第61話〜パンゲアの暁〜
【サビキア 王都 外務卿公邸】
「蘭君から連絡が?」
井上がその報せを受けたのは外務卿との会談を終えた後であった。
「はい。
どうやら至急連絡をもらいたいそうで。」
外交官補の箕作が手渡したメモには龍郎からの伝言が記載されていた。
「コート魔法魔術大学校から蘭さんへ連絡ができるようで、そこまで騎士団が先導してくれるみたいです。」
2人は玄関を出て、車寄せに停めてある高機動車に乗り込んだ。
先導する騎士団員が馬を走らせる。
車の速度を考慮してか、先導にしては速い。
「王都にいる時で助かりましたね。」
箕作は2人が御用邸のあるトエリテスではなく、王都にいたことを言っていた。
連絡を受けたマクビーがコーネリウスの耳にも入れようと伝令を王宮にも送った所、たまたま2人が王都にいることを知った伝令が気を利かせたのであった。
「そうだな。
運が良かった。」
井上は相槌もそこそこに景色を眺めている。
駐在経験のあるどこの国と似ているとも言えぬ街並みに彼はすっかり見入っていた。
外務卿の公邸から20分ほど走った所に目的の建物は存在した。
「ここですか。」
「立派な建物だな。
日本のどの大学よりも荘厳じゃないか?」
龍郎達以外でここに来た地球人は井上らが初めてだ。
門を入って直ぐの広場に車を置いて、2人は出迎えたマクビーに案内されて校舎へと足を踏み入れた。
途中、3人の中で会話はない。
「こちらの部屋です。
準備は宜しいですか?」
魔導送声機は校舎入り口からほど近い部屋に置かれていた。
マクビーの問いかけに井上が答える。
「あぁ。
構わない。」
「分かりました。
それでは…。」
マクビーが送声機を起動した。
「こちらカレッジ。
アララギ伯とセシル導師へ返信だ。」
少しの間。
「至急お二人をお呼びする。
お待ちいただきたい。」
男の返答の後、1分程経っただろうか。
「蘭です。
日本政府の方ですか?」
送声機から発せられた龍郎の声に井上が応答する。
「井上だ。
何があった?」
「井上さん、単刀直入に申し上げます。
魔導協会会長のロディ・スパドモアから日本政府へ交渉したいことがあるそうです。」
「何だと!?」
井上は突然の提案に素直にリアクションをしてしまった。
「どういうことだ?」
「それがですね、…、ん?
あ、ちょっと…、こらっ!!」
「初めまして。
先程ご紹介に預かりました、魔導協会会長のスパドモアです。」
どうやら向こうでは龍郎がロディに脇へ追いやられたようだ。
とはいえ、井上にしてみたら本人が通話先にいる方が好都合であった。
「初めまして。
日本国全権大使の井上光太郎です。
どうやら何か交渉したいことがあるとか?
お話を伺いましょう。」
「貴国が知りたがっているであろう障壁魔法を簡単に無力化する方法をお教えします。」
申し出について衝撃が走ったのは井上達だけではない。
同席していたマクビーにも衝撃が走った。
「何だって!?」「何ですと!?」
彼らの反応は同時であった。
だが、井上の方が冷静さを取り戻すのは何倍も早かった。
「見返りは何です?」
相手は交渉がしたいのである。
井上はロディに見返りを訪ねた。
「我々魔導師協会の人員をニホンへ行動の不自由なく駐留させて欲しい。
それと、グリンダ老師の身柄引渡しも求めたい。」
前者はグリンダ一門の例で魔法が使えないことが判明しており脅威にならない。
後者は交渉を要する。
井上はそう考えた。
「本国に相談させてくれ。」
「ダメです。
今、この場で決めてください。」
そうは問屋が卸さないことは重々承知である。
「老師の身柄引渡しは直ぐにはできないが必ず行う。
魔導協会の者を我が国に駐留させることに関しては身柄の自由は確保しよう。」
「具体的に老師の身柄はいつ引き渡されますか?」
「不明だ。」
少しの間。
「1週間。
それまでに老師の身柄を引き渡してもらいます。
そうでなければこの話はなかったことにしましょう。」
こちらが欲しているものを相手が持っている以上、どうしても主導権は無効に握られてしまう。
「善処しよう。
その代わり、その前に障壁魔法の無力化を教えるんだ。」
1週間あれば老師に関するデータは採取し終えていると井上は小さな賭けに出た。
「良いでしょう。
その件に関しては私の腹心を向かわせます。
で、その者を団長としたニホン派遣団の受け入れについてですが、行動の自由は保証されないのですか?」
「自由に行動させるのは困難だ。」
井上としてもそれは受け入れ難かった。
「派遣団の規模は?」
「50名を予定しています。」
「そんな大人数を自由に行動させられるわけはないだろう。」
「それならば今回の話はなかったことにしましょう。」
「…、分かった。
我々の管轄下の領域のみ自由行動を許そう。」
「それでは交渉成立です。
3日後に我々の派遣団はサビキア国トエリテスへ到着します。
我々の情報だと、そこに帰国の船が停泊しているそうですから、それに乗ってニホンへ参りましょう。
それではご機嫌よう。」
話は一方的に終了した。
「大使…。」
「分かっている。
本国へ直ぐに連絡しないとな。」
2人はチヌークが待機している王都郊外まで大急ぎで向かった。
【日本 首相官邸】
日付が変わってもなお、南郷らは職場を離れることができなかった。
「横浜の加賀は何て言ってるんだ?」
辰巳が安藤に問う。
「老師の基礎的なデータは既に採取が完了しているので引渡しに関して問題は無いそうです。
ただ、やはり50名の派遣団の受け入れに関しては難色を示しています。」
「井上もやってくれたもんだぜ。」
そう言って辰巳はお茶を飲み干した。
「まぁまぁ。
懸案のシールドを攻略する術を教えてくれるとなっては約束くらいならしますよ。
効果がないとなったらこっちも毅然とした態度で当たれば良いんですし。」
「ですが総理、50名もいったいどう捌くんですか?」
三浦が行政府の長を見る。
「こうしましょう。
井上くんの言っている通り、我々の管理している領域というのは国防軍の制限区域と解釈しましょう。
50名の派遣団に関しては、地方合同庁舎に分散させて滞在させると。
どこかの会議室に簡易ベッドとか衝立てとかを置けば何とかなるでしょう。
どうせ今は中にある役所は移動させて空なんですから。」
南郷の言う地方合同庁舎とは、新港基地の目の前にある完成したばかりの政府ビルである。
コンタクト前には横浜市、神奈川県、国の一部役所が入居していたが現在はそれらを移転させている。
そのため、南郷の案はあながちバカにできる内容でもなかった。
「良さげなアイデアですな。
俺の方で加賀に話を通しておきます。」
そう言って立ち上がった辰巳を南郷が座ったまま見送る。
「お忙しいでしょうが、宜しくお願いしますね、辰巳さん。」
【帝都 とある場所】
ヴェロニカはその惨状を前に言葉を失った。
「直ちに周囲の安全を確保します。」
魔法式を展開した部下たちが直ぐに散っていった。
「ビューレル…。」
ヴェロニカはその場に膝をつき、ビューレルの目を閉じる。
「誰が貴方にこんなことを…。」
かつての弟分の髪を撫でながら、ヴェロニカは呟いた。
事件後、この現場に最初にやってきたのは彼女だ。
ユスポフの件で何か進展があったか確認をするために訪れ、ビューレルの死体を発見した。
「可愛い部下の亡骸を前にした女性の邪魔をしたくはないんだけど、こっちも仕事なのよ。
悪いけど、この部屋から出て行ってくれる?」
「お前は本当に冷たい女だな。」
「犯人の痕跡は刻一刻と消える。
それに、魔法の痕跡はもっと早く消滅するの。
部下の敵討ちをしたいなら私に仕事をさせて。」
ヴェロニカにそう言ってのけるのは特務機関にて事件の捜査を担う専任魔導師のオリガ・アキモヴァだ。
「私の勘が鈍っていなければ、この襲撃犯はここ最近帝国にちょっかいを出している何者かの筈だから…。」
そう言いながらオリガは魔法を発動した。
薄っすらとだが、床に大量の足跡が現れる。
「ギリギリね…。
だけど、2時間前の足跡がこれ。
ここから死んだ人たちの足跡を消すと…。」
オリガは続けて魔法を発動した。
大量の足跡が徐々に消えていく。
最後まで消えずに残った足跡は1種類だけであった。
「あった。
これが襲撃犯の足跡よ。
ふむ…。
足の形状から見てヒト種ね。
だとすると、女にしちゃ大きいわね。
ということは男…?」
床に残った足跡を眺めながらオリガは更に魔法を発動した。
「我を導け。」
すると、足跡がひとりでに動き出す。
「後を追うよ。」
オリガたちは足跡を追って外へ向かう。
ちょうど建物の外に出たところで足跡は消失した。
「姿くらましか…。」
足跡が消えた理由をオリガは呟いた。
「これは厄介ね…。」
「これ以上の追跡は無理か…。」
ヴェロニカも明らかに落胆している。
「今後、姿くらましを行う首切り男には要注意よ。
万が一、そんな男と接触したら直ぐに私を呼びなさい。」
「いくら情報部でも、お前の能力には負けるよ。」
ヴェロニカはそう言って姿くらましした。
【帝都 元老院 議場】
臨時審議は嵐の海原の如く荒れていた。
太陽が昇り出した頃に開会した審議であったが、太陽が頂点を越えてもなお、閉会する様子を見せない。
「詭弁だ!!
なぜ、今、魔導部隊を陛下の下に置く必要があるのだ?」
「軍から魔導部隊が分離されてしまったら作戦が遂行できなくなるぞ!!!
貴様はそれで良いのか!?
陛下に助言を与える立場にいながら、何を考えている!?
この国賊め!!!!」
「何を言うか!?
此度の大失態を演じてくれた軍部に貴重な魔導師を預けることこそ、帝国を聞きに向かわせるようなものだ!!
これ以上、軍とそのお仲間である君たちを信用することは出来かねる!!!」
「そうだ!!
私の忠告を聞かず、強大で未知の敵を前にして数の論理という無策で兵を捨てた貴様らに魔導部隊は任せてはおけない!」
ミハイルが立ち上がり、内務大臣への援護を撃つ。
彼は自分が見聞きしたニホン軍の情報を伝えて回ったのにも関わらず、軍部はそれを無視したのであった。
「素人は黙っていろ!!
元老院が皇帝陛下直属となったからと言って、我々には陛下を輔弼する責務がある。
我々は軍事の専門家としてその任を果たそうとしているんだ!!!!」
比較的に軍と距離を置く議員らが何らかの形で皇帝への支持を表明する一方で、軍と強い繋がりのある議員らは次々と勅令への反対を表明した。
だが、議場の過半数は皇帝派の議員らで占められており、親軍派の議員らは数で負けていた。
「元老院と言えど、今は我々は皇帝陛下の直属にある。
更に、この勅令は紛れもなく陛下の軍への信頼の喪失を示しているではないか!!!
だとすれば、我々の役目は貴様らのような利権まみれの者たちから陛下と国を守ることである!!!!」
ミハイルはなおも強い口調で追撃をする。
「衛兵よ、この国賊らを拘束しろ!!!!!!!」
議場の警備を務めている帝都警固隊の騎士らがミハイルの言葉に従って動きかけたが、結果的に拘束された議員は1人もいなかった。
「それは脅しか…?」
親軍派の議員らが急に静かになったためだ。
「脅しではない。
帝国を守るためには、この勅令は速やかに効力が発動されなければならない。
危機に瀕している帝国を、我が祖国を救うために私はどんな手段でも執る覚悟なだけだ。」
「き、貴様ぁ…!!!!!!!」
「そこまでにしろ。
お主たちは数で負けている。
…、この勅令を速やかに発動するように取り計らうのだ。
それと、陸軍大将の後任にはオブラゾフを充てる。
こちらも陛下の強い希望だ。
滞りなく進めよ。」
議事進行役であるホートン侯爵の指示を受けて、兵部省と近衛騎士団の伝令が議場を後にした。
同日、帝都にある魔導部隊の官舎にはアリューシャ他、騎士団の面々の姿があった。
魔導部隊に所属する管理官以外の兵は官舎からの外出が禁止され、周囲は騎士団の監視下に置かれることとなる。
【帝都 皇城】
ゲルトは騎士団の配置が完了した報せを聞いて満足そうに頷く。
「ユスポフの嫡男が死んだことは真相究明にとって痛手だが、今後は魔導部隊を徹底的に調べ上げるんだ。
疑わしき者には拷問でも魔法でも何でも良い、必ず口を割らせろ。」
「御意。
…、ところで陛下、至急、陛下のお耳に入れたいことがございます。」
ヴェロニカは改まった顔で切り出した。
「どうした?」
「もはや帝都は安全ではありません。
影武者を用いて陛下ご自身はどうか隠れ家への移動を検討してくださいませんか…?」
「またその話か…。
何度も言ったように、それは出来ぬ。
余はここを離れるわけにはいかないのだ。」
皇帝の眼差しは真剣だ。
「ですが陛下…。
ユスポフの暗殺も含めて、敵は我々の力を超えています。
僅かでも判断を誤れば直ぐに首を取られるでしょう。」
皇帝の命にかけて、ヴェロニカも本気であった。
「我々は一手も二手も遅れを取っている状態です。
防戦ではなく、こちらから攻めないと…。
ですが、それには…。」
「余の護衛が足枷になると申すか。」
皇帝はヴェロニカに皆まで言わせなかった。
「ならば、現場に出ろ。
ここには親衛隊も、他の特務機関の者も、セオドラだっている。
防戦を続けるよりもマシなのであろう?」
ヴェロニカは返す言葉が見つからなかった。
「これは命令だ。
余を守るため、敵を探し、殺せ。」
「たとえ相討ちになろうとも…。」
ヴェロニカは恭しく礼をした。
【カイロキシア 某所】
「ユスポフの奴は無事に処理しておいたよォ。
特務機関の連中も慌てているだろうさァ。」
男は状況を報告した。
「”天上の使い”よ。
よくやってくれた。」
部屋の中心にいた男 ーオットマー・ジギスヴァルトー が天上の使いを労う。
「たいしたことじゃないよォ。
それよりも、皆の方はどうなんだァい?」
そう言うと天上の使いは部屋にいる面々を見渡した。
「こっちは準備万端だ。
アイツらは既にファビアンが悪魔の手先だと完全に信じ込んでるよ。
さっさと殺っちまおうぜ!!!」
エドゥアールは鼻息荒くそう言った。
「決行は明日だ。
早まるな。」
フードの男がエドゥアールを諌める。
「キルケドールの言う通りだ。
それに、エリナスの準備ができていない。
この作戦は同時性が重要なんだぞ。」
壁際に立っている赤髪の女もエドゥアールに自制を促す。
「けどよ、ベラ。
我々の動きも完全には隠せていないみたいだぜ。」
そう言うとエドズアールは天井に向かって魔法を発動した。
音も無く天井の一部が消失し、男が落ちてきた。
既に男は死んでいる。
「誰だコイツ?
どこの人間だ?」
エドゥアールが周囲に尋ねる。
「協会の人間だ。
名前はイーエンス。
緊急対応課第6派遣団4番隊隊長。
スパドモアの情報担当の一人だ。
恐らくここの結界を感知して探りに来たんだ。」
死体を一瞥した男が答える。
「魔導協会は既に把握しているということか?」
キルケドールが男に訪ねた。
「いや。
奴は平時にスパドモアが各国に張り巡らせている情報網の一端に過ぎない。
緊急性は低いと見て問題はないだろう。
ただ、奴からの報告が途絶えたとなるとスパドモアは追加を寄越してくる可能性がある。」
魔導協会危機管理部緊急対応課右級参席のリゴルズ・ビジャロボスはそう分析した。
「構わん。
決行は明日だ。
手筈通り、両国を一気に叩く。」
ジギスヴァルトは室内の者たちを見回した。
「我々は神より選ばれし使徒だ。
主の代わりとなり、明日、この混沌した世界にひと押しを加える。
我々の主への紛うことなき忠誠が、この世界に真の秩序をもたらすのだ。
同志諸君よ。
明日が本当の始まり、…、このパンゲアの暁なのだ。」
1年も経ってしまいましたか…。
まだまだ続けますよ。
書く時間がないだけで…。




