第39話〜会談〜
【シャウラッド シオン城 塊茎廊】
龍郎達がトエリテスを出発してから少し経った頃、遠いシャウラッドでは首脳格の会談が始まろうとしていた。
仮面の男に叩き起こされて初めは不機嫌だったカテリーナも、連れて行かれる先が 日出蘭の間―通称、表広間―である事が告げられると、直ぐに意識を公人へと切り替えた。
「要件を申せ。」
大君の護衛係である“衞君士”が2人―仮面男とカテリーナ―に尋ねる。
「“花君”に“御目通願”を奉じた帝国皇女カテリーナ・ルマエル・ゲルト殿下をお連れした。」
仮面男がそういうと扉の前に立つ2人の衞君士が脇に退く。
「貴女の願いは聞き入れられた。
黒書院に進み、“御側御用人”へ取次げ。」
「どうもありがとう。」
仮面男は扉を開け、奥へと進んだ。
カテリーナも続く。
扉を抜けた先は書斎だった。
室内の壁は本棚になっており、様々な書物が収納されていた。
部屋の中には他に、両手を広げたよりも幅広の机があるのみだった。
机には書類が山積みされている。
その内の1枚に目を通している男が1人。
「おはようございます、バローゾ公爵。」
仮面男がバローゾへ声を掛ける。
だが、バローゾは何の反応も示さない。
彼が口を開いたのは衞君士が扉を閉めた後だった。
「ったく、朝っぱらから迷惑な話ですね。」
バローゾは目だけを2人へ向けた。
「花君はお忙しい身なんです。
今回は特例ですからね。」
そういうとバローゾは御目通願に捺印した。
「殿中席へ。」
バローゾは横壁の扉を指差す。
2人は黙礼して黒書院を後にした。
名前こそ殿中席だが、そこは部屋だった。
「この先が日出蘭の間です。」
部屋に入るなり仮面男がカテリーナへと告げる。
「ここでは衞君士の指示に従ってください。
その方が面倒事が減ります。」
カテリーナは頷いた。
「お客人、花君は2人だけの会談を望まれている。
悪いが貴君にはここで待機してもらう。」
2人に近づいてきた衞君士は言った。
「仕方ありませんね。」
そう言うと、仮面男は近くにあった席に腰を落ち着けた。
それを見届け、衞君士はカテリーナの方を向く。
「準備は出来ているか?」
叩き起こされて連れてこられたのだ。
準備も何もあったもんじゃない。
「大丈夫だ。」
ぶっきらぼうにカテリーナは短く答える。
「では、参ろう。」
衞君士が奥の扉へと歩き出す。
その後をカテリーナが追う。
「花君はこの先においでだ。
自身の肩書きを過信して粗相のないようにな。
ここでは貴女の肩書きは私のと同程度だ。」
身長差の関係で衞君士はカテリーナを見下ろす形だ。
だが、この男は彼女への敬意という点でも最低限の物しか払っていなかった。
カテリーナでなくともそれは感じられただろう。
「大君を待たせるな。
早く扉を開けい。」
公人の気品としては合格点を下回るが、カテリーナは毅然とした態度で衞君士に命じた。
「…、花君に御目通である!!
扉を開け!!」
彼女の態度が面白くなかったのか、少しの間があったが、表情と態度を変えなかった点で彼の方が公人としての力量はあると言える。
「行ってらっしゃい。」
扉が開き始めると、仮面男は手をヒラヒラと振ってカテリーナを送り出した。
「付いて来い。」
扉の先には壁があった。
厳密に言うと、右に伸びる廊下があった。
扉を開けて直ぐに大君の姿が見えては不味いのだろう。
カテリーナは3m程の廊下を歩く。
ちょうど廊下の端まで来た所で殿中席とを隔てる扉が閉まった。
衞君士が立ち止まる。
2人が今いる場所は廊下の左折部分の手前だった。
左に曲がった廊下の先がどうなっているのか見当もつかない。
「帝国皇女カテリーナ・ルマエル・ゲルト殿下をお連れ致しました!!」
衞君士が鋭く声を発する。
数秒の沈黙。
「通せ。」
女性の声で短く返答があった。
衞君士が顎でカテリーナへ『行け。』と指示する。
カテリーナは一歩踏み出し、左を向く。
左右5体ずつの甲冑に挟まれた玉座に女性が収まっている。
あの甲冑は調度品だろうか?
だとしたら室内にいるのは彼女だけだ。
彼女の後ろにあるステンドグラスから差し込む朝日が室内に輝きをもたらしている。
「帝国皇女よ、君は上之座だ。」
彼女が指差したのは階段状になった御目通場所の3段目。
大君は4段目にいるので、御目通場所では彼女に一番近い。
3段目に移動したカテリーナは先程より大君の顔をよく観察する事が出来た。
年齢は分からないが、五十路過ぎの自分の母親よりも綺麗な肌だ。
顔は同性のカテリーナも見惚れてしまう程の美形であった。
「堅苦しい社交辞令は嫌いだ。
余に話があると聞いたが?」
「…、帝国皇帝マラト・アウストル・ゲルトが貴国との同盟を望んでいます。」
言われた通り、カテリーナは本題を突きつけた。
「何故だ?」
カテリーナの提案に大君は直ぐに疑問を投げかける。
「今、帝国は敵の侵略を受けています。
戦線は現在 膠着状態ですが、もし諸外国が敵勢力と同盟した場合、帝国の敗色は濃厚となるでしょう。
帝国が敵勢力に屈する時、それは既存の世界体制が崩れ去る時です。
世界は再び戦乱の世に逆戻りし、尊い命が多数犠牲になる。
皇帝はその点を危惧しています。」
カテリーナはそこで話を切る。
大君の様子を伺うためだ。
彼女は目線を下にし、潜考しているように見えた。
「続けろ。」
目線を戻す事はなかったが、彼女はカテリーナに話の続きを促した。
「我々は仮想敵国にサビキア王国、イェンシダス共和国、エリナス連邦王国を挙げています。
この3カ国は俗に“パンゲアの背骨”と言われている通り、
パンゲア大陸の中心に位置し、戦略上優位を確保しています。
そして我々にとっては不運な事に、この3カ国は自国の優位性を理解しています。
サビキアとイェンシダスはお互いに友好的な隣国としての関係を長年に渡って構築しており、
イェンシダスとエリナスにおいては湲惠同盟が締結されました。
この同盟は我が隣国であるカイロキシア専制王国に対峙するための軍事同盟です!!
まだ戦争こそ始まっていませんが、それが起こるのは時間の問題となりました。
世界体制を維持するには我々も勢力均衡策を採るしか道は無いのです!!」
思いの外気持ちが高ぶってしまったカテリーナは息継ぎのため間を取った。
だが、その間を突いて大君が口を開く。
「余を前にしてそれだけ演説出来れば十分だ。
それは認めよう。
だが、余は不介入方針を採用している。
現状、それを捨ててまで帝国と同盟関係になる利点が無いように思える。
それこそ、帝国が以前のように世界秩序の担い手であった頃ならば考えもしただろう。
しかし、君が自分で言ったように、帝国はその座を譲りつつある。
そんな国と手を組む利点は何だ?」
カテリーナには反論出来る策がなかった。
「何も無いだろう?」
大君のこの言葉には『これで話は終わりだ。』という意味が含まれていた。
「こんな辺境の都市へ帝都からご足労済まなかった。
君から皇帝に謝辞を伝えておいてくれ。」
「…、言い忘れていた事があります。」
「何だ?」
「『帝国は貴国が“今”抱えている問題を解決するための力添えを惜しまない。』と皇帝が申していました。」
『困った時にはこう言え。』と皇帝に言われていたカテリーナ。
本当は言いたくなかったが、このままでは粘る暇も無く国外退去させられそうだったので止む無く発言。
しかし、これはカテリーナが思った以上に効果があったようだ。
微かにだが、大君の表彰が強張った気がカテリーナにはした。
「“今”起こっている事、だと?」
だが、本当に瞬き1回だけで彼女の表情の違和感は無くなった。
先の一瞬ではカテリーナが忖度する立場になり得たが、今はまたカテリーナが忖度される側になった。
「どう言う意味だ?」
「分かりかねます。
そのまま伝えろと言われただけですので。」
彼女は再び目線を下にやった。
「君の連れに魔導師がいるそうだね。」
「はい。」
「その娘、アルシャンドルの坊やの話を聞く限りだと実力はあるそうだね。」
「帝国が誇る魔導師の1人だと言っても過言ではないかと。」
カテリーナのエヴァノラへの評価を聞くと、大君はまた口を閉ざした。
結果的に、この沈黙が今回の会談で最長だった。
時間にして4、5分後。
大君は目線をカテリーナの目に合わせ、言葉を発した。
「同盟の件はこの場での回答は控える。」
食い下がろうとしたが、大君の口の動きから続きがある事を察したカテリーナは相槌も打たず聞き役に徹した。
「回答は余の都合で行う。
代わりに、それまではコルカソンヌ滞在を許可しよう。」
勝負はお預けとなった。
この場で明確に同盟拒否を示されなかっただけ、カテリーナは良しとした。
「一先ず、部屋に戻るんだ。
今後の予定は追って指示する。
…、恐らく、連れの者達も同伴してもらう事になる。」
「伝えておきます。」
カテリーナは大君の言わんとしている事をしっかりと理解した。
「話は終わりだ。」
大君の声と共に扉の開く音が聞こえた。
「下がれ。」
カテリーナは最後に深々と礼をして殿中席へと戻って行った。




