拾い物
「ちょっと、保健室に来て! 今、直ぐに」
ズボンのポケットに入れていた携帯の振動で目が覚めた昼休み。出て見ると、こっちが誰なのかを確かめることもなく、更には名乗りもしないでそう告げられたが頭がついてゆかない。
「ーーちょっと〜寝てんの? まさか 他の女と勘違いしてる訳じゃないよね? 私だって分かってる?」
今、お付き合いをして自他ともに彼女と認めるメグミ君だとボソボソ応える途中で、「いいから早く来なさい!」と遮られ、時計を見ると午後からの授業まで20分もあった。
昼寝というのは非常に身体に良く、クセになると辞められないと何かで読んだことがある。だからという訳ではないが、毎日、昼飯を食った途端に眠りに落ちる俺を、凄まじく騒がしい教室でよく眠れるものだと感心しながらも、あえて起こそうとする輩はいない。メグミ以外は。
トイレに寄って用を足してから保健室を開けると異様な雰囲気だった。
女子ばかりが身動きも出来ないほどーー20人以上もいるだろうーーー狭い保健室で一つの机に身体を乗り出すように何かを覗き込んでいる。
新たに入ってきた俺には誰も気づかないのか、重なり合ったり、前にいる女子の背中によじ登ったりで、俺から見えるのはセーラー服の背中とケツと脚ばかり。誰が誰だか分からない。
どうしたら良いものかと、その大勢のケツを見ているしか出来ない俺は、妙に静かであることに気が付いた。
何をしているのか不明だが、これだけ女子がいるのに騒がしくないのは奇跡だ。女という生き物はとにかく寄れば喋り、喋るためだけに寄る。
俺はメグミに呼び出された訳だが、今更、女のやかましさの原因を追求したり、誰とも判らないケツを眺め品評するくらいなら昼寝の続きをした方がましで、戻ろうかとも思ったが、一応、声をかけてみた。
「おーーーい、あの……」
女子の誰かの、「ここにも……」と、妙に低く、そして力の籠った声が前の方から聞え、そして一瞬の間が空いた次に、「ギャーーー!!」とか「ギョエーーー!!」などと、とても文字に書き表すことの出来ない絶叫が次々と上がり、俺は言いかけの言葉を飲んで、一歩、後ろに下がっていた。
阿鼻驚嘆とはこういう状態をいうのだろう。
保健室にすし詰めだった20人は越す女子共が、一斉に大口を開け、喉が潰れるくらいの叫び声を上げながら振り向き、呆然と入り口に突っ立っているマヌケ面の俺に向かって髪の毛を振り乱しながら一斉にダッシュしてきたのだ。
顔に爪をたてられ髪の毛を引っ張られ、廊下に仰向けに倒されたところに次々と肉肉しい身体が覆いかぶさってきて、メチャクチャにされた。
嵐のように去って行った女子共の後、鼻血を滴らせて廊下で伸びる俺は、どいつか判らないが股間を酷く掴まれたせいで唸っていると、蹴られた。
「何やってんの! 早くこっちに来て!」
見上げるとメグミだ。
保健室のパソコンにアップされた沢山の写真を次々と見せるメグミは何も喋ろうとはせず、チラチラと俺の表情を伺っているようで、抱きつくように身体を寄せてくる。
全部が先週の修学旅行に撮られた写真の数々。専門のカメラマンが撮ったのでは無く、何人かの女子が撮ったものだった。
風景よりもとにかく仲間内で人物を写しあったものが大半で、中には何処で撮ったのかも判らない、「ニィ」っと歯を出した顔がアップで写されているのも少なくないせいで、見せられる意図が掴めない。
メグミのアップも出て来た。可愛いと言った方がいいのだろうかと悩んでいると、次の写真に移っていった。
ーーあれ……
俺が何かに気が付いたような素振りにメグミが言う。
「気が付いた?」
パソコンの画面から視線を外し横目で隣を見ると、息が掛かる距離にいるメグミの目が赤いのに気が付いた。こいつが涙目?
マウスを操作して一度見た画像に戻ってゆくと、やっぱりだった。
同じ女が何度も出てくる。
それは見覚えのある女ではない。見たこともない30過ぎに見える、瘦せた、ストレートな黒髪を肩まで伸ばした、地味で今風ではない半袖のベージュ色のワンピースを着た女が、フレームに入ってしまっているのが何枚もある。
ーー誰だ?
ーー偶然だろう
そう思うだろう俺を読んだメグミがマウスを操作する。
「見て、さっきのが2日目の写真。っで、これが3日目」
ーー嘘だろ、どうしている?
風景も入れようと下がって撮ったものに写り込んでいる女は、京都だけではなく東京でも写っていた。まるで偶然通りかかった者のように、撮影の邪魔にならぬよう横切ったりせずに、シャッターが切られるのを立ち止まって待っている風だが、写真の端にシッカリと写り込んでいる。
関西に寄って関東もといったコースは修学旅行だけではなく、一般の旅行でも珍しくないはずだ。寄った観光地が重なったとしてもありえる。
以前、家族旅行で四国に行った時、とんでもない田舎の小さな駅で、昔、隣に住んでいた人と偶然遭った事がある。きっとその類だろう。
写り込んでいる女は、シャッターが切られれば直ぐにでも横切ろうとしているかのように、斜め横の角度で撮られていた。
俺は画像をズームさせた。
「ひっ……」
それはメグミの声にならない悲鳴だと思ったが、俺のだったのかもしれない。
向こうに顔を向ける女の視線がカメラを捉えていた。それも、とても旅行を楽しんでいるような和やかな表情ではない。
次から次へと画像をズームしていくと、どの顔も同じ顔だった。表情に一つの変化もない。
眉をしかめ眉間に皺を寄せ、射抜くような眼光はカメラを構える者に向けられているというより、今、こうして画像を観ている者たちに向けられているような気がした。
午後の授業が始まっても俺とメグミは保健室に籠った。聞くと、保健の先生は昨日から体調を崩し休んでいるという。
結局、夕方の5時過ぎまで俺たち2人はそれを観ていた。
1枚1枚ズームにして、フレームに偶然入り込んでしまった大勢の人を注意深く観ていくと、それまで気が付かなかった写真の幾つかにも、そいつは写り込んではいるが、写っていないのが大半でもあった。
次の日、同じクラスのアカネと呼ばれる女子が欠席をした。そして、次の日も、その次の日も学校に来ることをしなくなったアカネ。
結局、休学となり、入院しているらしいとの噂を聞いた。
年が変わり、3年生となった春先の放課後、別のクラスの奈緒に、俺は他には誰もいない教室に呼ばれた。
「シグマ、あんた、アカネのこと覚えてるよね。修学旅行の例の写真のことも」
もちろん覚えてはいたが、今になって奈緒にその件で話があると言われるのは意外でもあった。
「ーー私も観たんだ、全部の写真。あんた気が付いた? 無理か……女子じゃないもんね。メグミも何にも言ってなかったでしょ。気づいたのって女子の中でも私とアカネだけだったのかもしれない」
最初の頃に気が付いたのは奈緒だけだったらしい。
あの女が写り込んだ写真を撮ったのはーーアカネもその一人だが他にも何人もいたらしい。確かに、メグミのカメラにも写っていて、それに気が付いたメグミなどは気持ちが悪いとデーターは勿論だが、カメラごと捨ててしまっていた。
保健室の騒ぎがあった翌日は、そんなこともあって学校を休んだ女子はアカネだけではなかったのだと奈緒は言う。
だが、アカネだけは違ったらしい。
その週の日曜日、気分もかなり落ち着いたアカネは、家の花畑で写真を撮したそうだ。
修学旅行旅行の際、あの女が写り込んだのには三つの共通点があったのだと奈緒が教えてくれた。それは、あくまでも結果論で理由は分からないと付け加えて。
「一つは、アカネのカメラ。本人が撮る場合もあったろうし、別の誰かがアカネのカメラでアカネを入れて撮る事もあるよね。二つ目は、誰か別の人のカメラでアカネが写ってる時。メグミのもそれでしょ」
最後の共通点は、あるお寺に行った後だそうだ。確かに1日目の写真には写っていなかった。
あの女を拾ってきたというのか……
「拾い物」ーー『完』