後ろ楯
よろしくお願いします。
アスナリアに睨まれ身動きが取れずにいる破落戸。
ただ、グルーズだけは違った。体は動かないが、頭は何とか再起動を果たす。
どうにか自分だけは助かるように考えを巡らせるが、それより前に行動を起こした人間がいた。
「ねえ?私だけは見逃してくれない?」
ヴィスチェが妖艶な笑みを浮かべ、アスナリアに撓垂れ掛かる。燃えるような赤い髪が斑に顔に掛かり、妖しい色気がさらに増している。
「私を好きにしていいから?ねっ?」
その豊満な胸をアスナリアの腕に押し付けて、いやらしく左手で頬を撫でる。
普通の男ならその魅了に抗えずに首を縦に振るだろう。それだけの魅力がヴィスチェにはあった。
引き締まった体からスラッと伸びる手足。スリットから垣間見える美味しそうな太股は、誰もがむしゃぶりつきたくなる程だ。
それを見たアスナリアは一つ笑みをこぼす。
ヴィスチェは誘惑が成功したことを確信し、さらに妖しげな色気を出してアスナリアを誘う。
そして、アスナリアはヴィスチェの左手を徐に掴み──折った。
ゴキンと聞き慣れない音が部屋に響き、ヴィスチェの左手が曲がってはいけない方向に曲がる。
「ぎゃああぁぁ!」
左手を押さえ不様に床に這いつくばるヴィスチェ。その目は苦痛に彩られていた。
それを冷めた目付きで見つめるアスナリア。
荒い呼吸を繰り返し、ヴィスチェは誘惑が失敗したことを漸く悟る。
そして、動く右手でスリットの中に手を伸ばし、目的の物を掴む。
そして、
「『神速投』!」
座りながらもヴィスチェが投げた苦無は、アスナリアの顔目掛けて真っ直ぐに飛んでいく。
擦りでもすればいい。そう思い、放った必殺の一投。
アスナリアは避けることも、何かで弾くこともせずに、苦無を──その手で掴む。
床に投げ捨てられた苦無が、カラァンと派手な音を立ててアスナリアの足下に転がる。
必殺の一投を防がれたにも関わらず、ヴィスチェの顔は歓喜に染まる。
余裕を見せすぎだ。避けれた筈の攻撃を無意味に掴んだ。苦無に塗られた毒は、傷をつけずとも皮膚から体内に入り込みその体を蝕む。
ヴィスチェは聞いたことも無いが、仮にこの毒を解毒出来る魔法が使えてももう手遅れだ。毒の苦しみで魔法を使うどころでは無いだろう。
毒に耐性のある装備も見当たらない。毒使いとしては最も警戒すべき魔道具。それ故に、ヴィスチェは確りと、アスナリアが毒に耐性のある魔道具を装備していないことを確認していた。
たとえ装備していたとしても、これはバジリスクの毒だ。完全に無効化することは難しいだろう。
そして、確かにその通り、アスナリアは毒に耐性のある装備はしていない。ヴィスチェの知っている。という但し書きが付くが。
「何を喜んでいるんだ?」
心底不思議そうにアスナリアは問い掛ける。
毒が塗られていることにすら気付いていない。アスナリアにとっては所詮その程度の攻撃。
まぁ、どうでもいいけど。と呟きヴィスチェが落とした小刀を拾う。
「これでズーを痛めつけたんだよな?」
「ひっ?!何で?!」
質問にずれた答えが返ってきて訝しむアスナリアだが、そのまま小刀を振り上げて──足に突き刺した。
「がっ?!」
「あいつは本当にいいやつなんだぞ?姫様に忠誠を誓っていて、本当に真っ直ぐで」
ザクザクと手足を切り刻みながらもアスナリアは喋る。
「それをこんな風にいたぶって。どのぐらい遊んだ?同じ時間を掛けてお前をいたぶってやるよ」
あ、あ、と呻くことしか出来ないヴィスチェ。そろそろ繋がっている筈の所が千切れ始めてきた。
「冒険者が言っていたが、人間は強ければ奪っていいんだろ?」
ヴィスチェの目は既に虚ろになり、言葉も出なくなっていた。
もう死ぬ。いや、ヴィスチェからしたらやっと死ねる。だろうか。しかし──「『治癒』」
アスナリアに掛けられた回復魔法によって、痛みが和らぎ意識を取り戻す。
「えっ?!あ、いやぁぁあああ!」
ヴィスチェは自分の状態を確認し、狂ったように頭を振る。
ヴィスチェの受けた傷は下級の回復魔法程度では焼け石に水だ。アスナリアはつまりこう言っている──安易に死ぬことは許さない。
「痛みに悶えながらそのまま狂い死ね」
終わったとばかりに言葉を投げ捨てて奥に居る破落戸達を見据える。目を細め、無表情で。
ひぃ!と情けない悲鳴を上げる破落戸達。
その中で妙に落ち着いている男がいた。グルーズだ。
「兄さんよぉ。この辺で手打ちにしねぇか?」
ヴィスチェが敵わなかった相手だ。ここに居る人数では敵う筈も無いだろう。
だとしたら出来ることは交渉だ。この組織の裏には、大貴族であるローグシェラー伯がついている。
女はヴィスチェに対する態度を見れば無駄なことは分かる。残るは金と物と権力。それらを使って、硬軟合わせて上手くやるしかない。
だが、
「しない」
単純な一言。きっぱりと交渉を断るアスナリア。まさに取りつく島もない。
しかし、これで諦める男なら、裏組織のトップには立ってはいない。
「まぁ、そう焦んなよ。欲しいものを言ってみろよ?何でも用意するぜ?どうだ?」
さも余裕があるように喋るグルーズ。だが、その言葉を一切無視して近寄るアスナリア。
無理か?と冷や汗をかき、表情が歪みそうになるのを必死で抑えるグルーズ。
そこに、グルーズにとって、天の助けとも言えるべき言葉がアスナリアに投げ掛けられる。
「ま、待て!」
意識を取り戻したズーが、状況が分からないながらも男に向かうアスナリアを止める。
「気付いたか!ズー!」
ズーは分からない。名前を呼んでいることから相手が自分を知っていることは推測出来るが、ズーには見覚えの無い人間だ。
恐らく自分を助けてくれた人間だとは分かるのだが。
「誰かは分からんが助けてくれた礼を言う。ありがとう」
アスナリアは曖昧な顔で気にするなと答える。
ズーは相手の素性は後回しにして、今目の前のことを優先する。
「助けてもらって厚かましいが、そいつらを殺さないでほしい」
「理由を聞いていいか?」
「この組織の後ろにいる人物を吐かしたい。大方の予想はついているが、確かな証拠がほしい」
グルーズはその言葉を聞き、やっと一息吐いた。これで助かった。と。
そんなこと喋る筈も無いし、証拠を書面で残すようなへまもしていない。
一時ここで捕まっても、ローグシェラー伯が手を回してくれるだろう。
そして、外に出たら拠点を違う街に移そう。こんな化物が居る街で活動などできる筈も無い。そう皮算用を立てるグルーズ。
「それは上手く行くのか?」
「どういう意味だ?」
「確りとこいつらが裁かれるのか?と聞いている」
ズーはその問いに答えることが出来なかった。いや、正確には答えたく無い。だった。
証拠が見つかれば大丈夫だろう。だが、ローグシェラー伯との繋がりが出てこなければ?これまでロゼル隊長と捕まえたやつらと同じように、何だかんだ理由を付けて釈放されるのではないか?ズーはこの可能性を否定出来なかった。
アスナリアとて、意地悪で言っているのでは無い。こういったやからには後ろ楯がついていることは当たり前だ。封建社会で、それがどれだけ厄介かはアスナリアとて分かる。
暫しお互いに無言が続き、見つめ合う。
その時、ふとアスナリアに雷が落ちたかのような閃きが舞い降りる。
(そうだよ!ズーでも俺のことが分からないなら、この姿でその後ろ楯を処理したらどうだ?!)
いきなり考え込んだアスナリアを見て訝しむズー。
(うん。悪くない……よな?)
バッと顔を上げるアスナリア。
そうと決まれば早速実行に移す。アスナリアはズーには教えずに事を済ますつもりだ。反対されるのが目に見えているから。
獣人達のことはズーが上手くやってくれるだろう。村に連れていったら、セリナに怒られるからズーに押し付けたわけでは決してない。そう。断じて違う。
つかつかと小気味良く歩き、リーダーらしき男の頭を鷲掴みする。
「あっ!えっ?!話が違う!」
喚く男を無視する。そして、転移の魔法を唱えようとして──「あ!念の為……『多重魔法・麻痺』」
破落戸達を麻痺させてから転移した。
ズーはそれを唖然とした表情で眺めていた。
そしてふと気付く。あの人間が着ていたローブが、アスナリアが着ていたローブにそっくりだったことに。
「お兄ちゃん!お父ちゃんを探して!」
獣人の幼子が……その幼子はこの前見回りに行った時に抱きついてきた幼子だった。
「任せろ!多分ここに連れて来られている筈だ!」
ズーはまず破落戸達を縛った。そんな都合よく縄は無く、着ている上着とズボンで手足を縛る。
むさ苦しい男達の半裸など見たくはないが仕方ない。
「おい!攫った獣人を何処にやった?!」
「う、あ、うぅ」
「そうか……。麻痺で喋れないのか……」
虱潰しに探すしかないか。と思い、本来ならバラけて探したいところだが、あのヴィスチェみたいなのがまだいたら事だ。なので、固まって探すことにした。
広い地下室。その出入口は、上へと続く階段。そして、破落戸が逃げようとしていた扉。後はその反対側にある扉だった。
まずは破落戸が逃げようとしていた扉。鍵は掛かってなく、あっさりとそのノブは回る。
中はどう見ても物置で、粗末な机や食料。後は服などが置いてある。獣人が居るとはとても思えなかった。
もう一つの扉に向かい、中に入る。こちらはこぢんまりとした部屋だったが、下に続く階段が見える。
部屋はとても暗く、魔道具のランプを拝借して下へと降りる。
ここに来てズーは気付く。何十人の獣人の匂いが下から漂ってきていることに。他の獣人も気付いたのか、鼻をピクピクと動かしている。
下の部屋も上に勝るとも劣らない広さを持っていた。違いは、魔道具などは置いておらず、階段を降りたらすぐ鉄の牢に出会すところか。
その中には数え切れない程の若い獣人。まともに食事を与えていないのか、中には痩せ細った獣人も居る。
「あなた!」「お父ちゃん!」
「お前達!無事だったのか!」
感動の親子の再開。ずっと見ていたいがそういうわけにもいかない。もしかしたら、この組織の別の拠点があるかもしれない。そこから応援がやって来たら面倒臭いことになる。
「焦らせてすまないが、早くここから出た方がいい」
「あなたは確か……」
「この方と一人の人間が助けてくれたのよ」
「人間が……?」
やはり信じられないのか訝しむ父親。自分達を攫った人間。助けた人間。その相反する行動に気持ちが揺れる。
「鍵は何処にあるか知っているか?」
「いつもその袋から出していました」
違う獣人が指したのは、壁に掛かっている粗末な布の袋。ズーがその袋から鍵を取り出し牢を開ける。
突然の事態に奥に居た獣人達は理解が追い付かないのかキョトンとしている。
しかし、徐々に手前に居た獣人から話が伝わる。
「助かるの?」
「村に帰れる……」
「何でもっと早く……!そうしたらあいつは……!」
「あの子に会える!」
涙ぐむ獣人。横の獣人と抱き合う獣人。中には、何故もっと早く来なかったのかとズーに迫る獣人もいた。それに謝ることしか出来ないズー。
囚われていたのは総勢八十三名。
(しかし……。これは大所帯だな……)
予想以上の人数に暫く悩んだズーだが、ここに置いていくわけにもいかず、皆を連れて騎士の詰所に向かうことにした。
破落戸達を馬車に乗せ、他の獣人は歩いて向かう。
当たり前だが凄く目立った。何と言っても百に届こうとする獣人が王都を練り歩いているのだ。
辺りの住民は悲鳴を上げて家に引っ込むか、呆然とそれを見送るしか出来ない。
「何だ!何だ!何だ!何だ!これはぁぁああ!」
唾を飛ばしながら衛兵がやって来る。たった二人だ。ズーがいなくともここにいる獣人には太刀打ち出来ないだろう。
槍を構えるが腰が引けている。トンと押せば引っくり返りそうな程だ。
「俺は姫様お付き護衛のズーだ。この者達は皆人攫いに合った者達。物騒な物は収めていただきたい」
「証拠はあるのか……?」
「証人が居る」
ズーはそう言い馬車の中の破落戸達を見せた。
そろそろ麻痺が治ってきた破落戸。開口一番とんでもないことを宣いだす。
「違う!こいつらは売られた奴隷だ!人攫いなんてやっちゃいねぇ!いきなり店に押し入って来たんだ!」
ズーのこめかみがピクピクと動く。ふざけるなと怒鳴り散らしたい。が、理性を総動員させて何とか抑える。
「その者達の拠点も割れている。そこを調査してくれ」
そう言うズーを破落戸達はニヤけた顔で見ていた。
お読みいただきありがとうございます。




