十四カフ島奪回
四隻のリファニア軍船から百名ほどの海兵に乗り込まれたヘロタイニア艦隊旗艦”ガレデ号”ではほとんど抵抗する者はいなかった。”雷”の直撃を二発受けたために甲板上の水兵の過半は動けない状態だった。
ファナシエヴ水軍長も半ば動けない状態で捕られられた。
乗り込んだ海兵百人隊長は、ファナシエヴ水軍長に降伏するか否かを聞いた。ファナシエヴ水軍長が肯定の意を示すと、海兵百人隊長は”ガデレ号”のマストに掲げてあった赤地に牡牛の旗を降ろして白旗を掲げた。
リファニア世界でも白旗は降伏の印である。
ファナシエヴ水軍長はすぐさま、リファニア艦隊旗艦”ミナゲゼル号”に移されヨンオロフド提督の部屋をあてがわれた。
そのさいに、”ガレデ号”に掲げられていた牡牛の旗も丁寧に畳まれて同じ部屋に置かれた。
”ガレデ号”の櫂室は血にまみれていた。右舷には鉄弾によってできた大きな破孔が三つ開いていた。
そこから船体を貫いて飛び込んだ鉄弾は、合計で二人の漕手を殺して、四人に大怪我をさせていた。
船体を貫ける鉄弾はすでに”ミナゲゼル号”では尽きていたが、いつ鉄弾が飛び込んでくるかも知れないという恐怖で漕手が持ち場を放棄して”ガレデ号”は推進力を失った。
ファナシエヴ水軍長は旗艦”ガデレ号”が降伏するという意味で、海兵隊長の問を肯定した。しかし、旗艦に白旗があがれば、艦隊全体の降伏を示す。
旗艦に白旗が揚がったことで、残りのヘロタイニア艦隊はヨンオロフド提督の予想通り半数以上が戦意を喪失して自ら帆を下ろして停止した。この中には、他のヘロタイニア艦隊の者には意外だったが古参軍船四隻がいた。
古参軍船の艦長以下の乗組員はヘロタイニア艦隊の精鋭といっていい。彼らは水軍軍人というプロ集団だった。それだけに先の見えた戦いはしないという決断が早かった。
そして、彼らが忠誠を尽くせるのはファナシエヴ水軍長だけだった。ファナシエヴ水軍長が捕まった以上、戦う義理も見いだせなかった。
残りの軍船は逃走を図るが理由は艦長次第で種々だった。
ある艦長は恐怖心から逃走した。捕まれば酷い辱めを受けた上で殺されると思った。殺されなくとも一生奴隷として惨めな暮らしが待っていると信じていた。
確かにリファニアでも一生奉公という制度があるが、ヘロタイニアの奴隷と比べたら命は保障されており、人間として最低限の衣食住は与えられ、自分の意志で結婚もできるなど雲泥の差がある。
ある艦長は自分の出世のために逃走した。旗艦を失った以上、個艦の艦長が責任を問われることはなく、無事にヘロタイニアに帰還すれば自分に都合のいいことを報告し放題である。
これはバスチア統領の性格と施政方針を甘く見ている。バスチアム総領はファナシエヴ水軍長がいなければ別の人間に敗戦の責任を押しつける筈である。
別の艦長は純粋に降伏が嫌だった。根っからの戦士である。近代的な感覚から言えば戦いにロマンを感じていたのかもしれない。
戦いの最期は漠然と華々しく多くの敵を道連れにして死んでいくことにあこがれを持っていた。
その他の多くの艦長は降伏の機会を逸した。ほとんどのヘロタイニアの軍関係者も同様であるが戦争の目的もあまり意識しないまま流れに乗るように戦っており気がつけば戦争から降りるタイミングを逃したのだ。
なんとなく降伏は武人にとってあるまじきことだと思っているうちに敵と交戦して逃走に移っていた。
逃走したヘロタイニア軍船は十一隻である。ただし、左右からヘロタイニア艦隊を包み込むように接近していたリファニア艦隊によってすぐさま四隻のヘロタイニア軍船は衝角で突かれて損傷した。
そのうちの二隻は左右から衝角攻撃を受けて浸水が激しいために、数分で船を放棄するはめになった。
それでも、七隻の軍船が逃走に成功したのは、ヘロタイニア艦隊旗艦に白旗が揚がったことで、リファニア艦隊の軍船の多くがヘロタイニア軍船への攻撃態勢を緩めたことが原因だった。
旗艦が降伏して降伏する軍船が相次ぐ中で、まさか、逃走する軍船が出るとは厳しい規律で艦隊行動をするリファニア王立水軍の将兵には想像の埒外だった。
七隻のヘロタイニア軍船を、おっとり刀で二十四隻のリファニア軍船が追跡する。
四半刻もしないうちに、損傷の度合いが大きい三隻のヘロタイニア軍船はリファニア軍船軍船に追いつかれて石弾と弩の集中攻撃を受けた。
また、”ミナゲゼル号”が効果をあらわした鉄弾の数発打ち込まれ完全に停止したところを複数回衝角攻撃を受けた。
リファニア軍船の艦長たちは、早朝のフネルラル湾でも衝角の一斉攻撃以来、ヘロタイニア軍船の中で非常に船体が脆い艦があることに気がついていた。脆い艦は見た目にも真新しい新造艦である。
ヘロタイニア水軍はバスチアム総領の命令で無理に無理を重ねて新造艦の建造を急いで戦力拡充を図っていた。そのために、普通では使用しないような木材が多くの新造艦に使われていた。
中世段階のリファニアではあるが、北大西洋を当たり前のように航行する程には造船技術が進んでいる。
そのような外洋航行用の船は一抱えもあるような竜骨を持っており、その竜骨に整形した肋材と梁を取り付け外板も船体強度に寄与するように適切な形、組合せで建造されている。
木造船の用材は伐採した木を小屋掛けをして数年がかりで乾燥させて強度がまして、歪みがでないような状態になった用材でなければならない。
それが、伐採したばかりの木を使っている上に、本来は船材には適さないカラマツが多用されていた。
その上、ヘロタイニアの新造船の大半はフナクイムシによる被害を受けていた。フナクイムシは数十センチにもなる貝の仲間である。それが、ドリルのように木を食い尽くしていく。
リファニアやヘロタイニアではタールを船底に塗ったり、船を浜に引き揚げた時に火でフナクイムシを殺すことが知られていた。
ところが、ヘロタイニアの新造船は建造を急ぐあまり、その処置がいい加減で船体強度に影響するほどのフナクイムシの食害を受けていた。
ここまで悪条件が重なり、ヘロタイニアの新造船はリファニア軍船の艦長をして脆い船と感じさせたのである。
自船への被害を防ぐためのリファニア軍船の比較的遅い速度での衝角攻撃でも、ヘロタイニア軍船は大きな破孔が生じて三隻とも沈没の憂き目を見た。
三隻のヘロタイニア軍船を血祭りにあげたリファニア艦隊は、さらに半刻のうちに二隻のヘロタイニア軍船に追いついた。
すでに、二十時間近く総員で操船や漕走を行っているヘロタイニア軍船の水兵達の体力と気力は尽きかけていた。
また、”送風術”を行う巫術師もほとんど術をかけられないほど体力が低下していた。そのため、二隻のヘロタイニア軍船は這うように動いていた。
このあたりから、リファニア軍船の艦長達に余裕が出て来た。色々な攻撃方法を訓練がてら試してみようという気になった。
ますは旗艦旗艦”ミナゲゼル号”が偶然だが行った戦術を試して見ることにした。
訓練がてらと言っても実戦であるので、味方に被害が出てはつまならい。そこで、石弾、弩、弓の集中攻撃でヘロタイニア軍船の戦闘力を奪った。そして、二隻がヘロタイニア軍船を挟み込むようにして後方から接近した。
リファニア軍船はヘロタイニア軍船に指呼の距離に近づくと一斉に櫂を船内にしまい込む。舷側と舷側がこすれるように、リファニア軍船はヘロタイニア軍船を追い抜いて行く。
この時、旗艦”ミナゲゼル号”が行ったように櫂を出したままのヘロタイニア軍船は、全ての櫂をリファニア軍船にへし折られてしまう。
すれ違いざまにリファニア軍船から、船上での白兵戦の専門家である海兵が次々にヘロタイニア軍船に飛び移る。
ヘロタイニア軍船の水兵も武器を手に迎え撃つが、ヘロタイニアの水兵は防具を身につけておらず白兵戦の訓練もほとんどしたことのない新兵が多い。さらに、集中攻撃で無傷の水兵自体も数が少なすぎた。
最初に二三人が血祭りになるとヘロタイニアの水兵達は戦意をなくして武器を捨てた。勝負は短時間でリファニア海兵による圧勝で終わった。
残った二隻も二刻ほどで撃沈された。
捕獲した旗艦を含む六隻のヘロタイニア軍船を曳航して、四隻が根拠地バナエルガに戻ったが、残りの十八隻は、最初の指令通りにヘロタイニア水軍の根拠地となっているカフ島に向かった。
十八隻のリファニア軍船がカフ島沖に到着した時には、すでにヨンオロフド提督が率いる本隊と、第二戦隊の軍船が集結していた。
第二戦隊も降伏したヘロタイニア軍船を根拠地バナエルガに回航するために十七隻に減じていた。
それでも、総数で六十隻を越える大艦隊である。ここで、艦隊は半日の休息を取った。
六月十七日早朝、各船から海兵を搭乗させたボートがカフ島に向かった。複数の捕虜からの情報でカフ島には小舟しか残っておらず守備隊も四百ほどということだった。
投石機や弩を陸上に向けた艦隊の援護下で総勢六百名で上陸した海兵は、浜では抵抗を受けずに守備隊が籠もっている砦を包囲した。
砦と言っても大きな石を混ぜ込んだ土壁を数十メートル四方に巡らせただけのものである。
早速、巫術師による”雷”の攻撃が始まった。砦には二人ほどの巫術師しかいないようで”屋根”を展開するだけで”雷”の反撃はなかった。
ヘロタイニア艦隊が泊地としていた入り江の安全が海兵により確かめられると、リファニア艦隊は警戒のために半数を入り江の外に残して泊地に入り投錨した。
砦に籠もったヘロタイニア軍は艦隊の偉容に抵抗を諦めたのか夕刻には降伏した。その夜、第三戦隊も七隻のヘロタイニア軍船を曳航してカフ島に姿をあらわした。
第三戦隊は三隻がかなり大きな損傷を負って、うち二隻を放棄し捕獲したヘロタイニア艦に乗員を移していた。
第三戦隊は、損傷艦が多いために全艦で根拠地バナエルガに戻るつもりだったが、ヨンオロフド提督が前日に放った通報艦に出会ったことでカフ島が自軍の勢力下になったことを知り損傷艦修理のためにより近いカフ島に向かった。
逃走するヘロタイニア艦隊を追った第二戦隊と第三戦隊は、初期の段階で艦隊の後部を包囲してヘロタイニア軍船八隻を撃沈して六隻を捕獲した。
それからは、様々な方向に逃げるヘロタイニア軍船を小隊単位で追跡した。ヘロタイニア軍船は、様々な方向と言っても主に東と南に逃げたので第二戦隊の艦は南、第三戦隊の艦は東に進んだ。
第二戦隊は丸一日、追跡を行い軍船五隻を撃沈して七隻を捕獲した。第三戦隊は軍船十隻を撃沈して三隻を捕獲するが、ある小隊が敵船七隻との交戦になり大きな被害を受けた。
逃げたのはリファニア王立水軍から見れば小型艦であるが、さすがに一隻に三隻以上がかかってこられると対応が難しい。
これが本来ファナシエヴ水軍長がしたかった戦い方である。あわやという時に、別の小隊があらわれた。この二隻も損傷を受けながらだったが、全てのヘロタイニア軍船を海底に送り込んだ。
第三戦隊は丸二日追撃を行った。後は広大な海域での敵との邂逅が難しいために帰投の途についた。
リファニア王立水軍の追撃から逃れたヘロタイニア軍船は三十二隻である。
なお、臨時水夫トルルの乗った”ジャジーネ号”が拿捕されたのは、カフ島がリファニア王立水軍により確保された翌日の出来事である。
(史実イース戦争 十臨時水夫トルルの戦い ④ 参照)
臨時水夫トルルがリファニア軍船に拘束された日に、また、別の獲物がカフ島沖に姿を見せた。
フネルラル湾で最初のリファニア王立水軍の怒濤のような衝角攻撃をかわして主力艦隊に合流した上陸部隊を乗せた二隻の軍船である。
この二隻は二百数十という定員の三倍もの人間を乗せていた。そして、水と食糧は定数の四分の一しか搭載されていなかった。これでは、どう水や食糧を節約しようがヘロタイニアに辿りつける見込みはなかった。
少ない水で我慢することに慣れていない陸兵が、水夫の制止にもかかわらず、いつものように水を飲んだために、すでに水は底をついていた。
ヘロタイニアでは水兵は陸兵より位が下だと考えられていたから陸兵は水兵の言うことなど聞かなかった。
そこで、一旦は、リファニア王立水軍の追跡をかわしたもののカフ島に戻るくらいしか取るべき手はなかった。
この日も霧が出ていたが、早速に設けられた見張り所がヘロタイニア軍船の接近を告げた。
トルルの乗っていた”ジャジーネ号”は商船であるので入り江まで誘い込まれたが、相手が軍船となると入り江に入られて暴れられると面倒なので十隻のリファニア軍船が迎え撃つことになった。
ヘロタイニア軍船もかなり警戒していた。カフ島が占領されている可能性は否定しがたいからである。
彼らはしばらく沖合で待機して、霧が晴れてカフ島の様子が明らかになるまで待っていた。
一刻半ほどで急に霧が晴れてきた。そして、そこで目にしたのは自分達を取り囲んでいる十隻のリファニア軍船だった。二隻のヘロタイニア軍船は白旗を掲げる以外に方策はなかった。
そして、この日、ヨンオロフド提督はさらなる追い打ちをヘロタイニア艦隊に与える行動を発令した。
フネルラル湾で囮の商船を護衛していた四隻の軍船が、カフ島にやってきた。四隻の軍船の若い艦長達は今度の戦いで自分達だけが一戦もできなかったことに憤慨していた。
そこで、ヨンオロフド提督は四隻の軍船に、捕獲したヘロタイニア商船の中から船足の速い商船一隻を補給艦として同行させて、敵の策源地であるファレスリーの沖合で逃げた軍船を討ち取れという命令を出した。
また、補給が続けば敵の商船を襲ってもいと言い添えた。帰路はブラブス王国の港で補給を行うことになった。
翌日、勇躍と四隻の軍船とリファニア王立水軍の水兵が操る商船が真っ直ぐにファレスリー沖に向かった。
南風の吹くイース周辺から南下して低緯度地帯に入ると偏西風をつかまえて、小艦隊は七日でファレスリー沖に到着した。
ファレスリー沖に網を張って二日目に二隻のヘロタイニア軍船が西から姿をあらわした。彼等はリファニア王立水軍に補足されないように大きく南に迂回して母港を目指していた。
見敵必撃とばかりに、四隻のリファニア軍船はヘロタイニア軍船に向かっていく。まさか、母港の沖にリファニア軍船がいるなど想像もしていなかったヘロタイニア軍船はリファニア軍船であることに気がつくのが遅れた。
気がついた時には三リーグほどに距離を詰められていた。あわてて回頭して逃げようとするが巫術師を含めて疲労困憊の極にあった水兵達ではリファニア軍船のほどの速度は望めなかった。
一刻ほどで投石機の射程に捉えられる。一隻のヘロタイニア軍船に、効果があったことで十弾が搭載された鉄弾が続けさまに命中して甲板と舷側に大穴が開くと、ヘロタイニア軍船は白旗を掲げた。
ヘロタイニア軍船が白旗を揚げた時には、リファニア軍船は指呼の距離にあった。避けようと思えば避けられたかもしれない。
しかし、リファニア軍船の艦長は「遅すぎる」と言い捨てて、白旗に構わずに、リファニア軍船は船尾に衝角攻撃を加えた。敵本拠地の近くで敵船を捕獲しても煩わしいだけであると艦長以下の乗組員は感じていた。
二隻の衝角で船尾と右舷後部に大穴があいたヘロタイニア軍船は航行を諦めてボートと筏を降ろして乗組員達が避難を始めた。ボートでもファレスリーに辿りつける距離である。
このボートと筏に後続してきたリファニア軍船が、”雷”で攻撃して避難者を無力化すると体当たりして、ボートと筏を粉砕した。若い艦長が感情のままに行った行為である。
ハーグ条約やジュネーブ協定の思想の萌芽もない社会での皆殺しである。
もう一隻のヘロタイニア軍船はこれを見て必死で逃亡する。半刻ほど追撃をかわして逃げていたヘロタイニア軍船の巫術師と漕手の限界がきた。急に速度が落ちたヘロタイニア軍船に投射物が集中する。
必死にヘロタイニア軍船も応戦するが多勢に無勢である。ほどなく四隻の衝角攻撃を複数回受けて船体をハチの巣のようにされたヘロタイニア軍船は木造船と思えないほどの早さで沈没した。
それでも、ヘロタイニア人はかなりの数が船外に脱出した。ようやく、興奮が醒めた若い艦長達は相手の艦長や高級幹部はかなりの身代金になること、捕らえた水兵達もセリにかかった場合は売値の三割が捕虜にした軍船に与えられることを思い出した。
若い艦長達より冷静で軍船に与えられる賞金のことが頭にあった水兵達は精を出して救助活動を行った。多少苦労したが数十人のヘロタイニア人が救助された。
四隻のリファニア軍船が網を張っていた最初の海域にもどる途中、最初に襲撃したヘロタイニア軍船がまだ浮いているのを発見した。乗り移って調べると浸水は後部の区画でとまっていた。
現金なもので、そうなると惜しくなった。詳しく調べて見るとヘロタイニア軍船は新造船でリファニア王立水軍で使用するにはあまりにも脆弱な造りであるので曳航してブラブス王国への手土産にすることになった。
リファニア王立水軍の艦長には、外交官としての権限も一部与えられている。また、ブラブス王国に敵船を引き渡しても、敵船捕獲に対する相応の賞金は出るはずだった。
そして、近くを捜索すると筏の残骸につかまった二十人ほどのヘロタイニア人を発見した。
運良くその中には艦長と巫術師がいた。巫術師自体が兵器であるから敵に送還することはないが懸賞金が出る。
四日ほどリファニアの小艦隊は、ファレスリー沖に留まったが新たなヘロタイニア軍船は現れなかった。
すでに、逃げたヘロタイニア軍船はファレスリーに辿り着いたか、他の港に向かったのだろう判断して帰りがけの駄賃を稼ぐことにした。
リファニアの小艦隊は沿岸に近づくと沿岸航路の荷役船を狙った。一日で三隻の荷役船を撃沈し二隻を捕獲して、ようやくリファニアの小艦隊はファレスリー沖から、ブラブス王国に向かった。
リファニア王立水軍の小艦隊は知らなかったが、この戦争の最終時期にブラブス王国もイース戦争に参戦していた。
イースにヘロタイニア艦隊の来襲を告げたブラブス水軍の軍船はフネルラル湾海戦の翌日にヘロタイニア艦隊の壊滅とヘロタイニア艦隊の撤収を報告するために、ブラブス王国の大西洋水軍基地の一つであるネリバ島プンテネに急行していた。
プンテネとは現ポルトガル領アゾレス諸島サンミゲル島のポンタ・デルガダのことで、リファニア世界ではアゾレス諸島はその主島の名をとってネリバ諸島と称される。
この知らせを待っていたブラブス王国水軍は撤収してくるヘロタイニア艦隊を撃滅するために出撃した。
ブラブス王国では、早い段階からヘロタイニアによるイース侵攻は失敗すると判断して勝ち馬に乗るために参戦の機会を狙っていた。
ブラブス王国の水軍はノメス(ジブラルタル)海峡を無断通過しようとしているという理由でヘロタイニア船を攻撃したことはあるが、それだけではイース戦争に参戦したことにはならない。
参戦理由は、ヘロタイニア船のノメス海峡無断通過とヘロタイニア軍による国境侵犯である。現代的な国境線が厳密にあるわけではないので双方とも国境侵犯など日常茶飯事である。
ブラブス王国では、いつもならお互い様で見逃される些細な国境侵犯を数ヶ月前から強固にヘロタイニアに抗議して、自国に有利な新しい国境線の確認をヘロタイニアに求めていた。
正確な参戦理由はこの要求に対して誠実な回答がないという理由と、友好国イースへの侵攻に対して懲罰を与えるということだった。
急遽、出撃したブラブス水軍は命からがら撤収してきたヘロタイニア軍船、三隻を撃沈して五隻を捕獲した。
イース近海に派遣されたヘロタイニア軍船で母港に帰投できたのは十三隻だけである。リファニア王立水軍やブラブス水軍から逃れたヘロタイニア軍船は二十隻いるが、七隻は行方不明、おそらく海難事故で失われた。
イース戦争に参加したという実績をつくったブラブス王国の艦隊はすぐに帰投した。その後にやってきた、リファニア王立水軍の小艦隊が殿のヘロタイニア軍船を襲ったというのがことの成り行きである。
このように局地的には戦いは続いていたが、急速にイース戦争は終結に向かって行く




