第56話〜閑話休題その弐〜
【エリナス ファミリオ魔術大学校】
「それじゃあ、手始めにこの世界の地理から始めようかね。」
教壇に立ったミネルバは、杖の底でガツンと1回壇を打った。
すると黒板に世界地図のような絵が浮かび上がる。
カラフルで、どこが森でどこが海なのか一目で分かった。
「これはパンゲアの地図じゃ。」
右端には海が広がっており、左端には灰色の地域が広がっていた。
中央下部には森と思しき広大な土地が確認できる。
地図には金色の線が不規則に引かれており、龍郎はこれが国境だと考えた。
「この世界には全部で7つの国がある。」
そう言ってミネルバは右端から地図の説明を始めた。
「この青い部分は大海原じゃ。
これはお主も当然知っておろう。
現在はお主の祖国が占領しておる。」
龍郎は頷いた。
次にミネルバは大陸の右下の国を指差した。
「ここがサビキア王国じゃ。
パンゲア第2の国力を誇っているが、さほど大きくはない。
…、お主らがコーネリウスに会った王都はここじゃな。」
ミネルバは青く光る点を指差した。
他の国にも同様の点があるため、これは首都だと推測される。
「サビキアは、というよりも、この世界の王政国家は全て、建国以来特定の一族が王位を受け継いでいる。
サビキアの場合はアーフェルカンプ家が代々王位を受け継いでいるんじゃ。」
ミネルバは一呼吸置いてから続ける。
「今から挙げる例外以外は、どの国も君主が絶対だ。
全てにおいて君主は絶対的な優越が認められている。
…、お主の国にも君主はいるのか?」
「いますけど、政治を動かす権限は与えられていません。
国民統合の象徴として君臨しています。」
「ふむ。
象徴か…。
それでは今のこの国と似たようなものだな。」
そう言ってミネルバは黒板上の赤い点を指し示した。
地図には赤い点は1つだけであった。
「この赤く光っている点はアタシ達だ。」
赤い点のある地域はパンゲア文字で"エリナス王国"と書いてある。
エリナスは左を”大山脈”、上下右を他国に囲まれていた。
「ここエリナスはイグレシアス家が代々王位を継ぐのだが、当代は女でな。
この国の変わった風習で、女性君主の治世にのみ”御賢候”と呼ばれる役職が置かれて、その君主が死ぬまで奴らが政務を担当する。
じゃから今の女王、カタリーナには何も権限が無い。
お主の祖国と一緒じゃ。」
こちらの世界にも象徴君主がいるのか…。というのが龍郎の素直な感想だ。
と同時に、女性の場合にだけ政務を取り仕切る役職が置かれる点には後進国の面影を感じた。
「次に、ここイェンシダス共和国じゃ。」
ミネルバは地図中央を指差した。
エリナスの右隣の国だ。
「イェンシダスは王政から共和制に移行したばかりでな。
元老院や議会に当たる”国家評議会”が最高意思決定機関となった。
じゃが、国民の意見を反映させこそすれ、現在も議長はエーレンベルク家、建国当初の王家が担っている。
これからの展開を注視じゃな。」
最後に。とミネルバはイェンシダスの下にある国を指差した。
国土のほとんどが緑で覆われている。
「ここはモーモリシア連邦国。
別名、“渺渺たる樹海”。
見た通り国土の大部分が森じゃ。
パンゲアで唯一、手付かずの自然が残る場所と言われておる。」
「なぜ手付かずのままなんですか?」
「モーモリシアには人間以外の種族が暮らしているんじゃ。
厳密にはモーモリシアは国ではなく、幾つもの種族の領地が寄せ集まっているに過ぎない。
手付かずの理由が知りたいんだったな。
簡単じゃよ。
住まう種族が、敵意を持った侵入者を許さないだけじゃ。」
龍郎の脳内劇場には屈強な森の住人たちが映し出されていた。
「連邦国ってことは一応、その領域を治めている勢力が何か存在するんですか?」
ミネルバは首を縦に振った。
「”守族”と呼ばれる者達がおってな。
彼らが代々モーモリシアの対外窓口となっておる。
国内での扱いは分からんが、国外ではモーモリシアの最高権力者として扱われる一族じゃ。
まぁ、彼ら以外とは外交交渉ができないから丁重に扱わなければならないと言った方が正確じゃな。」
「丁寧に扱うということは、他国は何か恩恵を受けているんですか?」
「そうじゃ。
薬剤になる希少な昆虫や植物、装飾品や触媒に用いられる鉱石などを各国は輸入しておる。」
「ははーん。
それじゃあ無下に扱えないですね。」
龍郎は組んでいた腕をほどき、モーモリシア領土にある青い点を指差した。
「その青い点の部分は開けているような感じですけど、どういう場所ですか?」
「ここはモーモリシア唯一の街じゃ。
守族の拠点と言った方が良いな。
各国はここをモーモリシアの首都と定めている。
…、何か他に質問はあるかね?」
龍郎は手を挙げながら発言した。
「ハイ!!!
人間以外の種族ってどんなのがいるんですか?」
「私も全てを把握している訳じゃあないが、そうじゃなぁ。
獣人と言われる人型の獣だと、キャットピープルや鳥人、人狼。
他の種族だと、水中人、リザードマン、恐竜人などがいるな。
牛人、馬人、豚人も当然いる。
他にも沢山の種族がいる筈じゃ。
…、他に何か質問はあるかい?」
龍郎は首を横に振った。
「…、さてと。
それじゃ、これで王政ではない国の説明は終わりじゃ。
次に王政国家を紹介しようかね。」
ミネルバは地図左下を指差した。
該当国家名として"シャウラッド集邑国"が記載されている。
「シャウラッドは昨日まで渦中の国だった。
まぁ、アタシにとってはあの国は渦中になって当然だけどね。」
「当然というのは?」
「元々、あの地域は封域を管理するために設けられたんだよ。
魔族の被害に合うのは建国以来のあの国の宿命だね。」
「師匠、私もシャウラッドの歴史には明るくないので詳しく教えて欲しいです。」
これまで沈黙していたセシルが口を開いた。
「セシルちゃんに頼まれちゃあ仕方ないね。
これは地理を一通りやってから詳しく話すけど、かつてこの世界には"八遊星"と呼ばれる者達がおってな、彼らが地上に蔓延っていた魔族を封じ込めたのがシャウラッド南西に広がる封域なんじゃ。」
ミネルバはシャウラッド領内の左下を指差した。
「人々は八遊星が大地に蓋をし、魔族を地底深くに葬ったと信じた。」
そこまで言うとミネルバは杖に額を乗せて顔を伏せた。
龍郎達は世間の理解が間違っていることを既に知っている。
だが、ミネルバはこの件を簡単に扱えなかった。
その思いが彼女の行動に表れていた。
「…、実際には生き続けていた魔族が今回の事件を引き起こした?」
沈黙を嫌った龍郎が質問を投げる。
彼女がそれに答えたのは数秒の沈黙の後だった。
「お主は事情を知る者と行動を共にし、真実を聞く機会に出会えた。
同じような者がこの世界に何人いると思う?」
ミネルバは一呼吸置いた。
「…、お主の問いに答えるならば、そうじゃ。
これまで世界が秘密にしてきて、これからも秘密のままであろう事実のお陰で、無数の犠牲者が出た。」
ミネルバは龍郎の目を直視して言葉を紡いだ。
「シャウラッドが対魔族の最前線だという痕跡は至る所に残されている。
国内の都市が全て城塞であること、権力者のほとんどが軍事貴族であること、中でも幕下と呼ばれる魔法と武術それぞれに秀でた君主に次ぐ二つの家があること、冒険組合の本部があること…。
挙げればキリがない。」
「…、まさか、花君もそのことを知っていたんですか…?」
「不幸にも花君は知らなかった。
普通なら、あの国の君主は帝王学の一環として代々事実を教え込まれるんじゃよ。
じゃが、花君は早くに父を亡くした。
不幸にも先代は誰にも事実を伝えずにこの世を去った。」
「どうして他の誰かが教えなかったんですか!?」
「セシルちゃんはそれくらい理解していると思ったがねぇ…。」
ミネルバは溜息を漏らした。
「本来なら父上が伝えるべきところを我々が代わりに伝えますと言ってこの話ができるかい?
これは世界にとって不都合な事実なんじゃよ。
だからこそ、それは部外者から伝えられるものではなく、脈々と受け継がれてきた自らの血筋、ベタンクール家の人間から伝えられるべきなんじゃよ。」
セシルは納得がいっていない様子だった。
ミネルバもそれは分かっていた。
「まだ分からないでも良いよ。
アタシも若い頃は分からないことが沢山あった。」
「あーのー、花君というのはシャウラッドの君主という理解でよろしいでしょうか?」
師弟の微笑ましい雰囲気に水を差す男ありけり。
ミネルバも不快感を隠さない。
「お主という奴は…。
話を聞いて察するんじゃ!!」
「はい、さーせんしたぁぁぁ!!!!」
なんで俺だけこうなるんだよぉぉぉぉぉ!!!!!!!
このクソ◯バア!!!!!
なーにが師弟の微笑ましい雰囲気だよ!!!!!
俺は邪魔者か!!!???
こーの…。
「師匠、他の国の説明をお願いできますか?」
ハッ…!!!!!
イカンイカン…。
平常心平常心。
「そうですね。
僕も知りたいです。」
「そうかい?
それなら次はカイロキシアについて説明しようかね。」
ミネルバはエリナス上部の国を指差した。
「この国は帝国、サビキアに続く実力国じゃ。
いや、じゃったと言った方が適切かの。
ただでさえ帝国が衰退した今、これらの国の勢力図は変わりつつあるからのぉ。」
「サビキアと帝国の順位が入れ替わるだけではないんですか?」
「そうでもないんじゃよ。
カイロキシアの現国王は好みが激烈での。
配偶者が未だに見つからないんじゃ。」
「つまりは、世継ぎが生まれないと?」
どこの国でもいるんだな。
そーゆー奴。
「そういうことじゃ。
すっかり民の心配事じゃわい。」
「容姿だけでなく、多少なりとも性格も考慮して妥協しないとダメですよね。」
「分かったような口ぶりですね。」
「へ?
いや、ほら、ねぇ…。」
セシル先生、そげなこと言わんといてください。
「とにかく、カイロキシアもそう言った状態じゃから、この先のこの三国の勢力図は分からんな。」
え?
どして?
(・・?)
「サビキアが一番じゃないんですか?」
「それはどうしてじゃ?」
ミネルバの目つきが険しくなった気がした。
「え、だって、日本が付いているじゃないですか…。」
龍郎は語尾が弱くなってしまった。
「ふむ…。
お主がそう言うならニホンとやらは味方でいてくれるんだろうねぇ。」
ミネルバは龍郎の言葉を信じていなかった。
「アタシらからすれば、ニホンという国は未知数なんだよ。
はっきり言うが、ニホンという国をアタシは信用していないよ。」
「はっきり言ってくれますね…。」
「この話は先がない。
話を戻すよ。
カイロキシアはエリナスと緊張状態とまではいかないが、仲が悪い。
両国の恒久的な友好の証として王配の妹君を配偶者にと送り出したのだが、先ほども言ったように彼は好みが激しくてな。
突っ返されてしまったんじゃ。」
「うわぁ…。」
「それ以来、両国の仲は悪化の一途を辿っている。
逆に、隣国の帝国とは仲が良い。」
そう言ってミネルバはカイロキシアの右隣の広大な国を指した。
「帝国はサビキアとは犬猿の仲だからな。
比較的良好な関係であったカイロキシアと、先代の皇帝は一気に距離を縮めた。
これまでの世界秩序でいうと、一番と三番が同盟を結んで二番に対抗していたんじゃ。
今も同盟は有効だが、先ほどから言っているように世界秩序自体が揺らいでおるからなぁ…。」
「いつから帝国とサビキアは衝突しているんですか?」
「帝国の建国以来ずっとじゃ。
もうかれこれ100年以上になるか…。」
ん?
帝国の建国は100年ちょっとなのか?
他と言い方が違うな。
「帝国の建国?」
引っ掛かった龍郎は疑問を口にした。
龍郎の違和感は合っていた。
「そう慌てるな。
ちゃんと今から話すわい。
…、今の帝国は八遊星の時代からあるわけではないんじゃよ。
元々、帝国の領土に当たる場所には二つの国があった。
片方の国はアルデランと呼ばれ、もう片方はムリファインと呼ばれていた。
お互いの国は良好な関係じゃったが、争いというのは時に突然起こってしまう…。
先々代皇帝、ムリファイン国最後の国王はアルデランへ侵攻を開始した。
内通者の存在もあったそうだが、あっという間にアルデランはムリファインに占領されてしまい、アルデランの王家は処刑された。
アルデランと国境を接した友好国であったサビキアは何もできなかった自信を責め、新たに自らと境を共にする帝国を呪った。
だが、結果として帝国は外部からも内部からも倒されることはなく今に至っている。」
「どうして奇襲なんて仕掛けたんですか?」
「不明じゃ。
それは先々代の皇帝のみぞ知ることなのではないかのぉ…。」
ミネルバは徐に腰を下ろした。
空気椅子の状態だが、彼女のお尻の下には本当の空気の椅子があるのだろう。
「少し休憩じゃわい。
次は歴史と現在の国際情勢を教えようかね。」




