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わるい

 レグルス・イリチオーネはとあるマフィアのボスである。


 ボスならば雑務は任せて自分は部屋でふんぞり返りながら座っているべきだ――とも思うものの。


 荒々しい音がして扉が蹴り開かれる。躾のなっていない猿でもきたのか、とレグルスはにんまり笑った。扉の蝶番がイかれた気がしたが、もともと適当に借りた部屋の一つであるし――まあ良いか、とレグルスは気にしなかった。これがアジトの自室だったら考えているところだけれど。

 ずかずかと部屋の中に乗り込んできた男は、口からつばを飛ばしかねない勢いでレグルスに怒鳴る。


「おい、レグルス。お前“この銃は一生壊れない”って言ったじゃねえか。最近調子が悪いんだ、どうなってんだよ」

「オーケー、まあ落ち着けよ。まだ(・・)壊れてないんだろ?」

「屁理屈こねる余裕があるのか? ああ? 金返せよ。てめえの命で支払ってもいいけどよ」

「良いから聞け。まだ壊れてない(・・・・・)んだな?」


 武器屋を装って、適当なチンピラもどきに“度の過ぎた玩具”を配るのは、なかなかにスリルのある楽しい遊びだ――少なくとも、退屈な日常にちょっとしたスパイスを加えることはできる。レグルスはそう考えていた。

 まだ壊れてねえよ、と今にも“壊れかけた銃”をつきつけ、代金の踏み倒しを試みようとしている男に、レグルスは心の中でひっそりと笑う。


「それなら良かった。俺も嘘は吐きたくないからな」

「ボロチャカ売っといて何言って――」


 チンピラもどきの男がすべての言葉を吐き終えるよりも前に、レグルスはその眉間に弾を一発だけ撃ち放つ。あが? と妙な喘ぎとともに、男は仰向けに床にぶっ倒れ――そのまま動かなくなった。


「ほら、“一生”壊れなかっただろ」


 レグルスのその言葉は誰にも聞かれぬまま、レグルスは無言で男が持ってきていた銃を回収する。たしかに、これはレグルスが売りつけた銃に違いない。が。


「扱い方が悪ィんだよ、三下」


 レグルス・イリチオーネといえば裏社会でもそこそこ顔の知れた人物だ。そんな人物の顔も解らずにただの武器屋だと思っている――そんな時点で、この世界ではやっていけない。レグルスにとっては、今撃った男は――三下というのも首を傾げてしまうような、ずぶの素人にしか見えなかった。


 こんな奴らには銃なんて、やっぱり過ぎた玩具だな――とレグルスはふうと息をつき、


 ――スリルのない人生なんて、胡椒の入らないカルボナーラみたいなものだな。


 物足りないに決まっている。


 そう一人で完結して、未だ薄く煙を吐き出している銃を懐にしまう。こちらの銃の調子は絶好調で、たった今やってみせたように面倒なゴミも難なく始末できている。


 レグルスは椅子から立ち上がり、煙草を取り出して火をつけ、口にくわえた。紫煙をゆっくりと肺に送り込んで吐き出し、座りっぱなしで凝っていた体をほぐす。それから、血生臭さと硝煙の匂いとが入り交じって、不穏な香りに満ち始めた部屋の中、出口に向かって歩き始めた。


 レグルスは出口に向かう際に、眉間に鉛玉が貫通した男の遺体をちらりと見やり――その手の甲に吸っていた煙草を落とした。

 男の手の甲ごと煙草を踏みにじれば、男の頭から流れる血によってできた血溜まりの上に一瞬だけ、 何かの折れるような耳障りな音が響く。


「――おっと、折ったか」


 結局故障(・・)したのはこいつの方だったわけか、と大した感慨もなくレグルス・イリチオーネは部屋を出ていった。

 後に残ったのは、とうに事切れた男と、血溜まりのできあがった床と、消えゆく硝煙の香りにいっそう濃さをます鉄臭い匂いだけ。



***



 ニルチェニア、と名前を呼ばれて、白髪の女は緩慢な仕草で振り返った。どことなく品の漂う仕草ではあったが、女はただの探偵だ。


 女の菫色の瞳が、名前を呼んだ男――ニルチェニアの養父であるユーレを真っ直ぐにとらえる。

 ユーレの緑色の瞳はいつもより心なしか険しくて、その眉間には皺が寄っていた。

 その理由を察していながら、血の繋がらない娘はゆっくりと桜色の唇を動かした。


「何ですか、お父さん」

「……理由は解ってんだろ、“フィアールカ”」

「あら、ご存知で?」

「俺はお前に口が酸っぱくなるほど“危ないことに首を突っ込むな”と教えなかったか? なあニルチェニア、答えてくれるか? “探偵”という顔の裏側で“情報屋”をするのは危ないのか、危なくないのか。二十歳超えたらもう答えは解るだろ? 密偵(スパイ)ごっこに憧れるガキじゃねェんだ」

「そうですね。私のやっていることは危ないこと、だと……思いますよ」


 うっすらと微笑みながら養父に言葉を返す娘は美しい。伏せられた目を長いまつげが縁取っていた。


 銀にも見える白髪の持ち主のニルチェニアは、“探偵”という職業に就いている。不倫調査や身辺調査、失踪した人間の調査――ありとあらゆることを調べるその職業は、“謎”を暴くことを生き甲斐としているこの女にとって、天職のようなものだった。


 ニルチェニアは生まれもっての大きな好奇心を抑える術を知らない。或いは、抑えようとも思っていないのだろう。空腹な狼が小動物に食らいつくのと同じように、ニルチェニアは謎に貪欲だった。ありとあらゆる謎を解いてなお、謎を求める人種だった。

 すべては自分の知的好奇心を満たすため。けれど、真実を知れば知るほど、謎を暴けば暴くほど――ニルチェニアは謎を知りたくなってしまう。喉の渇きを癒すために飲んだ酒が、さらなる渇きを呼ぶように。


 そんなニルチェニアが探偵だけにはおさまらず、もっと謎を知りたいと求めた結果が“情報屋”だ。知的好奇心の強さが幸いし、ニルチェニアの“情報屋”としての名――“フィアールカ”は、裏社会でも最近有名になってきている。


 養父のユーレはそれを案じているのだ。名が売れている情報屋というのは、それだけで命を狙われる。情報というものは裏社会において、ある意味では部屋いっぱいの銃火器よりも危険視されることが多い。養父のユーレはそれをよく知っていた。


 なぜなら、彼もまた“裏社会”の人間だったからだ。

 今は足を洗ってはいるものの、かつては名の知れたスナイパーとして暗殺稼業で生計を立てていたものだから、ニルチェニアがしていることがどれだけ危険なことなのかは、ニルチェニアよりもユーレの方がよく解っている。もちろん、ニルチェニアの方もそれを知っている。


 ――知っていて(・・・・・)やっているのだ。


 それを無謀だという人間も、馬鹿だという人間もいるだろう。けれどニルチェニアはその一般的な意見を受け入れようとはしない。口元に緩く、蠱惑的な笑みを浮かべて“それは貴方たちの意見”とばっさり切り捨てることだろう。私と貴方たちでは立場が違うわ、と。


「危ないと知っていてやっている理由は何だ? なあ、俺に教えてくれよ。“やりたいからやってます。はい、説明終わり”――が通じるようなことじゃねェのは理解してんだろ。俺の娘はそんなことも解らないほど馬鹿じゃねェはずだ」

「ええ、知っています。けれど敢えて言わせて頂くなら」


 やはり、“やりたいからやっている”のでしょうね。


 蠱惑的だった微笑みをかき消して、ニルチェニアは表情のない顔を養父へと向ける。菫色の瞳には何も浮かばず、そこにはガラス玉のような光があるだけだ。


 チッ、とユーレは舌を打つ。

 ユーレの娘がこんな顔をするのは“謎解き”を邪魔されたときであり、彼女が一歩も引かないときであり、父であるユーレにすら彼女をどうしようもできないときの瞳だ。

 謎に囚われてしまったら最後、ニルチェニアは解くまで謎を手放さない。そんなときに見せるこの瞳は、どうしようもないほど強情で、頑固で、凛とした――生気のない目なのだ。


 この瞳を見てぞっとしたことは少なくない。

 “好奇心は猫をも殺す”。そんな言葉の通りになってしまうのではないかと、この目を見るたびにユーレは思うけれど、どうにもできないのだ。


「お父さん」


 柔らかい声がユーレの耳を擽った。

 ニルチェニアは少しだけ申し訳なさそうな顔をして、泣きそうな目でユーレを見つめている。


「……私から、謎を奪わないで」


 ――私にはそれしかないの。


 小さく消え入るように紡がれた言葉も、ユーレの耳にはしっかり届いていた。その言葉が意味することをユーレは知っていたから。


 だからそれ以上、止めろとは言えずに――黙りこくるしかなかったのだ。

 泣きそうな娘の顔を見てしまえば――なおさら、彼女から“謎”を奪うことなんてできやしなかった。





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