第62話〜2つの死〜
【カイロキシア 深縹宮 勝色の間】
その時、私は目の前の青年に釘付けだった。
彼が部屋に通された瞬間、私の時は止まった。
時だけではなく、どうやら呼吸すらも止まってしまったようで、私は床に崩れ落ちた。
「あ、あ…。」
私の体は痙攣を始めた。
従者が血相を変えて駆け寄って来る。
その間も私の視線は彼に釘付けであった。
「き、決めたぞ…。」
「どうなさいましたか!?」
私は従者の問いかけに答えた。
「彼奴と結婚する。」
その時、私ーファビアン・アルマンド・ブランシャールーは、フェルマルタ・ラベージ・イグレシアスを生涯の伴侶にしたのであった。
「光栄にございます。」
確かにあの時フェルマルタはそう言った。
だからこそ、私の余生は紅薔薇色になる確信があったのだ。
あの時までは…。
「…、アン様!!!ファビアン様!!!」
「陛下!!!!!」
「しっかりと意識を!!
治療部隊は直ぐに参ります!!!!!」
従者や衛兵たちが再び床に倒れた私の顔を覗き込んでいる。
思考が途切れ途切れになる中で、現実と回想と妄想とが入り混じる。
「私は、…。
私は死ぬのか…?」
誰も返事をしない。
当然だ。
自分でも分かる。
こんなの生まれて初めての体験だ。
もう生き延びる自信も気力も体力も残されていない。
「彼奴は…。」
天に召される前に、最後にもう一目だけ最愛の人が見たい。
それがたとえ私を殺そうとした者の仲間でも。
だが、最後の願いは神に聞き届けられなかった。
「奴は逃げました。
現在、国を挙げて追っています。」
「そうか…。」
無念だ。
こうして、私は死んだ。
【エリナス 鴇羽楼 政議の間】
「城の守りを固めろ!!!
決して敵を城内に踏み込ませるな!!!!!」
衛兵隊長の声が部屋に響く。
室内には女王夫妻、第一王子と御賢候の他にはスパドモアがいた。
「私がいれば王室の方々のお命は問題ありませんよ。」
この緊急事態に際してスパドモアはいつも通りであった。
鴇羽楼への攻撃が始まったのは1時間前。
エリナス政府からの要請が届く前に彼は政議の間へと姿を現した。
「いやはや。
ですが助かりましたよ、会長。」
イルデフォンソがロディへ謝意を伝える。
「貴方達ではあの攻撃に対処できないですからね。
協会本部を構えさせていただいているお礼ですよ。」
ロディの返事を嫌味として受け取るほどイルデフォンソはバカではない。
「恥ずかしながら、我が国の兵士は一瞬で倒されてしまいました。
ここは魔導協会にしっかりと助けていただきますよ。」
ロディはイルデフォンソへ軽く黙礼した。
「しかし、鴇羽楼への攻撃はまだしも、魔導協会へも攻撃を行うとは…。」
協会への攻撃はつい先程から始まった。
だが、ロディはここを一歩も動く気はない。
協会にはロディの他にも手練れが山のようにいるし、魔導協会の本部を攻撃する旨味はないからだ。
「こちらは陽動で、知恵の館が狙いか?」
しかし、知恵の館が発見されるとは到底思えない。
それに、現時点で知恵の館が襲撃されたとの趣旨の連絡は来ていないし、仮に襲撃されたとしても敵は協会本部よりもさらに手強い警備と戦わねばならない。
「やはりここが狙いか…。」
ロディがそう推測していた時であった。
「報告します!
敵勢力は依然として勢力を維持。
厳しい状況です。」
緊急対応課の偵察員が知らせる。
「私は動かん。
偵察を続けろ。」
ロディの指示を受けて偵察員が消える。
【エリナス ファミリオ魔術大学校 副会長室】
「非戦闘員の避難状況は?」
「難航しています。
第一に、敵と味方の区別がつきません。
これでは迂闊に非戦闘員を一箇所に集めることができません。」
「避難者に敵が混じっていたら、それこそ大虐殺か…。」
アルシャンドルとランドロスは事態の収拾に苦慮していた。
攻撃は一人の協会魔導師から始まった。
今となっては協会の人間だったかすら怪しいが、とにかく協会本部の敷地内で起こった。
中庭での自爆攻撃の後、連続して構内で爆発が生じた。
「どのような形にしろ、少なくとも敵には内通者がいます。」
「だろうな。
でなければ、鎮圧など容易い。」
事実、敵は協会本部の急所を的確に突いていた。
「緊急対応課と特殊戦闘課の被害は?」
「小規模とは言えない状態です。
既に構内へ出動している者達が両課の全てです。」
奇襲攻撃は両方の課の魔導師が滞在する宿舎を標的にしていた。
いくら戦闘のプロでも大規模な奇襲を受ければひとたまりもない。
「敵は訓練された強者で、誰が敵かは不明。
どこにいるのかも不明。
見破る方法も不明。
劣勢ではないが、有利とも言えない。
どうする…。」
ランドロスが対応を考えあぐねていると、副会長室のドアが吹き飛んだ。
敵は8人。
「既に我々は劣勢では?」
敵を見たままアルシャンドルが振り返らずにランドロスへ問う。
「ここが誰の部屋か理解しているのだろうな?」
ランドロスはアルシャンドルへ返答することなく敵へ言葉を放つ。
「彼らは答えられませんよ。」
アルシャンドルがそう言うと敵は全員床へ倒れた。
彼らの心臓は活動を停止している。
「貴様の早撃ちは衰え知らずか。」
「このくらいできないようじゃ、主席は務まりません。
…、さてと。
このままじゃ埒が明きませんね。」
敵の亡骸へ一瞥もくれず、アルシャンドルは部屋の外へ出た。
ランドロフは彼の意図を察知した。
「そうだな。
襲って来た奴を片っ端から殺していこう。」
そう言ってランドロスはアルシャンドルの後を追った。
【ファミリオ魔術大学校 中庭】
「雪華を守らないと!!!」
龍郎は魔法が飛び交う中へと駆け出す。
「タツロー、危ない!!!!!!」
セシルの声が早いか、ミネルバの魔法発動が早いか。
龍郎の真横に展開された障壁が迫り来る雷撃から彼の命を救った。
「世話の焼ける男だね。
セシル、出るよ!」
龍郎に遅れながら2人も外へ飛び出した。
「アタシが奴らを倒す。
セシルはあの男とドラゴンを守るんだよ!」
中庭に繋がれている雪華の周囲へ3人が集まる。
「雪華!!!」
龍郎が見た限り、雪華に外傷は見当たらない。
「良かった…。」
龍郎が安心したのも束の間、敵の猛攻が始まる。
ミネルバとセシルが防ぐものの、二人は反撃する機会すらない。
「爆発系の魔法だ…。
魔法そのものも強力だけど、爆煙のせいで視界が確保できないね…。」
ミネルバの言葉通り、三人のいる障壁の外側は黒煙で覆われている。
彼女が対応に困っている間も黒煙の中から相手の魔法攻撃が続く。
「どうする、どうする…。
何か考えないと…。」
龍郎は辺りを見渡すが彼には為す術がなかった。
だが、その時であった。
「ホーア!!!!!!」
「ってぇ!!!!!!!!!!!!!」
雪華が龍郎の腕に噛み付いたのだ。
まぁ、噛み付いたと言っても雪華からすれば甘噛みであるのだが…。
「何すんだよ…!!!!!!」
龍郎の腕からは血がダラダラと滴っている。
「ホーア!!!!
ホーア!!!!」
龍郎の抗議の声など耳に入らぬといった具合に雪華は悪びれる様子もなく鳴き続ける。
「今、お前に構っている暇は無いんだ!!!!」
「ホーア!!!!!」
雪華は龍郎へ頭突きを食らわせた。
突き飛ばされた龍郎は地面へ転がる。
「クソ…!!!!!!
こんな時に…!!!!!!」
悪態をつきながら立ち上がる龍郎を待っていたのは、雪華の頭突き以上の衝撃であった。
「え……。」
2人が展開している障壁の向こうには誰も何も存在していないのだ。
「…、いつの間に倒したんですか…?」
龍郎の問いにミネルバが半ば怒り口調で答える。
「ふざけたこと言ってんじゃないよ!!!
邪魔だから下がってな!!!!」
龍郎の脳内には”?”が溢れていた。
「え…、だって、誰もいないじゃないですか…。」
恐る恐る龍郎は自分の目で見えている光景を指摘した。
「何を言ってるんだい!!!
頭でも打ったんじゃないのかい!!!!」
「タツロー、まだ戦闘は終わっていません!!!!
危ないですから下がっててください!!!!」
2人の顔は真剣そのものだった。
「何が起きてるんだ…。」
自分がおかしいのか、2人がおかしいのか。
龍郎は状況が飲み込めなかった。
「ホーア!!!!
ホーア!!!!」
「雪華…。」
「ホーア!!!」
「乗れって?」
龍郎は頷き返す雪華に跨がる。
雪華は翼をはためかせて上空へ飛び上がった。
「一体どうなってるんだ…?」
ファミリオの各所から火の手や煙が上がってはいるが、激戦地とは程遠い様相だった。
「やっぱり実際にはあんなに激しい戦闘なんて起きてないじゃないか…。」
校内で戦闘はほとんど起きていない。
下にいる2人と同じように障壁魔法を展開していたり、誰もいない場所へ魔法を発動している者ばかりだ。
「みんなどうしたんだ…。
これもタチの悪い魔法か何かなのか…?」
「僕の思った通り、君は鋭い子だねェ…。」
驚きのあまり龍郎は雪華から落ちそうになった。
それもその筈だ。
空中に男が浮いていた。
いや、立っていた。
「誰だお前…!!!!」
「嫌だなァ…。
僕らは既に会っているんだよォ。」
「知らん!!!!
お前みたいなオネェに会ってたら絶対に覚えてる!!!!
お前は誰だ!?」
「僕は”天上の使い”と呼ばれている。」
「天上の使いだと?」
「うん。
テーヌ川で君を眠らせた男さァ。」
龍郎はこの男の顔を覚えていないが、船内で眠らされた記憶は確かにあった。
あのせいでフレアーと大喧嘩したのだ。
忘れるわけがない。
「これはお前がやったのか!?」
「まさかァ…。
あの魔導協会の本部にこんな大規模な魔法を発動するなんて僕、いや、僕らには無理だよォ。」
「じゃあ誰…。」
「じゃあ誰が?って質問されても、正直に答える訳ないよォ。
それに、僕らはおしゃべりをし過ぎてしまったようだねェ。」
天上の使いは魔法を発動した。
「何っ…。」
龍郎は雪華の首元に倒れ込んだ。
雪華の白い体に龍郎の潜血が伝う。
「これは命令なんだァ…。
ごめんよォ…。」
「ホーーーーーーーアァァァァァ!!!!!!!!!!!!」
「お黙りィ!」
天上の使いが腕を一振りすると雪華の口は封じられた。
「そんなことよりも、ご主人様をきちんと弔ってあげてねェ。
その子は僕のお気に入りだからァ。」
そう言って天上の使いは姿を消した。
雪華の背中には胸に穴が開いた龍郎の遺骸が横たわっていた。
【エリナス 鴇羽楼 政議の間】
「何かおかしいな。
外の様子はどうなっているんだ?」
「現在、城前で敵勢力と戦闘中です。」
「それで戦況は拮抗していると?」
「はい。」
「様子が変だな。
外に出る。」
偵察員から情報を得たロディは違和感を感じていた。
「会長!!
ここを空けるんですか!?」
「イルデフォンソ卿、はっきり言ってこの襲撃は変です。
なぜまだ敵は城内に侵入しないんです?」
「それは魔導協会の魔導師が食い止めているからでしょう!」
「魔導協会本部とここを同時に襲撃し、かつ、我々と互角以上に戦う敵を相手にいつまでも城前で粘れるというのは考えにくい。」
「ですが、もし貴方がここを離れた後に敵がやって来たらどうするんですか!?」
「敵は来ませんよ。
私が結界を張り巡らしました。」
そう言い残してロディは城外へと姿を消した。
【エリナス 鴇羽楼 城外】
「やられたな…。」
ロディは城外の様子を一目見て自らの直感が正しいことを悟った。
「我、真実を司る精霊に命ず。
我の力が及ぶ限り、この世の全ての欺瞞を汝の名にかけて白日の元に晒せ。」
ロディが詠唱を終えると同時に彼の足元から魔法陣が広がる。
すると、魔法陣が到達した空間から敵影が消えた。
「ここは君たちに任せる。」
近くにいた魔導師にそう言ってロディはファミリオへと向かった。
【エリナス ファミリオ魔術大学校】
ロディがファミリオへ姿を表した時、既に術者よりも早く魔法は到達していた。
「攻撃はせいぜい第2波までか…。」
ロディは校舎の傷跡を見てそう推測した。
こちらも同じく生存している敵影は既に無い。
「ランドロス、被害は?」
ロディが到着したのを知覚して姿を現した弟子へ尋ねる。
「死傷者多数。
被害の程度は不明です。
生存している敵は皆無。
戦死か自爆です。
そんなことよりも、至急中庭へ。」
「何があった?」
中庭には人だかりができていた。
「会長がお越しだ!!
道を空けろ!!」
ランドロスの呼びかけでロディの通る道ができていく。
人だかりの中心にはミネルバたちがいた。
彼女は号泣しているセシルの背中をさすっていた。
「どうしたんだ?」
セシルが負傷でもしたのかと思ったロディだったが、直ぐにその予想が外れたことに気がついた。
事はより深刻であった。
「おい、まさか…。」
事態を把握したロディも慌ててセシルの元へ駆け寄る。
「彼は…、彼は手遅れなのか…?」
誰も返事をしなかったが、見れば分かる。
ロディの目の前に横たわる男ー蘭龍郎ーは既に亡骸となっていた。
「何があったんだ。」
ロディは短く問うた。
「アタシたちが敵の術中にハマっている間に…。
迂闊だったよ…。」
ミネルバが答えた。
「彼を殺害した者は分かっているのか?」
「誰も見ていないようです。」
ランドロスが答える。
「まさか、敵の目的は彼だったのか…。」
「他に目立った被害は確認されていませんので、恐らく…。」
「だとしたら今回の事件は謎を呼ぶぞ…。」
「と言いますと…?」
ロディはランドロスへ手振りで人垣から遠ざかるように示した。
「協会本部と城の結界を無視してあんなに大規模な魔法をあれだけの時間発動し続けるなんて不可能だ。」
「その件については私も同意見です。」
「あれほどの能力を持っている魔導師だ、協会が把握していない筈がない。
あれはたとえ魔導十二師でも一苦労な仕事だ。
とすると、私の知識の範囲内で辿り着く答えは1つ。」
ランドロスも師匠が言おうとしていることを分かっていた。
「神の誰かが関与している。」




