大膳春人の場合 (4)
ゲームの中で、メンバーの前から“ゼン”が消えかけていた頃。
春人は、ベッドの上で激しく咳き込んでいた。
状況は、クボの予想通り、誤嚥だった。
流動食の流れ込んだ勢いが思ったより強く、気管の奥まで飛び込んでしまっていたのだ。
その状態を若干オーバーに表現すると――咳が止まらずに呼吸困難となり、微妙に死に掛けていた。
なりふり構わずVRヘルメットを脱ぎ捨てると、大きく咳き込みながら洗面所へ向かった。
咳き込むごとに少しづつ痰状の流動食が出てくるが、なかなか奥に入ったものが出てこない。おかげで、咳も止まらない。
数分後、玄関で呼び鈴が鳴った。
間髪いれずに外から呼びかける声も聞こえて来る。
「大膳さん! スフィアフード・デイケアサービスです! 聞こえてますか? 大丈夫ですか?!」
接続機器の監視機能が異常を感知して、ケアスタッフが緊急出動してくれたのだ。
助かった、と思った。
咳き込みながら玄関ドアを開ける。
いつものケアスタッフが、慌てて駆け込んで来た。
「一体、どうしたんですか? 喉に何か詰まったんですか?」
「……しょ……気道……咳、とまら……」
「誤嚥ですね? 下を向いて、大きく口を開けて咳をしてください。背中さすったほうがいいですか?」
「いは、ふぁいしょ……」
息も絶え絶えな状態だが、なんとか質問に答えた。
その後、言われたとおりに数分ほど咳をし続け、ようやく異物を出し切った春人は、ゆっくりと口をゆすいでから入れ歯をつけた。
ケアスタッフは、手元のノートにメモを取りながら、春人の話を聞いていた。
「はー、苦しかった。いやはや、死ぬかと思ったよ……来てくれて助かった。ありがとうよ」
「大変でしたね、大膳さん。何があったか、お伺いしてもよろしいですか?」
「いやあ、ほら、あのー、ゲームの中でさ、みんなで朝ごはんを食べてたんだけどね。流動食がさ、口の中に、ビュって入ってきてさ、そんで、気道の奥に行っちまったんだな。おかげで、咳が止まらなくって……」
「なるほど……食事を。それは、何をどんな風に食べたか、教えていただけますか?」
「あーあのね、あれだよ、あの、新しく追加された、あー、肉をね、切って、食べてたんだけど……口に放り込んだのが、まずかったのかなぁ……」
「ふむふむ……、口に、放り込んだ、と……なるほど。ちょっと調べてみましょう。ご協力、ありがとうございます」
「いやいや、こっちのほうこそ、朝っぱらから呼びつけちゃって、悪いことしたねえ。すまなかったね、大変だろうに」
「いえいえ、それが仕事ですから。それに、変に遠慮されて後で大事になるよりは、空振りのほうがいいんですよ」
「そういうものかねぇ……」
「そういうものなんですよ。えー、今回のことについては、一応上に報告しておきますね。それと、念のため、マウスピースの洗浄もしておきましょう」
そして、30分ほどかけて、機材の洗浄と春人の体調確認を済ませたケアスタッフは、緊急出動に対するチェックリストに春人のサインを貰い、手早く荷物をまとめた。
「では、次回のケア日ですが……えーと、明日でしたか。それじゃあ、今日は失礼しますね」
「ああ。明日……明日ね、お昼だっけ。お待ちしてますよ」
ケアスタッフは、去り際に「ええ、また、明日のお昼に」と言って、帰っていった。
春人は、玄関先までスタッフを見送ってから、戸締りをして、ログイン作業をやり直し始めた。
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―― 8:18
何の前触れもなく、『駆けつけ三杯』亭に“ゼン”が再出現した。
ログインしなおした春人の視界に映ったのは、自分の前で集まって心配そうな話をしている、先ほどまでのメンバー達だった。
とりあえず、目の前にいたクボに声を掛けた。
「ただいま、っと。いやあ、エライ目にあった」
「おー、ゼンさん……ようやく戻ってきたな! 急に止まるから、何事かって騒ぎになってたんだが、無事ならよかったよ」
「いや、心配かけてすまん。ちょっと、食い物が変なとこまで入っちまって、咳が止まらなかったんだよ」
「あー、やっぱり誤嚥か」
「いやはや、苦しくて死ぬかと思った。咳のせいでうまく呼吸ができなくてさ、窒息するんじゃないかって」
「気をつけないとダメだよ。誤嚥が元で病気になることだってあるんだから」
「でも、気をつけたくても、流動食だからなあ……」
「そうか……どうすりゃいいんだろうな」
クボの呟きに合わせて、周りに集まってきた仲間達の間で困惑が広がっていく。
流動食のオプションをつけている以上、ゲーム内の「食事」に連動して、いわば勝手に出てきてしまう。それに気をつけろといわれても、正直何をどうすればいいのか、見当も付かない。
重くなった雰囲気を払拭するように、春人が自分の体験を踏まえた懸念点を話し出した。
「……なんとなくだけど、勢いよく口に料理突っ込んだせいかなあ、とは思ってる。もちろん確定じゃあないが、状況的にそれぐらいしか考え付かなくてね……緊急出動してもらったケアさんには、そのことを伝えてあるけど、みんなも一応そこんとこ気にかけといてくれるかい?」
その話を聞いて、全員が神妙な顔で頷いていた。
――後日、この事件の報告を契機にモーションの見直しが行われ、いくつかのモーションが修正されることになるのだが、それはまた別の話である。
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―― 9:00
春人が緊急ログアウトした騒動が収まってからも、一行はそのまま『駆けつけ三杯』亭に居座り、与太話に興じていた。
他の客も来そうにないので、占拠してても問題ないと思ったらしい。
内容は、ほとんどがさっきの動画に関することで、特にコレといった目的もない話を、だらだらと続けていた。
とはいえ、店に来てからすでに3時間近くが過ぎ、さすがに話すネタも尽きたようで、しばらく会話のない時間が続いていた。
春人が時計を見ると、ちょうど9時になるところだった。
切りがいいので、これからの予定について聞いてみた。
「さて、今日はどうするんだい?」
「うーん……モンスター肉集めにいかないか? さっきから、蟻のハンバーグが気になってしょうがないんだよ」
「あれかあ……昔な、アフリカかどっかの話で、蚊を大量に採ってミンチ状にして食べる、ってえ番組を見たことがあるんだが」
「うへえ」
「その類だと厳しいよな、色々」
「……ああ、一気に興味が失せたよ、ありがとう」
「でも、サンプル画像の感じでは、普通の肉みたいだったしなあ」
「……先に、どっちに誘導したいのかを教えて欲しいんだがね、ゼンさん」
「ま、他にやることも無いし、肉集めでいいんじゃないかな?」
「じゃあ、ドロップテーブルを調べて……」
「いやあ、ネタバレは無しだよ、クボちゃん」
早速とばかりにクボが攻略サイトを開こうとしたが、春人はそれをあえて制止した。
その場の全員が、怪訝そうな顔で春人を見た。
「どうしてだい? ゼンさん」
「地道に足で稼ごうや。攻略、効率……否定はしないがね。回答持って1個づつ答え合わせするなんて、単なるデバッグ作業じゃないか」
「……久々に辛辣だねぇ」
「定年まで、似たようなことやってたからね……」
春人は、わざと視線を外し、遠くを見ながら話を続けた
「ま、そんなのはね、それが仕事のIT土方とか、有料βテスター達に任せておけばいいのさ。焦って若い衆の真似することなんかない。俺達は、1回はゴールしてるんだ。老い先短いからって、次のゴールまで生き急ぐことはないだろ?」
皮肉めいた春人の言葉に、その場の全員がニヤリと笑った。
「生き急ぐ、か……確かに、急いで先にゴールしたくはねえなあ」
「まったくだ。ぐうの音もでねえや」
「手探りが楽しい、ってのはすっかり忘れてたぜ」
「サービスイン直後の手探り感は、確かに面白いよな」
含み笑いと共に、口々に同意の声が上がる。
全員が納得したのを見て、満足そうに春人は移動を開始した。
そして、そのまま空を見上げて、全員に告げた。
「だろ? 何事もね、楽しまなきゃ損さ。何も知らない『最初の一回目』ってのは、二度と体験できないんだ。それをわざわざ投げ捨てるなんて、もったいないよ」
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―― 17:30
春人たちは、店から出てから、延々と狩り続ていた。
ルーチンワークではない狩りは、まるで宝探しのようで、あまりに楽しすぎて時間を忘れてひたすら戦い続けた。
途中、昼飯で一度休憩した以外は、常に移動か狩りの連続だった。
予想したモンスターから予想通りの食材が出れば嬉しく、出なければ悔しい。
結果に一喜一憂しながら、何故出なかったのか、何か間違っているのかなどを、ああでもないそうでもないと相談し、新たな狩場を探す。
狩場の移動中に偶然見かけたザコ敵を戯れに倒したら、想像すらしていなかった当たりの食材が出てきたときは、まるで宝くじが当たったようなお祭り騒ぎになった。
色々な欲望の元で一丸となった一行の前には、屈強なモンスター達ですら秒殺だった。
そんな感じで大騒ぎしながら食材を集めた一行は、街に戻ってレシピを集め、皆で一緒に騒ぎながら料理を作った。
まるでキャンプのような騒々しい中での夕食。
だが、今朝に食べたドラゴンステーキよりも、はるかに美味いと感じられた。
「……ンさん、ゼンさん!!」
春人は、どこか朦朧とした意識の中、誰かに呼ばれる声を聞いた。
「んー?……今、俺を呼んだの、誰だい? クボちゃんか?」
「ああ、起きたか。駄目だよ、ゼンさん。寝オチしかけてたよ」
「ふへ? 寝オチ……? おお! いかんいかん。うっかり寝こけてたか」
「大丈夫かい?」
「んあー……ちっと駄目だな。今日は変に体力使いすぎたな。もう眠いわ」
「それなら、ちゃんとログアウトして寝ないと。本日2回目の緊急出動を掛けたくないだろ?」
「そうだなぁ。チョット早いけど、今日は先に落ちるわ」
全員から、「それがいいよ」とか、「ちゃんと寝て体力回復しないと」といった声が掛かる。
春人は、「じゃあお先に」と挨拶をして、自分の部屋へ移動していった。
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―― 17:35
早々に、自分の部屋へ移動した春人は、そのままベッドへ直行した。
「ああ、今日は疲れた……ルミ、明日は何かあったっけ?」
“明日の予定は、以下の通りです
午後にデイケアサービスの予定があります。
……”
「そうか、そうだったな。昼間にも言われたっけ……それなら、午前中はサブキャラのほうがいいか」
“そうですね”
春人は、明日の予定を考えながら、ベッド横たわってメニューを表示した。
「おやすみ、ルミ」
“おやすみなさい、ゼン。いい夢を”
春人は、いつものようにルミに挨拶をしてから、ログアウトした。
――ゲームから、“ゼン”の姿が消える。
こうして、「大膳春人」の一日が終わった。