第4話〜皇帝〜
ー
ーー
【帝国 帝都 皇城】
ーー
ー
城内大廊下の両脇には等間隔で儀仗親衛隊が整列している。
「皇女殿下、御来臨!!!」
フィアンツから護衛を引き継いだ親衛隊副隊長のアナトリー・ヤーキンが声高に叫んだ。
その声に合わせて儀仗隊は一斉に剣を捧げた。
その動きに乱れはない。
『いつ見ても壮観だな。』
100mを超える廊下の末端まで整列した儀仗親衛隊を眺めながら、カテリーナ・ルマエル・ゲルト帝国皇女は思った。
彼女は先導するアナトリーに続いて無言で廊下を歩く。
彼女が歩く度に自慢の白菫色の長い髪が波打ち、その度に美妙な香りが漂う。
『こんな匂い嗅いだことがないっ…!』
脇に控える儀仗親衛隊の顔もふっと緩んでしまうそうになる香りだ。
彼らはカテリーナを目で追わないように辛うじて自制する。
いや、顔は緩んでいないし自制もできているつもりであった。
『この者たちは女に慣れていないのか…?』
見られ、余儀なく匂いを嗅がれている本人からは彼らの顔がしかと見える。
『これは誰がいけないのか…。
匂いを振りまいている自分か、練度の足りない彼らか…。』
カテリーナは頭こそ抱えたくなったが、前を向いて歩き続ける。
数分で廊下の終わりが見え、1つの大きな柱が現れた。
否、柱としての役目も果たしている螺旋階段だ。
通称「天獄の階段」と呼ばれるその階段は、左右二対の螺旋を配して昇降者が出会さないように設計されている。
地下を含め、この階段だけが唯一この城の全ての階に繋がっているためにこのような通称が冠されている。
その前に辿り着くと、アナトリーは脇に退いて他の親衛隊と同じく剣を捧げた。
この階段は皇族や限られた高官しか利用を許されていない。
『相変わらず仰々しいな。』
カテリーナは逡巡することなく階段を上っていく。
皇帝が待つ玉座の間は2階にあるため、上るのに時間はかからない。
階段を上った先には親衛隊隊長のイサーク・セロフが待っていた。
「皇女殿下、御来臨!!!」
大廊下と比べるとその数は半数以下だが、ここでも儀仗親衛隊がいた。
先程と同様に、イサークが先導する。
階段から玉座の間まで歩いて30秒とかからない距離を倍以上の時間を費やして案内された。
城の構造上、廊下とは違い儀仗隊はL字型に並んでいる。
「将軍たちがご到着されるまで、もう暫しお待ちください。」
時間差で城へ入っている上に螺旋階段でのカテリーナの歩みが速かったのか、後続の二人が少し遅れていた。
『ここで待たされるのなら、初めから一緒に来させれば良いものを…。』
カテリーナはこの城の作法に不満を覚えた。
玉座の間までは皇族とその他に差を付けるものの、皇帝への謁見は時間のロスを無くすために極力一緒に行わせる。
結果、先に着いた皇族が待たされることになる。
彼女は非効率な作法を定めている帝国の典礼係を張り倒したくなった。
「帝国海軍大将及び帝国軍軍師筆頭の御来臨!!」
そんなことを考えていたら後続が追い付いた。
セルゲイは適度な緊張をした顔つきだったが、老師の顔からは極度の緊張が伝わり見るに耐えない。
二人はカテリーナの後ろに並ぶ。
その様子を確認し、イサークが扉に手を掛けた。
ー
ーー
【帝国 帝都 皇城 玉座の間】
ーー
ー
「カテリーナ・ルマエル・ゲルト皇女殿下、セルゲイ・ギブリ・ネチャーエフ海軍将軍、グリンダ・ポリニヤ・チェーホフ老師のご入場です!!」
衛兵に名前を呼ばれた3人は、程度は異なるものの、それぞれ緊張の面持ちで玉座の間へと入場した。
この部屋の管轄はさらに変わって帝国軍の衛兵隊だ。
更に、この部屋では謁見する者の呼び方も他とは異にしている。
皇族以外の者は正式な肩書ではなく、総称や略式の敬称などを敢えて用いることで皇帝に比してその権威を弱める目的を持つ。
「ご機嫌麗しゅうございます、皇帝陛下。」
セルゲイとグリンダが初めに片膝を突いた。
カテリーナはその後に同じく片膝を突く。
「苦しゅうない、表をあげよ。
そんなに堅苦しく構えるな。」
「ありがたきお言葉です、皇帝陛下。」
カテリーナが言い、その場で立ち上がると、他の2人も続いて起立した。
皇帝が3人を見回す。
「さて、ことの顛末を聞くとしよう。」
誰から話すのか?と皇帝は無言で問いかけた。
「撤退は私が判断致しました。」
グリンダが弱々しく言った。
「あのまま呼び戻さなければ艦隊は全滅しておりました。」
「だが、聞くところによると船には捕虜が2人だけだったというが。
全滅させまいと呼び戻した人間はどうした?」
皇帝がグリンダに原因説明を求める。
当のグリンダは顔面蒼白だ。
「恐らく、妨害を受けたものと推測されます。
ですが、申し訳ございません…。
ハッキリとした原因は私にも分かりませぬ…。」
それはグリンダが何とか絞り出した答えだった。
当然、皇帝は納得していない。
「それは困ったな、老師。
私は答えが知りたいのだ。
我が帝国海軍が誇る戦艦の半数近くを出撃させ、帰還は捕虜2名だけの船1隻。
これは由々しき事態だ。
なのに原因が不明と申すか。」
「申し訳ございません…。
現在、一門総出で原因究明に…。」
「もう良い、老師。
どうせ分からぬか分かったとしても手遅れだ。」
グリンダの体が震えている。
「安心しろ。
お主の命は奪わん。
今死なれてはそれこそ帝国の損失だ。
だが、今まで以上に励めよ。」
「この上無き幸せにございます。
この命に代えても帝国の利益のために精進いたします。」
グリンダは可能な限り深々と頭を下げた。
老師を一瞥した後、皇帝はセルゲイへ視線を向けた。
「セルゲイよ、そちらはどのくらい持ち堪えられるのだ?」
「現状ですと、このままサビキアと戦になろうとも奴らを退けることは可能です。
しかし、海軍は本格的に疲弊します。
そうなると沿岸の海賊対策もままならないかと…。」
皇帝は額に指を当て、暫し考え込んだ。
3人は黙ってその様子を見守る。
「何かサビキアとの戦を回避する手立ては無いものか…。」
皇帝が弱々しく漏らす。
「残念ながら奴らが帝国に勝つには今しかありません。」
「勝機を逃す馬鹿はおらぬか…。」
帝国と隣国サビキアは3年前から緊張状態にある。
両国の国境は山間部となっており、そこに設けられた関所では両国軍による厳戒態勢が取られている。
ただ、両国は共通して海に面しており、そこでの領有範囲は定まっていなかった。
両国は支配圏を構築するため海軍を出動させており、海上では常に睨み合いが続いていた。
これまでは物量でサビキアの支配圏を圧倒していた帝国海軍であったが、先の異世界侵攻によって思わぬ損害を出してしまう。
この機に乗じてサビキアは帝国に対して戦争を起こそうとしていた。
「やむを得ん、悔しいが新天地は諦めるしか無いな。」
皇帝はため息まじりにそう宣言した。
皇帝の決断に3人は安堵した。
「セルゲイ、武官を集めるのだ。
どのような状況であろうと帝国は負けるわけにはいかん。」
「直ちに。」
セルゲイが玉座の間を後にする。
「老師、とんぼ返りで済まぬが急ぎブニークへと戻れ。
そして何としてでも現界している魔法陣を閉じよ。」
「…、この命に代えても。」
グリンダも退室する。
後にはカテリーナが残った。
皇帝は彼女の目を真っ直ぐ見つめる。
皇女は改めて姿勢を正す。
「さて、カテリーナ。
お前には重要な役目を頼みたい。」
「重要な役目、ですか…?」
「ウッズに向かい、サビキアとの外交交渉を始めよ。」
皇帝の命令にカテリーナは驚きを禁じ得なかった。
「外交交渉!?
妾がですか!?」
「あぁ、そうだ。
既にコーネリウスにも書簡は届いておる。
あちらはアルド王子が代表として交渉に臨むらしい。
王子と釣り合うのはお前だけだ、カテリーナ。
セルゲイにはああ言ったが、何としても戦争は避けなければならない。
厳しい交渉になると思うが、宜しく頼んだぞ。」
「ですが、陛下…。」
「分かっておる。
お前はまだ外交の場に出たことがないと申すのであろう?」
皇帝の推測は当たりだった。
「だが、お前なら出来る。
内政では余を輔弼してきたではないか。
交渉での駆け引きはそれと同じだ。」
「そのようなことを仰られましても…。」
「失敗したら力で対応すれば良いだけのこと。
何とも贅沢な初陣ではないか。
緊張感を持って、気楽に臨むが良い。」
「…、分かりました。」
皇帝は出発準備のために去りかけたカテリーナを呼び止めた。
「忘れておった。
そういえば捕虜はどうした?」
「今頃は地下牢にいると思いますが、如何致しましたか?」
「その者たちに言葉は通じるのか?」
皇帝の問いに皇女は首を横に振る。
「残念ながら、どちらも意思の疎通はできません。」
「そうか…。」
皇帝は腕組みをして何かを考える。
「父上…?」
不思議に思ったカテリーナが尋ねる。
すると皇帝は、
「この場で”父上”と呼ぶのは止めなさいと言った筈だ。
…、彼らには帝都で一番の教師を付け、教育を施すのだ。」
カテリーナは開いた口が塞がらなかった。
勿論、後者にだ。
「へ…?
教育ですか?」
「異世界の知恵が、彼らが帝国にとって利益になるかもしれない。
向こうの世界について興味もある。
悪くはない話だ。」
皇帝が答える。
「しょ、承知致しました。
それでは妾は準備がありますので…。」
そう言ってカテリーナは退出した。
「これも我々の定めなのか…。」
皇帝は小さく呟いた。
ー
ーー
【帝国 帝都 皇城 地下牢】
ーー
ー
カテリーナらが正面玄関から入城した後、龍郎と斎宮は別の入り口から城の中へ入っていた。
正面玄関の脇にある生垣の端。
そこに地下牢への通路が隠されている。
「凄いな…。
隠し通路が当然のように存在するのか…。」
特に顔も隠されていないため、二人は城をまじまじと観察していた。
「西洋の城なんて群馬にある◯ックハート城にしか行ったことありませんよ…。」
手錠をされているため触れることはできないが、龍郎は壁に顔を寄せる。
「コラ!!!
勝手に動くな!!!」
直ぐに身柄を引き渡された衛兵に怒鳴られる。
だが、具体的にどう怒られたのは龍郎らは分からない。
「ほら、じっとしてないから怒られちゃったじゃないか。」
「壁見ただけでそこまで怒る必要がありますかね…。」
「コラ!!!
勝手に口を開くな!!!」
二人は体をど突かれる。
またしても、何と言われているのかは分からない。
だが、殴られるのは嫌なので、二人は静かに何も触らずに衛兵に続いた。
通路を進むと、1つの扉があった。
扉の上部には確認用の小さな引戸が付いている。
「開けろ!」
衛兵が言うと、中から引戸が開けられた。
別の衛兵の目が覗く。
直ぐに引戸が閉められ、扉が開く。
扉の先は直ぐに地下へと伸びる階段だった。
衛兵に連れられて龍郎たちは階段を下りる。
3m程は降りただろうか。
二人の想像通り、そこには地下牢が並んでいた。