コスプレマニア
サービスの質を重視している“Fountain of Youth”は、当然のように多数の接続先サーバーを用意している。
そんな数あるサーバーの中でも、ひときわ特異なサーバーがある。
それが、「アラカワ・サーバー」だ。
「アラカワ・サーバー」のユーザー層は、二極分化していた。
朝から夕方にかけて、大多数を高齢者が占めるのは、他のサーバーとあまり変わらない。
だが、夜から深夜にかけてのユーザー層は、一変する。
そこでは、まったく別の世界が広がっていた。
アラカワ・サーバーの夜は、遅い。
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―― 20:00
プライベートルームの壁に設置された大きな姿見の前で、媚びたポーズを取る女性アバターの姿があった。
キャラクター名、“フィブル”。
プレイヤーの性別は“男”――つまりは、ネカマである。
なお、ネカマであることはカミングアウト済みだ。
(余談だが、アラカワ・サーバーの女性キャラクターは9割ネカマ、とも言われている。)
「うーん、やっぱ光の加減で不細工に見えるんだよなあ……もうちょっと調整がいるか。とりあえず、草原からチェックしてこっと」
鏡に映る自分の姿を見て、ぶつぶつ呟きながらルームメニューを操作した。
部屋の見た目が、一瞬で切り替わる。
天井は抜けるような青空に、床は膝まで埋まるような草原に。壁は、見渡す限りの地平線に変わった。
光源も太陽に変わった上、草原からの照り返しもあり、影の付き方や顔色など、細かい部分の見え方と印象が変わっていく。
それにあわせて、体型や顔つきなどを微妙に修正して、鏡で確認する。
草原での見え方を確認したら、次は砂浜、その次は岩場、さらに次は……と、修正作業を続ける。
一通り修正が終わった後は、草原に戻って再確認。別の環境用に修正した影響がおかしいと思えば、やり直し。
賽の河原の石積みのように、造っては壊し、造り直しては壊す。
延々と続く、スクラップ&ビルド。
その果てにある、たった一つの理想を求めて、試行錯誤を続ける。
ある意味苦行とも言えるそんな作業が、フィブルはこの上なく楽しかった。
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フィブルがVRゲームに求めたもの。
それは、ちょっとした変身願望を満たすこと、だった。
それも、コスプレを楽しみたいという、趣味の範疇に含まれる程度の願望だ。
現実でも軽くコスプレを嗜んではいたが、冷静になって自分とキャラのギャップを考えてしまうと、どうしても凹んでしまう。
女性キャラのコスプレなんて、世の中にやってる人はいるが、自分には無理だ。
でも、好きなキャラのコスプレは、一度やってみたい。
そんなことを葛藤していた時に、“Fountain of Youth”のことを耳にした。
比較的自由にアバターの外見をカスタマイズできて、性別の変更もOKだという。
3Dモデルが洋ゲー風なのは気になったが、ソレはソレでいじりがいがあるというものだ。
さらに詳しく調べてみると、公式がサポートしているVR機器は他に比べてかなり安く、なんとか手を出せる金額だった。
月額で基本料金は掛かるが、ただ遊ぶだけの一般コースならそれほどの金額ではない。
ゲームそのものについては、こう言ってはなんだが、どうでもよかったので調べなかった。
だが、「自分のペースで楽しめる」とか「街にいるだけでも楽しい」という声を結構見かけたので、どうやら雰囲気はユルイらしい、ということは分かった。
普通のゲームでも、エディット機能に熱中してしまい、それだけで満足して本編をほったらかしてしまうぐらいなので、ユルイ雰囲気はむしろ大歓迎だった。
そして――気が付いた時には、クレジットカードを片手に諸々の手続きを済ませていた。
さらに一週間後。
そこには、VRヘルメットを前に、接続先サーバーの選択で頭を抱えるフィブルの姿があった。
一般コースは接続先を強制されないが、それが返って選択を難しくしていた。
接続先サーバーが、多すぎたのだ。
ソロでも十分楽しめるとは思ったが、できれば同好の士が多いサーバーを選びたい。
だが、それがどのサーバーなのか、サッパリ分からない。
情報を求めて、巨大掲示板サイトでサーバーの評判を調べたり、公開されているギルド掲示板を探してチラ見した。
そして、最終的に行き着いたのが、「アラカワ・サーバー」とコスプレギルドの「あらかわ委員会」だった。
サーバーを選択し、ログイン。自分のカスタマイズもそこそこに、急いで広場に行ってみた。
フィブルの目の前に、楽園が広がっていた。
様々なアニメや漫画のキャラクターと分かるアバターが、その場に多数存在していた。有名無名を問わず、主役や脇役どころか背景モブにいたるまで、およそ思いつく限りのキャラクター達が、目の前で動いていた。
もちろん、オリジナルと思しきアバターも、こだわりを持って作られていることが分かる。
その光景を見て、思わず棒立ちになった。
感動で泣きそうになったその時、どこか遠巻きに見られているような雰囲気を感じた。
そして、自分の格好がほぼデフォルトなのを思い出す。
新参を見る目の数に、強烈な場違い感と羞恥心が湧き上がっていく。
フィブルは、そそくさと逃げるようにその場を後にし、プライベートルームへと急いだ。
部屋で一人になって、考えた。
目に焼きついた光景が、忘れられない。
あの輪の中に、入りたい。
あそこは、あの場所は、絶対楽しい。
――彼らに見られても恥ずかしくない、いや、むしろ見せ付けてやる、そんな理想のキャラを、作らなくては。
かろうじて最後の一線を守っていた理性のブレーカーが、音を立てて落ちた瞬間だった。
理性を振り切ったフィブルは、形振り構わずに環境を整え始めた。
髪型や目などの追加パーツ、服装といったアクセサリー類、服装チェック用のマネキン人形、アバター調整機能がある姿見、部屋の環境変更機能など、有料コンテンツを全て揃えた――生活費が残るかどうかなど、考えなかった。
一通り揃えた内容について、ざっと使い方を確認してから、ようやく始めたアバターの調整作業は、思った以上に楽しく、そして深かった。
体の各部位が、自分の思い通りに変化する。
体型であれば、痩せぎすから超肥満体まで、連続的に増減できる。
スリーサイズだって――どことは言わないが、AA未満からI以上まで――選び放題。
調整次第で、ボン・キュ・ボンでも、ボン・ボボン・ボボボンでも、なんでもござれだ。
その反面、調整は大変だった。
たとえば、顔。
大量のパーツがある上、ある程度の範囲で位置を動かせる。福笑いほどに顔面崩壊することはないが、それでも失敗するとおかしな見た目になる。
背丈にしても、胴と脚のどちらを調整するかで、印象が大きく変わる。
仮に、長い脚をカッコイイと思って単純に脚だけ伸ばしたとしよう。その結果は、竹馬を履いたピエロのできあがりだ。
上記以外でも様々な要素が複合的に絡み合っているため、全てを考慮したバランスをとる必要があった。
しかも、あらゆるシーンで完璧、というのはありえない。
光の当たり方や見る角度によって、イメージが変わってしまうからだ。
ならば、こだわるべきは、どこか?
妥協できるのは、どこか?
フィブルは、アバターを調整しながら、断腸の思いで取捨選択していった。
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―― 22:00
そんなVRデビューの後、数え切れないほどのアバターを作り続けたフィブルは、比較的短時間で狙い通りの容姿を作れるようになっていた。
とはいえ、ある程度の形が決まるまでには、数えるのも馬鹿らしいほどの試行錯誤が繰り返されていた。
「うーん……これ以上は、ちょっと頭リセットしつつ意見聞かないと無駄、だな……」
フィブルは、横に置いてあるマネキンを見ながら、つぶやいた。
それは、最初のモデルデータを入力した、記念の一体だ。
「コレ作ってた時は、一人で煮詰まってたから歪になってたの気づけなかったからなあ……」
当時のことが、思い出される。
リベンジとばかりにデビューした広場では、よってたかって不備を指摘された。
最初はただ貶されていると思って憤慨したが、一晩おいて見直してみると、確かに指摘された部分が歪なことが分かった。
顔から火が出る気持ちだった。
早速作り直そうとしたが、その前に、そのモデルデータをマネキンに入力して、残すことにしたのだ。
「初心忘るべからず……だっけ」
フィブルは、マネキンに対して愚痴をこぼしながら、プライベートルームを出た。
慢心への戒めとして残した、最初に作ったアバター。
ただ虚空を眺めるだけのそのマネキンは、それでも何かを伝えようとするかのように、その場に佇んでいた。