フィギュアコレクター
一部、性的と思われる描写があります。
許容できない方は、読み飛ばしていただいても問題ありません。
―― 20:00
フィブルが姿見の前でしなを作っていた頃。
別のプライベートルームでは、とある“儀式”が繰り広げられていた。
部屋の主の名前は、“ネス”――実名、年齢、全て不詳。
「1ドットの違いが分かる男」を自称する、いわゆるオタク系男子だ。
そのほかに分かっていることは、一応社会人であり、ということだけ。
「今日はぁ、だ・れ・に・し・よ・う・か・な……うーん、悩むなぁ。ラブリーでカワイイ系の娘祭りが最近のブームだったけど、そろそろ変えたいしなぁ。だがそうなると、正反対のマッチョ腹筋系……いやいや、スレンダー系も捨てがたいよなあ。しかし、あえてグラマー美人揃えてきょぬー祭りなんてのも……アリだよなぁ! いやあ、悩むなあ!!」
何かを物色するようなネスの声が、多数の人影がひしめく部屋に響く。
だが、誰も微動だにしない。
ソレもそのはず。ネスの前に並んでいるのは、実寸大の「お人形」だった。
部屋の様相一言で表すなら、蝋人形館かマネキン屋、という所だろうか。
問題は、その密度だった。知らない人が見たら、悲鳴を上げて逃げ出すレベルで、密集していた。
プライベートルームに配置できる家具のひとつに、「マネキン人形」がある。
基本的には衣装置き程度の扱いでしかない家具だが、アバター用のモデルデータを入力すると、そのデータそっくりに変身する機能がある。
そのため、アバター作成前のテストベッドのほか、自作データ保存用としても使われていた。
だが、ネスの部屋においてあるマネキンの用途は、違う。
ネスは、アニメや漫画に登場するキャラクター達を再現し、細部にまでこだわってカスタマイズしたデータをマネキンに入力して、コレクションしていた。
ネスは、そのコレクションの中から、脚線美で有名なキャラクター達を選び、マネキンのデータを入れ替えた。
「んー……やっぱ今日はフトモモな気分! やわらかーいフトモモで、めくるめく膝枕ンドの開催だな! そうしましょうそう決めた!」
今は、残業続きで疲れきった心と体を癒すために、コレクションたちと「戯れて」いる最中だった。
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彼がゲームに求めることは、コレまでも、コレからも、変わらないだろう。
それは、たった一つ。
端的に表現するなら――『2次元の世界へ移住すること』だ。
VRについては、インターフェースの理論が発表された時から注目していた。
これぞ理想のインターフェースだ、「2次元への扉」だと、期待は天井知らずに高まっていった。
しかし、実際に対応ゲームのプレスリリースが発表されると、期待は失望へと変わってしまった。
ほとんどのタイトルが、「実写のようなリアルさ」をアピールしていたからだ。
ネスも、その方向性自体を否定しているワケではない。コンピューターや映像技術の進化を振り返れば、高解像度への流れは当然ということは、分かっていた。
だが、個人的には「ナンセンス」だと思っていた。
リアルには、辛いこと、悲しいこと、見たくもないこと、様々なことがある。
そういったリアルを忘れて、ただ楽しみたい。息抜きをしたい。そのために漫画を読み、アニメを見て――ゲームで遊ぶのだ。
それなのに。
どうして、遊びにまで“リアル”を求めなければならないのか?
ネスは、そこがどうしても納得行かなかったが、自分ひとりが声を上げたところで、流れは変わらないだろうことも、分かっていた。
そこまで考えた所で、VRへの熱は一端収まっていった。
急いで選ぶことはない。主流が決まった後で調べて、遊びたいソフトが出てから考えればいい。
それに、ローンチタイトルは開発資金の出せる超大作が並ぶだろうから、ニッチ狙いのソフトが出るまでには、かなり待つ必要はあるだろう。
そうやって、自分を無理やり納得させた。
そして数ヶ月が過ぎ、情報のチェックもおろそかになっていた時のことだ。
ネスの耳に、驚くべき情報が飛び込んできた。
それは、サービス中のVRMMORPGで、画面表示をアニメ風にする「2.5次元化add-on」という機能拡張が実装された、という話だった。
あわてて、そのMMORPGの公式サイトを見に行く。
アップデート告知の欄には、確かに「2.5次元化add-on」という言葉があり、その横には画像へのリンクが設置されていた。
ネスは、震える手でリンクをクリックした。
そして、表示されたサンプル画像を見て、我を忘れた。
そこには、ネスが欲して止まない、アニメの世界が広がっていた。
MMOというのには引っかかりがあったが、VRでアニメ風ゲームを遊べると理解した時点で、すでに理性は崩壊していた。
翌日は平日で、仕事も残っていたが、病気と偽って平然とズル休みをとった。有給休暇は、掃いて捨てるほど溜まっている。数日休んだところで、文句を言われる筋会いはない。
午前中は、家電量販店を駆けずり回って機材を揃えた。
食事もソコソコに帰宅し、アカウントを作った。
目的のadd-onは有料コンテンツだったが、気にならなかった。
アカウント作成と同時に購入し、即座に有効化すると、キャラクター作成の時点からアニメ風に変わった。
感激だった。
はやる心を抑えつつ、キャラメイクを進めた。1人称視点限定ということなので、プレイ中に見えない自キャラの見た目にはそれほどこだわる必要は無いと判断し、カスタマイズはソコソコ程度で切り上げた。
それでも格好をつけたいという欲求はあったので、よくありそうなイケメン風には仕上げて、確定ボタンを押す。
サーバー選択後のロード時間すら、もどかしく感じる。
画面が暗転してから数瞬後には、目の前には夢にまで見た光景が広がっていた。
絵のような、奥行きが分からないどこかのっぺりした背景と、重なり合う人影。
奥行きは無い。だが遠近感はある。
何とも不思議な感覚。
思わず、立ち尽くしていた。
『俺は、今、2次元の世界に入っているんだ。アニメの……ゲームの中に、入れたんだ! やっぱり、VRこそが2次元への扉だ……俺の希望が、理想が、ここにある……!』
涙があふれ、目元から流れ落ちる。
流れる感触は、かすかに分かる。
けれど――VR機器の再生する「視界」が、ゆがむことは無かった。
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その後、ネスは一通りチュートリアルを進めながら各種機能を確認し、ログアウトしてネットで情報を集めだした。
この体験を、単に『VRすげえ!』で終わらせては面白くない。
このゲームで出来ること、出来ないことはなにか?
今後、このゲームでどうやって楽しむか?
どこまでなら、やって許されるのか?
まずはそこからと、ネスはおろそかにしていた情報のチェックを再開した。
調べてみると、すでに様々な攻略ページが作られていた。
そこは、序盤の進め方や、効率のいい成長の仕方など、一般的なゲームの情報であふれていたが、そんな攻略情報に埋もれるように、ひっそりと、あるページが更新されていた。
それは、ある種の裏技的な、プライベートルームの「活用方法」に関する記事だった。
そこには、以下のように書かれていた。
『プレイヤーは、セクハラ対策などの理由により、PCやNPCなどの固定オブジェクト以外のモデルには触れない仕様になっている。
ただし、自分が装備しているアイテムなどの所持品ならば、例外的に掴んだり触ったりすることが可能だ。
この場合は、感触も再現される。
そして、プライベートルームに配置した家具類は、すべて所持品として扱われるため、固定オブジェクトではないがアイテムと同じく触ったり、持ったり、掴んだりすることができる。
話は変わるが、家具の中に「マネキン」というものがある。主に、服装やアクセサリーのチェックなどで使われている人形だ。これは、実のところアバターの構造が流用されていて、つまるところ「中の人」がいないアバター、と言っていい。
つまり、プライベートルームに「マネキン」を置くと――ココから先は、自分で試して欲しい。
新たな世界の扉を開けるハズだ。』
この記事を見つけたとき、ネスの目から鱗が落ちた。
そんな手があるのか、と。変に感心した。
それからは、アバターのデータを集め始めた。
アバターのカスタマイズメニューには、調整結果をファイルに書き出す機能がある。
そうやって書き出した設定データを公開している人には、アニメや漫画、ゲームのキャラを専門に作っている人が多数いた。
ネスは、それらのデータを根こそぎ浚っていった。
自分の技量は分かっていた。自力で0からカスタマイズして作り出すのは、時間の無駄だ。
それなら、ベースとして公開されているデータをありがたく使わせてもらい、気になるところを微調整すればいい。
ほとんどはadd-on実装前のデータだったので、アニメやゲームのキャラに近づけるためには、どうしても微調整は必要だったから、ちょうどよかった。
そうやって集めたデータは、順次マネキンに入力され、ネスなりの調整が施されていった。
調整されたマネキンは、一体また一体と増えていって――気づいたら、プライベートルームを埋め尽くすほどの数になっていたのだ。
だが、ネスは満足していなかった。
マネキンは、物理的なスペースが不要で、収納にも困らない、大変便利な「等身大フィギュア」だ。
世間体や設置場所など、諸事情のためリアルでは手を出しにくかったが、VRなら話が違う。
見つかることも、捨てられることも無い。
好きなだけ、手元に置いて、見て、触って、抱きしめて――楽しめる。
だが、部屋に設置できるマネキンの数は、上限に達していた。
でも、もっともっと、キャラは増やしたい。
そこでネスが取った方法は、至極単純だった。
集めて調整したデータをゲーム外に保存しておき、日替わりでマネキンのデータを入れ替えることにしたのだ。
一度に「楽しめる」キャラの数は上限に達してしまったが、データの入れ替えで日々のバリエーションが生まれた。それにより、マンネリが打破できたのは嬉しい誤算だった。
なにより、キャラクターが増えれば増えるだけ、選ぶ瞬間が楽しくなっていく。
今日は誰と、何をするか。それを考えるだけで、ことさらに楽しかった。
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―― 21:50
プライベートルームの床にはマネキン達が転がされ、ネスはその上でうつぶせになっていた。
いうなれば肉の布団。そんな状況で、抱き枕よろしくとあるマネキンの脚を抱きしめながら、フトモモに顔をうずめる様は、どう控えめに表現しても、ダメ人間だった。
「……ぷはー……これぞ至高、これぞ至福。ザ・フトモモ! やーらかくてぷにぷにから筋肉の弾力からおっきいのからちっさいのまで勢ぞろいで、いや絶景、絶景」
傍で見られたら、ただのスケベ親父としか言えない言動だが、当然マネキンは何も言わない。
ネスは、お構いなしで話しつづける。
「ああ……おちつく……まったく、クソ課長はホイホイ仕事ブン投げてそのままトンズラしやがるし、同僚のおっさんはマクロで5分も掛からないような作業を定時まで引き延ばしといて、終わったらさっさか帰っちまうし……てめーが終わらないとこっちの作業進められないってのによー! 今の職場はろくなモンじゃねえな!! かといって転職先も思いつかねーし……あー、いっそ宝くじあたんねーかなー! そうしたらVRに引きこもれるのになー!!」
誰も聞いていないからこそ垂れ流せる、人として駄目なレベルの愚痴。
嫌な顔せず、黙って聞いているマネキン達。
性的には、まったく興奮していなかった。
アバターの股間に性の象徴が無いことも原因ではあるが、それ以上に懐かしい安心感に包み込まれるような印象のほうが強く、興奮する以前に安堵してしまうのだ。
ささくれ立った心が、次第に癒されていく。
安らぐ理由は、分かっていた――母親に、抱かれた思い出が、フラッシュバックする。
「くそ……俺はマザコンじゃねえ……でも、でも……かあちゃん……!」
アバターに、泣く機能は無い。
だが、声が震える。目から、とめどなく涙が流れ落ちるのを感じる。
そうやって、涙が枯れるまで、ネスは泣き続けた。