第48話〜迷宮深部〜
【シャウラッド ゲッティゲン】
リックは言葉を失っていた。
彼の目の前には依然として意識を失っているトマスがいた。
「もう良い。
閉めろ。」
フェムカが部下に命令する。
部下は客車の扉を閉めてトマスを再び外界と隔絶した。
この客車には魔法刻印が施されており、フェムカ自身でさえ破壊するのが困難なほどだ。
「経緯は話した通りだ。
色々と思うことはあるだろうが、こいつの処遇に関しては国王陛下がお決めになる。
我々は目の前の仕事を片付けるぞ。」
既に彼の部下達が街の周囲に散開しており、魔法の発動用意はできていた。
「ナシメント女史、休んでいてくれて結構だ。
私1人で貴女を補って余りある。」
フェムカも所定の位置に向かいつつ、魔法式展開の準備をしているナシメントに声をかけた。
「余計な御世話だよ。」
彼女は一言それだけ言った。
「魔導協会が勝手に定めた規則によると、禁術四式は名の通り禁術だが問題ないな?」
「知ったことか。
助けも寄越さない奴らの規範に従う必要はないよ。」
「話の分かる者で助かった。
それでは始めるぞ。」
フェムカは懐から一冊の本を取り出した。
目当てのページを1回で開いて、彼は目を閉じて詠唱を開始する。
「我、四原質たる炎を操らんとする者なり。我、汝の与えし試練を享受する者なり。
もし汝 我を拒絶せし時、我、己の霊肉を燃える様激烈なる汝に捧げることを厭わん。
もし汝 我を承引せし時、汝、天をも焦がす己の力を我に与え給え。」
詠唱後、本に書かれた文字が紫色に光る。
直後、フェムカが顔を歪める。
時間にして10秒も無かった。
「今だ!!」
術の制御に必死で声の出せる状態じゃないフェムカに代わってナシメントが合図を出す。
他の魔導師が展開した魔法式が街の上空に次々と現れた。
事前計算のお陰で魔法式1つも重なり合っていない。
魔法式の輝きが増し、その全てが一斉に発動し、式は陣に変わった。
魔法陣から下向きに炎柱が放射される。
炎は止まることなく街へ降り注ぐ。
リックが炎を街中に抑え込んでいるため、行き場を失った炎は街をただ焼き尽くしていった。
「局長っ…!!
まだですかっ…!?」
リックの額には大粒の汗が滲んでいた。
フェムカは返答しない。
代わりに、彼らの魔法陣の上に街の直系はあろうかと言う魔法陣が出現した。
「全員で炎を押さえ込むよ!!」
ナシメントの号令で全員が魔法陣を閉じた。
続け様に外郭の城壁に魔法式が展開される。
「待たせた。」
フェムカの呟きを聞き取れた者はいなかったであろう。
轟音とともに街へ降り注ぐ炎柱の所為だ。
「何だこりゃあ…。
こんなの初めてだ…。」
リック達とは離れた所で作業をしていたギマラエンスはそれ以上の感想が出てこなかった。
「ほぉ。
もはや常人じゃあないねぇ。」
ナシメントはフェムカに直接そう言った。
フェムカは目だけ彼女へ向けて答える。
「ここまで出来てこそ国王陛下をお守りできる。」
魔法陣が消え、轟音が鳴り止んだ。
炎はひとりでに消え、城壁の内側には何も残っていなかった。
「任務完了だ。
我々はサビキアへ帰還するが、貴女はどうする?」
「アタシらはまだ協会員だ。
コルカソンヌへ戻って上官の指示を仰ぐさ。」
フェムカは一礼して馬車へ向かった。
「お疲れ様でした。
また機会があればご贔屓に。」
微笑みながらリックはナシメントへ手を差し出した。
「ああ。
アンタらの事は忘れないよ。」
握り返しながら彼女は言った。
「それでは。」
リックもフェムカの後を追った。
ナシメント達もコルカソンヌへの移動準備を始める。
死徒を街へ封じ込めるというミッションは無事成功した。
しかし、代償としてゲッティゲンという名が地図から消えた。
【シャウラッド 南部迷宮】
「あそこだ。」
ニンファドーラは地下7階へと続く階段を指差した。
「この化け物が湧いて出ているのはさらに下だ。」
彼女の言う通り、階段から次々と怪物が押し寄せていた。
「あれじゃ進めないぞ。」
「任せてください。」
グウェノグは魔法を発動した。
迷宮内の温度が下がり始めるのをニンファドーラは感じた。
温度は更に下がり続け、壁や床が凍て付き始める。
まだまだ温度が下がり続けると直感したニンファドーラは身の危険を感じて退避を命じようとしたが、魔法の発動領域は術者であるグウェノグの前方だけだった。
他の調査団の面々も同じことに気が付き、グウェノグの後方へ移動した。
温度の低下は止まらず、発動領域外にいるニンファドーラたちも寒さに対する我慢の限界が近づいていた。
殺到していた怪物たちは既に活動を停止し、氷漬けになっていた。
凍て付いた部分からは氷柱が生じていた。
氷柱が急速に成長していき、氷塊へと届く。
氷柱は氷塊にヒビを入れ、小さな氷へと砕いた。
「突入しろ!!」
階段内の怪物たちが全滅したのを見てニンファドーラが号令をかける。
他の雄志隊を追い抜かし、彼女自身が先陣を切って最下層への道を駆けた。
彼女の興奮して火照った頬を冷気が撫でる。
凄い魔女だ。
ニンファドーラは素直にそう思った。
彼女は最後の段を蹴って最下層へと突入する。
彼女たちが知る限り、ここがこの迷宮の最下層だ。
最下層は広々とした部屋の作りになっている。
グウェノグの魔法はここまで作用していたらしく、室内はあらゆるものが氷結していた。
壁、床、怪物、行方不明の冒険者たち。
遅れて他の雄志隊員とともにグウェノグたちもやってきた。
「これは…。」
グウェノグが何に対してそう言ったのかは分からない。
当然だ。
目の前の光景は訳が分からなかった。
「繁殖させてるんですか…?」
バギランチュラを始め、迷宮内で戦った怪物たちが一匹ずつ凍っていた。
どれも戦った個体よりも巨大で、それらの足元には産み落とされたばかりの個体が同じように氷漬けになっていた。
「1匹であんなにも出産し続けたというの…!?」
「得体の知れないあれと、犠牲になった冒険者たちが謎を解く鍵だろうな。」
ニンファドーラが指差した先には黒い虫のような生き物が散らばっていた。
同じ生き物が冒険者たちの腹部を突き破った状態で冒険者諸共氷漬けになっている。
「惨いな…。」
ニンファドーラは目を背けた。
「生命活動を完全停止するまでには凍らせていません。
急いでトドメをさしてください。」
グウェノグがその場の全員へ要請した。
雄志隊と協会の魔導師たちが直ぐに取り掛かる。
「まだあれが飛び出していない冒険者たちはどうするんだ?」
「協会で預かります。
危険が無いと判明した時点で解放します。」
「分かった。
くれぐれも実験ではなく検査を頼む。
彼らは組合員なのでな。
一応言っておく。」
ニンファドーラは協会に関する噂を元に、効き目はないだろうが釘を刺した。
「隊長、壁に穴が開けられています。」
報告を受けて2人は問題の壁へと移動する。
確かに壁には大きな穴が開いていた。
「先程まで巨大なオニコプトラが目隠しとなって塞いでいたようです。」
「中は調べたか?」
隊員は首を横に振った。
「直ぐに報告しろ。
迷宮が他所の空間と繋がっているとな。」
隊員はその場を後にした。
「冒険者たちの輸送を開始してください。
それから、協会からも応援を連れてきてください。」
グウェノグも部下に指示を出す。
「助かる。」
「お互い様です。」
短い周期で地鳴りがしだしたのはその時だった。
2人は瞬時に穴の奥へ注意を向ける。
振動が強くなる。
足音だ。
金属がぶつかるようなガチャガチャという音も徐々に聴こえてきた。
「来るぞ。」
ニンファドーラは剣に手をかけた。
相手の輪郭が見えてきた。
大柄で、縁が黄色い白銀の鎧を纏っていた。
「急に寒ぐなっだど思っだら…。」
鎧が覆っていないそれの肌は毛むくじゃらで顔も見えなかった。
「魔族か…。」
「ですね。」
2人は鎧に刻まれた蹄印を見て取った。
「お前らだな。
邪魔ずるな。」
魔族は右手に持ったハンマーを振り上げた。
同時にグウェノグが魔族の右肩へ魔法式を展開する。
魔法は直ぐに発動し、魔族の右肩を切断する筈だった。
だが、発動した魔法は右肩を切断するどころか魔族に傷1つ付けることはなかった。
グウェノグは急いで障壁を展開して攻撃を防ぐ。
「直ぐに避けろ!!」
ニンファドーラの声を聞いてグウェノグが見上げる。
ハンマーとの接触点を中心に障壁に亀裂が入っていた。
グウェノグは急いで後方へ飛んだ。
障壁は粉々に砕かれ、ハンマーは床を叩いた。
衝撃が這い、床が盛り上がる。
「奴が身につけているのは普通の鎧じゃないな。」
「だとしたら鎧が守っていない部分を狙うまでです。」
グウェノグはむき出しになっている魔族の顔へ魔法式を展開した。
展開後、魔法は直ぐに発動し氷柱が魔族の顔を貫かんとした。
しかし、氷柱は無残にも水蒸気となって消えた。
「溶けた!?
どれだけ高い体温なんだ!?」
「普通の生物と考えてはいけませんね。」
ニンファドーラへそう言いつつ、グウェノグは次々と魔法式を展開した。
全ての魔法式から数え切れない程の氷弾が発射される。
氷弾は魔族の顔を狙って撃ち出された。
「うっとおじい!!」
魔族は腕で顔を守る。
グウェノグは視界の代わりに防御を選んだ魔族へ撃ち込む氷弾を大きくした。
先程は拳大だったが、今度は頭大だ。
魔族は一歩一歩後退を余儀なくされる。
退がった床には魔法式が展開されていた。
魔族が完全に魔法の発動領域へ入ったことでグウェノグは魔法を発動する。
何本もの鋭い氷柱が魔族を突き刺さんと発生する。
「普通に強度もあるのか…。」
鎧を貫けずに砕け散った氷柱を見ながらニンファドーラが溢す。
ニンファドーラは鞘から劍を抜いて魔族へ切りかかった。
着火した剣は魔族の左手と接触する。
魔族がニンファドーラの攻撃を防いだ形だ。
魔法で体を宙に固定したまま彼女は全体重を剣へかける。
「クッ…!!」
剣での攻撃が効果なしと判断するやいなや、彼女は魔法攻撃に切り替えた。
剣に纏っていた炎が魔族の顔へ向かっていく。
魔族も黙ってやられているだけではない。
空いた右手でニンファドーラを襲った。
ニンファドーラは魔法で勢い良く後方へ移動して躱す。
魔族は空いた左手で顔へ向かって来る炎を跳ね除けた。
しかし、炎は消え去ることなく再び魔族へ襲いかかった。
炎は鳥型になっており、意思を持ったように行動している。
魔族は構わず2人へ向かう。
「お前ら、殺ず!!」
「お前の相手はそいつだ!!」
ニンファドーラの声に反応したのか、鳥型になった炎の口から凄まじい威力の火炎が放射される。
炎はあっという間に魔族を包む。
「体が高温ならその代謝機能を上回る火力で攻撃するだけだ。」
「ウォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!」
魔族は雄叫びを上げ、手に持ったハンマーで炎の鳥をなぎ払った。
炎が再生し切る前に魔族は息を深く吸い込む。
再生した炎の鳥が火炎放射を再開すると、魔族は息吹で対抗した。
暴風と形容した方が良い魔族の息吹は炎の鳥だけでなく、術者のニンファドーラをも襲った。
グウェノグが障壁を展開してニンファドーラを守るも彼女の魔力は限界に到達した。
炎が消え去り、ニンファドーラは崩れ落ちる。
「すまない…。」
「後は我々が引き継ぎます。」
グウェノグはニンファドーラの手を握った。
「必ず応援を引き連れて戻って来る。」
彼女は雄志隊に支えられて戦線を後にした。
「参席!!」
部下の魔導師が言外に障壁が破られたことを知らせた。
「さてと…。
禁術も通じませんでしたか…。
まぁ、でも、彼女は一流の魔導師ではないですからね…。」
「何をゴチャゴチャ喋ってんだ?」
魔族はハンマーを引きづりながら距離を縮めて来る。
「私の魔力では鎧自体に傷さえ付けられない。
弱点と思しき顔への攻撃は防がれてしまう。
つまり、殺すことはできない。
せいぜい足止めが限度…。
足止めさえできれば良いのよね…。」
グウェノグは魔法式を展開した。
「殺ず。」
魔族は横殴りにハンマーを振るう。
グウェノグはハンマーが届く前に魔法を発動した。
瞬間、室内が濃霧に包まれた。
他の魔導師が魔法を発動して霧を部屋から出す。
霧が晴れた室内には氷結した魔族の姿があった。
「このまま氷漬けにします。
全員照準を合わせてください。」
室内の他の魔導師たちが魔族へ魔法式を展開する。
みるみるうちに魔族を氷が覆っていった。
「これでしばらくは大丈夫です。
ここで応援を待ちましょ…。」
魔族を閉じ込めておいた氷がヒビ割れる。
「どうして!?」
音を立てて崩れる氷から魔族の半身が現れる。
「小細工をずるな!!」
右手が自由になった魔族はハンマーで下半身の氷を叩き割った。
魔族の体は完全に自由になった。
「殺ず!!!!!」
彼女に代わって他の魔導師たちが魔法を発動するも、全て効果はなかった。
「叩ぎ潰じでやる!!!」
グウェノグたちには防戦しか選択肢がなかった。
ひたすら障壁を展開して魔族の攻撃を防ぐ。
「ごの!!
ごの!!
ごのぉぉぉ!!!!!」
魔族は怒りに任せてハンマーを振り下ろし続ける。
「参席、何か方法は無いんですか?」
部下の魔導師がグウェノグへ事態打開の策を求める。
「考えられる策はもう施しました。
後はこの迷宮ごと埋めるしか方法はありません。」
「分かりました。
…、それでは君の役割はここまでだ。」
「…え?」
グウェノグへそう言った魔導師は魔法式を魔族の右手へ展開する。
魔法は発動し、魔族の右手を鎧ごと体から切断した。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!
痛ぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」
魔族の叫びなど気に留めず、魔導師はまた魔法式を展開した。
両肩に発動した魔法の影響で魔族は後方へ吹き飛ぶ。
壁に激突した魔族の両肩には鎧を貫通して氷柱が刺さっていた。
魔族は壁に磔にされた格好になっている。
「貴方は一体!?」
グウェノグが部下だと思われていた魔導師へ問いかけた。
「誰でもないさ。
ただの上官だ。」
振り返った魔導師の容姿は彼女の見慣れたものに変わっていた。
「オグデン次席!!!
どうしてここに!?」
「主席に言われて同行した。
君ですら対処できない事態が発生した場合にのみ力を貸すように言われている。」
魔導協会危機管理部次席パイアス・オグデンは自らの存在理由を簡単に説明した。
「あれはどうやって…?」
グウェノグは鎧を貫通させた方法を尋ねた。
「君たちの戦闘を観察した結果、魔法式そのものは拒絶されずに発動された魔法が拒絶されていることが分かった。
ということは、アイツが身に付けている鎧には封魔石が材料として混ぜられていると推測される。
封魔石は一定以上の魔力に晒されると魔力を拒絶できなくなり、ただの石ころと同じになる。
後はあの鎧を貫くだけの威力の魔法を発動させれば良い。
君には封魔石の知識が足りなかったな。
それと、アイツの体温の問題だが、あれは完全に君の実力不足だ。
魔法発動領域の絶対零度状態を保てば解決される。」
言いながらパイアスは魔族へ近づく。
「答えろ。
お前は何者だ?
この穴はどこへ繋がっている?」
パイアスは魔族の前に腰を下ろした。
彼の質問に魔族は痛みに喘ぎながら答える。
「俺は、クロート…。
戦士…。
故郷の、戦士だ…。
ごの穴は、故郷へ続いている…。」
「故郷の戦士か…。
立派だな。
…、冒険者たちを何に使っていた?」
「死操虫の、繁殖…。
そいつは、役に立づ…。
未来への、希望だ…。」
「君たちの未来か…。
我々の未来とは相容れないな。」
「お前ら、邪魔だ…。
俺ら、お前らと戦う…。」
「そうか。
なら我々も徹底的に抗おう。
…、その前に1つ聞きたい。
先ほど言っていた死操虫とは何だ?」
「詳しくは、俺も知らねえ…。
未来への、希望としか…。
お前らを、滅ぼすための、鍵だ…。」
「情報提供感謝する。
こんなにペラペラ喋るとは思わなかった。」
パイアスが腰を上げた時、穴の奥から崩落音が聞こえてきた。
直ぐに土煙が部屋に到達した。
「魔族もバカじゃないようだな。」
「まだ、お前らと、戦うわけには、いがない…。」
「直ぐに仲間も後を追わせてやる。
クウェイグ、よく見ておけ。」
パイアスは魔法を発動した。
クロートは瞬く間に氷漬けになった。
「ここまま芸術品として放置するのも良いが、こんな趣味の悪い作品を求める物好きもいないだろうな。」
パイアスは最後に魔法を発動して氷塊を中身ごと粉微塵にした。
「行くぞ。
報告事項が山積みだ。」
調査団は南部迷宮を後にした。




