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おとな


「――どうした、浮かない顔じゃないか」

「……お前か」


 よう、とユーレに声をかけてきたのは、ネオンライトのように鮮やかな青色の瞳を持った男だ。黒に銀を混ぜたような不可思議な髪色をしたその男は、ユーレの顔を見るなり「親子喧嘩か」と目を細めた。男の表情は先ほどからそう大きくは変わっていないものの、何となくその言葉に愉快そうな響きを感じ、ユーレはむっと眉間に皺を寄せる。


「うるせェな」

「図星か。お前の娘(ニルチェニア)にもようやっと遅い反抗期が来たってところだろう?」

「ただの反抗期なら喜んで受け入れたよ」


 くそったれ、と続けそうなユーレの様子に、男――レグルスはやれやれと大げさに肩をすくめた。芝居がかったこの仕草もユーレは慣れっこで、腹を立てようとすら思わない。


「いつから知ってたんだよ、レグルス」

「随分前だな」

「もっと早くに教えろよ、馬鹿野郎!」


 ニルチェニアの裏の顔……“フィアールカ”のことをユーレに告げたのはほかならないレグルスだった。

 職業柄(・・・)、レグルスは情報屋を使うことも多々あり――その筋で“フィアールカ”とは知り合ったのだそうだ。

 ニルチェニアは父の知人であるレグルスにそれを知られたときにも、特に口止めをするようなことはなかったらしい。そこがまた何とも腹が立つ――とユーレはレグルスに噛みついてしまう。


「口止めされてなかったんだろ? だったらさっさと教えてくれりゃ良かったじゃねェか!」

「俺としても優秀な情報屋を敵に回したくはなかったからな。わかるだろ、ユーレ」


 ユーレ(養父)に“フィアールカ”のことを伝えてしまえば、ニルチェニア(情報屋)の機嫌を損ねるだろうとレグルスは考えたらしい。確かにその推測は正しいだろうし、それはレグルスのような“半端者”がとるのは当然の行いだったのだが、一人の父親としてのユーレから見たら腹立たしいことこの上ないのだ。たとえ、自分がもしレグルスと同じ立場にいたら、同じ行動をとることが確信できていても。


 おそらくニルチェニアはそこも見越していたのだろうとユーレは思う。


 レグルスも同じことを考えていた。

 たとえば……そう、たとえば“フィアールカ”のことを知っていながらユーレにそれを伝えなければ、ユーレにとっての悪者はレグルスになるし、レグルスがユーレに伝えてしまえば、ニルチェニアにとっての悪者はレグルスただ一人になる。どちらの手を取ったとしてもレグルスはどちらかを裏切ることになる。それを見越して、敢えて“フィアールカ”として接触してきたのだとすれば。


「――性悪女だな」


 レグルスは口元をつり上げてしまう。とんだ悪女がいたものだ、と。


 ニルチェニアは解っていたはずだ。レグルスに接触さえしなければ、レグルスの依頼さえ受けなければ、誰にもその“フィアールカ(裏の顔)”を知られることもなかったのを。それでもそれに素知らぬふりをしてレグルスに情報屋としてほほえんだニルチェニアを、レグルスはある一点で高く評価していた。


 やっと成人したような若い娘に、レグルスは度々背筋をぞくりとさせられることがあったのだが――それは、ニルチェニアがたまにみせる“狡猾さ”には“かなわない”とレグルスの本能が理解してしまうからなのだろう。


「あ?」

「いや、何でも。……ユーレ、お前の娘は恐ろしいやつだよ。ほめ言葉にはならないだろうな。でも言わせて貰う。お前の娘は“ぞっとするほど魅力的”だよ。俺みたいにおかしい(・・・・)奴にはぞくぞくするほど、な」


 でも、とレグルスは言葉を切った。


「この世界でやっていくには、まだまだ綺麗すぎる」


 実際のところ、ニルチェニアはどっちつかずだとレグルスは思う。一般人と言うには薄ら暗いところを知りすぎているし、かといって裏社会に身をおくには――まだまだ“足りていない”のだ。

 彼女がそうなってしまったのには、成長する過程で置かれていた環境というもの……育ての親が暗殺者だったこと、も少しは関わってくるのだろう。


 だが、彼女が誰かに捨てられ、そのあと彼女を拾ったのがユーレ(元暗殺者)だったのはただのきっかけに過ぎなかったのだとレグルスは確信している。

 ニルチェニアにはもともとそうなる資質があった。いきすぎた好奇心を抑えなかったのが良い証拠だ。


 普通の人間なら躊躇ってしまうようなことも、ニルチェニアは“謎のためなら”と軽く一線を踏み越えてしまう。謎を解くために生きていると――知的好奇心を満たすためだけに生きていると――そういってもおかしくない生き方をしているあの“探偵”を、“まとも”であるとは到底言えなかった。

 けれど、完全に“おかしい”と言うには、まだまだ綺麗な人間なのだ。どちらにも転べるその立場は、“まとも”な人間から見たとしても、“おかしい”人間から見たとしても危なっかしいことに変わりはない。


 だから、とレグルスは手の掛かる娘を持った友人に一つ忠告をした。


「だから、完全にこっち側にくる前に。お前があの子の手を引いてやれ。無理矢理で良いんだよ、“まとも”な方に引き戻せ」


 お前にはそれができるだろうとレグルスは薄く微笑む。

 レグルスからしてみればあの娘がどちらに転がろうと知ったことではないのだが――きっと、このままにしておけばニルチェニアは必ず自分の障害になるだろう、と。レグルスにはそんな予感があった。


 まだ“まとも”な場所にいてもレグルスの手を焼かせる娘なのだ。自分と同じ“おかしい”場所に来てしまったら――。


 それがどれだけ魅力的で、危険なことか。

 レグルスにはよく分かっていた。

 だから阻止してやろうと、男は動き出したのだ。



***


 食事をしていたら、強面の男たちに囲まれる。

 そんな危険を現在進行形で味わっていながら、まともでもなければおかしくもない探偵の女は義務的に食事を続けていた。

 一定のペースで彼女の口に運ばれていく料理はおいしいのかそうでないのかも分からない。ただ、探偵の女が食事を楽しめていないのは明白だった。なにしろ、女の周りには武装した男たちが仁王立ちをしているのだから。


 危険とは案外その辺に転がっているものだな――とニルチェニアは淡々と思った。食後の茶をゆっくりと飲む時間すらないと見て、「ご用件は?」とだけ口にする。


 ニルチェニアが数十分ほど前に立ち寄ったレストランの中は、今や不気味な静けさに支配されていた。一触即発な押し込められた殺意が満ちている空間にも関わらず、白髪の女は目を細め、不遜に口を開く。


「答える口は持ち合わせていないのかしら」

「この状態で俺たちの目的が何なのか、分からない訳じゃねえだろう?」


 仁王立ちしている男の中の一人が、コートからちらりと拳銃をニルチェニアに見せつける。

 当然、そうでしょうね――とニルチェニアは微笑むと、使っていたフォークとナイフを皿に戻す。食事は綺麗にニルチェニアの胃に収まったらしい。


「ええ、全てお見通し。……貴方たち、信心深いタイプかしら」

「どうした【情報屋(フィアールカ)】? この期に及んで“イカレちまった”はナシだぜ。お前には聞きたいことが腐るほどあるんだ」

「白昼堂々と一般市民のいるレストランに押し入った挙げ句、拳銃をちらつかせて満足そうな人たちほど“イカレている”わけではありませんから、どうぞご安心を。――大人しくついていきますから、信心深いか否かだけ教えては頂けないかしら?」


 にっこりと艶やかに微笑んだ女が、顔に傷のある男に囁くようにして問いかける。女を椅子から立ち上がらせながら、男は獰猛に歯をむき出して笑った。


「俺たちの上司は【ゴットファーザー(マフィアのボス)】だぜ? そりゃあ“信心深い”に決まってんだろ」

「成程ね、ええ、忠義心があるようでなにより。……ふふ、そうね、とても面白いわ」

「何がおかしいんだよ、このクソアマ」

「そうね――私ももうそろそろ、年貢の納め時かしら? ああ、でも年貢を納めるより先に」


 まずはこちらのお代を払わなければね。

 ただ平然としてテーブルの上に幾ばくかの硬貨と札を置いたニルチェニアは、御馳走様でした、とマイペースに口にする。

 それはまるで、男たちをからかって遊んでいるようでもあったし――男たちの存在を、全く気にしていないようでもあった。


 ニルチェニアと男たちが出て行った後――テーブルの上に置かれた、札に印刷された偉人の顔だけが、場違いに生真面目な顔をさらし続けていた。


 


 


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