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二 ドロバルドの崖の戦い

 イースに到着したヘロタイニアの艦隊は、とりあえず到着した南部沿岸に兵を上陸させた。


 この理由は二つある。


 一つ目は、当初はイース人が主に居住している西部沿岸に上陸して一気のイースの支配権を確保する計画もあったが、長い船旅で兵士が衰弱してしまい一戦を行えるような状態ではなかったために、とりあえず人のあまりいない場所に上陸させることになったということである。


 二つ目は、北大西洋の荒波で損傷の大きな船が、地中海で使用されていた船を中心に数多くでたことである。

 到着した南部沿岸は砂浜があり、軍船以外の船をわざと座礁させるような要領で砂浜に乗り上げさせて修理をしたかったからである。


 兵士を上陸させても艦隊は、修理の必要のない船も軍事的な行動をせず沖合で停泊したままだった。


 この理由は、バスチアム総領の直轄艦隊を主力とはしているが、半分は各部族の混成艦隊であり、部族ごとにかたまって航行したために落後した船が出ると部族の船全体がそれに併せて航行したために船団が分裂して全ての船が集結するまで待機したためだった。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)




 上陸したヘロタイニア軍とヘロタイニア艦隊が動かないことで、イースの住民は内陸や北部地域に避難して、残った沿岸部の物資を持ち去るのに充分な時間を得た。


 沿岸部の住民の大半は漁業に従事しているので避難は船を使用する。その積載能力から、家財道具、生産器材の一切合切を運ぶことができた。ただ、家畜だけは陸路で内陸部に連れ去られた。


 そして、住民の避難と同時にリファニアから派遣されていた、王立軍と海兵の混成部隊七百は内陸部へ通じる街道の入り口付近に展開した。


 ヘロタイニア艦隊により、全てのヘロタイニア人兵士が上陸した頃には、イース人の部隊二千も沿岸部を望む峠に集結していた。この部隊はリファニアから運ばれた王立軍の旗印を掲げていた。


 ヘロタイニア側の公式文章というものがないので、正確な数は不明だが、バスチアム総領が各部族に割り当てた動員数と船の収容人数から艦隊により三千五百ほどの兵士が運ばれてきたと思われる。

 さらに、第一陣が上陸をおわれば、大半の船はヘロタイニアにとってかえして同数の兵士を運んでくることになっていた。


 艦隊を指揮するのは、北イタリアの部族に属するマンフレスト千人水軍隊長だった。


 マンフレスト提督は主に地中海で活動して、イベリア半島地中海沿岸南部のアサルデ人居住地や、アサルデ船を襲うことで武名をあげていた。


 バスチアム総領は、この著名なマンフレスト千人水軍隊長に艦隊の指揮を委ねていたが、比較的波の穏やかな地中海と、一度荒れ始めると何日も荒れ続ける北大西洋の海域はまったく様相が異なっていた。


 また、どんなに沖合に出ても二三日もあれば沿岸にもどることの出来る地中海と比べて、イースに到着するまで、順風ばかりに恵まれても十日、通常で十五日ほどかかる北大西洋の広さもマンフレスト千人水軍隊長には初めての経験だった。


 船も地中海で航行する速度を重視した細長い船体のものが多く、波の大きな北大西洋では大きな横揺れを起こした。


 数隻の老朽船は、波に耐えられずに船体を大きく破損して引き返したり、乗員を他船に移乗させて処分された。


 イースに上陸したヘロタイニア人兵士は航海など初めてという者が大半で、十日以上に及ぶ船酔いのために、上陸したのはいいが数日の休養がなければ使い物にならない状態だった。


 この上陸軍の指揮していたのは、バスチアム総領が右腕とも頼むホルドフリート万人隊長だった。


 ホルドフリート万人隊長は動ける兵士を指揮して上陸した地域周辺の村落を捜索させて物資の徴発を行ったが、空になった家しか見つけることはできなかった。

 ヘロタイニアの船が運んできた食糧は、遠征軍の一月半ほどでしかなく、元から現地徴発を行うことが前提の遠征だった。


 故郷から遠くへだった敵地に攻め込むにはあまりに少ない量である。これはヘロタイニアでは、ヘロタイニア軍の主な行動目的が敵対勢力地域の略奪であるために兵站の意識が薄いことにあった。


 むしろ、遠征軍に一月半もの食糧を持たせるということの方が出港時に話題になったほどである。


 徴発隊は、上陸地点から十数リーグ以上の範囲を捜索したがすべての食糧は持ち去れていた。


 さらに、内陸部の偵察を行った斥候からは、リファニア王立軍が布陣しているとの驚くべき情報が入った。


 リファニアの動向については、リファニアのヘロタイニア人からできるかぎりの情報を得てはいたが、王立軍と海兵が王都タチを出立したのが二ヶ月前で、その情報がヘロタイニアにもたらされたのは、遠征軍が出港して三日後のことだった。


 至急、遠征軍にその情報を知らせるために船が出たが、リファニア側の欺瞞もあって、兵力は実数の七百ではなく二千五百という過大な数が信じられていた。


 この情報がイース遠征軍のホルドフリート万人隊長にもたらされたのは、斥候によるリファニア軍の布陣の報告と同じ日だった。


 ホルドフリート万人隊長は上陸地点の防備を行わせた。そして、至急、増援部隊とそれに似合った食糧、その他の物資をイースに送るようにと言う要請を託して、損傷の大きくない船を選んで船団の半分をヘロタイニアに帰還させた。


 半分を残したのは、修理を行う為もあったが、リファニア軍が攻勢に出て来て、自軍が支えきれなくなった場合に、なんとか上陸軍の全員を収容する船を確保したかったからである。


 バスチアム総領は、イースを電撃的に占領して、リファニア側が対処できないうちに確固たる地歩を確保するつもりだった。中々、船団が組織できなかったこともあるが、そのために秋という時期が選ばれた。


 イースほどの高緯度における北大西洋の冬の航行は、昼が短く、波浪がより厳しために難度が高い。

 熟練した乗り組み員の船ならばともかく本格的な船団を送ることは無理でだろうから冬の半年はリファニア側は、対応できないだろうという読みがあった。


 ところが、事態は逆の方向に動き出した。迫る冬に追い立てられるように、新たな船団を送れという要請が、マンフレスト提督とホルドフリート万人隊長の連名でバスチアム総領の元に届いた。


 マンフレスト提督とホルドフリート万人隊長は暗に撤退の要請を行ったのである。無理をして掻き集めた船団以上の船を投入しなければイース遠征軍を維持することはできない。その無理ができないなら撤退しかないからである。


 軍事的な見地からはバスチアム総領も撤退しかないことは理解したが、バスチアム総領が決断をするには政治的な要素の方が大きい。


 バスチアム総領は、西部ヘロタイニア地域の覇者という立場で王ではない。軍事的な成功と、統治実績の上に他部族を従えているという立場である。


 バスチアム総領はリファニアへの出兵の第一段階としてイース侵攻を指揮するために、本拠地ボンガザンデ(現実のナント付近)から、イース遠征軍の出撃基地とした大西洋に面した港湾であるファレスリー(現実のサンナゼール)に出向いていた。


 意気込んで、リファニア侵攻という見果ての夢のような大計画を打ち上げたからには、その初戦であるイース侵攻で、交戦もせずに撤退となると、バスチアム総領の武功と威信は大きく傷つく。


 バスチアム総領は、二三日熟考して、臣下に出来うる限りの情報を集めさせた。


 その結果、地中海海域の軍船、商船、大型の漁船を動員すれば、小型船を含めて二ヶ月ほどで百数十隻ほどの新たな船を集められることがわかった。


 バスチアム総領は、本格的なリファニアへの派兵時期が遅れてでも、イース確保に方向転換した。外地を征服したという名を求めることを選んだ。


 戻ってきた船団に、乗り込めるだけの後続の兵を詰め込み、徴発できた船が到着しだいに五月雨式に物資の補給を行う命令をバスチアム総領は出した。


 これが十月の中旬である。すぐさま、先の航海より更に荒れた北大西洋に兵士を満載した船団が出港した。そして、その日から毎日数隻ほどの船団が出港を続ける。


 バスチアム総領は、短気の電撃的な戦争計画を、長期の持久戦に自ら切り換えた。


 後続部隊は、五隻の難破船を出し二百人近い兵士をむなしく失いながらもイースに到着した。兵員を目一杯積んだために食糧はほとんど運ぶことができず。爾後の船団に補給は頼ることになった。


 後続船団の到着で、イースに残っていた半分の船は、ヘロタイニアに積み残した遠征軍と、新たに動員された兵士の輸送のためにイースを離れた。


 イースにおけるヘロタイニア軍は七千に増強された。ホルドフリート万人隊長はこの兵力を持って内陸部に侵攻することにした。

 冬営を安心して行うために敵に打撃と恐怖心を与え爾後の行動を有利にするためと、示威行動を行うと同時に、食糧の調達を行うことを決断したからである。


 この年のイースの本格的な冬の到来は遅れていた。ホルドフリート万人隊長は十日ほどは内陸で行動できるだろうと考えていた。


 それと、同時に軍船により西部沿岸での食糧調達も実施された。 


 マンフレスト提督は艦隊を二分して一隊に上陸地点の警備を命じて、自らは一隊を率いてイース西部沿岸に向かった。


 しかし、人家が見えるどの入り江も人の影はなかった。二箇所で上陸もしてみたが、家の中には何も残されていなかった。あまつさえ、上陸するために海岸に近づいた軍船二隻が座礁してしまい岩で船体に大穴を開けて放棄せざるえなくなった。


 艦隊の軍船は、二度の北大西洋航海で荒波のために、どの船も多少なりとも損傷しており、水漏れの激しい軍船も多かった。


 この理由もあり、マンフレスト提督は早々に不案内なイースの西部海域を離れて、やがて来寇する可能性のあるリファニア艦隊との戦いに備えることにした。

 そのために、まずは、上陸地点にもどり艦隊の軍船を順次浜に揚げて船体の補修を行うことにした。



 マンフレスト提督の艦隊がイース西部沿岸に出港した、翌日、ホルドフリート万人隊長は根拠地防衛に、まだ、船酔いから体力を損ねている後続の兵を中心に二千の兵力を抽出した。

 そして、残りの五千の兵で手探り状態でゆっくり内陸に進んだ。三日目に東部山地の氷河と南西山地の氷河に挟まれた回廊にような地域を通過した。


 ホルドフリート万人隊長以下のヘロタイニア兵士は氷河を見たことのあるものはかなりいたが、海岸から僅かの行程の場所に氷河があることには驚いた。そして、イースは極北の地であることをあらためて思い知った。


 内陸に進むにつれて気温は次第に低下して、北に進むヘロタイニア人兵士にまともに北極からの北風が吹き付けた。そして、積もりはしないが、時折、粉雪が舞った。



挿絵(By みてみん)




 三日目の行程を進んでいると斥候から、前方五リーグの地点でリファニア王立軍の軍旗をかかげた二千ほどの軍勢が布陣しているとの報告があった。


 この時点で、ホルドフリート万人隊長は、実際は七百のリファニア王立軍は三千ほどと推測していたので敵主力を補足する好機と捉えた。


 しかし、斥候の報告があったのは、昼をかなり回った時間だった。十一月となるとイースの昼は短い。

 敵の布陣しているのが視認できる地点に到着して戦闘隊形を取ったのころには薄暗くなってしまった。


 決戦は明日と定めたホルドフリート万人隊長は、一リーグほど先で敵が盛ん燃やす無数の焚き火を見ながら警戒を厳重にして夜襲に備えさせた。


 明け方、次第に視界が開けてくると、焚き火の残り火は見えるが、目の前にいた敵勢は誰一人残っていなかった。


 バスイゲラ(ヘロタイニアの悪戯好きの子供の体と老人の顔をした妖怪)にでも騙されたのかとホルドフリート万人隊長以下のヘロタイニア人兵士は思った。


 取りあえず斥候を出すと、東に六リーグほど行った場所で敵が布陣していることがわかった。

 その地点に急行すべく行軍の準備を開始すると、別の斥候から西に七リーグほど離れた場所に昨夜対峙した敵軍が布陣していると報告が入った。


 どちらの斥候も敵軍は千という報告で、いずれもリファニア王立軍軍旗を掲げていた。片方を牽制するために現地点に二千の兵を残してどちらかと決戦を行うことを考えていたホルドフリート万人隊長に第三の報告が入った。


 三リーグ前方から千ほどの軍勢が接近中というのだ。ホルドフリート万人隊長は左右の敵とは距離があることから、前方の敵をたたくことにした。兵力差にものを言わせて左右の敵が接近する前に一撃を与えようという考えである。


 三千の兵で半ば戦闘隊形のまま行軍を開始した。これは、樹木がほとんどない荒涼たるイースの地形からかなり幅を持ってでも望む方向に進むことができたからである。

 ただ多くの兵士が本来の道でない場所を散開して横隊を崩さないように進むので、行軍速度は通常の半分もなかった。


 部下からは、斥候によると敵が行軍隊形なので、こちらも行軍隊形になって一気に距離を詰めようと何度も進言があったが、釣り出されて伏兵の攻撃を受ける恐れもあるので、ホルドフリート万人隊長があくまで戦闘隊形を崩さずに慎重に敵に迫った。


 しばらくすると前方に報告通りに千ばかりの兵が行軍隊形でやってくるのが見えた。一リーグあまりに敵が近づいたと思うと、敵は踵を返して来た方向へもどりだした。


 ホルドフリート万人隊長は敵とは少し距離があるが、横陣の左右に駆け足をさせて、逃げる敵を左右から包み込むようにしてたたくことを決めた。


 彼我の距離が少しつまってくると、両軍は巫術師による戦闘を始めた。”雷”の応酬である。ただ、それは、どちらの軍も”屋根”を展開しているために実質的な損害は両軍とも皆無だった。


 四半刻ほど速歩で敵を追いかけるうちに敵の最後尾が半リーグほどに迫った。ここで、ホルドフリート万人隊長は一気に敵を追い詰めるために道を行軍している部隊に駆け足を命じた。


 兵士達は武装以外にも、自身の食糧、寝具、大型の水筒など十キロ以上の荷を持っている。ホルドフリート万人隊長は駆け足で追撃を命じた部隊に携行している荷を一旦捨てるように命じた。


 ところが、敵も行軍速度をあげたので、四半リーグほどに敵に迫ったころには、駆け足をしていた兵士の体力が尽きてきた。

 携行していた荷を捨てても、兵士の甲冑だけで十キロ、ヘルメットが二キロ、五キロから八キロの重さの盾、それに五メートルほどの槍を持っているのだから本来は駆け足などは突撃時のみに行う行為である。


 落伍者が出だした頃に、ホルドフリート万人隊長は、やむおえず普通の行軍速度に戻した。第一に、甲冑を従卒に持たせていたとはいえ兵士と同様に走っていた五十の齢になるホルドフリート万人隊長自身の息が切れてしだいに自軍から落後しだした。


 このあたりは、指揮官が乗馬しているであろう現実の地球の歴史とは異なり、この時の追撃は指揮官の体力といういう要素が軍全体に大きく影響を与えた。


 むろんリファニア世界では、指揮官は乗馬していなくとも戦車を利用する。しかし、指揮用の戦車は何とか数乗持ち込んだが、船積した馬がもたなかった。

 苦労して船に乗せた十頭の馬は航海に耐えきれずに二頭を残して死んだり、使い物にならなくなり上陸そうそうに兵士の腹に収まってしまった。


 これはヘロタイニア側も当初から想定していたことで、馬は現地で徴発する予定だったが、上陸した地域は馬どころか、全ての家畜は持ち去れれていた。


 このため、残った馬は急使用に温存して指揮官であるホルドフリート万人隊長は戦車を十名ばかりの兵士にひかせることにした。


 ところが、戦車は内陸に侵攻しだした二日目に車軸が折れて使い物にならなくなってしまった。このために、ホルドフリート万人隊長以下の幕僚も最低限の武装だけ装備して徒歩で移動していた。


 ヘロタイニア軍はしだいに前後が離れがちになりながらも先頭はほとんど駈けるような速さで追跡をした。それを、前線の指揮官は諫めて隊形を保持しようとするので先頭の兵士は、全力で駈けては、しばらくは停止しては走るというインターバルトレーニングのような状態になった。


 敵の軍勢も速さを落とすころなく進んで行く。二リーグ以上離されたと思うと敵軍が視界から徐々に消えた。そして、敵は完全に見えなくなった。

 まるで、地面に敵の軍勢が飲み込まれているような光景だった。ヘロタイニア軍では、ホルドフリート万人隊長から一介の兵士まで夢を見ているような気持ちだった。   


 恐る恐る敵が消えたしまった地点にきて、その簡単なカラクリがわかった。


 そこには六尋(約十メートル)ほどの高さの崖があったのだ。幾つか残されていた杭と杭に残ったロープの切れ端もあった。


 敵軍はロープを使って崖を降りたのだ。そして、最後の者は二重にしたロープで下りてロープを回収したか、崖を降りるのが巧みな者がいてロープを切り取って降りたようだった。


 イースの荒涼として単調な景色の中では登った崖は視認出来ても下った崖は、下った先の風景が、崖の手前の渾然と溶け合ってしまい近くに来るまで崖があることがわからない。

 その為に崖を降りて段々と数が少なくなる敵を地面に吸い込まれていくように誤認したようだった。


 敵軍はすでに崖から半リーグほどの距離をゆっくり行軍していた。その敵軍からはヘロタイニア語で、ヘロタイニア人を罵倒する声が風にのって聞こえていた。


 リファニアでは、対峙したり包囲した敵に罵詈雑言を浴びせて挑発する行為はよく行われる。

 そのため、敵の挑発に乗るなと兵士は訓練時から指揮官に口うるさく言われるので、実戦を経験した部隊や訓練の行き届いた部隊には、そう効果的な行為ではない。


 ヘロタイニア人には、この慣習はなかった。戦いの前に自分を鼓舞する雄叫びをあげるだけである。


 ヘロタイニア人兵士は自分達を罵倒する言葉に激怒した。


 崖は左右どちらにも二リーグほども続いていた。


 怒り狂ったヘロタイニア軍の先頭部隊は、敵を捕縛して時に使うロープをつなぎ合わせると崖を降りだした。


 最初の百名ほどが崖の下に降りて前進しよとした時に、多数の矢が飛んできた。その矢は崖の途中でおっかなびっくりと降ってくるヘロタイニア人兵士をも襲う。


 崖の下から数十メートルほど離れてた場所に、三百人ばかりの弓兵が戦列をつくっていた。

 弓兵たちは毛皮や目立たない服装をして地面に伏せたり、点在している比較的大きな石の後ろに隠れていた。ヘロタイニア軍がずっと警戒していた伏兵である。


 この伏兵は、リファニア弓兵の他に、イースの弓兵と猟師で構成された部隊で、イースの荒野における獲物に見つからずに待ち伏せする方策を猟師が指導していた。


 弓兵の戦列からは弓ばかりでなく弩から発射された強力な矢も飛んできた。その弩から発射された矢は崖の上で、援護のために”屋根”をかけていた二人の巫術師にも命中した。後の巫術師はあわてて後退する。


 一時的だが、”屋根”が喪失した。そこへ、”雷”が続け様に崖の上、崖の途中、そして、崖の下のヘロタイニア兵士を直撃した。


 この時、崖の上下は大混乱だった。崖の下では矢を防ごうと自分の盾を探す兵士、後ろから駆けつけて事情がわからずロープで降りようとする兵士、武装を捨てて下からロープを登ろうとする兵士でどのロープも十名以上の兵士が取り付いていた。


 そこへ”雷”が直撃でなくともかすっただけで数名の兵士が振り落とされる。また、過重に耐えきれずに数本のロープは切れて兵士が落下する。


 ようやく、ホルドフリート万人隊長が駆けつて、巫術師を指揮して全体に”屋根”を展開させ、下級指揮官を叱咤して混乱を静めさせた。

 そして、ホルドフリート万人隊長が弓兵を呼び集めて反撃を命じた時、半リーグ先にいる敵軍からラッパが鳴り響いた。それが、合図だったのか敵の弓兵は、一目散に撤退をした。


 敵軍は弓兵が合流すると速歩で行軍を開始した。


 ヘロタイニア軍は、混乱状態から立ち直るのに精一杯で、敵軍が去っていくのを見ているしかなかった。


 この短時間で終わった戦闘が、最終時期に行われた掃討戦を除いて、イース戦争における陸上での最も大きな戦いになった。リファニアとイースでは、この戦闘を”ドロバルドの崖の戦い”と称している。


 ホルドフリート万人隊長が自軍の損害を把握したのは、半刻ほどしてからだった。戦死者は巫術師が一名、兵士が九十七名、負傷して戦闘不能の者は巫術師一名、兵士二百七十余名、負傷者は多くは、崖から転落して骨折したりひどい捻挫で担架が必要な重傷者である。


 その他にも”雷”を直撃で受けて、当面動けない巫術師が二人、兵士が百名近くいた。これらの者も二三日はまったく動けないために担架が必要であった。


 担架は木がほとんどないイースの荒野では調達できないので、火急の時に戦闘力が低下するのを忍んで槍の柄と毛布で担架のかわりにするしかなかった。


 ホルドフリート万人隊長は、ここで撤退を決意する。担架後送の者が多くいるために三千の軍勢のうち咄嗟に戦闘に参加できる者が二千を割ったからである。士気もひどく落ち込んでいた。



挿絵(By みてみん)




 撤退の準備をしている時に、驚くべき知らせが後方から入った。唯一、緊急連絡用に後置してあった戦車がやってきた。


 その報告とは、根拠地に数千の軍勢が接近中というものだった。戦車はホルドフリート万人隊長の居場所がわからない上に、地理が不案内のために迷子になりかけたこともあり、情報は三日前のものだった。


 さらに、ホルドフリート万人隊長を悩ませる報告が後方に残置してきた軍勢からもたらされた。西にいた敵軍に新たに数千が合流して前進を開始したので撤退するという報告だった。


 ホルドフリート万人隊長は驚愕した。イース遠征軍はバスチアム総領の直轄部隊が半数を占めており現在、ホルドフリート万人隊長が率いている部隊はその直轄部隊である。

 残置してきたのは、各部族から提供された兵士で構成された部隊で指揮官もバスチアム総領につぐ有力部族の出である。


 バスチアム総領は、リファニア出兵時には、自分の部族を主力にしたいと考えていたので、リファニア出兵の前提となる支作戦に過ぎないイース遠征時には、できるかぎり自分の直轄部隊を温存したかった。


 そのために、各部族から兵を提供させたのだが、その忠誠心、そして味方を援護しようという気概はバスチアム総領の直轄部隊には及ばない。

 直轄部隊であれば、ホルドフリート万人隊長の部隊が撤退してくるまでは敵軍に対峙していただろう。あるいは、撤退を要請して、爾後の行動の指示を求めてきただろう。


 ところが、部族混成軍は撤退したという報告だけを送ってきた。

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