破である。


 本来は内陸の遊牧と沿岸部の農業を主体にしているブラブス王国は、水軍は、自分達の商船を保護できれば良いという考えで強力な戦力を保持しているわけではない。

 ヘロタイニア水軍の主だった者も、ブラブス王国がノメス海峡を完全に封鎖はできないだろうという考えであった。


 また、ブラブス王国の布告がリファニアに対するお義理的名意味合いのもので、自分達が血を流すかもしれないことはしないだろうという意見を言う者もいた。


 しかし、その考えは希望的観測だった。最初の地中海方面のヘロタイニア商船が、ノメス海峡を通過しようとした時に、十隻ばかりの小型軍船が両岸から押し寄せてあっという間に拿捕された。


 ブラブス王国はリファニアとの交易が盛んで、敵性勢力のヘロタイニアがリファニアとの航路上にあるイースを支配下におくことなど許容できるものではなかった。


 地中海方面からの大西洋方面への商船の回航はバスチアム総領の厳命であるので、ヘロタイニア水軍は、本来ならイースへの護衛に使用しようとしていた軍船を遣り繰りして護衛船をつけることになった。

 さらに、本格的な交戦状態にならないように夜間航行をおこなって海峡を突破することになった。


 まず、三十隻ばかりのヘロタイニア商船が、十隻の軍船に守られて夜間に海峡を突破した。

 この時は、帆走装置の不具合で最後尾をよろめくようについてきていた一隻の商船が拿捕されたが、ブラブス王国の軍船は他のヘロタイニア船には手を出さなかった。


 これに勢いづいて十二月と一月に、十数隻で船団を組んだ九十八隻のヘロタイニア商船が海峡を通過した。

 ただ、毎回、船団から離れてしまった二三隻の商船は拿捕されてブラブス王国はその決意の程をしめした。


 そして、ファレスリーに回航されたヘロタイニア商船は尻を叩かれるようにイースに向かった。



挿絵(By みてみん)




 二月になると、今まで使用されていなかった沿岸用の小型船がファレスリーの港に集められ出した。マルドニは船腹が枯渇してきたことを感じた。


 沿岸用の小型船は遭難の恐れが高いので、必ず船団を組ませて荷はあきらめても人間だけは救助できるようにする必要があった。


 小型船では従来イースに出向いていた船の四半分ほどの荷しか搭載できず、その分は隻数で補う必要があった。船が増えたために、積み込みは小分けにしなければならないために作業効率は低下した。


 その答にマルニドが考え出したのが埠頭の拡張だった。廃船にする老朽船が三隻あると聞いて思いついたものだった。


 埠頭の先端に、老朽船を縦方向につないで埠頭を臨時に延長した。老朽船には三隻を貫通して荷車が通れるように板を張った。


 老朽船は比較的大型な上に荷を積んでいないので、大概の船が横付けしても老朽船から、荷を積む船に荷を投げ入れる高さが確保できた。これは、沖まで行って小舟で荷を船に運び上げるより格段に効率が向上した。


 また、この異なった船を貫いて運搬用の板で通路を作るという発想から、マルニドは大工を雇って通常の埠頭部分に横付けした船の外に、もう一隻船を横付けして、埠頭から二隻の船に板を渡して、二隻同時に埠頭から荷を積めるように工夫した。


 これで、沖積みをする船は格段に減るとともに作業効率も高まった。 


 三月二十三日の深夜、マルニドは、部下にたたき起こされた。緊急事態ということで、港に駆けつけるとまるで波止場に係留した船が一度に燃え上がっているかのように火に包まれていた。


 さらに波止場に近い位置にある倉庫からも火の手が上がっていた。


 その炎に照らし出されて見知らない二隻の軍船が、ファレスリーの港を出て行こうとしていた。

 かすかだが、その軍船の方向から「ヴァォォー」という雄叫びのような声がマルニドの耳に届いた。


 リファニア水軍の奇襲攻撃だった。


 夜陰と下弦の月明かりを利用して、密かに二隻のリファニア軍船は、南東からの風に苦労しながら、現在のロアール川河口の北に位置するファレスリー港に西から侵入するとボートを降ろして、数十人の海兵を埠頭に向かわせた。


 埠頭に辿り着いたリファニア海兵は、マルニドの手勢である僅かな数の警護の兵士を倒すと、そこに係留してある補給船と倉庫に油をまくと火を付けて回ったのだ。


 港の外郭には、無用の者を立ち入らせないために、相当数の守備兵が配備されていた。しかし、港そのものが襲撃される発想のなかったヘロタイニア側は、治安目的の少数の兵士しか港に置いておなかったことで、リファニア海兵に、相当の時間、行動の自由を与えてしまった。


 埠頭で火の手があがると、港にいたヘロタイニア軍船の乗組員たちは、火災事故だと思って軍船を離れて消火に駆けつけた。


 おりからの南東からの風はリファニア船がファレスリー港に侵入する妨げになったが、今度は、その南東からの風にあおられた火の粉によって、港の火災はファレスリー市街地にまで飛び火していた。


 リファニアの農村部はいざ知らずリファニアの都市部では防災上の観点もあって、民家でも板葺き屋根や瓦屋根を使用している。

 ところが、ヘロタイニア地域の都市では、藁葺わらぶき屋根の民家がほとんどだった。この藁に飛んできた火の粉は次々に新たな火災を起こし始めた。



挿絵(By みてみん)




 ルトロメウベス万人長が陣取るファレスリーの水軍本営が事態に気がついた時には、すでに、リファニア海兵が本船にもどりつつある時だった。


 おっとり刀で駆けつけたルトロメウベス万人長の命令で、あわてて迎撃のための軍船が埠頭を離れようとしたが、乗組員の多くが消火活動に出払っていたために、出港に手間どった。

 最初のヘロタイニア軍船が埠頭を離れた時には、リファニア軍船は港をかなり離れた外海に出ていた。


 それでも、六隻の小型の快速船が、水平線に遠ざかるリファニア軍船を必死に追跡した。ヘロタイニアの快速船からは、いつまでも炎で明るくなったファレスリーの街が見えていた。


 下弦の月明かりのもと、明け方に、復讐の怒りに燃えたヘロタイニア軍船は一リーグほどの距離までリファニア軍船に接近した。

 一対一では、小型のヘロタイニア軍船は、リファニアの外洋向きの大型軍船には叶わないが、相手の倍以上の船があれば、小回りが利くことを利用して敵船に接近して切り込みを行うことも可能だった。


 相手が二隻が、味方が六隻である。一二隻が犠牲になることを厭わなければ最終的には、リファニア軍船を捕獲することも可能だと、臨時の艦隊の指揮官のような立場になったヘロタイニア軍船の中の最古参の艦長は確信していた。


 ただ、快速船といってもそれは、海がある程度、凪いでいる状態で他船より速度が出せると言うことで本格的に大西洋の洋上にでると小型船故に波浪の影響を受けてやや速度は落ちる。


 それでも、ヘロタイニア軍船はじわりじわりとリファニア軍船に近づいた。リファニア船に半リーグほどに迫った時に、リファニア船から”雷”の攻撃が始まった。


 ヘロタイニア軍船はあわてて出港してきたので、二隻の軍船にしか巫術師は乗っていなかった。

 そこで、巫術師が乗っている軍船を先頭にして、”屋根”を展開して三隻づつの単縦列をつくってリファニア軍船の追跡を再開した。


 そうなると、三隻が常に”屋根”の中にいるようにしなければならないために操船は格段に難しくなり。勢いにまかせてリファニア軍船を追うことができなくなった。


 追跡はその日一日行われた。夜間になって、曇天の空が天を覆って闇が海上を支配すると、ヘロタイニア軍船はリファニア軍船を見失った。


 夜が明けてくると、水平線の彼方にリファニア軍船が視認できた。再び、ヘロタイニアの快速軍船は追跡を開始した。

 だが、リファニア軍船は常時、巫術師による追い風を利用しているのか丸一日追跡してもほとんんど距離は詰まらなかった。


 夜が来たがこの日は星明かりがあり、かろうじてリファニア船は視認出来た。ところが、ヘロタイニア軍船の搭載物に問題があった。


 急遽、出港してきたので、食糧どころか、水もごく僅かしか搭載していなかった。すでに、丸二日半、乗組員は、ほぼ飲まず食わずで操船していた。


 帰りを考えれば帰還することのできる限界地点に近づいていた。古参船長はやむなく全船に帰投を命じた。


 ヘロタイニア水軍は、その本拠地に敵の侵入を許して相手に触れることさえできずに取り逃がしたのだ。


 この通り魔のようなリファニア軍船の襲撃は、ファレスリー港が王都タチのあるイギナ湾のように、常時、監視警備されていないという情報を何年も前から間者の報告でリファニア王立水軍が知っていたことから研究されていた。


 ヘロタイニアまで艦隊を押し出す力はないが、単独、あるいは少数の軍船による襲撃はリファニア王立水軍でも可能だと結論が出ていた。


 イース近海でのヘロタイニア船襲撃はそれなりの成果はあげていたが、リファニア王立水軍の負担も大きかった。


 そこで、当時の水軍長官だったバルセマド子爵の肝いりもあって、敵の補給基地を叩くことでイース近海で哨戒に当たっているリファニア王立水軍の軍船を一時的にでも減らして、春になれば出てくる可能性のあるイースのヘロタイニア水軍主力との戦いに備えさせよとした。


 さらに、増援艦隊の補給物資を叩けば、その出港を遅らせることができるだろうという見積もりもあった。


 襲撃部隊の軍船は四隻だった。うち二隻は補給船で、自船の食糧や水の消費を押さえるために、かなりの減員で航行していた。

そして、補給任務の軍船はヘロタイニア近海に近づくと、襲撃船に食糧、真水を補給して引き返す。


 帰途の物資を得た襲撃船は襲撃に適した下弦の月を待って真夜中にファレスリー港に侵入する手筈だった。


 下弦の月を選んだのは、接近中は月明かりがなく襲撃前に見つかりにくいことと、逃走時はある程度の明かりが欲しかったからである。


 昼間、ファレスリー港からぎりぎり見えない水平線に潜んでいたリファニア王立水軍軍船は夜の帳が辺りをつつむと、方位磁石だけを頼りにして慎重にファレスリー港に向けて進んだ。

 そして、真夜中前に下弦の月が水平線に出ると巫術師の力をかりて全速でファレスリー港に入る。


 この間、リファニア軍船に、不信感を持って近づいてくる船には全く出会わなかった。リファニア王立水軍では余程の悪天候でないかぎり訓練を兼ねて王都が面するイギナ湾では必ず夜間哨戒を行う軍船が出る。

 リファニア王立水軍の将兵は、敵は襲撃を察知して罠を仕掛けているのではないかと反対に心配したほどだった。


 前述したように、うまうまとファレスリー港に侵入したリファニア軍船は海兵を乗せたボートを降ろしたのである。


 最初から襲撃目標は、輸送船と物資の焼き討ちだった。軍船はいくらなんでもかなりの人数の乗組員が乗船しているはずであるから少人数の襲撃では幾らも破壊できないと判断されていた。


 長年、研究されファレスリー港の様子まで頭に叩き込まれた海兵の襲撃は予想以上の成果をあげて、全ての海兵を収容してリファニア王立水軍軍船は去った。


 ファレスリー港での被害は甚大だった。


 人的被害は波止場と倉庫を警護していた兵士七人が斬り殺され、船内で寝ていた船員二十一名が焼死、消火活動で十名以上が重軽傷を負った。


 また、ファレスリーの市民は、火災に巻き込まれ五十人以上が死亡、その倍の人数が大怪我を負った。


 かなりの規模の火災にしては、思いの他人的被害は少なかった。問題は物資の損失である。


 埠頭に密集して係留してあった三十九隻の補給船のうち、あわてて舫い綱を切って埠頭から離した九隻を除いていずれもが火災の被害を受けていた。


 十七隻は船体までが焼けただれて、荷も焼失して完全に使い物にならなくなっていた。どの船にも多少なりとも炭を積んでいたのが火の回りを早くしたようだった。

 全ての船に炭が搭載されていたのは、どの船がイースに到着するのかわかならいので、出来る限りイースのヘロタイニア軍が必要とする物資を小分けに積んでいたからである。


 これは、マルニドとそのスタッフが、積み込みを綿密に計算して初めて実施できたことだが、この夜はそれが仇になった。


 残りの船も帆走装置が焼けて荷も半ばは火が回り、さらに水をかけてために、荷を一度運び出してから船の修理をしなければならなかった。


 倉庫は五棟が全焼し、三棟が半焼だった。半焼の倉庫も水をかけたために中の物資は大半を廃棄しなければならなかった。


 使い物にならなくなった補給物資は、イースのヘロタイニア軍が必要とする八十日分にも及んだ。


 僅か二隻のリファニア軍船の奇襲攻撃は、ヘロタイニア側が掻き集めた輸送船の四分の一近くを使い物にならなくした。

 殊勲のリファニア軍船二隻は、実に、ヘロタイニア側が備蓄した物資の六割以上を喪失させた。


 もし、祐司の属する世界で、このようなことが歴史上起こっていたとしたら、”中世のタラント奇襲”とか”中世の真珠湾攻撃”と呼ばれただろう。


 失われた物資はまた新たに調達しなければならなくなった。春先になりタダでさえ食糧をはじめ物資が枯渇して来る時期である。新しく集める物資の量を聞いた調達官は卒倒しそうになった。


 そして、ファレスリーの街も延焼で、前述したようにヘロタイニア地域では多い藁葺わらぶき屋根の民家が三百軒以上焼失した。そして、延焼を防ぐために、さらに百軒以上の家が壊された。


 人口が一万数千程度の都市にとっては大きな打撃である。家と財産を失った人間には何の補償も援助もない。


 兵站基地としてのファレスリーは、基盤から大きな打撃を受けたのだ。


 港湾での積み込みが本職のマルニドを落胆させたのは、あれほど苦労して作った臨時の延長埠頭にしていた老朽船が、半分以上、焼けてしまったことだった。

 特に荷を運ぶために新しく作った水平で頑丈な甲板は完全に焼失して船縁も半分は焼けていた。


 ともかくも老朽船は浮いているので、マルニドは翌日から、また大工を呼んで修理を始めさせた。



 ファレスリーがリファニア水軍による焼き討ちを受けてから、五日後、桟橋の修理を監督している最中にリファニア軍船を追跡していた快速船が帰還してきた。


 リファニア軍船を取り逃がしたという報告に、バスチアム総領は激怒した。すぐさま追跡に加わっていた船の艦長達が敵前逃亡の汚名を着せられて逮捕された。


 翌日、ファレスリー港に敵船の侵入を許した咎でバスチアム総領は水軍の長ルトロメウベス万人長に剣を与えた。


 自死の指示である。


 ルトロメウベス万人長の死後、ルトロメウベス万人長は万人長の位を剥奪された。そして、近親者以外の出席する葬儀も禁止された。


 元々、ルトロメウベス万人長は水軍の長の役職で万人長の位と加増した領地を与えられており、本来は世襲の千人長である。


 しかし、バスチアム総領はルトロメウベスの息子には千人長の世襲を許さず、リファニアでの下級郷士に当たる十人長の位に落とした。そして、千人長としての大半の領地を没収した。

 お膝元のファレスリー港を焼き討ちされた上に敵に一手もかけらることなく逃したバスチアム総領の怒りはこれでおさまらなかった。

 リファニア軍船の追跡を打ち切ったことを理由に、逮捕されていた六隻の快速船の艦長は全員死罪となった。さらに、ルトロメウベス万人長の幕僚も八人が自死の命を下された。


 ところが、ヘロタイニア水軍全体が、この処置に反発した。元々、港湾の警護は、その地の守備隊が責任を負っており、海戦での敗北ならしざしらずルトロメウベス万人長が責任を問われる類のモノではない。


 そして、敵船を追跡した艦長達を処刑したことで、多くの艦長が体調不良や艦艇の損傷を口実に出港しなくなった。

 勇猛果敢に小型船で、リファニアの大型外洋軍船を追跡して死罪になるのなら出港しないほうがましと言う訳である。


 バスチアム総領は出港を拒否した艦長を捕らえると命令不服従で処刑した。さらに、各艦艇に自分に忠誠を誓う同じ部族の兵士を送りこんだ。


 バスチアム総領も自分の処置が短慮によるもであるのは承知していたが、ここで引き下がると、自身の権威が傷つき政治的な失点になりかねないので強固な姿勢を貫いた。


 しかし、水軍が面従腹背ではイースでの勝利どころか遠征軍の撤退さえできない。そこで、バスチアム総領は、後任の水軍の長に水軍の中で評判のよいファナシエヴ千人長を任じた。ファナシエヴ千人長は、ルトロメウベス万人長の前に水軍の長だった人物である。


 バスチアム総領は水軍に漂う不穏な空気を押さえるために、自分が自死させたルトロメウベスを自ら責任を感じて自決したとして、元々の位である千人長に復帰させて、息子に継がす布告を出した。


 そして、一切の水軍の指揮はファナシエヴ千人長に任せて、水軍に関する論功行賞もファナシエヴ千人長が行うことをバスチアム総領は布告した。

 また、水軍の長に返り咲くことを固辞するファナシエヴ千人長に、どのような事態になっても辞任以外の処罰は与えないと誓約した。     


 その上で、バスチアム総領は齢七十一のファナシエヴ千人長にイースへの増援艦隊の指揮官として艦隊を率いてリファニア王立水軍を壊滅させ、是が非でも、リファニア王国の王都タチを攻撃せよと命じた。


 ファナシエヴ千人長は、王都タチを攻撃するのは自分の寿命のうちにはできないと断った上で、全ての軍船と物資、援軍を一気にイースに運び込んで決戦を行うことをバスチアム総裁に願い出た。


 ファナシエヴ千人長が、バスチアム総領に説いたのは数ヶ月に渡る味方が生き残るためだけの輸送で次第に消耗していく水軍と、破綻寸前のヘロタイニアの沿岸航路を考慮すればイースからの撤退か、投機的だがファナシエヴ千人長の言うようにリファニア水軍とイースのリファニア派遣軍との決戦を行うということである。


 バスチアム総領にとって政治的に撤退が無理な以上、ファナシエヴ千人長の言うように一か八かの決戦を行うしかない。


 バスチアム総領は、ファナシエヴ千人長に勝算を聞くと、自分が要求する艦艇と物資が揃っても五分五分以上には出来ないと即答した。

 そして、バスチアム総領の足元を見るように戦闘の結果で、指揮官以下の水軍の将兵に責任を問わないことを最初に水軍全体に布告して欲しいと言った。


 最初は、ファナシエヴ千人長の罷免を考えたバスチアム総領だが、有能という評判のあったルトロメウベス万人長を処刑して、ここで、水軍全体に受けがいいファナシエヴ千人長を、僅かの期間で罷免すれば水軍が機能不全になる恐れがあった。


 バスチアム総領は、イース遠征軍の現状を鑑みてファナシエヴ千人長の提案を飲んだ。


 この時、冬を乗り越えたイース遠征軍からの公式報告では、全ての兵士が幽鬼のような状態ではあるが任務についていると記してあった。


 公式報告も幽鬼のような状態と書かれていたイース遠征軍は、慢性的な食糧不足で兵士は、一日穀類が二百数十グラム、干し魚やチーズなどの副食が五十グラム、油脂類が数グラム、たまに近隣の海でとれた魚が一片ほどをあてがわれているだけだった。


 ただ、補給船が無事に到着した翌日は、定量と考えらていた穀物六百グラムが与えられたが、月に二三回のことだった。


 また、兵士達の空腹を押さえるために、少しでも食事量を増量するために、薪を砕いて大鋸屑を作ってはパンに混ぜていた。


 この食事量と内容では、じっとしていても、次第に体重が減るような状態である。積極的な攻勢どころか、大規模なリファニア勢が投入されれば防衛にも支障をきたす。


 体力の低下で、一冬の間に、全体の一割を超える八百名以上の兵士をむなしく失っているような状況である。生きている兵士も病に倒れている者が多い。

 この状況では船舶が枯渇してきた中、数ヶ月のうちに、イース遠征軍は自壊する恐れがあった。


 そして、このようなヘロタイニア勢は戦闘とも言えないような戦闘を強いられていた。


 ヘロタイニア軍がイース(アイスランド)で確保しているのは、ヌ=ヘロタイニアと名付けられた、最初に上陸した地点と、その南にある水軍が本拠地にしているカフ島(ヘイマイエ島)だけである。


 ヌ=ヘロタイニアは、時折、小規模な軍勢が威力偵察のように近くまでやってくるだけでリファニア軍やイース軍が包囲を行うような素振りはなかった。

 そこで、近くで物資の調達ができないかと軍勢をだすと、その倍以上の軍勢が待ち伏せをしており損害を出しては根拠地に逃げ帰ることが繰り返され、ヘロタイニア軍に厭戦的な雰囲気が蔓延していた。


 また、密かに巫術師が忍び寄ったのか、しばしば夜間には突然、”雷”が打ち込まれた。そのために、ヘロタイニアの巫術師は交代で”屋根”をかけておく必要があった。


 ヘロタイニア軍のヒューベルスト万人隊長は駐屯地の周囲に空堀を掘り、その土で土塁を造った。

 これは、いざという時の抵抗拠点とするとともに、空掘りの内部には鳴子を張り巡らして巫術師の接近をいくらかでも防ぐような対策であった。


 この作業に従事した兵士には半人分余計に食糧が供与されたが、体力気力の落ちた兵士が一月半ほどで完成させたのは深さが一メートル、幅が三メートル程の空堀と一メートル半ほどの高さの土塁といった抵抗拠点にしてはいささか心許ないものであった。


 敵の巫術師は警戒して空堀を越えてくことはなくなったが”雷”は依然として打ち込まれ続けた。


 この攻撃は、味方の巫術師による”屋根”がかかっている限りは直撃の恐れはないが頭上で響く”屋根”に打ち付けられた”雷”は気持ちのいいものではない。

 

 勇将とされたヒューベルスト万人隊長も、現状では攻勢は無謀と判断していたが持久していれば益々戦力が低下するというジレンマに陥っていた。



挿絵(By みてみん)




 そこで、一気に水軍による決戦を行い、まず、イース周辺の制海権を確保しようというのがファナシエヴ千人長の考えだった。


 しかし、決戦は相手がのってこなければ起因しない。


 ファナシエヴ千人長は、ヘロタイニア地域に残余している軍船に補給物資と補充の兵士を満載してイースに届けイース遠征軍による全島の占領をバスチアム総領に進言した。全島の占領となればイース、リファニアもそれに対応しなければならない。


 そこで、自分が率いる艦隊とイースに駐留する艦隊を合同させて、決戦を行いイースの一部をヘロタイニアに割譲させることで講和に持って行こうというのがファナシエヴ千人長の考えだった。


 幸いにリファニア出兵を睨んで建造されてきた軍船の建造を早めることで、数十隻の軍船がファレスリー港に集結しつつあった。


 この計画にはバスチアム総領も乗り気だった。いたずらにヘロタイニア軍は消耗しているが、本格的な戦闘は行われていない。


 このようなイースのヘロタイニア勢の苦境をバスチアム総領は把握していた。しかし、バスチアム総領は精強なヘロタイニア軍が正面からリファニア・イース軍に当たれば勝利は確実だと確信していた。


 この根拠なき自信は、彼が何度も打ち破ったアサルデ人と同様に、イス人の血が混じったリファニアの人間は劣った血を受け継ぐ者であるというヘロタイニア人の多くが囚われている宗教に由来する人種的な偏見があったためである。


 大急ぎで波止場を修復したファレスリー港に、周辺地域から続々と兵員や食糧が集められた。もちろんそんなことをすれば周辺地域が干上がってしまう。


 一端は食糧を徴発するが、後でヘロタイニア地域全域から集めた食糧を与えると言うことで住民を納得させた。


 これは、広範な地域から少しずつ物資を集めようという考えで近代国家なら、そう無理なく行える。

 ただ、中世段階のヘロタイニア地域では、遠方から物資を運ぶこと自体が大事業である。輸送手段は馬車か駄載しかない。


 数千の馬、人間を輸送のために動員しなければならない。その人間や馬は、食糧や秣を消費する。

 近代国家なら十トンの荷を三百キロの距離を運ぶのに、トラック一台とドライバーがいれば一日ですむ仕事である。


 しかし、道も満足に整備されていないヘロタイニア地域では、百頭以上の馬と五十人ばかりの人手をかけて、十日以上かかるのである。道中の護衛や監督のためにさらに二三十人の兵士も必要になってくる。


 この運んでいるのが穀物だとすると、運ぶだけで七百キロ程度は消費してしまう。帰路の食糧まで考えればその倍はいる。また、馬の秣も換算すれば、運ぶだけで三トン程度の穀物がなくなる。


 近代以前の国家では、地産地消が基本で食糧の遠距離輸送は膨大な浪費になりかねない。


 イース遠征は、リファニアへの出兵基地を得るための遠征だったが、西部ヘロタイニア地域の総力戦の様相を呈することになった。


 マルニドは、港湾の積み込み能力を超えた事態に、新しく水軍の長になったファナシエヴ千人長に泣きついた。


 最初は「なんとかしろ」とばかり言っていたファナシエヴ千人長も、渋々、軍船の乗組員を積み込み作業に動員させた。

 本来なら続々と就航してきた新造軍船の乗組員を訓練をしたい時期であるが、無い袖は振れない。


 なにしろ、新造軍船の乗員が不足して、商船から水夫を供出させて数は補っているが、新しい軍船の乗組員は、揃って船を航行させたことがほとんどなかった。


 さらに、軍船に搭載する食糧を確保するために、被災したファレスリーの住民までもが強権でかり出されて周辺地域から食糧などを運び込む。


 無理に無理を重ねて、五月中旬にはついに艦隊にほぼ定数の物資を搭載できた。ついに、艦隊の出港が可能になった。  


 これは、戦略的な奇襲効果をヘロタイニア側に与える可能性があった。


 リファニア側は、ファレスリー港の奇襲で大きな戦果を挙げので、当面はヘロタイニアからの新たな攻勢はないと判断してイースへの増援艦隊を王都に留め置いた。


 ヘロタイニア側に勝機があるとすれば、このリファニア側の油断である。


 船足が遅いために何隻かの先発した輸送船はあったが、五月二十日、物資と千五百の兵員を満載した五十七隻のヘロタイニアの本国艦隊とも言うべき艦隊はイースに向かって出港した。

 

 この出港には、バスチアム総領が直々に港に出向いて見送った。


 艦隊には、ヘロタイニア地域に残された最後の優秀船というような軍船の行動についていける商船二十七隻が千の兵員と艦隊の補給物資を搭載して同行する。


 この増援艦隊にイース駐留の艦隊を加えれば、百五十隻にも及ぶ大艦隊になる。これに対するイース北西部を根拠地とするリファニア王立水軍と各領主の混成艦隊は五十隻に満たなかった。


 この艦隊の出港は、リファニアの要請で沖合で見張っていた二隻のブラブス王国水軍に属するアサルデ船が察知する。この船はすぐさま、それぞれイースとリファニアに向かった。


 艦隊が出港してしまうとマルニドの仕事はほとんどなくなった。


 根こそぎ沿岸用の舟艇までもが挑発されたので、民間の輸送物資もファレスリーの街には例年の三分の一も入ってこなかった。


 ファレスリーの街で焼かれた一郭は、まだ、ほとんど手が着かずに近くに行くだけでまだ、焼け焦げた木の臭いが漂っていた。そこに、港湾の仕事を基盤にしている街に、物資を運んでくる船が激減したのだ。


 五月に入るとファレスリーの街でも備蓄食糧が不足しだした。たちまち、食糧は高騰する。通りには物乞いをする者が日々増え始めた。


 また、食糧を買い占めているというような噂がたった店の前には暴徒寸前の人間が押しかけた。

 これらは、ファレスリー近郊の城塞にいるバスチアム総領の護衛隊の一部がファレスリーに駐屯していることもあり、力ずくで押さえ込んでいた。


 水軍の拠点、兵站の要であるファレスリーでの不穏な動きはバスチアム総領も、なんとかしなくてはならないと認識していた。


 そこで、新たな軍需物資の徴発を、勢力下の部族に命じて陸路で集まってきた食糧の一部をファレスリーの住民に、バスチアム総領からの火事見舞いという名目で配給した。


 これで、ファレスリーの情勢は沈静化したが、初夏の収穫前に食糧を徴発された農村部は塗炭の苦しみを味わうことになった。

 そして、度重なる徴発に従順に従ってきた部族長達も、バスチアム総裁にこれ以上は無い袖は振れないと言い始めた。


 マルニドは、そのような情勢を横目で見ながら、さらに、船で兵士や物資を効率的に送り出す計画を練っていた。

 そして、なによりイースでの戦勝のあかつきに、大勢の捕虜を伴って兵士達が凱旋してくる時を待っていた。


 六月に入ると、まだ、ヘロタイニア地域に残っていたのかというような外洋船を二三日に一隻ほど送り出す仕事があった。


 六月末から七月初旬にかけて、数隻の軍船がファレスリーに帰還してきた。しかし、乗組員は水軍本部で拘束されて戦いの帰趨はどうなったのか何も発表がなかった。


 そのころから、マルニドは水軍の本営がただならぬ気配になったことに気がついた。箝口令がひかれているのか、どの長も口は堅かった。

 それでも、どうやらヘロタイニア艦隊がとんでもない事態になっているらしいと言う噂がファレスリーの街のあちらこちらで流れ出した。


 マルニドにも、どうやらヘロタイニア水軍は壊滅的な打撃を受けて、イース遠征軍もほとんどが死ぬか捕らわれたらしいという情報が種々の伝手から入ってきた。


 七月中旬になると、マルニドが親しくなった後送担当官が捕らわれた。続いて、物資徴発担当官が逮捕された。二人は一旬をおかずに処刑され、身分と財産は没収された。

 処刑が終わってから、バスチアム総領の名で布告された罪状は役職を利用して個人的な利益をむさぼって、背後からヘロタイニア軍、特に水軍の足を引っ張ったというものであった。


 七月下旬になり、イース方面での戦役が終了したというバスチアム総領の布告が出た。その布告はイースでの戦いで、勇敢な戦を行ったが、遠征軍のヒューベルスト万人隊長と、水軍の長としてヘロタイニア艦隊を指揮したファナシエヴ千人長は戦死したと記されてあった。   


 ファナシエヴ千人長は戦死したが、水軍全体が知っているファナシエヴ千人長との約束、すなわち水軍には一切の責任を問うことができないので水軍に関わった部署の人間をバスチアム総領は、敗北の生け贄として狙ったことが次第にマルニドにもわかってきた。


 マルニドは伝手を総動員して二人の告発書の内容を入手した。


 どちらもが、予算を流用したという内容だった。その流用したという事例は二人が、仕事の円滑化のために行ったことを知っているマルニドは青くなった。

 明らかに言いがかりである。むしろ、誠実に任務を果たしてことを誉めてもらっていいくらである。


 そして、このイース遠征に携わった後方の人間の逮捕劇は始まったばかりだった。八月のなると、さらに、財務担当や軍船の造営を監督していた長が逮捕され処刑された。


 バスチアム総領は、本格的に敗戦の責任を後方で遠征軍の支援をしていた者達に押しつけ出したことは明白だった。


 マルニドは、バスチアム総裁の側近に遠縁の者がいた。そして、その側近から、マルニドの名も挙がっていることと、身分を息子に継がせて、名と所領を残したければ相応の覚悟をしなければいけないだろうという書状が届いた。


 マルニドはヘロタイニア人貴族である。息子に身分と所領を残すことは第一の責務である。マルニドの決心は早かった。


 マルニドは妻と子に送る遺書を書き終えると、港の見える小高い丘に行った。そこから、海の彼方を見た。


 マルニドは海の彼方のリファニアでも自分と同じように港湾で、兵士や輸送物資を運ぶための仕事をした人間がいるのだろうかと思った。もしいるのなら自分はその人間と戦って破れたのだと思った。


 それから流れる雲を見た。雲はイースのある方向から流れていた。マルニドは短剣で喉を突いた。


 マルニドの戦いは終わった。



 マルニドが考えたようにリファニアでもマルニドと同じような仕事をしていた人間はいる。ただ、マルニドは知るよしもなかったが、それは個人ではない。


 リファニア王国の王立水軍には、平時は各地の駐屯地への補給担当の部署がある。また、船団護衛のための護衛艦艇の編成を行う部署もある。

 戦時はこの部署が統合されて編成および補給が一括して行えるようになる。リファニア水軍には初歩的ながら出師と兵站の概念があった。


 各軍船や艦隊の指揮官は与えられた艦艇と物資で、作戦と戦闘のことだけを考えればよかった。


 マルニドが戦ったのは、この経験豊かなリファニアの組織である。まったく手探りから始めた個人が、組織に叶うはずもなかった。

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