第32話〜束の間の帰還〜
【帝国 ブニーク沖】
「お休みのところ申し訳ありません。
間も無く到着です。」
貝原さんの声で目が覚めた。
セシル先生はまだスースーと寝息を立てていた。
「先生、起きてください。」
「うーーん…。どうしたんですかぁ?」
「もうすぐ到着です。」
窓から覗く景色はまだ暗い。
しかし、夜明け前の柔らかな薄暗さではなく、パンチの効いた赤暗さだった。
窓の外を確認して直感する。
あれか…。
海上にそびえ立つ魔法陣。
あれが全ての元凶だ。
「着艦後、皆様には艦内の会議室でお過ごしいただきます。
当機の離陸が確認され次第、船は直ぐに出航致しますのでご了承ください。」
僕以外の現地にいる日本人は見慣れているのか、特に魔法陣を意識している様子はない。
「こっちと日本の時差は平均6〜7時間ある。
よく分からんが時差の変動が確認されているから正確な時間は不明だ。
現在 日本は午前10時過ぎだと思う。
政府のお偉いさん達と昼前には会う約束になっているから休憩時間は1時間切ってる。
疲れてるところ申し訳ないが我慢してくれ。」
井上さんが資料と時計を見比べながら説明する。
「本来なら、この世界を出る前にメディカルチェックを受けるべきなんだが、
君達の様子を見ていると大丈夫そうだから今回は特例で免除されている。
それだけ事態は急を要する。言ってる意味分かるな?」
姫様と付き人は日本語が理解できないので頷いたのは僕とセシル先生だけだ。
「高度を下げます。」
外を見ると大きな船が何隻か見えた。
一隻は多分、“いずも”か“かが”だ。
真下にあるのが海保の巡視船で、奥に海軍の船が見える。
機体が甲板に着いた感触が尻から伝わる。
「ハッチを開けます。」
開いたハッチからは海保の職員の顔が覗く。
「1人ずつ出てください。」
甲板に降り立つと船内に誘導される。
最後に井上さんが会議室にやってきてから少し経つと船が動き出した。
「30分としないうちに日本に着くぞ。」
「この距離ですもんね。」
船内アナウンスで魔法陣通過態勢に移行すると知らされたのは15分後だった。
外には出られないため、室内の小さな窓から様子を伺う。
さっきオスプレイの中から外を見たときよりも当然赤い光が強く感じられる。
「魔法陣通過開始。」
徐々に室内に入り込む光の強さが増していく。
「目を閉じた方が良いぞ。」
井上さんが眩しそうにして言う。
確かに、もう目を開けているのは限界だ。
「もうすぐしたら一瞬だけ光が強まる。
今のうちに目を閉じとけ。」
セシル先生と僕は目を閉じた。
姫様達はもう一方の窓から見ていたので様子は分からなかった。
井上さんの言う通り、光が瞬間的に更に強くなった。
目を閉じていても分かる程だ。
「もう良いぞ。」
恐る恐る目を開ける。
小さな窓の向こうには、見慣れた景色が広がっていた。
「魔法陣通過完了、各自状況報告。」
スピーカーから聞こえる言葉は聞き逃さなかった。
「戻ってきた…。」
「タツロー?」
自然と涙がこぼれた。
セシル先生が見ていても御構い無しに涙が流れてくる。
「どうする、甲板に出るか?」
井上さんの提案に従って外に出る。
悲しいかな、転移前の景色とは多少違っていた。
陸地がどんどん近づいてくる。
そして船が停まった。
「こっちだ。」
出迎えた国防軍や海保、役人らしき面々に軽く会釈しつつ井上さんの後に続く。
「ここは君も知っているかな?」
「海保の基地ですよね。
展示されてる不審船を見に来たことがあります。」
「今日はこっちから入るぞ。」
僕らは正面入り口からではなく、海側へ少しだけ歩いた裏口から入った。
金属探知機が設置された警備ゲートを抜けるとエレベーターが1機だけあった。
「正面からだとセキュリティチェックがいくつもあるんだよ。
ショートカット、ショートカット。」
出迎え含め、さすがに1回じゃ乗り切れないので僕らが先に乗り込む。
エレベーターが上がっていく。
「この箱、動いていますよ、姫!!」
口に出したのは御付きの女の子だけだったが、セシル先生もビックリしてたし、姫様もビックリしてんだろうなぁ。
エレベーターを降りると、女性が待っていた。
「龍郎君は私と来てもらいます。」
「僕だけですか?」
「はい。
井上君、後の方達をご案内して。」
「分かりました。」
ゾロゾロと別室に向かう井上さん達を見送ってから僕らは廊下の反対へと進んだ。
「外務省の木戸と言います。
帰国して早々ですが、辰巳大臣が君とお会いしたいそうです。」
「辰巳大臣って、防衛大臣の?」
「そうよ。」
「ワオ。」
目的の部屋には直ぐに辿り着いた。
部屋の前には“応接室1”と書かれている。
「準備は良い?」
言葉が出ず、軽く頷く。
「失礼します。」
ニュースで見た顔の持ち主が目の前に座っていた。
「よく帰ったな。
ご苦労さん。」
辰巳は短く労をねぎらった。
木戸に勧められて大臣の目の前に腰掛ける。
幸い?格好は向こうの礼服だったから服装的には問題ないだろう。
元々着ていた服は帝国に置いて来てしまった。
「それで、向こうはどうだった?」
「楽しかったですよ。」
「楽しいか…。
それは何よりだ。
…それじゃあ、変わった質問をしよう。
もし我が国が向こうの世界と戦った時、我が国が気をつけなければならない事は何だ?」
やっぱ聞きたい事はそれか…。
「何よりもまずは魔法です。」
「魔法使いとは既に交戦している。
確かに手強かったが我が軍の敗北を考えねばならない程ではなかったぞ。」
「それは間違いです。
僕が出会った魔導師達はまさに超人でした。
中にはそれこそ1人で軍隊に相当すると思える人もいます。」
「そうか。
彼らに対する対抗策は何か考えつくか?」
「魔法の仕組みが分からないので魔法の使用そのものを防ぐ手段は分かりません。
なので対象魔導師が防ぎきれない程の火力で攻撃するという方法しか思いつきません。」
「分かった。
こちらで捕虜にした魔法使い…、
魔導師だったな、は“ツチ”というものが魔法発動のプロセスに関係があるような事を言っていた。
“ツチ”という言葉を聞いた事は?」
「ありません。」
「魔法について君が知っている事を全て教えてくれるか?」
言われた通り、僕は辰巳大臣に知ってる全てを話した。
「魔法の学校ねぇ…。
我が国からも派遣したいもんだが、セシル君の言う通りだとこちらの住人は魔法が使えないのか…。」
辰巳大臣は腕組みをして天井を見上げていた。
「セシル君に合わせたい人がいる。
君も同席して欲しい。」
「あ、はい。
分かりました。」
「木戸、セシル君は?」
「サビキア国要人の通訳として同席してもらっています。」
「切り上げてこっちに寄越してくれ。
申し訳ないが、こちらの方が大事だ。」
「手配します。」
「それじゃ、我々は一足先に行こうか。」
「え、あ、はい。」
部屋を後にする辰巳大臣を追いかける。
【新港基地 病棟】
老師とその弟子は熱い抱擁を交わした。
弟子の頬には、感動のあまり一筋の涙が伝っていた。
「無事で良かった。」
「お主こそ無事で何よりじゃ。」
「老師、お加減は?」
「魔法が使えない事以外は何も変わらんよ。」
「老師もですか…。」
2人がいる部屋のドアが開く。
「感動の再会は済んだかな?」
「またお前か。」
「毎度毎度そうカリカリするなよ。
しょうがないだろ、俺がお前の担当なんだから。」
「ヴィークやめんか。
それで、何用じゃ?
真淵殿だったかの?」
「こちらの方々が貴方達に話があるそうで。」
そう言って姿を見せたのは辰巳と龍郎、そしてセシルだった。
「え!?」
部屋に入るやいなや、セシルが分かりやすいリアクションをする。
「老師!!
どうしてここに!?」
「ああ、待て待て。
お主は確か…、ミネルバの…。」
「セシル・ザバニヤ・オルコットです。」
「あの娘さんか。
お主こそどうしてここに?」
「この方達に協力しているんです。」
「積もる話があるだろうが我々には時間がない。
それに2人が顔見知りなら老師を世田谷から連れて来た甲斐があった。」
辰巳が会話を中断させる。
「単刀直入に聞く。
魔法とは何だ?
どのように発動する?」
「タダで話せとは言わぬじゃろう?」
「元の世界に戻す訳にはいかないが、今よりも行動の自由を与えよう。」
「他の門徒達とも合わせてくれぬか?」
「良いだろう。」
老師は居住まいを正すと、重く口を開いた。
「…、まずは“ツチ”について話そう。」
龍郎と辰巳は目を合わせた。
「ツチとは世の万物に働きかける事が出来る精霊の一種じゃ。
ツチは目には見えず、その存在を確かに感じる事も容易ではない。
魔法とはツチの使役に過ぎぬ。
呪文、術式と呼ばれる物はツチの使役文句じゃ。」
「ちょっと待ってくれ。
不確かな存在なのに そう言い切れるのか?」
辰巳が疑問を唱えた。
「古の時代から我々はそう伝え聞き、教えられている。
学界ではツチの存在について異論を唱える者もいるが、儂はこの説を信じておる。
話を続けても良いかの?」
「ああ。
済まない。」
「魔法には無数の“属性”が存在する。
火・水・土・風・医・時間・空間・光・闇…。
挙げればキリがない。
そして、魔導師には適性がある。
自分がどの属性に適性があるのかは“基本魔法”の詠唱によって初めて明らかになる。
その属性においてツチは使役できるのか?
仮に出来たとして、そのツチはどれだけ事象改変能力を持つのか?
全ての魔法の基本でありながら、魔導師としての一生の能力を決める最も謎の多い魔法じゃ。」
「その基本魔法の出来映えで能力が決まると言っても、日々の鍛錬によって磨く事は出来るんですよね?」
龍郎が尋ねる。
「勿論じゃ。
確かに越えられぬ壁はあるが、自身の能力に胡座をかく者は下位の能力者に敗れるじゃろう。」
「魔導師を殺さずに魔法の行使を封じる方法はあるのか?」
辰巳の言葉をセシルが伝えると、ヴィークが声を荒げた。
「なんだと!?」
「落ち着け。
…、魔道具や術式刻印等を使えば方法はある。
じゃが、危険が高すぎる。」
「どういう意味だ?」
「相手の魔力を封じ込めるには、封じ込めたい魔力量の倍以上の魔力を必要とする。」
「ちょ、ちょっと待て。
魔力ってのは何だ?」
「今までの説明を踏まえて簡単に言うとツチを使役するための力じゃ。
我々の世界で生まれた万物には程度の差こそあれ“魔力”が宿っている。
魔力が宿るから生きているとも言えるな。
勘違いをしている者も多いが、本来、魔導師というのはその魔力を操る者を言う。
彼らは万物に宿った魔力とだけ向き合った。
魔力を知覚し、学び、御した。
それが最初の魔導師だった。
魔力によってツチを使役し、より強力にこの世の事象に手を加え始めたのはつい数百年前からじゃよ。
…、話が逸れてしまったのう。
相手の魔力を封じるには封じる量と同じ魔力を媒介物に注がねばならぬ。
少なすぎてもダメ、多すぎても相手を殺してしまう。
つまり、相手の魔力を封じるには何よりもまず相手の魔力量を把握する必要がある。
言っておくが、魔力量を計測する道具なんて無いぞ。」
「じゃあどうやって把握するんだ?」
「感覚じゃよ。」
「はあ!?
アンタは分かるのかよ?」
「正確には不可能だ。」
「アンタの弟子も出来るのか?」
「無理だ。」
ヴィークは首を横に振った。
「魔導師の能力指標である“等級”で言えば、超級の域に達していないとまず無理じゃよ。
まぁ、超級だからと言って全員が知覚出来る訳でも無いがのう。
ああ、そうだ。
魔力を注ぎ込むと言うのは ちと特殊な使い方でな、注いだ分の魔力は回復せんから注意が必要じゃ。」
「1人の相手に複数人で魔力を注ぐのはダメなんですか?」
「鋭い指摘だが、残念じゃな、少年。
魔力には“相”と言うのがあってな、厳密に言えば全て違うんじゃよ。
少し突っ込んだ話になるが問題ないかの?」
老師はお茶目な笑顔を見せた。
「お願いします。」
「魔力を“注ぐ”と言うのは、ただ魔力で事象に“干渉”するのとは違って“相純度”が結果に直結する。
事象干渉の場合は術者が複数人でも、同じ内容の干渉を行えば“干渉力”が蓄積されるから問題はない。
じゃが、“注入”の場合には、具体的に言えば同一相しか受け付けない。
つまり、同一人物の魔力でなくてはならんのじゃ。」
「要するに、魔導師の生け捕りは困難って事だな。」
「困難ではない、不可能じゃ。
儂を含め、今の魔導師は魔力そのものを操る能力は磨いておらん。
いや、磨くどころか知らぬ。
術式を見て、唱え、“ツチの使役”を訓練しているに過ぎない。
全く恥ずかしい限りじゃよ。」
「ツチの使役には魔力を使うんですよね?
だったらほんの少しは理解出来るんじゃないですか?」
「悲しい事に自分から魔力を使っているんじゃない。
感覚的にはツチに魔力を使われているんじゃ。」
「これは魔導師じゃないと分からない感覚ですね。
魔法を発動すると、スゥっと何かが抜けていく感覚がするんです。」
セシルが龍郎に説明する。
「術式を発動するとツチが使役の見返りとして魔力をいただいていく。
詳しい仕組みは分からないが、魔法を行使した事による魔力消費は時間が経てば回復するんじゃよ。」
「魔力を操れないにしては詳しいな。」
「知識として知っているだけじゃ。
少しだけ学がある魔導師なら誰でも知っておるよ。」
「もう十分だ。
約束通り、今後はもう少し自由になる。」
辰巳は老師の返事を聞かずに部屋を後にした。
「龍郎君、お昼過ぎには総理がお見えになるから、それまでにはさっきの応接室に戻ってくださいね。」
木戸は辰巳の後を追いかけて行った。
「さて、僕も外にいるから終わったら声かけてね。」
真淵が退出すると、室内にいる者の視線は龍郎に集中した。
「会うのは2回目じゃが、話すのは初めてじゃな。
グリンダじゃ。
名前で呼ばれるのには慣れてなくての、老師と呼んでくれ。」
そう言って老師は手を差し出した。
「蘭 龍郎です。」
龍郎も手を握り返す。
「会うのが2回目と仰いましたが…。」
「最初は お主がこの世界へ来た時じゃ。
お主の胸中も察するが、儂らもあの後は大変でな。
今はこの世界におる。」
「まさか、また老師にお会いする事があるとは思いませんでした。」
「儂はそうは思わなかったぞ。
彼女の弟子となれば、若い内は一箇所に留まる事を良しとせんじゃろう。」
「あの、老師、この女性は一体?」
「この娘は、“稀代の閨秀”ミネルバ・ハディントンの愛弟子じゃよ。」
それを聞いたヴィークの表情が一瞬で変わった。
「彼女に弟子が!?」
「驚くのも無理はない。
儂が知る限り、彼女が弟子として手元に置いたのはこの娘だけじゃ。」
ヴィークのセシルに対する態度が敬意へと変わった。
「老師の元で学んでいる。
ヴィーク・ベアボーンだ。」
「初めまして。
セシル・ザバニヤ・オルコットです。」
「自己紹介は済んだな。
タツローや、お主には聞きたい事が幾つもある。
じゃが、お主には時間が無いと見受ける。
次に会う時までお預けじゃな。」
龍郎は黙って頭を下げた。
「タツロー、私はもう少しここにいますね。」
「伝えておきます。」
笑顔でセシルに答え、龍郎は本部ビルへと向かった。




