表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/15

十三フネルラル湾海戦 下

 ヘロタイニア艦隊が回頭を終えて、単横陣でリファニア艦隊に向かってくるとヨンオロフド提督も「こちらも回頭だ。取り舵九十」と命令を下した。


 ここでリファニア艦隊は長年の操艦に関する研究と、日頃の訓練の成果とも言える艦隊行動の妙を見せる。

 リファニア艦隊は単横陣から単縦陣になった。帆船が素早くそれも一斉に回頭することは難しい。


 経験を積んだ巫術師が送る風、左右のタイミングを上手く調整した漕手、そして、帆を操る水兵の素早い動き、舵手による微妙な調整、それらを統括して命令を下す有能な艦長がいて初めて可能になる機動である。


 リファニア王立水軍は、中世世界には珍しい実力社会である。水軍を目指す貴族や郷士の子弟は十二三才で、身内や知人の紹介によって艦長や高級士官の従卒として王立水軍に入る。


 王立水軍を目指すのは、代々水軍に人材を送ってきた家と、貴族や郷士の次男、三男など自身の力で身をたてる必要のある者である。

 神官になるか、近衛隊や傭兵として名をあげるか、王立水軍を目指すというのが貴族、郷士の長子以外の道である。その中でも厳しい道ではあっても花形が王立水軍である。

 

 王立水軍を目指す若者は、それは王領だけでなくリファニア全土から人材が集まってくる。従卒として二年ほど仕事をして船に慣れると、艦長の推薦で水軍錬成隊という訓練船に配備される。


 ここで、自然に関すること、水軍に関する座学、操船術、天測技術、艦上での剣術等を叩き込まれる。

 休みは十日に一度しかなく、この訓練船の教官をする平民出身者が「貴族や郷士に生まれなくてよかった」というほどの猛訓練である。


 この錬成隊で使いモノになると判断されればめでたく副長補佐や航海士助手という肩書きで水軍に正式に入隊できる。

 中には座学が優秀なために水軍の主計部門や法務部門といった文官へ誘われる者もいる。


 早い者で二年、普通は四年、中には十年近く錬成隊に留め置かれる者もいる。反対に正式に水軍に入隊すると早い者で三十代になるころには艦長になる。


 貴族や郷士であってもこうした訓練を経て実力を示さなければ艦長にはなれない。また、平民であっても実戦部隊で頭角をあらわせば、四十代半ば以降になるが小型船の艦長、大型船の副長までにはなれる。


 流石に平民出身者が艦隊の指揮官になることはないが、合戦指揮官や航海指揮官といった役職名で実質的に指揮をとることはある。


 中世世界とは思えないこのシステムがあってこそ、リファニア水軍は中世世界の水軍の水準を超えることができた。


 ともかく、リファニア水軍は敵の目前で難度の高い艦隊行動を四十七隻の軍船が同じ糸で操られているかのように敵前で行った。


 ただ、口をあんぐり開けてこの操船を見ていたヘロタイニア艦隊の人間から見れば、リファニア艦隊は船の横腹をさらした状態である。

 これが、砲撃の応酬を行う近代海戦ならT字戦法であり、有効な艦隊行動であるが、衝角による攻撃が主戦法のリファニア世界ではわざわざ敵の前で不利な陣形になっただけである。


「リファニア艦隊は何をするつもりだ」目の前の出来事を咀嚼しかねているファナシエヴ水軍長が言う。


 一方、自分の艦隊が思い通りに動いたことに満足したヨンオロフド提督は「取り舵九十。第二横陣。反航戦用意」と仕上げの命令を出した。


 リファニア艦隊は再びヘロタイニア艦隊に船首を向けた。そして、全ての軍船が回頭を終えると、艦隊は二列の横陣になっていた。


リファニア艦隊とヘロタイニア艦隊はこの時には、半リーグを割る距離に迫っていた。


「相手の旗艦を始末したいな。多分、ファナシエヴ水軍長の心意気で後の艦は戦っている。旗艦さえ始末すれば勝負はあっという間に終わるぞ」ヨンオロフド提督は幕僚たちに言う。そして、頭上のマストの上の見張り兵に「旗艦がわかるか」と声をかけた。


「中央の大型艦に赤字に牛を描いた旗が見えます」見張り兵は即座に返答する。


「それだ。”ガレデ(牡牛)号”だ」とヨンオロフド提督は嬉しそうに言う。


「全ての艦にミナゲゼル(シャチ)の旗を掲げさせろ。それから敵旗艦は左右から攻撃他の小隊は援護。切り込み戦に持ち込まれるな。相手は死兵だ。飛び道具で弱らせろ」


 ヨンオロフド提督の命令で、リファニア艦隊の全船に本来なら”ミナゲゼル号”のパーソナルフラッグであるシャチの旗印が翻る。

 リファニア水軍では合戦において欺瞞を用いることが奨励されている。特に旗艦は相手に狙われやすいのでこのような欺瞞をよく行う。


「小隊ごとに単縦陣ができました」と周囲を見回していた艦長が言った。すでに、ヘロタイニア艦隊は指呼の距離である。


 リファニア水軍では二隻で小隊を成す。この二隻は原則として同じ任務と行動をする。そして、合戦においては、互いの援護する。ファレスリーを襲撃した二隻のリファニア軍船も同じ小隊である。

(第八章 花咲き、花散る王都タチ 王都の熱い秋26 史実イース戦争 五 港湾担当官百人長マルニドの戦い 中 参照)


 リファニア水軍では、同じ設計図のもとで同型艦というべき軍船を造っており軍船が同じような性能を持っていることも連携した動きが取りやすい要因になっている。



挿絵(By みてみん)




「二十間に近づいたら投石しろ。絶対に外すな」とヨンオロフド提督が命令した時には、ヘロタイニア軍船に乗っている者達の顔が見分けられるような距離であった。


 リファニア軍船から、人の頭ほどもある石弾が緩い放物線を描いて発射された。それぞれが正面のヘロタイニア軍船の帆や甲板に命中する。帆に当たった石弾は帆に大穴を開ける。甲板に落下した石弾は甲板を砕いて下に落下するか甲板を転がって数名の人間を傷つけた。


 ヘロタイニア軍船も弩や弓で矢を放ってきた。頭上では双方の”雷”が”屋根”に当たる音が絶え間なく轟く。


「攻撃、右舷の船を狙え」”ミナゲゼル号”の艦長の号令で数十の矢が放たれ、弩から発射された大型の矢が敵船の帆を切り裂く。


 ”ミナゲゼル号”の甲板にも矢が降り注ぐ。それは舷側に並べられた大型の盾で防ぐが、相手の弩から発射された、太めの槍ほどの大きさがある特大の矢は楯を貫いたり楯を砕いた。


 リファニア水軍では軍船に投石機を搭載しているが、揺れる軍船から敵艦に命中さることは困難なのでヘロタイニア軍船は投石機を装備していない。そのかわりに、ヘロタイニア軍船は大型の固定式弩を多めに装備している。


「敵艦こちらに変針、近づく」矢の雨の中、見張り兵がほとんど体を露出したままで叫ぶ。「櫂舵を狙え」「相手はぶつけてくるぞ。取り舵、上手くよけろ」艦長がすばやく対応する。


 再び”ミナゲゼル号”の投石機から石弾が発射された。それは、相手の船尾付近に見事に命中した。弩や弓からの矢が同じように船尾に集中する。

 櫂舵を操る水兵を守っている楯が砕け散った。櫂舵を操っていた水兵達は堪らずに甲板に腹ばいになった。


 リファニア軍船は舵を利用するので舵を操作する水兵は船内にいる。それに、対してヘロタイニア軍船は舵櫂を利用するので操作する水兵は甲板にいる。これがヘロタイニア軍船の合戦時における脆弱性となる。


 さらに、このような投射兵器を用いる射撃戦や白兵戦では、戦闘の専門家である海兵を乗せているリファニア水軍に利があった。

 リファニア水軍海兵は命中精度をあげるために楯から身を乗り出すように射撃する。操船任務のない水兵が、ヘルメットと上半身にラメラプレートを装備して楯に隠れながら援護射撃を行った。


 ヘロタイニア水軍では水兵が戦闘も担当するがほとんどが甲冑はおろかヘルメットさえ装備していない。


 同じ程度の大きさの艦ならリファニア水軍の方が矢や弩からの発射量はヘロタイニア艦の一倍半ほど放てる上に精度は比較にならないほどリファニア水軍が優れている。

 最初の一撃では恐ろしいほどの数の矢が、”ミナゲゼル号”に降り注いだが二撃目は明らかにヘロタイニア艦からの投射量が減った。


「右舷、櫂を収納」”ミナゲゼル号”の艦長が叫ぶ。


 ”ミナゲゼル号”と相手船がほとんど舷側を接するかのようにすれ違う。すんでのところで櫂を収納した”ミナゲゼル号”は、相手の右舷に突き出されている櫂をへし折りながら進む。


 相手とすれ違った”ミナゲゼル号”は弓と弩からの矢の応酬という地獄から逃れるが、相手船は”ミナゲゼル号”に追従している後続船と同様の戦いが続く。


 後続船は”ミナゲゼル号”の動きを見ていたので、相手艦に接近すると、矢や弩の攻撃を櫂舵に集中させた上に至近距離で投石機の石弾を相手艦の船尾に命中させた。それにより、櫂舵を操作する水兵を負傷させ櫂舵の上部をへし折った。


 櫂舵の利点としては、すぐに予備が用意出来ることだが名人芸を要求される専門の水兵を失ったことは打撃である。


 リファニア艦隊とヘロタイニア艦隊がすれ違うほんの二三分の戦いだった。


 戦いの興奮が少し収まると甲板上の惨状が目につく。相手船と撃ち合った右舷の船体には何本もの矢が突き刺さっていた。

 特に船尾近くの一段甲板が上がった部分にある指揮所を覆う楯には十数本の矢が刺さり、一つの楯は弩からの大型矢が命中したのか上部が完全に砕けていた。


「これは改良の余地ありだな」とヨンオロフド提督が破壊された楯を見ながら他人事のように言う。


「鉄の楯でもなければ防げません」興奮が醒めない副官のぶっきらぼうな言葉に、ヨンオロフド提督は「鉄の楯を造らせよう」とこともなげに言い返す。


 リファニア水軍はこの海戦から多くの戦訓を得た。現在のリファニア軍船では指揮所は折りたたみ式の鉄板を打ち付けた囲いが設置できる。さらに、船首と船尾には巫術師用の同様の設備が設置できる。


 未来のことはともかく、この時の”ミナゲゼル号”の甲板ではまともに首に弩の大型矢を受けてほとんど胴から首がもぎとれそうな海兵の死体が転がっていた。


 三人の海兵と二人の水兵が戦死して十数名が負傷していた。幸いなことに帆をはじめ操船器具はほとんど無傷だった。


「回頭。敵艦隊を追う」ヨンオロフド提督が力強い声で言う。すぐに旗旒きりゅう信号が揚がる。


「敵艦隊の様子を知らせろ」ヨンオロフド提督がそう言ってマストの見張り兵に声をかけた。返事はなかった。見張り兵は二本の矢を胸に受けて、落下防止用のロープにつり下げられていた。


 すぐさま、別の水夫がマストに登る。


「敵の陣形が乱れています。三分の一ほどの艦が遅れています。それでも、そのまま直進しています」専門の見張り兵でない水兵の報告は多少冗長である。


「敵の旗艦は」ヨンオロフド提督は注意をしようと思ったが、それを飲み込んで聞いた。


「中央でそのまま航行してます。帆がかなり破れています。櫂走です」と代わりの見張り兵が報告する。専門の見張り兵なら「中央で航行、帆破損大、櫂走」と報告しただろう。


「左舷、三隻向こうの艦に敵兵がいます。ほとんど制圧しています」数秒して見張り兵が報告した。


 両艦隊がすれ違った時に、ヘロタイニア艦隊は切り込み攻撃の準備をしていた。しかし、猛烈な射撃戦になったので多くの艦はその機会を逃した。それでも、数隻のヘロタイニア軍船は切り込み攻撃を仕掛けた。


 ただ、反航であっという間にすれ違ったために、リファニア軍船に乗り込めたヘロタイニア水兵は多い艦でも十名ほどだった。

 刀剣だけで武装した数少ないヘロタイニア水兵達は完全武装で武芸に優れるリファニア水軍海兵にすぐに制圧された。


 やがて、ヨンオロフド提督の前に胸に二本の矢を受けた見張り兵が降ろされてきた。楯が破壊された時に、その破片で頭部に裂傷を負った艦長に包帯を巻いていた軍医が、看護兵に後を任せると見張り兵の様子をじっくり診た。


「どうだ」とヨンオロフド提督が心配そうに聞く。ヨンオロフド提督は見張り兵個人を心配して聞いたのではない。

 見張り兵は優れた視力の持ち主で、特別な訓練を施されており、すぐに代わりが見つかるものではないからである。


「生きています」と軍医が難しそうに額に皺を寄せて言った。


「なんとか助けろ。彼は貴重だ」と包帯を巻き終わった艦長が、ヨンオロフド提督の意を察して言う。


「水を四クォート(約三.六リットル)ほど使っていいですか。傷口を洗います。それからわたしは自分の手を洗ってから、なんとか矢を取り出します」と軍医は遠慮がちな口調で応えた。


 軍船に限らず遠洋航海を行う船では真水は貴重である。リファニア水軍では一日一人当たり自由に使える水は二クォート半(約二.三リットル)に制限されている。ただ、水以外にビールが半クォート支給される。


 自由に水を使っていいのは提督や艦長だけだが、彼らは食事こそ他の乗組員より二品ほど余分に食べるが水に関しては自重して規定を守っている。


「軍医は好きなだけ水を使っていい」と言う艦長の言葉を聞いた軍医は担架に見張り兵を乗せると船内に入って行った。



 敵船四隻の攻撃を受けたヘロタイニア艦隊旗艦”ガレデ号 ”の惨状は”ミナゲゼル号”の比ではなかった。

 両舷から弓と弩の一斉攻撃を二度受けた上に、投石機による九発の石弾を主に帆に受けていた。


 帆は丁度半分の高さの位置で裂けて帆の下の部分はほとんど風になびくだけになっていた。

 舷側の楯は数個に一つは砕かれて、その周辺には死体や苦痛にうめく負傷者が転がっていた。

 大型艦のヘロタイニア軍船であっても、ややリファニア軍船の方が舷側が高いので射撃戦では甲板全体を掃射されるために、三十数名が矢を受けてそのうち三分の一ほどが戦死した。


 旗艦であるので他の軍船よりは多少多い百四十名ほどの人数が乗船しているが、全体で五分の一近くの人数が戦闘不能になった。


 死傷者のほとんが一撃目によるもので、二撃目はほとんどの水兵が楯や遮蔽物に隠れるか、あるいは、本来なら厳罰ものであるが持ち場を離れてあわてて船内に退避したので損害は少なかった。

 また、幸運だったのは、櫂舵を狙って発射された石弾が外れて、反対側にいた味方であるリファニア軍船の舷側に命中してへこみをつくったことである。


「次にこのような攻撃を受けると、この艦は戦闘不能になります。航行にも支障がでます」と副官がファナシエヴ水軍長に難しそうな顔をして言った。


「艦長が戦死しました」と”ガレデ号”の副長が報告に来た。


 ヘロタイニア艦隊旗艦”ガレデ号”の艦長は、リファニア艦隊旗艦”ミナゲゼル号”の艦長ほど幸運ではなかった。弩からの大型矢が楯を貫いて頭部を直撃したのだ。


「副長、すぐにこの艦の指揮をとれ。艦長に任命する」そう言ったファナシエヴ水軍長は上を見上げた。


「まだ、戦えるぞ。見ろ。あの旗を」


 赤地に牡牛の旗印は、傷一つなくマストの上に翻っていた。


「我に続けだ。リファニア艦隊と退避した我が艦隊の間に入る」そう言うファナシエヴ水軍長の闘志はいささかも衰えていなかった。  



挿絵(By みてみん)




 旗艦”ガレデ号”がしんどそうに回頭すると、他のヘロタイニア軍船もそれに続いて旗艦に追従する。


 四半刻ほどかかって間隔が不揃いな単縦陣ができる。元来、帆船による機動とは手間のかかるものなのである。

その上に、ヘロタイニア艦隊の軍船は”ガレデ号”と同様に大抵の艦が帆を損傷しているので艦隊速度はかなり低下していた。


 リファニア艦隊も反転してくるが、今度は風向きが悪く手間を取りながら、再び二列の単横陣を組んでヘロタイニア艦隊に向かって速度を上げていた。

 このままでは横腹を狙ってくださいとういものなので、ファナシエヴ水軍長は、なんとか、艦隊を横陣にしてリファニア艦隊から離れようとした。


 すでに、逃れてた味方艦隊は水平線近くまで逃れて視界から消えようとしていた。その後に、リファニア艦隊がぴったりとついている。


「バラバラに逃げるんだ」とファナシエヴ水軍長が苛立ったように言う。


 かなり遠方なのでファナシエヴ水軍長にはよくわからなかったが、バラバラに逃げようにもすでにリファニア艦隊が左右からすぐ間近まで接近しているのでヘロタイニア艦隊の軍船は前にいっしょに進むしかなかった。


 そして、ファナシエヴ水軍長はすぐに目の前のことに神経を移した。今は味方の心配よりも自分の率いる艦隊の生死がかかる局面を心配しなければならない。


 この時、単縦陣から単横陣に陣形を変えたので、単縦陣の先頭にいた旗艦”ガレデ号”は、横陣の一番左端に位置していた。


「第一小隊から第十二小隊までは敵の左舷に出ろ。第十三小隊から第二十四小隊は敵の右舷だ。敵艦隊の前に出て頭を押さえる。それから包囲だ」ヨンオロフド提督は信号兵に言った後で復唱させた。


 信号兵は(ショイチ ジュウニ マデ テキ サゲン ススメ、ショジュウサン ニジュウヨン マデ テキ ウゲン ススメ、ホウイ セヨ)と手旗信号を送った。 


「今の第一小隊の先頭艦は誰だ」ヨンオロフド提督は副官に尋ねた。何度か回頭したので通常先頭になる艦が今先頭にいるとは限らないからである。


「ブリュノデルド艦長の”モンスバルト(カマス)号”です」副官が、負傷した見張り兵に代わったもう一人の専門の見張り兵に確認してから答えた。

 その見張り兵は甲冑とヘルメットを装備していた。また、見張り兵を失うワケにはいかないからだ。


 ちなみに現在のリファニア軍船ではマストの上部に薄い鉄板で保護された見張り用の篭が設置されている。


 同型艦が多いリファニア水軍で見張り兵は僅かな船体の相違と旗などから素早く個艦名を言い当てる能力が要求される。


「よし、一時、敵左舷の艦隊の行動はブリュノデルト艦長が統制せよと信号を送れ」ヨンオロフド提督は、艦隊にいる個々にお艦長の能力を熟知していた。

 ”モンスバルト号”を先頭に艦隊の左側にいた艦は単縦陣でヘロタイニア艦隊を追い抜いて行く。この場合、旗艦”ミナゲゼル号”は、最後尾の艦になる。


「例のものを試してみますか」と頭に巻いた包帯がほんのり血で染まった艦長が少し笑いながらヨンオロフド提督に言った。


「例のもの?」ヨンオロフド提督は何を言われているのか戸惑った。


「碇です。丁度、敵旗艦の横を通過します。試す価値はあると思います」そう言う艦長の言葉に、ようやく、ヨンオロフド提督は衝角が使い物にならないので浮き袋をつけた予備の碇を曳航して敵船にぶつけようという話を思い出した。


「それはこの艦の戦闘行動だ。艦長に任せる」ヨンオロフド提督はぶっきらぼうに答えた。ヨンオロフド提督はどう考えても碇で敵船を攻撃するなど上手くいくとは思えなかった。


「少し速度を落とせ。前の艦から離れろ。櫂走停止」艦長は櫂室への伝声管に指示を出した。伝声管といっても甲板のすぐ下の櫂室にまで続く木製の箱形の管である。

 簡単な仕掛けだが、この原始的な伝声管のおかげで艦長は自分の手足のように自艦の櫂を動かすことができた。


 すぐに艦の行き足が遅くなり、前の艦が離れる。充分離れたところで艦長はまた伝声管に口を当てた。


「第一戦速」


 第一戦速は長時間漕ぐための速度で、漕ぎ出しは必ずこの速度から始めて漕手の調子を整える。


「碇を投下」艦長の命令で船尾から浮き袋をつけた碇が七人がかりで投下された。


「面舵、二十」艦長は碇につけたロープの長さを目で計りながら艦を敵旗艦に近づけた。ロープの長さは八十メートルほどなので弩の射程内である。


「巫術師、”屋根”展開。”雷”を放て。弩に装填。海兵は弓を持て」艦長は冷静な声で命令する。


「ヨンオロフド提督、指揮所の楯の中に退避して下さい」すべての準備を終えた艦長は、ヨンオロフド提督に促した。


「いいや、ここにいる。指揮所だと的になる」と言いながらヨンオロフド提督は舷側の大きな楯の陰に隠れた。


 やがて、”雷”と”屋根”の戦いが始まる。敵旗艦の速度が落ちた。帆を損傷してる上に、巫術師が”雷”か”屋根”をかけることに回ったようだった。


「第二戦速」


 第二戦速は速歩程度の速度である。この速度だと一時間ほどで漕手の息が荒くなってくる。交代要員がいないと長時間は利用できない。

敵旗艦との距離は百メートルを割った。弩が敵艦から発射される。敵旗艦なので矢継ぎ早に飛んでくるかと思ったが一つ飛んできては、忘れた頃に次が発射される。


 当てるにはまだ距離があり、ほとんどの矢は”ミナゲゼル号”の手前に落ちるか左右にそれた。


 実はヘロタイニア艦隊旗艦”ガレデ号”は五基の固定弩を装備していたが、先の攻撃で二基が使い物にならなくなっていた上に操作する水兵の半分以上が戦死するか戦闘不能になっていた。

 特に射手が全滅していたので臨時に別の水兵が操作していた。そのために命中させることがより難しくなっていた。


「狙える射程に入り次第、弩を発射。船尾の櫂舵を狙え」艦長の声がさすがにうわずってきた。


 しばらくすると、”ミナゲゼル号”が装備する三基の固定弩からも反撃の大型矢が発射される。

 槍のような大きさの矢は二本が船尾付近の船体に命中して、一本は船尾のすぐ近くを通過していった。弩を操作する海兵はすぐに再装填にかかる。


「投石機準備できてます。絶対に当てます。鉄弾を使います」投石機を指揮する海兵戦士長が艦長に意見具申を行いに来た。


「勝手に戦闘を始めたら、今の艦隊指揮官のブリュノデルド艦長に怒られるぞ」それを傍らで聞いていたヨンオロフド提督が小声で呟いた。


「船体を狙え」艦長はヨンオロフド提督の声が聞こえなかったのか戦士長に事実上の発射許可を与えた。


 投石機と弩から同時に飛翔体が発射される。投石機の弾丸はとっておきの鉄弾だった。ボッムンという音がして、敵旗艦の櫂室のあるあたりに大穴が開いた。弩の大型矢はまたしても船尾当たりの船体に突き刺さった。


「今の”雷”は”屋根”を通過しました。衝撃で相手巫術師の術が途切れたのだと思います」船首にいた巫術師が大声で報告する。


「取り舵、一杯。戦闘戦速」艦長はその巫術師に何も答えずに碇を敵旗艦に命中させることに集中していた。


 戦闘戦速は小走り程度の速さである。船尾から投下した碇を結んだロープが延びきり碇が白波をたてて走り出したのを見て艦長は艦を変針させた。


 その間に再度、鉄弾と弩の大型矢が発射される。鉄弾は再び櫂室に大穴を開ける。敵旗艦の左舷の櫂が半分ほど動きを止めた。弩の大型矢は今度こそ櫂舵を覆っている楯の上部を砕いた。


 まばらに矢を放つ以外に敵旗艦はほとんど反撃してこなくなった。


「突入戦速」


 突入戦速は全速で衝角攻撃を行う速度である。リファニア艦隊は早朝に隠れた入り江を出て、ヘロタイニア艦隊の横腹に突っ込んだ時に使用した。

 相手よりかなり大型だと言っても、”ミナゲゼル号”がこの速度で突っ込んだので相手船をへし折って乗り上げるように通過した。


 ボート競技のエイト並みの重労働で数分で漕手の息が上がり出すのでここ一番と言うときにしか使用しない。


 ”ミナゲゼル号”が左に旋回したので、碇は勢いがついて”ミナゲゼル号”の右後方を走って行く。

 やがて、白波をたてていた碇は、ヘロタイニア艦隊旗艦”ガレデ号”の船尾に勢いよくぶつかった。ドンという衝撃音がする。


 ロープが延びて急に”ミナゲゼル号”の行き足を止める。碇は敵旗艦の船尾に食い込んだようだった。


「やった」「上手いぞ」


 ”ミナゲゼル号”の艦上で歓声が上がる。



挿絵(By みてみん)




「旗艦をこちらに引き出せ」ヨンオロフド提督も興奮して叫ぶ。”ガレデ号”は次第に味方から離れてリファニア艦隊の方に引き寄せられる。


 三発しかない最後の鉄弾を投石機は放った。三度櫂室に大穴が開く。”ガレデ号”の右舷の櫂はほとんどが止まった。


「また、”雷”が敵を直撃しました。相手の巫術師は完全にびびっています」船首の巫術師がやけくそのように叫ぶ。


「第十一小隊と十二小隊で敵旗艦に切り込み攻撃をさせろ。できれば撃沈せずにいただこう」ヨンオロフド提督が冷静に言う。


「それから、全艦に指揮権はわたしにあると伝えろ」ヨンオロフド提督は思い出したように付け加えた。



挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ