十 イースの通り魔
トルルの乗船する”ジャジーネ号”の出港した夜に起こったリファニア水軍によるファレスリー襲撃という事件を挟んで、ファレスリーから増援のヘロタイニア艦隊とヘロタイニアの軍勢は出港した。
ヘロタイニアの増援艦隊出港を見逃さなかった、リファニアとは友好関係にあるアサルデ人のブラブス王国水軍の二隻の軍船はリファニアとイースに向かった。
その結果、七日後の同日に二隻はそれぞれリファニア王国の王都タチと、イースの西北部にあるリファニア水軍イース派遣艦隊の泊地に到着した。
ブラブス王国水軍がもたらした情報に王都タチは、あわてふためいた。
ほんの二ヶ月前のファレスリー襲撃で、リファニア王立水軍は、敵の物資の大半を焼き払い、港湾自体にも大きな損害を与えていた。
このために当面は、ヘロタイニア水軍による大規模なイースへの増援艦隊来寇はないと、リファニアのロセニアル王以下リファニア王立水軍上層部は判断していたからである。
これは襲撃船の報告だけではなしに、襲撃十日後にフェレスリーに潜り込んだ複数の間者からの詳しい報告、ブラブス王国からの情報の両方が敵の根拠地であるファレスリーが、甚大な被害を受けたことを告げていた。
自分達の感覚からすれば、ヘロタイニアからの増援艦隊は早くとも八月にならないと出てこられないと判断していた。それも急激に増強中の艦隊を完成次第投入したとしてである。
リファニア、少なくともリファニア王領は、海洋交易に片足を乗せた国家である。
海洋はリファニア王領の生命線であり、自国の商船隊は高価な水軍を維持してでも守るべき存在である。
そうした国家の人間の頭では、水軍は軍船を建造するだけでは機能しないことがわかりすぎるほどわかっている。
急増した水軍など数はいても、まさしく烏合の衆である。しかし無視することも出来ない。
ロセニアル王とその家臣達は,現在イースに派遣している艦隊と八月に交代するためにイギナ湾で待機している艦隊を急遽イースに派遣することにした。
そして、この増援艦隊のイース到着は、ヘロタイニア艦隊の到着と同時期になるだろと見積もられていた。
ブラブス王国のもう一隻の船はイースに急を知らせた。
イースでこのブラブス船の知らせを受け取ったのは、リファニア王立水軍の逸材で一代士爵に叙せられていたブレッダ・ヨンオロフド提督だった。
ヨンオロフド提督は、自分の指揮下の約五十余隻の艦隊は、もし相手が合流して自分達に挑みかかってくれば単独では苦戦は必死と判断した。そして、ロセニアル王以下の本国の人間は必ず増援艦隊を派遣すると確信していた。
ヨンオロフド提督は増援艦隊が到着するまでは、逃走してでも自分の艦隊を保全するという常識的な策を取らなかった。
ヨンオロフド提督は急遽出撃してきたヘロタイニア増援艦隊の人的能力は低いと判断していた。
これは根拠のない判断ではない。拿捕したヘロタイニアの船員からの話、また、二隻捕らえたヘロタイニア軍船の乗組員の質から判断したものだった。
ヘロタイニア人水兵の質は、リファニア人水兵の質から見れば一段劣る。そして、船長以下の幹部の質は、家柄以上に実力を加味するリファニア水軍から見ればかなり劣悪である。
イースに派遣されているヘロタイニア水軍は、リファニアでも名の知られたマンフレスト千人水軍隊長が指揮している。精鋭艦隊と言っていいだろう。
長年の抗争関係からリファニアでは、大陸国家に属するへロタイニアの水軍が人的には底が浅いこと知っていた。
常識で考えれば、イースに接近しつつあるヘロタイニア増援艦隊の人的な質が高いはずがなかった。
また、ヨンオロフド提督はヘロタイニア増援艦隊が多くの新造船で占められていることが弱点だとわかっていた。
中世段階の軍船は建造して処女航海で種々の不都合が判明する。操船に難がある、トップヘビーである、水密が不十分といったことは航海して初めて判明する。
通常は何度か航海をして、乗組員との相性を向上させながら、徐々にその不具合を取り除いていって初めて真の軍船となっていく。
ヘロタイニア増援艦隊は急造して初めての航海を行う軍船が主力で、乗組員も操船に熟知していない。
ヨンオロフド提督はそれを見越して、落後船なども出ている筈だと判断していた。上手くヘロタイニア増援艦隊の背後から接近すれば、かなりの隻数をこちらの被害無しに食えるのだろうと言う訳である。
ヨンオロフド提督は決断すれば行動は早い。ブラブス王国の軍船がもたらして報告を聞いた翌日には、哨戒に出ている軍船を除く、二十七隻の軍船と哨戒通報任務に当たるイース船、リファニアの小型快速商船八隻を加え、自ら根拠地としているイース北西部から出撃した。
提督は出撃前に、哨戒からもどった軍船は根拠地の守備にあたらすように命じた。
ヨンオロフド提督率いる艦隊は二日という日数でイース南方海上に出た。ここで、カフ島(現ヘイマエイ島)の沖を監視していた友軍船と上手く合流できた。
その軍船の報告では、少なくとも二日前までは、大規模な船団がカフ島に到着した兆候はないとのことだった。
そこで、ヨンオロフド提督は艦隊を横へと伸張させた。各船は数キロほど離れて横の二隻ほどがようやく視認でるほどの広がりであれる。
この極端な横隊の前面に、さらに、横の船がかろうじて見えるほどの距離を取って快速船を展開させた。
リファニアにはパーヴォットと同じような驚異的な視力を持つ者がいる。彼ら彼女らは驚異的な視力の上に鋭敏な四色型色覚を持っている。
これは突然変異による遺伝子のなせるワザのようであるが祐司はこのことをいまだに知らない。
彼らは水軍の見張り員として重宝がれており、見張り以外にも僚船が掲げる旗による信号を楽々と読み取ることができる。
残念ながら彼らも他のリファニア人と同様に、巫術のエネルギーの影響で、緑系統の色の微妙な差については鈍感である。
(第二章 北クルト 冷雨に降られる旅路 霧雨の特許都市ヘルトナ8 初めての商売 参照)
旗による信号では複雑な内容を伝えることはできないが、事前にヨンオロフド提督は各艦長と打ち合わせをしており敵艦隊さえ発見できれば手筈通りの動きをすればよかった。
ヨンオロフド提督は、荒削りの新調軍船と未熟な指揮官、水兵を擁するヘロタイニア増援艦隊はヘロタイニアとイース間の最短距離で航海するだろうと考えていた。そこで予想進路に向けて横隊を取らせたのだった。
ヨンオロフド提督の艦隊がヘロタイニア増援艦隊に向かい出して、二日後の六月四日に前面を哨戒する東から四番目のイースの快速船が、ついにヘロタイニア増援艦隊の先鋒を発見した。このイース船は敵艦隊発見の大きな旗旒信号を掲げる。
その旗旒信号を読み取った左右の快速船は、反転してリファニア艦隊に向かうリファニア軍船が見えると、同じように旗旒信号を掲げた。
すぐさま、その連絡は横隊の全リファニア軍船に伝えられた。
リファニア艦隊は手筈通りに最初にヘロタイニア増援艦隊を発見したイースの快速船より西にいた軍船と快速船は西向きに、東にいた軍船と快速船は東向きに進路を取って、ヘロタイニア増援艦隊をやり過ごして背後に機動した。
最初にヘロタイニア増援艦隊を見つけた快速船は当然ながらヘロタイニア増援艦隊も視認していた。
艦隊の最前部にいたファナシエヴ千人水軍長(以下ファナシエヴ水軍長と表記)は、すぐに快速船を追跡して拿捕するか撃沈せよと命じた。
ヘロタイニア増援艦隊の中から、例外的に熟練水兵で構成された古参軍船が四隻、すぐにイースの快速船を追跡しだした。
イースの快速船はそのまま北に向かって逃走する。このイースの快速船に釣り出されたヘロタイニアの古参軍船は、ひどく散開してしまったヘロタイニア増援艦隊の羊導犬の役割をしていた。
ヘロタイニア増援艦隊は、ヨンオロフド提督の見込み通りに先頭の船と最後尾の船では六十キロ以上離れていた。それをなんとか迷い船を出さないように、各船の間を走り回っていたのが古参軍船だった。
六月になったとはいえ、いまだに北向きの風が吹くイース南方海域では、風に向かって進む苦しみを味わっているヘロタイニア増援艦隊と正反対に順風の北風を受けてリファニア艦隊は易々とヘロタイニア増援艦隊の背後に回った。
ヘロタイニア増援艦隊の背後で合流したリファニア艦隊は早速狩りを開始した。
まず血祭りになったのが、艦隊に同行している船足の襲い商船隊を追い立てていた三隻の地中海型の三角帆を持つ中型軍船である。
この地中海型の中型軍船は、速度が出ないので戦力としてはあまり期待されていなかったが、小回りが利くので商船保護の任務を負っていた。
三隻のヘロタイニア軍船に数隻の大型のリファニア軍船が襲いかかった。リファニア船にはいずれも四五名の巫術が乗船しており、”雷”の連続攻撃を行いながら”送風術”で急速にヘロタイニア軍船に迫った。
ヘロタイニア軍船は、二人の巫術師しか配置していないので、一人は”屋根”をかけて”雷”を防ぐだけである。巫術は同時に二つはかけることはできないので、もう一人が必死で”送風術”を行い、なんとか逃れようとする。
それに、対してリファニア船は二人ないし三人の巫術師が風が途切れないように”送風術”をかけ続ける。
まるで、幼稚園児と大人の鬼ごっこである。
やがて、複数の大型軍船が斜め横から衝角をふりたてて突入する。斜め横から突入するのは衝角が深く敵船にめりこんで抜けなくなることを避けるためである。
またたくまに、ヘロタイニア軍船は航行不能になる。木造船であるので轟沈ということはないが、船内に大量の浸水を招いて水船になり上甲板までが波に洗われる。
リファニア艦隊は、無力化した軍船の次に商船を次々に血祭りにあげる。
商船は、たいてい”送風術”ができる巫術師か巫術師モドキを一人乗せているだけで”雷”はおろか”屋根”さえかけることができない。
”雷”を数発喰らうと操船する水夫がほとんど行動不能になり、易々とリファニアの快速船に拿捕された。
この一方的な戦いは一刻ほども続いた。この間に、食糧と兵員を満載した十三隻の商船にリファニアの快速船から水夫達が乗り込み狩りと言えるような戦いが行われている海域からリファニア水軍の本拠地に向かって離脱していった。
さらに、”雷”によって、操船できる人間のほとんどの者が行動不能になった残りの商船は、慎重にリファニア軍船が軽く衝角で突いた。
それでも、船腹は損傷して浸水が始まる。応急処置もままならない商船はいずれ沈没する。
ようやく、散開した艦隊の中央部にいたヘロタイニア軍船三隻が商船が追いついてこないので反転してきた。
新たな獲物を見つけたリファニア軍船は今度も、ヘロタイニア軍船一隻の数隻が挑みかかる。
ヘロタイニア軍船はイースの快速船を追いかけていった古参軍船以外は兵員と物資を満載しているので動きが鈍い。
二隻の軍船はすぐにリファニア軍船の衝角の餌食になった。一隻はなんとか再び北に進路を向けて逃れようとする。そのヘロタイニア軍船はリファニア軍船に追いつかれそうになると大胆な行動に出た。
自船に火を放ったのだ。煙を出して前の方にいる主力に異変を知らせようという意図である。
ヘロタイニア軍船は大きな火災になる前に二隻のリファニア軍船の突入を受けてたちまち水没する。木造船といえども荷を満載しているので今度はゆっくりであるが沈没した。
その周囲には、百人以上の水兵や乗り込んでいた兵士が漂う木ぎれに捕まっている。
ヨンオロフド提督はそれらの者に攻撃を加えないように”拡声術”の力をかりて艦隊に伝えた。
これは憐憫から出た行為ではない。敵艦隊はこの者達の救助を行うことによって更にイース到着が遅れるだろうという算段である。
ヨンオロフド提督はブラブス王国からの情報で、敵艦隊を率いているのがファナシエヴ千人長だと知っていた。
ファナシエヴ水軍長と、ヨンオロフド提督は長らく仮想のライバル関係にあり実戦では初めての手合わせとなる。
ヨンオロフド提督はファナシエヴ千人長が人情に厚いという情報を昔から得ていた。その人としての長所にヨンオロフド提督はつけ込もうとしたのだ。
リファニア艦隊は、速度を上げて北上する。すると、四隻のヘロタイニア軍船が併走しているのが見えてきた。ヘロタイニア軍船の中では、特大の大きさで大型リファニア軍船に匹敵する大きさだった。
ヨンオロフド提督は拿捕したヘロタイニア商船の一隻に三人の巫術を乗り込ませて艦隊に追従させていた。残酷だが乗っていたヘロタイニアの水夫と兵士は海に投げ捨てられた。
ヨンオロフド提督はヘロタイニア商船を艦隊の前に出した。知らない者が見ればリファニア艦隊がヘロタイニア商船を追跡しているようにしか見えない。
リファニア水兵に操船されるヘロタイニア商船は庇護を得るかのように四隻のヘロタイニア軍に接近した。
ヘロタイニア軍船が商船を庇うように近づいてきた瞬間、続け様に”雷”がヘロタイニア軍船を襲う。この攻撃で巫術の攻撃に弱いヘロタイニア軍船の巫術師は全て行動不能になった。
そうなれば、ヘロタイニア商船のやりたい放題である。”雷”で威嚇しながらヘロタイニア軍船に接近する。”雷”は”屋根”がなくとも船底に潜めばかわせる。しかし、帆船は上甲板に出ることが出来なければ操船ができない。
ヘロタイニア軍船の横にきた商船から火矢や松明が何本もヘロタイニア軍船に投げ込まれる。すぐに帆が燃えだし、操船用具に火が回る。
追いついてきたリファニア艦隊の軍船も同様の行為を行う。
船の上部が炎に包まれ、甲板の下から乗組員と兵士が、たまらずに脱出しよと船外に出てくる。そこに再び”雷”が落とされる。
それでも、乗組員と兵士は海へと逃れるが、”雷”で麻痺した体では泳ぐことも出来ずにすぐに海に飲み込まれる。
中には全身が松明のように燃え上がって海に飛び込む者もいる。
空を覆いだした煙で、流石に異変に気がついたヘロタイニア増援艦隊の軍船が十数隻に視界に現れた。
その中の二隻は、かなり他の軍船とは二リーグほど離れて先を進んでいた。ヨンオロフド提督は旗旒信号と”拡声術”で攻撃をその二隻に集中させた。
三度、同様の光景が繰り返された。一隻のヘロタイニア軍船に数隻のリファニア軍船が飽和攻撃をかける。
たちまち複数の衝角で突かれたヘロタイニア軍船は航行不能となった。そして、その内の一隻は六隻もの衝角攻撃を受けて波間に消えていった。
水平線にヘロタイニア艦隊の主力が急行してくる姿を発見したヨンオロフド提督は、ここで攻撃を終えさせて撤退に移った。
攻撃を続けて更に戦果を拡大させることも可能だったが、同数以上の相手と組織的な海戦になれば味方にも損害が出る。
まだまだ、彼我の戦力差が大きい中で無謀な戦いを避けたのと、海も次第に荒れ出したことがヨンオロフド提督が撤退を決断した理由だった。
風は北から、南に急に変わった。イース水域に短い夏をもたらす風である。この風は吹き出す時には荒天になり易い。そのことを熟知しているヨンオロフド提督は根拠地への帰還を急いだ。
ファナシエヴ水軍長の乗船する旗艦が駆けつけた時には、最後のリファニア軍船が水平線のあたりを覆いだした霞に消えていくところだった。
ファナシエヴ水軍長はヨンオロフド提督の目論見通りに海に漂っている者の救助を命じた。その救助が半ばも終わらない頃から風が強くなり波頭が砕け始めた。
旗艦にいた指揮官達の懇願でようやく救助を打ち切ったヨンオロフド提督は、再びカフ島のヘロタイニア水軍根拠地目指して北上を始めた。
時化は次第に嵐の様相となった。小型軍船の帆柱ほどまである高さの波が艦隊を襲いだしたのである。旗艦に近寄ってきた軍船から荷物の投棄を許可して欲しいという要請があった。
旗艦自身も積載過重で、トップヘビーになっておりやむを得ず上甲板に搭載している荷を投棄することになった。それを、見た他の軍船も次々に船の上層に積み込んだ荷を投棄し始めた。
前線の通過による嵐は数時間で去り、幸いなことに沈んだ軍船は無かったが、三隻はかなりの浸水があり、残ったほとんどの荷が海水に浸かった。
また、半数以上の新造軍船が上甲板の水密が不備なために、かなりの荷をダメにしていまった。
ヘロタイニア水軍は戦略的奇襲を行うつもりが、自らが戦略的奇襲攻撃を受けた。
この海戦をリファニアでは”イース南方襲撃戦”もしくは”イースの通り魔”と呼称している。
リファニア艦隊側は、敵の古参軍船を釣り出して二日間の逃避の後に、霧を利用して古参軍船を振り切ったイース船を含めて失った船はなかった。
人的被害もほぼ皆無で、七隻の軍船の衝角が短時間で修理可能な被害を受けただけだった。
衝角による攻撃は有効打を与えられるが、体当たりである以上自船も多少の損害を被ることは覚悟しなければならないのが難点である。
この点はリファニア水軍では長年研究されており、正面からの衝角攻撃ではなく斜めからの攻撃を行うことで自船への被害が及ぶことを極力防いでいる。
ヘロタイニア側は、四隻の大型軍船、五隻の中型軍船、三隻の地中海型軍船を失った。ヘロタイニア増援艦隊は五十七隻で構成されていたので、五分の一以上の損害である。
さらに、同行していた二十七隻の商船を全て失った。何隻かはリファニア艦隊の襲撃を逃れたが、遠く南の海上で独行船になってしまい怖じ気づいた全ての商船はファレスリーに引き返した。
人的な損害は軍船の乗組員だけで七百人を超える。さらに軍船や商船に乗っていた兵士が千人以上犠牲になった。
そして、痛いのが輸送していた物資のうち四分の三を失ったことである。




