第57話〜閑話休題その参〜
【エリナス ファミリオ魔術大学校】
「それじゃあ、ぼちぼち始めようかね。」
ミネルバはまた立ち上がった。
「この世界の歴史についてだったねぇ。」
ミネルバは再び杖で床を打った。
すると黒板の地図が消え、一回りほど小さい地図とより広大な”大海原”が現れた。
「今となっては海の風だけが知っている物語じゃ。
…、その昔、遠い、遠い地に”彼の国”があった。
そこは緑豊かで、笑顔が絶えない理想郷。
じゃが、ある時、そんな理想郷にも魔の手が忍び寄った。
欲深い民が無限の充足を求めて悪魔と取引をした。
彼らは国を売ったんだぇ。
海からやってきた侵略者は彼の国の民を攫い、殺し、緑を焼き尽くした。
民からは笑顔が消え失せ、侵略者は悪魔の族、”魔族”と呼ばれたんだぇ。
約束通り、欲深き民は無限の充足を得るために魔族から血を分け得た。
じゃが、彼らの欲望は満たされなかった。
そればかりか、彼らは人間とも魔族とも言えぬ存在となってしまった。
欲深き民は魔族に騙されたんだぇ。
彼らを助けてくれる者は当然おらず、魔族と取引をした欲深き民は”忌まわしき血脈”と呼ばれて迫害され、やがて人知れず姿を消した。
残った民の中には侵略を食い止めようと立ち上がった者達もいたが、魔族の侵略の手は止まない。
遂に彼の国は滅びるかと思われた。
しかし、彼の国の王には、遠い所に住む騎士の友がいた。
魔族の姿がそこまで見え、いよいよ民の希望が打ち砕かれた時、名も無き騎士が空の向こうから現れた。
騎士は剣の一振りで目の前にいた魔族を撃退した。
民の目には再び希望が宿り、国王は騎士に感謝の印として新たな剣を贈ろうとした。
じゃが、騎士は仲間と共に既に旅に出てしまっていた。
騎士達は海を渡り、魔族の住まう土地へ向かったのだった。
そのことを知った彼の国の民は、騎士達に恩返しがしたいと義勇軍に志願した。
幾重にも行く手を塞ぐ荒波を越え、魔族の住まう土地へと駆け付ける義勇軍。
上陸した彼らを迎えた騎士達は、既に魔族を倒していた。
国王の友である名も無き騎士の犠牲によって…。
義勇軍と、知らせを聞いて駆け付けた王は嘆き悲しんだ。
王は名も無き騎士の亡骸を戦地に葬らせ、そこが彼の安住の地になるように彼の国と見紛う緑豊かな土地になるように、そして2度と魔族が住まう土地にならないようにと、彼を守り神として祀った。
名も無き騎士とその仲間達は”八遊星”と称えられ、国王は彼らに褒美として魔族の住んでいた土地を与えた。
彼の国の民は、魔族の住まう土地を新たに”パンゲア”と呼んだ。
国王から許しを得た八遊星は、それぞれパンゲアに自らの国を建国した。
そうして建国されたのがアルデラン、カイロキシア、シャウラッド、サビキア、モーモリシア、エリナス、イェンシダスだぇ。
名も無き騎士に与えられた領地には、騎士の最愛の妻とその子供が国を建てた。
その国の名はムリファイン。
名も無き騎士の意志を受け継ぐ者と八遊星は己が国の王となり、パンゲアの発展に尽力した。
…、こんな感じだぇ。」
ミネルバが話し終えると、直ぐに龍郎が質問した。
「その話は事実という認識で良いんですよね?」
「あぁ。
そうだぇ。」
「でも、義勇軍が駆けつけた時には既に魔族は倒されていた形になってるんですよね?
どうして封域に封じ込めただけだと分かったんですか?」
「後に魔導協会の初代会長となる男に漏らした者がおったんだぇ。」
「ウォーロック・リュートに…?」
龍郎の口から彼の名前が出るとは思わなかったのだろう。
ミネルバは驚いていた。
「ほう。
奴の名前を知っているんだねぇ。
他に奴について知っていることは?」
「いえ。
何も。」
ミネルバは少し残念そうな顔をした。
「…、奴は彼の国の民だったんだぇ。
義勇軍としてパンゲアにやってきた後、そこへ移り住んだ。
八遊星の1人に弟子入りするためにねぇ。」
ミネルバの心が分かるかのように黒板のイェンシダス領が拡大された。
「リュートはイェンシダスの出身だ。
奴が師事したのはイェンシダス建国の祖、イェンシッド・エーレンベルクで間違いない。
世界がひっくり返りかねない事実を明かした相手について、奴は何も言わなかった。
だが、漏らしたのはイェンシッドと考えて良いだろうねぇ。」
「魔族が根絶していないことを打ち明けられた偉大な魔導師が設立したのが魔導協会ってことですか?
ってことは…。」
龍郎は自らの推測が行き過ぎていないことをミネルバの表情から察した。
「恐らく魔導協会は魔族との戦うために創られたんじゃないかねぇ。」
「ちょ、ちょっと待ってください!!
シャウラッドと言い、魔導協会と言い、本当に全て魔族のためだって言うんですか!?」
「らしくないねぇ。
セシルちゃんなら分かると思っていたがねぇ。
…、残念ながら全部本当じゃよ。」
ミネルバは困惑するセシルから視線を動かした。
彼女の視線は扉へ向かっていた。
「盗み聞きは褒められたもんじゃあないねぇ。」
扉が開き、龍郎達にも見覚えのある男が出現した。
「何しに来たんだぇ?
また何か問題発生かぇ?」
「協会を統べる者としては実際の教育現場を視察しておこうと思いましてね。」
ロディ・スパドモアは社交的な笑みを浮かべながら部屋に入って来た。
先日の会議でも気になっていたが、彼が纏っている純白のトレンチコート(?)はなぜあんなにも分厚いのだろうか?
形状がとれんちなだけで、あれではコートというよりも鎧だ。
例えるなら、可愛い顔したチッコい○イオハザードの量産型○イラント(コート白ver)と言ったところであろうか。
「ちょうど良かったわい。
この娘が協会の設立意義を聞きたいそうじゃ。」
「設立意義ですか。」
ロディはセシルに視線をやった。
実に素っ気ない。
「この世界における魔法の発展と、全ての解となる神々の叡智へ…。」
「建前だねぇ。」
ミネルバはロディの頭をポカンと小突いた。
イテテ…。と漏らすロディへ言う。
「この子達には既に話してある。
それが事実か尋ねておるんだぇ。」
「先日も思いましたけどね、ポンポンと重要機密を漏らし過ぎですよ!!!!」
頭頂部を摩りながらロディはミネルバへ文句を垂れた。
「まったくもう…。
えぇ、そうですよ。
我々は対魔族用の戦闘組織として創立されました。
勿論、世間に大きな声では公表できませんけど。」
セシルは口に手を当てて驚きを示していた。
「まぁ、無理はないよね。
ずーっと隠してたんだから。」
ロディは特段悪びれた様子もなかった。
「…、他に質問ある?」
ロディの問い掛けはセシルに対してだったが、龍郎は手を挙げた。
ロディが龍郎を一瞥する。
「異世界からの来訪者君か。
よろしい。
何でも聞いてくれたまえ。」
許可が出たので早速質問する。
「あの、この前の会議からずっときになっていたんですけど、その、魔族は根絶したと協会が情報操作を行って、事実として魔族が出現しなかったからそれに信憑性が与えられたんですよね。
だったら、何て言うか、どうやって彼らとの戦闘準備を整えてきたんですか?
どんな装備だとか、どんな特徴があるとか。
同じように、王位格の吸血鬼がどのくらいの強さかとかもどうやって知ったんですか?」
想定と質問のカラーが違ったのだろう。
先ほどまでの飄々としたロディの目が変わった。
「うーん…。」
ロディは腕組みをして視線を床にズラした。
「君は見かけによらず鋭いね。」
ポツリと呟いた。
その時の龍郎の心情といえば、
あ?
何つった、このガキ?
こっちの世界来たら覚えとけよ。
海に突き落としてやる。
だったそうな。
冗談はさておき、
「それに対する答えは明日教えてあげよう。
…、ミネルバ女史、朝イチで”知恵の館”に来てください。
入館手続きは僕が行っておきます。」
彼は回答を保留した。
龍郎は不完全燃焼な気持ちであったが、ミネルバは違った。
「ほぅ。
あそこに入れるのかぇ?
そりゃあ行かなきゃダメだねぇ。」
「ご満足していただけたようで何よりです。」
それでは。と言ってロディが部屋を後にしようとした。
「それで、お前さんは何しに来たんじゃ?」
そんな彼に、ミネルバは他の2人も抱いていた疑問を投げた。
「来訪者君に話がありましたが、明日にします。」
振り返ったロディは、明日が楽しみだと言う顔であった。
「知恵の館って、会議で名前が出てきましたよね?」
ロディが去った後、セシルはミネルバに問い掛けた。
ミネルバは首肯する。
「魔導協会の研究開発部門だぇ。
協会の理事だろうと用がなければ立ち入れない。
理事会員のほとんどが入ったことはないんじゃないかねぇ。」
「師匠はあるんですか?」
「あるよ。
随分と昔に1度だけだがねぇ。
迷路みたいだったよ。
あそこは今も拡張され続けていて昔の記憶なんて何の役にも立たない。」
「どこにあるんですか?」
質問者が龍郎に変わった。
「残念ながら場所は分からない。
移動中は魔法で感覚を遮断されていたから何も分からんのだぇ。」
「研究開発部門なだけあって凄いですね。」
「協会本部なんかよりも、あそこを落とされたら間違いなく魔導協会は塵と化すねぇ。」
「そんなところに行けるんですね…。」
「タツローや、気を付けるんだぇ。
ロディは悪い奴ではないが、策士だ。
アタシらを知恵の館に入れるってことは何か大きな理由がある筈だ。
付け入る隙を与えるんじゃないよ。」
「分かりました。」
「宜しい。
それじゃあ続きに戻ろうかね。」
【帝国 帝都 とある場所】
「姐さん、もうあの手しか残ってねぇんじゃねぇか?」
ユスポフに施された刻印を見て男はヴェロニカに言う。
ユスポフの顔には生気がない。
ありとあらゆる手段が講じられた結果だ。
「意識共有か…。」
ヴェロニカは残された最後の手段を講じるべきかどうか悩んでいた。
「意識共有するにはコイツは危険すぎる。」
「誰が術者か不明ですからね。
まぁ、でも、どうにかなるっしょ。
何かあったら助けてくださいね。」
「待つんだ、ビューレル!!
部下の命を軽々と危険に晒すことはできない。」
「自分が望んでやることですから大乗ですよぉ。」
そう言うとビューレルは魔法式を出現させた。
ユスポフの額と自らの額にだ。
彼は額を合わせ、魔法式を起動した。
「ウッ…!!!!!!!」
呻きとともに後ろへ蹌踉めく。
身体中から汗が吹き出し、両の手で頭を抑える。
ヴェロニカは冷静にその様子を見守っていた。
「ハァハァ…。
天上の…、使い…、からの…、伝言…、を…、受け取った…。」
ビューレルが発する言葉を聞き漏らさないようにヴェロニカは聞き耳を立てた。
「マティアス…、次は…、カイロ…、キシアだ…。」
「カイロキシアだと…?
マティアス?」
「現地…、では…、既に…、奴…、が…、動いている…。」
ビューレルは両手を床につけ、跪いた。
彼は声を出すのも辛そうだった。
「お前…、は…、キルケドールに…、伝えろ…。」
ビューレルは近寄ったヴェロニカの腕を掴んだ。
「天使…、が…、歌う…、日は…、近い…、とな…。」
ビューレルはそのまま気絶した。
ヴェロニカは部下に彼を運ぶように指示する。
誰もいなくなった室内で彼女は証拠を並べ直した。
「マティアス、キルケドール、奴、天上の使い…。」
これは人を指すものだろう。
2人の名前は分かったが、残り2人の名前は分からない。
「天使が歌う日…。」
恐らく彼らが何かを実行する日か、実行するために必要な何か大きな出来事がある日だ。
発生場所はカイロキシア。
”奴”は既にカイロキシアで行動を開始していると思われる。
帝国の友好国で何者かが良からぬことを企んでいる。
ヴェロニカは事態が急を要すと判断し、皇城へ向かった。




