第45話〜傍流の一手〜
【シャウラッド コルカソンヌ シャトー・イロンデル】
大君から提携を打ち切られたアルシャンドルは、城から出るなり活動拠点へと戻った。
クリーム色の外壁を持つ洋館の持ち主は幕下の1人であるネヴェス家だ。
ここは彼らの本邸ではないので、今は魔導協会の作戦本部として明け渡している。
アルシャンドルが洋館の中に入ると、1人の女が血相を変えて駆け寄ってきた。
「ゲッティゲンの部隊との交信が復活したわ!!
だけど駐留部隊は壊滅状態!!
ナシメント団長名義で領域封鎖もしくは破壊用の追加戦力を求めてきてる!!」
女は手元の紙を読み上げる。
報告を聞いたアルシャンドルは下を向いた。
「まだ生きていたか…。」
彼の口から出た言葉の内容に女は反応する。
「今すぐに増援を派遣すれば間に合うわ!!
ここに駐留している部隊の一部を送れば領域破壊は可能よ!!」
目の前でヒートアップする女を見ながら彼は冷静に事態の成り行きを考えていた。
「ちょっと、聞いてるの!?」
数秒の沈黙の後、痺れを切らした女が回答を催促した。
アルシャンドルは彼女に対して極めて冷静に回答を述べた。
「釣り合わないんだよ。」
「…、え?」
女は彼の言っている意味が分からなかった。
「良いかい?
ついさっき我々は大君から出しゃ張るなと厳命された。
つまり、自発的な一切の作戦行動は認められなくなった。」
女が理解するまでに若干のタイムラグが生じる。
「それって、仲間を見捨てるってこと…?」
「“仲間”なんて言い方をするから感情論が割り込んでくるんだ。
彼らは仲間なんかじゃない。
ただ所属している組織が同じで、たまたま自分の指揮下に入っている魔導師だ。」
アルシャンドルは言い切った。
「ナシメント団長は協会にとって貴重な人材よ!!」
女も食い下がる。
だが、アルシャンドルは彼女を鼻で笑った。
「僕も彼女の力量は認めよう。
だから団長職を任せた。
しかしだ、他にも彼女と横並びの実力を持つ者を探すのは難しくはない。
換えが効く魔導師1人を助けるために天秤を協会にとって不利益な方に傾けるのか、君は?」
「協会にとって不利益…?」
「ああ、そうだ。
彼女の命と引き換えなのは、我々の干渉権限だ。
この権限を失えば間違いなく我々は撤退だろう。
勘違いしないでもらいたいが、それでこの国がどうなろうと知ったことじゃない。
僕が気にしているのは帝国皇女だ。
あの嬢ちゃんの存在は大きな意味を持つ。
帝国が何らかの意図でこの件に興味を持っているという紛れもない証拠だ。
吸血鬼に興味があるのか、他の何かなのかは分からない。
でも1つ断言できる。
ここで我々が引いたら間違いなく帝国が干渉してくる。
既に大君は皇女に気を許している様子だったから皇帝の思惑は上手く運んでいるようだ。
異世界からの侵略者が登場したことでこの世界の勢力図は大きく変わっている。
今回の事件と言い、秩序が崩壊し始めているんだ。
我々は超国家的組織としてこの世界の秩序を保たなければならない。
そのためには危機管理部主席としてここで軽率な行動は選択できない。」
「でも…。」
「諄い!!
最上官の決定に異論を唱える権利があるのか?
…、無いなら失礼するよ。」
アルシャンドルが執務室に消えるまで、遂に彼女が口を開くことはなかった。
【シャウラッド コルカソンヌ 二区 シウバ本邸】
魔導協会との提携を破棄した今、大君はカテリーナ(帝国)を頼りに事態収拾へ向けて改めて動き出した。
と言っても、ほとんど実務はカテリーナ達に丸投げした形だが…。
「何か発見はあったか?」
シウバ本邸に戻ってきたカテリーナは、残って調査を行わせていたエヴァノラの元に行った。
「吸血鬼は下から侵入したと考えられます。」
エヴァノラは地面を指差した。
「妾に分かるように説明してくれ。」
アルシャンドルも同じことを言っていたが、今でもカテリーナはその理由が分からないでいた。
彼女はエヴァノラにその答えを求めた。
「この屋敷に施されている結界は刻印を起点に平面的に効力を発揮するものでした。
今回のように建物を防護する場合、通常は壁と屋根に起点の刻印を行えば目的は果たされます。
張る結界の種類にもよりますが、一般的に結界というのは効力を及ぼしたい領域が広ければそれに応じて術式発動の
起点となる刻印もある程度の数が必要になりますが、当然この屋敷は十分すぎるほどの数が刻印されていました。
結界を力技で破った痕跡もありませんでした。
可能性として痕跡を残さずにすり抜けたということも考えられますが、この量の結界を痕跡も無しに通過するのは考
えられません。
とすると現実的に最も考えられるのは、結界に覆われていない地面からの侵入です。」
エヴァノラの説明を受け、侵入場所を推理した過程は理解できたカテリーナだったが、
「どうやって地下から侵入した?
穴でも掘ったのか?」
侵入方法は分からなかった。
「問題はそこです。
穴が掘られた形跡が無いのことを考えると…。」
エヴァノラが言い淀む。
「なんだ?」
先を急かすカテリーナ。
「穴を埋め戻したというのは考え難いです。
そうすると残るのは…、透過能力かと…。」
エヴァノラの語尾がしぼんでいった。
無理はない。
その場にいた一同がエヴァノラの見立てを簡単には受け入れられなかった。
「透過だと?」
『そんなバカな!』とフィアンツは言外に言った。
オリヴィアも きょとんとした顔をしている。
「全否定する気はないが、透過というのはだな…。」
カテリーナも少々困惑していた。
「今はそれ以外に現実的に考えられないんだな?」
しかし、彼女はエヴァノラへ確認の意味合いで尋ねる。
「はい。」
エヴァノラはカテリーナの問いに肯定した。
「分かった。
地面にも刻印を施すんだ。
合わせて吸血鬼どもと市街戦になった場合に備えての拠点構築を急がせろ。」
これは自身の連れだけに対する命令ではなかった。
「二区内は非戦闘員の避難を行なっていて、三区も避難場所と戦闘拠点の構築に取り掛かってる。」
カテリーナの命令を聞いた上で、大君の側を離れられないフェリクスに代わり、衞君士における事実上の現場トップであるポンテスが現状報告を行った。
「できるだけ急がせるんだ。
組合の方はどうなっている?」
「新規の依頼受注は停止、冒険者達は本部内に滞在させています。」
フィアンツが述べた。
「よし。
既に日は没している。
各自単独行動は控え、臨戦体制を維持するんだ。」
【シャウラッド コルカソンヌ 三区 冒険組合本部】
一連の対吸血鬼政策によって、シャウラッド内の冒険組合は機能停止を余儀なくされていた。
「いつまでこの街にいなくちゃなんねぇんだよ!!」
「せめて依頼を受けさせろ!!」
「俺らも我慢の限界だ!!」
国はおろか街からも出ることができなくなった冒険者達のストレスはピークだった。
依頼の受注でもできるのならまだ状況は違っていただろうが、現状はそれも叶わなかった。
「大変申し訳ございません。
城門の修理が完了次第、衞君士より連絡がある筈ですのでもうしばらくお待ちください。」
組合職員は窓口に詰め寄った冒険者達に平謝りを繰り返す。
幅30m程度の窓口エリアに設置された他の窓口にも大勢の冒険者達が詰めかけていた。
シャウラッドにはこの本部も含め、組合の建物は2箇所しかない。
大抵の冒険者達は国境付近のシパームにある出張所を利用するのだが、少しでも腕に自信がある冒険者は首都にある組合本部まで足を延ばす。
理由は単純、金になる案件が本部の方が多いからだ。
シャウラッド南部に広がる迷宮での依頼ならば、最低報酬でも数日は豪遊できる額が手に入る。
都市間の移動が禁止された時も、本部にはこうして一攫千金を夢見た冒険者が大勢集っていた。
「そんなんで納得できるかよ!!」
そう言って窓口に詰め掛けていた男は正面扉へと向かった。
「お客様!!」
組合職員が男の行動を予測して制止の声を上げる。
「クソがぁぁ!!!」
男は扉を蹴破ろうとした。
だが、足が扉に接触する寸前で男は体ごと後ろへ飛ばされた。
先ほどまでの喧騒とは打って変わって場が一瞬で静まる。
「組合員である皆様には当組合の規則を遵守していただくことを書面にてお約束いただいている筈です。
現在、当組合はシャウラッド政府の要請に従ってここを組合員の待機場所として提供しております。
シャウラッド政府との取り決めで、現在、組合員が利用できるのは当施設だけとなっているため、皆様にはご不便を
おかけ致しますが何卒ご理解とご協力をお願い致します。
万が一こちらの指示に従っていただけない場合は組合規則に則り除名処分とさせていただきますのでご了承くださ
い。」
濃紺のシャルワニに身を包んだ長身の男が丁寧に頭を下げた。
無論、先ほどの魔法はこの男が発動したものである。
「ご不便をおかけしているお詫びと言うのも心苦しいですが、地下と2階にあるラウンジをそれぞれ無料開放致しまし
たのでご自由におくつろぎください。」
この一言は冒険者たちに効いた。
彼らはぞろぞろとそれぞれのラウンジへと移動して行く。
先ほどの男もちゃっかりラウンジへと姿を消して行った。
【冒険組合本部 議事室】
階下の喧騒とは対照的に、こちらは張り詰めた空気が満ちていた。
薄明かりの中、正三角形の大きな机に向かう男女が9名。
各員が浮かべる表情は明るくはなかった。
「帰還していないパーティはいくつだ?」
三角形の底辺の中央に座る男ー 冒険組合長ヘルゴンザ・シックネス ーが尋ねる。
「依頼管理部の話だと7組、計50名が帰還していないそうです。」
ヘルゴンザの後ろに控えている者から声が発せられた。
「南部迷宮に行った者たち全員が未帰還か…。」
別の男が溜息とともに漏らす。
「政府には報告したのか?」
「まだだ。」
女の問いにヘルゴンザが答える。
「調査隊は派遣するのか?」
ヘルゴンザの右隣に座る老父が葉巻を吹かしながら言う。
「組合としては派遣するつもりでいますが、現状を総合的に考えると調査団規模になるかと。」
彼の返事に、そうかと短く答え、老父はまた葉巻を吹かした。
「調査団規模と言ったが、どこから人を集める気だ?
まさか、使えない組合員を動員する気じゃないだろうな?」
老父の吐いた煙に顔を顰めながら若輩がヘルゴンザへと質す。
若干の間の後、
「魔導協会の人員を使おうと考えている。
大君の機嫌を損ねた彼らにも悪い話じゃないだろう。」
「魔導協会が拒絶したら?」
ヘルゴンザの左隣に座る女が彼の顔を覗き込む。
「大君に事実を言って幕下の協力を頼む。」
「宜しい。
これは委員会の認可を受けた案件だ。
速やかに着手しろ。
だが、下の馬鹿どもには勘付かせるな。」
老父が吸いかけの葉巻を掌に押し当てながらヘルゴンザに命ずる。
葉巻が完全に燃え尽きたのを確認すると老父は席を立った。
残りの7人も次々と席を立って議事室を後にする。
「下はどうなってる?」
ヘルゴンザが後ろに控えている部下に尋ねる。
「支配人が上手く対応しています。
現在は、地下と2階それぞれのラウンジで騒いでいるかと。」
暗がりから女性のエルフが姿を現す。
ヘルゴンザは彼女の方へと体を向けて言う。
「こんな時間に悪いが、直ぐに協会の責任者…、アルシャンドルだったか。
彼に書簡を届けてくれ。」
「分かりました。
お返事は?」
「一刻の猶予も無い。
その場で決めてもらう。」
ヘルゴンザのリクエストに彼女は一礼して足早に部屋を後にした。
【シャウラッド コルカソンヌ 二区 シャトー・イロンデル】
時刻は既に日付をまたぎ、深夜から朝方に変わろうとしていた。
だが、カテリーナの指示で衞君士らや幕下の配下が動き回っているため、二区に限って言えば昼間よりも人通りが多い。
特に隠れる必要もないため、彼女ー ニンファドーラ・ホップカーク ーは歩調だけ速めに目的地へと向かった。
途中、数人の衞君士が彼女へ声をかけようとするも、彼女の纏っている服を認めその必要はないと知る。
赤い詰襟に黒のマント。
この街の人間なら誰もが彼女の素性を知っている。
冒険組合長の右腕であり、組合本部の隷下部隊である雄志隊を率いる強者だ。
「急ぎの案件だ。
組合長からアルシャンドル氏宛の書簡を持ってきた。」
彼女は目的地に着くなり門番に書簡を突き出した。
受け取るのを躊躇った門番に対して彼女は続けざまに言葉を発する。
「一刻を争う。
直ぐにアルシャンドル氏へ手渡してくれ。」
「…、お待ちを。」
2人の門番のうち書簡を受け取った片方が中へ姿を消す。
中から人が出てきたのは彼女がたっぷり100数えた後だった。
アルシャンドルは相変わらず仮面を付けていた。
彼は目配せで門番に門を開けさせる。
ニンファドーラは門が開くのと同時にアルシャンドルへ近づく、なんてことはせずにその場で姿勢を正す。
「お待たせして申し訳ない。
…、読ませてもらったよ。」
ニンファドーラは続きを催促せずに彼から次の言葉が出てくるのを待った。
「協力しよう。」
彼はニンファドーラへ左手を差し出す。
彼女は彼の手を握り返す。
「ただし、我々の協力体制は非公式なものだ。
作戦行動中に何があっても互いに必要以上の干渉は無しだ。
言っている意味は分かるな?」
ニンファドーラはしっかりと頷いた。
「それじゃあ決まりだ。
日の出とともに本作戦を発動する。」
彼は手の中にあった書簡を燃やした。
「指揮官は君だろ?
こちらからも女性を出すよ。
お互い仲良くな。」
アルシャンドルは手をヒラヒラさせながら中へ消えて行った。
【帝国 ブニーク 国防軍前線基地】
夜明けまであと1時間。
だが、前線基地には時間なんて関係ないのである。
「敵の進軍速度からするとETAは今夜中かと。」
佃は上坂の報告を聞いて目頭をマッサージする。
「海上の方はどうなっている?」
「恐らく敵勢力です。
敵の作戦は陸海空統合作戦と考えた方が良いでしょう。」
「海上の勢力は確実に敵だと判明次第撃沈しろ。
念のためサビキアにいる井上君達に問い合わせてくれないか?
サビキア国の了解も得ておきたい。」
「直ちに。」
上坂はまだ退出しない。
佃もそれを承知している。
「それと赤城にはそのまま現状維持を通達しろ。」
「分かりました。」
今度は退出しようとした上坂。
しかし、佃は彼を引き止めた。
「…、敵が市街地を確保する前に我々が市街地を確保する。
総員に第二種動員を発令。
本時から我がパンゲア派遣隊は帝国軍との間に準戦時体制に入る。」
「…、畏まりました。」
「どうせ向かってくるんだ。
相手の作戦を少しでも狂わせてやろう。」
老齢の将軍の顔には実に悪い笑みが浮かんでいた。




