第1話〜3日後〜
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【日本 東京 永田町】
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あの夜から3日が経過した。
現在、横浜の新港地区は特別区域に指定され、人の出入りが厳重に規制・監視されている。
区域内の上空・海も侵入禁止となり、24時間体制で国防軍のドローンと海保の巡視船が目を光らせている。
「……従って、日本政府は外地へ国防軍の派遣を決定致しました。」
政府はドローンによる偵察や斥候による確認を最優先で実施し、外地(地球外特殊地域)の環境が極めて地球と似ていることを突き止めた。
今も政府や与野党内には反対意見が根強く残るが、政権は国防軍派遣の意向を固めた。
国防軍派遣特別措置法を含めた必要な諸法も衆参でスピード可決され、後は実際に国防軍の派遣を待つだけとなった。
大戦の影響か、対象が未知のフロンティアだからだろうか、今回の政府の決定に対する国内の反応は肯定的だった。
「現在までの最新の世論調査によると内閣支持率は80%を超えており、就任以降最高を記録しています。」
ニュースでは連日あの事件に関連した報道しか流れていない。
「今回の事件を受けて、各国からも声明が出されています。
ロシア、イギリス、EU(イギリスは離脱)からは『日本が望むあらゆる援助を惜しまない。一刻も早い隊員と人質の救出を願う。』との声明が、中国からは『隣国で起こった事件は我が国で起こったのと同じ。我が国はいつでも人員を派遣する用意がある。』といった声明が出される一方で、同盟国であるアメリカからは『日本の単独管理を懸念し、国際的な調査団の派遣を希望する。』といった厳しい声明が出されています。」
戦後、国内の米軍施設問題や日本の親露姿勢がさらに加速したことで影響力の低下を危惧しているアメリカは国際社会を巻き込んででも日本の単独優位性を阻止したかった。
「こうした各国の声明を受けて、神田首相は次のように述べました。
『我が国は自国内で発生した事件について他国の助けを借りるつもりはない。』
このような強硬的なコメントに対し、ネットでは称賛する声が確認されていますが、今後、日本政府は世界各国に対して引き続きどのような対応を採るのか?
我々もしっかりと注視していかなければなりません。」
「やれやれ…。
同盟国とは言え、他国の介入を許すほど私だって落ちぶれちゃいないさ…。」
各国の思惑がのしかかる中、緊急会見を終えて執務室のテレビを見ていた神田龍蔵内閣総理大臣は来客の到来とともに画面を消した。
「お邪魔でしたかな?」
やってきた男は辰巳義信防衛大臣兼外地問題担当対策大臣だ。
「冗談を…。
恩人を軽々しく扱ったりはしないよ。」
発災当初、誰をこの件の担当大臣にするか頭を悩ませていた神田を救ったのが彼だった。
「あれは俺の興味が勝っただけだ。
夢にまで見た異世界だぞ。
あれに関与できるなら俺は喜んで雑務だろうと受け入れるぜ。」
年齢は辰巳の方が僅かに上だが、議員年数は神田の方が上。
だが、二人はともに二世議員ということもあって両者に壁や隔たりはない。
そのため辰巳のクセのある喋り方も神田は特段気にしていない。
「正直、辰巳君が担当になってくれて助かった。
マスコミや野党からの追及、諸外国からの口撃を受け切れるのは君くらいしかいないからね。」
「総理にそこまで評価していただけるとは、俺も出世したもんだ。」
声を上げて笑いながら辰巳はソファに腰を下ろした。
「それで、その後の状況は?」
神田も辰巳の正面に腰を下ろす。
「先遣隊の編成は順調だ。
こちらのスピード感が上手く伝わったようで急ピッチで作業を進めてくれている。
あと、第一陣派遣には間に合わねぇけども第二次派遣にはブリッジも完成の見通しだそうだ。」
政権は魔法陣を巨大な倉庫のようなもので覆ってしまおうとしていた。
また、海上に浮かんだ魔法陣へスムーズに移動できるように同時に通路を設置しようともしていた。
「それは良かった。
国内外に突っ込まれないよう、くれぐれも慎重に頼むぞ。」
「分かっております。」
辰巳は敬礼して席を立つ。
「それでは俺はこれで失礼させていただきます。」
神田と別れた辰巳は防衛省のある市ヶ谷へ向かった。
「そちらさんはもう派遣団の候補に目星を付け終わったか?」
車中、辰巳は外務大臣安藤宏行に電話をかけた。
「代表格の人事は完了しましたが、細かな人員の選定には苦戦しています。」
「あぁ、そうかそうか分かった。
そっちもご苦労だな。
ちなみに代表は誰だ?」
「井上という外交官です。」
「悪いんだがその井上をこっちに寄越してくれるか?
19時から市ヶ谷で関係会議があるんだ。」
電話口で安藤は時計を見る。
会議まで残り2時間を切っている。
「分かりました。
直ぐに向かわせますが、外交官が軍部の会議に必要なのですか?」
「いや、単なる顔合わせが主な目的だ。
向こうに着いてからはそちらさんが主役になるが、何かと協力する必要があるだろうから、早い段階でお互いに顔を合わせた方が良いと思ってな。
まぁ、外地に関する簡単な環境説明もしようと思っている。」
「なるほど…。
それでは私の方からその旨を井上に伝えておきます。」
「悪いな。
よろしく頼むわ。」
電話を終え、都内を覆う灰色の雲を見ながら一言。
「ったく、忙しくなるぜ…」
辰巳は不敵に笑った。
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【日本 東京 霞ヶ関】
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外務大臣から突然の呼び出しを喰らった井上は派遣団の要綱を放って直ぐに大臣室へと駆けつけた。
「失礼致します。」
「突然呼び立てて済まない。」
安藤は手でソファを勧めた。
「先ほど辰巳大臣から電話があった。
これから防衛省で外地派遣に関する関係会議があるそうだ。」
「はぁ…。」
「辰巳さんは君の臨席を望んでいる。
直ぐに向かってくれ。」
「防衛省の会議に私がですか?」
井上の反応も無理はない。
「国防軍の派遣部隊指揮官らとの顔合わせや外地の環境説明が主旨のようだが、正直、何をするかは分からない。
まぁ、虐められることはないだろうけど心して向かってくれ。」
「相変わらず、彼らはやり方が粗暴ですね。」
一族全員が外交官という華麗な経歴の井上の目には、市ヶ谷の民、特に辰巳の言動はスマートさに欠けるものとして映っていた。
「君からすれば皆が粗暴に見えるのではないか?」
「そう言った類いの皮肉はしばしば受けますが、そんなことは思っていませんよ…。」
彼の言うように、傷のない井上の経歴を皮肉って彼を現代の公家と揶揄する者が存在することも事実だ。
しかし、彼と接した者達は井上が喩え公家であっても軟弱なそれではないことを直ぐに知るだろう。
「君は周囲からの皮肉を真に受けるタイプではないと思うが、優秀で気骨もある男だと思っているよ。」
「大臣からお褒めいただくとは光栄です。」
「外地では危険も伴うだろう。
しかし、国益のためにどうか頑張ってくれたまえ。」
安藤は立ち上がり、手を差し出した。
「これで間違いなく、一族の中で最も優秀な外交官として名を馳せることができそうです。」
井上は安藤の手を握り返す。
「一先ず、今夜の会議を乗り切ってくれ。」
安藤は顔に苦々しい笑みを浮かべる。
「畏まりました。」
井上は対照的にズル賢い笑みを浮かべた。
市ヶ谷へ向かうべく、井上は大臣室を後にする。
「井上さん、既に車が待機しています。」
部屋の外で待っていた職員が井上へ告げた。
会議後にはまた外務省へ戻るため、彼は身一つで車へと乗り込む。
職員がドアを閉めると、ドライバーは無言で車を発進させた。
外務省から防衛省までは順調に行けば25分とかからない。
市ヶ谷までの短いその時間、井上は安藤の苦笑いがどうしても忘れられなかった。
「野蛮の巣窟へ向かうのは気が滅入るな。」
井上の心は空模様と同じかそれ以上に曇っていた。