四 港湾担当官百人長マルニドの戦い 上
この話の後半はヘロタイニアからイースへの物資輸送の戦いを兵站の一端を担う港湾担当者の立場から描いています。残念ながらこのイース戦争当時のヘロタイニアでは兵站自体が戦いの一部であるという認識はまだされていません。
バスチアム総領は、イース侵攻軍の編成に当たって場当たり的に役職を決めていた。本来、ヘロタイニア軍が遠征する場合は、その軍の指揮官が物資の調達から輸送手段の手配までを行う。
ヘロタイニア内部で数千と言った規模の軍勢の移動なら、まだなんとかなる方法であるが、イースへ遠征を命じられたホルドフリート万人隊長が、船の手配やら後送手段を自分で行うことは無理だった。
そこで、バスチアム総領は遠征軍への物資を集める担当と、軍船以外の船の手当を行う担当を決めた。
そうすると、次に物資を出発地の港まで輸送する担当を決める必要が出て来た。その担当を決めると、どの船に、何を積み込むかを決める担当が必要になった。
また、実際に船に荷を積み込む人手を集める担当も決めなくてはならなかった。数ヶ月ほどで十人以上の責任者がいながら、それを統率する人間がいないという兵站組織ができた。
それでも、遠征軍が送り出せたのは各部署の責任者の個人的な奮闘があったからである。しかし、この統率者のいない兵站組織はイースへの補給戦が始まるとすぐに綻びを見せ始めた。
イースの鬼ごっこが行われた時期からイース近海でのリファニア水軍の活動が始まった。最初のイース救援軍として王立水軍の軍船が十数隻イースに派遣されたのだ。
王立水軍はイースの北西に根拠地を置いて、二三隻でヘロタイニアの小規模な船団を襲撃しだしたのだ。
数隻からなるヘロタイニア船団は半数が逃れ半数が拿捕されるということが続くようになった。
拿捕された船の物資はそのままリファニア軍とイース軍の補給物資になった。
十二月になると、リファニア王立水軍の本格的な分遣隊が水軍の持つ領主の混成艦隊、そして、商人達が提供した輸送船団といっしょにイースに到着した。
そして、この分遣隊と混成艦隊、輸送船団は王立軍五百と義勇兵千九百を伴っていた。義勇兵のうち航海中に船酔いしないという理由で四百が海兵に配属された。
リファニアのロセニアル王は友好的な領主の水軍以外の動員を領主には要求せずに、イース救援軍は個人単位の義勇兵とした。
これは、王命で動員をかけても、ほとんどの領主はあれこれ理屈をつけて兵を出すことはないだろう見込みがあったからである。
あからさまに王命が無視されてリファニア王の権威が傷つくより、真に戦う気概のある個人を集めた方がよいという判断である。
この目論見はある程度あたり、領主階級や郷士の次男三男の中で血の気が多いか、一旗揚げようという者や、ロセニアル王の檄文に感激した傭兵出身者が毎日、百人は王都の門をくぐるようになった。
その志願者をさらに選抜した。義勇軍が千九百人になったのは兵站上の理由である。ロセニアル王はバスチアム総領よりはるかにイース、そして、遠隔地の戦いを理解していた。兵站能力から考えて派遣できる兵力を逆算したのだ。
イースに派遣された義勇軍の兵数が千九百といういかにも半端な数であることで、かえって厳密に考えられた数字だということが理解される。
この義勇兵の中には、二百を超える巫術師も含まれていた。
近代軍で言えば火力重視の少数精鋭部隊である。
リファニアからの援軍が到着したのと同時期にヘロタイニアから、一時地中海方面の軍船をからにして、護衛を強化した大規模な船団が到着した。
半減した兵力の増強としてバスチアム総領は直轄の二千八百の軍勢と、新たな指揮官としてイベリア半島方面でブラブス王国のアサルデ人に痛打を何度も与えていた勇将ともいうべきヒューベルスト万人隊長を派遣した。
ホルドフリート万人隊長の自死から、間を置かずに新しい指揮官を送り込めたのは、ホルドフリート万人隊長が自分の死の前に、責任を取って自害するので新しい指揮官を決めてくれるようにとバスチアム総領に書状を送っていたからだ。
当初からの遠征軍の残余、十一月からの小出しの増援とあわせてイースのヘロタイニア軍は七千九百という数になった。それに加えて、イースに残るヘロタイニア艦隊の乗員が二千五百名程度いる。
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ヘロタイニアの水軍は、一万を超える人間を飢え死にさせないために、二千キロの航海をして食糧を補給することになった。
通常の商船は、荒れた北大西洋での運用が考えれておらず長距離の航行にも不安がある上に船足も遅く、容易にリファニア水軍に拿捕せれる危険性があったために、輸送は軍船も一部担当することになった。
ただ、ヘロタイニアの軍船は大型ボートといった代物が多いので平均的な商船の五分の一程度の量しか搭載することはできなかった。
まず、ほとんど空になっているファレスリーの港の倉庫を満たすためにバスチアム総領の勢力が及ぶ地域に臨時の徴税が行われた。さらに、漁民を含めた船員の強制徴用が行われる。
これは、リファニア出兵を考えて軍船の建造促進はされていたが、そのスピードを上げて春には大規模な水軍を出現させて一気にイース近海の制海権を握ろうというバスチアム総領の目論見である。
そのためには資金も人間も必要である。撤退せずに掛け金を上げた以上は、バスチアム総領は、イースという賭博台から益々離れられなくなっていた。
大枚をはることのできる春まではなんとしてでもバスチアム総領は、イースの占領地を保持するつもりだった。
そのヘロタイニア軍によるイース占領地とは、最初に上陸した地点に幅半リーグ、奥行き四半リーグの地域を確保しているのと、沖合のヌ=ヘロタイニア(新しいヘロタイニアの意味 現実のヘイマエイ島 13.4平方㌔)と半ば自嘲気味に名付けられた島に過ぎなかった。
このヌ=ヘロタイニア島は外洋の波を防いでくれる絶好の入り江があり、ヘロタイニア軍船はこの入り江を根拠地にした。
中世段階の軍であるヘロタイニアのイース遠征軍も近代軍とは比べものにならないが、それなりの補給物資を必要とする。
イースでの占領地のヘロタイニア人兵士達の頭にあるのは、寒さを防ぐ住居、暖かい衣服、そして、食べ物のことだった。水軍を併せて約一万人以上の兵士は一日に、最低六トン(四十石)の穀物が必要だった。それに油脂類や副食を入れれば食糧だけで八トンは欲しい。
ただ、これでは軍務に支障がでる量で、士気が落ちずに、酒なども適時まじえて、まっとうに軍勢の士気を維持したければ十トンが最低ラインだった。
その上に樹木に乏しいイースに薪炭を送る必要があり、煮炊きをして寝るときは少しは暖かいおもいをしたいとなると、一日で最低七トンの薪炭を消費した。
さらに、衣服、照明用の油、軍船の装備品、補修のための器材などで、二トンほどの物資が毎日必要である。
ヘロタイニア側は一日二十八トン弱、月に八百トンを超える物資を占領地に送り込まなければならなかった。
これは通常のヘロタイニア商船では十五隻から十七隻ほどになる。北大西洋の冬の荒れ具合を考えるとさらに積荷を減らして二十隻以上にわけたい。軍船の場合は、数少ない大型船でも搭載量が減って二十数隻で運ぶことになる。
ヘロタイニアでの出発地は現在のフランス大西洋沿岸のファレスリー(現実のサンナゼール)である。
バスチアム総領からのイースへの補給を円滑に行えと言う命令を受けたヘロタイニアからイースまでの海上部分の兵站を命じられていた百人長のマルニドは思わず天井を見上げた。
元々は、マルドニはファレスリー港での船への荷の搭載を差配して、船が出港できるようにする担当だった。
中世段階の社会ではまず港湾に物資を集積することが一大事業である。そして、物資が港についても、それを仕分けして上手く輸送船に配分して、効率よくイースまで輸送しなければならない。
その仕事が、直接、海上を航行する船全体を統括することになった。バスチアム総領は、それを予期しておらず、その仕事を行う港湾担当には、身分的には、軽い百人長であるマルニドを臨時に任命していたのだ。
結果的にそうなったが、ヘロタイニア地域で兵站を遠征軍とは独立した者が行うのは破格のことである。
だがイース遠征という大事業に、近代軍でいえば大尉からせいぜい少佐といった身分の者が、もっとも重要な海上部分の責任者になっていることから決して兵站が重要視されていたわけではない。
遠征軍が出発するまでの、二ヶ月はマルドニは寝食もまともに取ることができないほど多忙だったが、遠征軍が出発してしまうとしばらくは暇になった。
後送の荷を送ろうにも港の倉庫はほとんど空で、余分な船もなかったからである。
木材などを輸出してアサルデ人から穀物を得ているヘロタイニア人は、そのあたりから気楽に徴収ということができない。
勢い、必要な穀物をすぐに入手しようと思えば、アサルデ人商人から調達して彼らの船で輸送してもらうしかない。それも足元を見られ通常の倍の価格である。それでさえ、商談が成立して一月後に到着すれば迅速な方である。
十一月と十二月は、物資の調達責任者が強権を発動して近隣の住民から臨時に徴収して後で、返却という手段を取らざる得なかった。
その仕事に、徴発担当の責任者から要請されてマルニドは自分の手勢を応援の兵士として回した。そして、手勢が少なくなった状態で集まってきた荷を調べたりと重荷が増える。
そうやって苦労して集めた荷が集まって来る間にも、マルニドは配船のやりくりをした。
ヘロタイニアはリファニアのヘロタイニア人居住地域に移民を送ったり小規模な交易を行っていた。
しかし、大西洋を定期的に航行する船はリファニア水軍の活動を警戒して半ば軍船のような船が少数あるだけだった。
その船も過半は軍船として徴用されてイースに留め置かれている。
他の大西洋地域の船は沿岸航行用の小型船で、そのような船で冬の北大西洋に出るのはロシアンルーレットで死ぬよりはるかに容易い。
後は、地中海海域の船を回航してくることである。これも、遠征ですでにかなりの隻数が抜かれており、いざという時に逃げ出すためにそのうちの半数はイースに釘付けである。またヘロタイニアに戻って来ている船もどこかを損傷している船は多かった。
元々、遠征軍が一月半の物資しか持ち込んでいないために泥縄式にあわてているのだが、最初の計画では一ヶ月でイース全土を制圧して物資を徴発して補給は、最初に徴用した船の半分でいいという算段だった。
実はこれは、ヘロタイニア地域の船舶での輸送を破綻させない限界の船の隻数が決められて、余裕のある隻数をイース侵攻に回すという計算から導き出されたものだった。
すなわち、一ヶ月でイースを把握するという計画は徴用した船の積載量から導き出した数値で軍事的な計算で行われた数字ではない。
マルニドはこの計算を行った当事者である。その報告書の最後には、船の隻数が調った時点で遠征を開始するべきだということを婉曲な表現ながら書いた。
ところが、今度は通常の輸送のことを考えないでイースに物資を運べという命令である。それなら、最初から余裕のある隻数を送っておけば今頃あわてないでよかったと、マルニドでなくとも愚痴りたくなる。
しかし、最初の遠征計画でも大西洋地域に船がないので、相当の船を地中海方面から引き抜いたのだ。
ここは更に地中海方面から船を引き抜くのと、さらなる軍船の利用を推進するしかない。軍船は水軍の管轄であるので実際にはマルニドが動員することはできない。
マルニドは、物資が集まりしだい掻き集めた船と、損傷の少ないイース帰りの船を順次送り出す。その間にバスチアム総領に対して地中海海域の軍船を含めた船舶の回航を上奏した。
その答が届く前に、マルニドを驚愕させる命令が自身より上位の役職である物資調達担当官から来た。
港湾で使役しているアサルデ人奴隷を引き上げて、所定の場所まで港湾担当者で護送せよという命令だった。
アサルデ人奴隷を含めて綿密に計算してあった一日あたりの船舶への搭載量は根底から崩れた。
船腹の関係から常に、積み込みはフル稼働しているわけではないが、港湾の荷を捌く能力以上の船が集まると、埠頭ではなしに沖合に停泊して、沖積みを行う船が増える。そして、その沖積みの船が多いほど荷を船に搭載する作業は手間と時間がかかる。
できるだけ、人手をかけて埠頭で荷を積む方が効率的なのである。それには、アサルデ人奴隷の労働力は欠かせないものだった。
なおかつ、人手を割いてアサルデ人奴隷を移送せよという命令は承伏しがたかった。マルニドが使える手勢は、事務仕事を補佐する五人のスタッフと現場で指揮する監督が十名、アサルデ人奴隷や賦役者を監視する老兵が三十七名いるだけだった。
ただでさえ人手不足でここから移送のための人数を割く余裕はなかった。
マルニドは、物資調達担当官の命令を無視することにした。そして、どうしても、アサルデ人奴隷が入り用なら自分の手の者で連れて行って欲しいと書状を送った。
翌日、千人長の位を持つ物資調達担当官が押しかけてきた。
財務担当官の言い分は、イースでも戦争を継続するには、アサルデ人から穀物その他を購入する以外にない。
その原資がないのでアサルデ人奴隷を引き渡すことを対価にした。運ぶモノがなくて兵站担当が勤まるのかという内容だった。
よく考えれば物資調達担当官に一理ある。そこで、マルニドは率直に謝った。
ただ、港湾の担当者でアサルデ人奴隷を移送するのは無理なことを説明した。物資調達担当官は、数字をあげて説明するマルニドの話を理解してくれ、三日後に自分の手の者を寄越してアサルデ人奴隷を移送すると言った。
しかし、アサルデ人奴隷がいなくなると人手の不足はいかんともし難いので、筋違いとはいえ物資調達担当官に、そのことをマルニドは相談してみた。
いくら物資が港に届いても積み込めなければ戦地におくることは出来ないと、先程、言われてたことの反対の婉曲に言ったのだ。
物資調達担当官は自分には、何もできないが勘定長官に紹介状を書くから相談してみろと言った。
マルニドは書いて貰った紹介状を持って勘定長官をたずねた。そこでも、管轄外だと言われて、輸送品の発注や港に到着するイースへの増援部隊の宿舎割を行っている後送担当官を紹介された。
後送担当官は、渋い顔をして話を聞いていたが「金で解決できるか」とマルニドに聞いた。
マルニドは日雇い人夫を雇えば乗り切れると言うと、後送担当官は、積み込みの為の予算で賄えと言った。
浮く予算は、アサルデ人奴隷への食費くらいである。その金では相場から考えて、必要な人員の四分の一も雇えなかった。
二日ほど悩んだ末に、マルニドは、今、把握している人間でなんとか乗り切ることにした。人間は増やせないが、仕事を合理化して労働強化をしようというのだ。
アサルデ人奴隷以外で積み込み作業をしているのは、各地の万人長や千人長の領地から賦役と言うことでおくられてきた農民である。これらの農民は食事と宿舎の世話以外は無給である。
マルニドは、この賦役で働きにきている者に日当を出すことにした。
農村では現金収入がほとんでない。多少でも日当が出れば賦役者はやる気を出して働くだろうとマルニドは考えたのだ。
日当の算段をしてみるとアサルデ人奴隷の食費を農民に均等に割れば、一人銅貨一枚半は出せた。
そして、農民に出していた食事の質を少し落として、さらに、削れる経費を見直した。望外なことに、後送担当官が勘定長官に話をつけてくれて多少の金が出ることになった。そこで、農民一人当たり一日銅貨五枚を出すことができた。
アサルデ人奴隷が連れていかれた後で、マルニドは部下を通じて賦役で来ている農民に日当をだすので、アサルデ人奴隷がしていた仕事も行ってくれと言った。
すると、予想以上に賦役で来ている農民達はその話に飛びついてきた。
アサルデ人奴隷がいた時と比べて仕事量は七掛けほどになったが、人員の半分がいなくなったことを思えば御の字だった。
マルニドは、人員の割り当て計画で多忙な港湾での積み込みの仕事の合間を見て、賦役者の交代時には、より多くの賦役者を回してくれるようにと色々な部署をかけずり回った。
年が明けて、マルニドは帰還してくる船がめっきり減ったことに気がついた。船が減ったことで、港湾の仕事はどうにか回っていたが、仕事が回っているということは輸送量が落ちているということだった。
事実、港湾の倉庫には輸送物資となっている食糧や薪炭が山積みになっていた。
水軍の指揮官から箝口令がひかれているらしく船員は、帰ってこなかたった船がどこに行ったかは口を開かなかった。
噂では、出港した船の三分の一から半分は、リファニア水軍に沈められか拿捕されるているらしかった。それを逃れても、多くの船が嵐で遭難しているらしかった。
海上部分の輸送担当であるマルニドは、海上で何が起こっているのか教えるように水軍を統括しているルトロメウベス万人長に直談判に行った。
水軍のルトロメウベス万人長は、軍機をたてにマルニドを追い払おうとした。それでも、できるだけ多くの船がイースに到着するようにというマルニドの説得に負けて、渋々、わかっていることを他言無用ということで教えてくれた。
その話のよると、リファニア水軍はイース沖に網を張ってヘロタイニア船を待ち構えているらしく、海難に会わずにイースに接近した船の多くが襲撃されていた。
海は広いようだが、ヘロタイニアからイースに接近する船の航路は決まっている。それは主に二つの航路である。
一つ目はヘロタイニアからの船は取りあえず北を目指す。そして、北極星の高さがイースと同じ位置になると一路西を目指す。
時計がないリファニアでは経度を知ることは至難のワザなどで、ともかく目的地と同じ緯度に達ってから目的地の方向に走る方法である。
もう一つは、ヘロタイニアからイースを一直線で結んでひたすら同じ方角に進んで行く方法である。この場合は北極星は北を示す手がかりとして利用される。
イースの同緯度の東方海域は、常に荒れており、北上してからイースを目指す方法は小型船の多いヘロタイニア船には荷が重い。
勢い、イース目がけて同じ方向を航行して南東方向からイースに接近する方法になる。
ところが、いつも北極星が見えるよな天候ではない。その時はリファニア世界で使用されている原始的な方位磁石を使い方向を見失わないようする。
ところが、現実の世界と同様に北磁極はリファニア(グリーンランド)の西方にあり、リファニアやイースに近づくに従って方位磁石は真北とは数十度異なった方位を示す。
リファニア水軍は、長年の観測からリファニア近海、イース近海であればどれほどの偏差があるかを把握しており、方位磁石で正しい真北を読み取ることができた。また、外洋水軍であるリファニア王立水軍は方位磁石の改良でも一日の長があった。
また、このことを利用してリファニアでは、北極星の位置から真北を算定して方位磁石がどれほどの偏差を示しているかで反対に自分の位置を推測する方法が知られていたがこれは機密で、方位磁石の偏差のことと共にヘロタイニア地域では知られていなかった。
そのような方策や偏位している角度がわからないヘロタイニア船は、天候が悪い時や、昼間は海上に止まって北極星が見えるまで待つ。
そして、そのような時をはかったかのようにリファニア軍船が現れる。
この理由はヘロタイニア水軍は把握していなかった。前述のように、真北を示さない方位磁石でも方位を知る知恵のあるリファニア軍船は、イースと、間者の報告で知ったヘロタイニアの出発地ファレスリーを海図上で一直線に結んだ位置に、お互いの船が見えなくなる程度に離れて網を広げるように直線状に待機していた。
そして、海上で止まって行き足の止まっているヘロタイニア船を見つけると襲撃していた。
もちろん、イースにいるヘロタイニア軍船も出撃している。リファニア軍船は、たいがいは一隻の単独行動をしていた。
ヘロタイニア軍船も単独だと果敢に攻撃を仕掛けてくる。しかし、複数のヘロタイニア軍船を見ると退避してしまう。
小型船が多いヘロタイニア軍船は、単独ではリファニア軍船に対抗できないために基本的に三隻で行動しており、広い範囲に展開してヘロタイニア船の守ることは隻数の関係で無理だった。
さらに、ヘロタイニア軍船としては、ヘロタイニアからの船が、今、どこにいるのはわからないために効率的な援護はできないでいた。
リファニア水軍が把握していた以上の事情については、ヘロタイニア水軍は不思議がるばかりで、何かしらの巫術が使用されていると推測していた。
マルニドが水軍を統べるルトロメウベス万人長から聞けたのは十一月にファレスリー港からイースに向かった船三十七隻のうち、イースに到着したのは十二隻だということと、残りの二十五隻のうち七隻はリファニア水軍に沈められたか拿捕され、十八隻は海難事故で失われたか、リファニア水軍の活動で失われたかは不明だということだけだった。
月に十二隻しかイースの到着していないとなると、イースのヘロタイニア軍が必要とする物資の半分と少ししか届いていないことになる。
ルトロメウベス万人長は、十二月になったことで、、イース近海はほぼ極夜の状態であるのでリファニア水軍の目を盗んで多くの船が到着できるだろうと言った。
しかし、荒れ狂う極北の海でほとんど真っ暗な中を航行して無事にイース、それも点のようなヘロタイニア軍のいる場所を見つけ出して到着するのは至難のワザであることはマルニドにもわかった。
マルニドは公式日誌に出港した船と出港日、積荷を記載していた。すると、イースに到着しなかった不明船は全て独航船だった。
リファニア水軍に沈められたか、拿捕されたことがわかっている七隻は二隻か三隻の船団で航行しており、僚船がからくも逃れたので喪失した事情がわかった。
マルニドは独航船は、積荷の仕事が楽に回るので十日に十隻まとまって出港するよりは、毎日、一隻ずつ十日で十隻出港してれた方が嬉しかった。そのことは、ことあるごとに、後送担当官に言っていた。
また、ヘロタイニア水軍、輸送船の船長も独航船の方が目立つことなくイースに到着できると考えていた。
マルニドは独航船を出すという認識を改めた。船団になれば、一隻か二隻の犠牲が出ることがあるが大半はイースの辿り着けるのではないかと考えた。それに、軍船の護衛をつければリファニア水軍も手を出しにくいとも思った。
マルニドは自分の意見を書面にして水軍のルトロメウベス万人長に自分で持参した。その書面をルトロメウベス万人長に出すときに、どのような工夫をしてでも、船団の荷は独航船で出した時に負けないように積み込むと言い足した。
マルニドが書面にした事案は、水軍でも薄々認識されていた。しかし、ルトロメウベス万人長は補給が滞っているために、イースのヘロタイニア軍は窮地に立たされていると説明した。
ルトロメウベス万人長はイースのヘロタイニア軍は、通常の半分の量に減らしても十日分ほどの食糧しかないために、船団を組むことで補給に間があくことはできない。小刻みにでも補給を続けるしかないことをマルニドに説明した。
マルニドは、事情を知っていながら独航船や、せいぜい二三隻の小規模な船団として補給船を出さざる得ないルトロメウベス万人長の心情と、イースに向かうヘロタイニア人船員の勇気に黙るしかなかった。
以降、マルニドは、水軍の長であるルトロメウベス万人長とは、同じファレスリーの街にいると言うこともあり補給船の打ち合わせをたびたび行うようになっていた。